73.アバンレイン脱出戦3
クリスはそっと後ろを振り返った。あれほど脅威に思い、逃げるように進軍していたわけだが、あの巨大鉄球は止まっている。
残念ながら、色は黒ではなく赤の要素が強くなっているわけだが……止まっていた。
「こわぁ。」
俺が胸中を漏らすと、隣を走っていたうちの兵士も頷いた。多分俺が出てから決めたのだと思うが……完全にミルノーのことを忘れていた。この戦が終わったら、『要らんタイミングで余計なことを言うな』と釘をさしておくべきだろう。
とりあえず気を取り直して前を見る。とはいえ、あの巨大鉄球の影響は大きかった。まるで大地が割れて深い谷が生まれたかのような人の亀裂が、目の前には出来ている。
いくら何でも、刃やらなんやらに突き殺されるより、鉄球に挽かれて死ぬ方が怖かったらしい。まあ、そうだよな。せめて死んだら、自分の顔がわかる状態であってほしいよな。……騎馬隊に轢かれても、顔が無事である保証はほとんどなわけだが、まあ言ってやらない方が吉だろうか。
「駆け抜けろ!!」
どちらにせよ敵中を切り抜ける方が優先だ。このままなら後からくるペディアたちが面倒な挟撃状態になるだろうが……前後から挟撃状態に持ち込んだ方が便利だし、ミルノーが何かしらの兵器を出してしまうような気もする。
「しかしまあ、脱出戦だってことを忘れてしまいそうな戦だなぁ。」
先ほど随分人間離れした技術を見せた気もするが、唐突に表れた巨大な鉄球に全て持っていかれた気もする。
「やっぱ『像』ってやりすぎだよなぁ。」
まぁ、そういう俺自身も『像』を持っているわけだが。っていうか『像』なしでこんな大活躍が出来るはずもないか。走り回っている馬の速さも、やはり普通の馬よりはるかに優れている。『騎馬隊長像』が馬自身にも支援をかけているからだ。
「ふぅ。」
抜けきった。後続の部隊がゼブラ公国軍を抜けきった。先頭をかけながら、二分ほど疾走。敵がこちらを追っていない、見ていないことを確認してから反転する。
じっと、敵側を見て。気づいた。
「うわぁ、やべぇことしてやがるな……!」
俺なら、あれに巻き込まれたくはない。とはいえ、この棒一本あれば、多分あれは何とかなるんだが……
その時、とんでもない馬蹄の轟音が聞こえた。
轟音。轟音だ。決して、並みの馬蹄の音じゃない。
「なんだ、ぁ?」
地ッと遠くに目を凝らした。砂漠で生きるには視力は必要不可欠だ。俺は相当、目がいい。
その視力を、『像』による身体強化によって増幅しているのだ。障害物のないこの草原では、遠間一キロくらいなら判別できる程度には見える。
その視力が、捉えた。紫に近い、藍の馬影。敵軍が、助走をつけながらこちらに向かって走っている。
かなり速い。今の俺たちの速度と同じくらいだろうか。軍馬に『像』までかけて強化した馬と同等の速度で駆ける軍。しかも、遠間から見ているにしては信じられぬくらい大きく見える。
絶句した。噂では聞いていた。独立したゼブラ公国は、ペガサスの代わりを用意しようとしていたというのは、隣国ヒュデミクシア王国にも聞こえていた。本当に、出来るとは思っていなかったが……やったのか。
「魔馬ジベレト。あれを、調教したのか!」
その体躯は獅子を匂わせ、その速さは隼の如く、その誇り高さは竜が如しと言われたあれを!駆け抜ける姿は目に見える紫電とすら謳われるあの魔馬を!
……いや、よく見ればあれに比べれば小さい。おそらく、異種交配によって生まれた種。だが、明らかに速度は並の馬よりも早く、体躯は大きい。
これは、なかなか。見れば見るほど、厄介だ。
「あぁ……あれは俺の仕事だな。」
いや……本当にそうか?あれに、本隊が攻撃されるのは、キツイだろう。被害は決して少なくない。だが、あれを止めるために今の騎馬隊を突っ込んだらどうなる?
「負けるな、全滅するだろう。」
間違いない。そして、騎馬隊が全滅してしまえば……決戦の時に、困る。
「全軍!本隊を守る方向へ切り替える!同時に、ミルノーを探せ!!」
あれを迎撃する必要はない。こちらとあちらが接敵するまでにあと数分ある。それまでに全力で逃亡し、あれとの距離を離し、本隊が魔馬の部隊に攻撃される前にミルノーの兵器で時間を稼げばいい。
駆ける速度を上げた。部下たちも慌てたように速度を上げる。
鉄球で空いた穴は大きい。というより、兵士たちに押し付けた恐怖感が大きいようだ。反転して再度敵陣に躍り込んだはずなのに、まだ逃げた兵士たちは帰ってきておらず、両翼の援軍も足踏みしている。
その間に、駆け抜けた。襲われることもなく悠々と敵陣を進んでいるコーネリウスと合流する。
「クリス、速いですね。」
「そりゃ、これほど誰もいなけりゃな。障害物のない障害物競走なんぞ、ただの長距離走だ。」
まあ、とはいえ逃げる時に打ち捨てられた剣の山やら食料はあるわけだが。
「とはいえ、敵がいつ正気を取り戻すかわかりませんし、急ぎましょう。」
「その急ぐで問題があるんだ。ゼブラ公国、魔馬の異種交配に成功しやがった。ミルノーを貸せ。俺の部隊だけじゃ敗ける。」
「……いえ、ペディアの部隊を前に出しましょう。ミルノーは兵器で退路をけん制します。」
確実なことを好むコーネリウスらしかった。魔馬とはいえ、騎馬部隊に変わりがないのなら、『超重装』部隊を当てれば対処は可能だという思考自体は、何ら間違いではない。
あれのコンセプトは確かに、騎馬どころか戦車を徒歩で正面から受け止める、という思想のもとに設計された装備である。
平時ならば、受け止められたとは思うが……いや、今は何も言うまい。
「クリス、後続の支援を任せていいですか?」
「ペディアの抜ける穴をふさげばいいんだな?まぁ、何とかなる。」
騎馬隊を進める。入れ替わるように、ペディアの部隊が前に出た。速度が売りの騎馬隊よりも鈍重な、しかし機敏な動きをする部隊。
「頼む。」
「任された。」
すれ違いざまの一言。まだ数か月の付き合いとはいえ、ペディアは比較的話しやすい方だ。
多分、今の一言で、荷が重いことを察してくれただろうと思う。思いたい。
「……っつぅても敵、こねぇな?」
来ないというかビビッて来れないのだろうが……
「恐怖に身をすくませている奴らが恐怖を克服したら、逆に士気が上がるからな……アメリア!」
「何よ、クリス。」
「ペディアの支援を頼む。多分、ここはミルノーと俺がいれば十分だ。」
「あっちの方が危険なの?」
「ヤバい。ペディアの部隊が万が一抜かれるようなことがあれば、多分脱出戦もかなり詰む。」
「わかったわ。」
魔馬の部隊。あれそのものも大概な脅威だ。
だが問題は。敵はミルノーの兵器を恐れて、身をすくませてブルブルと震えてしまっていること。……真の問題は、ペディアの部隊が負ければ、その恐怖が一気に興奮で上書きされること。
怯えていた分と相まって、一気に息を吹き返す。そして、怯えていたこと、怯えさせてきたことの怒りと、勝利の確信をもって突っ込んでくること。
ここまで異常なまでにすんなり進んでいる分、その落差は、自軍の兵士たちの心を折りかねない。ただでさえ長期遠征で心は疲弊しているのだ。とどめになりかねない。
「……まぁ、アメリアも行けば足りるよな。」
魔馬の部隊は、ゼブラ公国の誇る『ペガサスの代用品』だ。多分、二つの『像』と部隊があれば負けない。
「よっしゃ、最後の仕事だ!行けるなてめぇら!」
「応」と響く、活きのいい返事。よし、と気合を入れなおす。
心の奥底で感じた、あの部隊とぶつからなくてよかったという安堵と死への恐怖は、見て見ぬふりをすることにした。
クリスと入れ違った。クリスが勝てないと判断した敵部隊と戦うことが決まった。
この意味がわかるだろうか?
クリスが『逃げてきた』ということは、相手にしたくなかったのは敵の援軍だ。そして、左右に敵が寄ってしまっている現状、敵の援軍となれば来るのは騎馬隊だ。
さすがに、ここまで戦略だの政略だの戦術だのでうだうだ悩んだ数日があればわかる。わかるようになった。
だから、俺は戦慄する。彼が撤退してきたことに、逃げてきたことに。
彼は騎馬隊の指揮官としては優秀だ。俺の『超重装』部隊を指揮するのは多分、性格の都合厳しいが、騎馬隊にはとても向いていると思う。
そのクリスが。『騎馬隊長像』に任命され、その力を使い、敵のど真ん中を突っ切った将が、自分の部隊では敵援軍に勝てないと判断した。それは……非常に恐ろしいことだ。
「……あれか。」
走りながら、敵を視界に収めた。接敵まで三分。いや、二分と数十秒。
「横列四帯!身体強化魔術及び……」
言いよどむ。なぜクリスは勝てないと判断したのか。超重装でも『危険だ』といったのか。
「座標固定魔術を使えるものを、最前列へ!」
二つの魔術の並列使用ができる兵士は少ない。だが、全体の五分の一程度は、使える。
兵士たちが盾を構えて、直立させた。全身をその中に覆うように、隠れる。
第一陣、激突。先頭の一人として盾を構えていた俺は、その衝撃に瞠目する。今の衝撃は、座標固定魔術でなければならなかった。でなければ、この力は……体重と含めて、ほぼ130キロ近くあるこの体を、平然と吹き飛ばすことを可能としていた。
顔に何かが跳んでくる。鎧の隙間から感じ取れたそれは、ほとんど人肌と同じ……いやわずかに高い程度の温度を感じさせている。
「どれだけの勢いで駆けてきたんだ……。」
盾に激突した敵の馬は、吹き飛ばせると考えた『超重装』を吹き飛ばすことが出来なかった。結果として起きるのは、そう。馬の体が大きな肉塊に変わり果てている現象。
盾の前を見る気になれない。足元を見ると、真っ赤なナニカが地面を伝って鎧にかかる。
ゾッと、した。いや、血には慣れている。敵味方関係なく、戦争は、傭兵は血を見るのが仕事だ。だが、ただのこの鋼鉄の盾に衝突しただけで地面を伝うほどの血が流れた、ということは……それだけの血が一瞬で流れたということ。おそらく、盾の前で「ボトリ」と鳴った何かは、もう原型をとどめてはいるまい。
これを、正面から受け止め続けると、三度目くらいで腕が折れる。そんな直感はあるが、今はどうしようもない。
「動くな!第二列以降!盾を斜め上に向け、利き足を前へ、非利き足を後ろへ!盾は両腕で支えろ、迎撃を考えるな!」
正面衝突でこの衝撃だ。万が一、地を蹴るという選択をされてしまえば。盾や鎧の上を駆けるという選択をされれば、おそらく超重装はその形を保てない。
ミルノーが言っていた、これは魔術が使えることが前提にある鎧だと。身体強化魔術が使えることで、この鎧を着て動くことが出来る。俺の部隊は魔術を使わなくても動くことはできるが……戦闘を考えれば、使えるに越したことはない。
軽量化魔術を使うことで、自分の体重と同じか、それ以上に重い鎧を平然と着込むことが出来る。ミルノー曰く、俺たちが今着ている鎧はその場しのぎの急造品らしく、元来の防御力より少々低いらしい。つまり、本物はもっと重いらしい。それを、身体強化魔術と軽量化魔術を併用することで使える状態に持っていく、そういう仕様であるらしい。
身体強化魔術、軽量化魔術、座標固定魔術、重力系魔術を、異常な量の金属の塊に刻印することで騎馬どころか戦車と正面切って戦うことをコンセプトとした『超重装』。鍛え抜かれた肉体と、並み以上の魔術の力量があって初めて扱える、防衛の切り札。しかし、残念ながら。この鎧は、魔術の不得手な兵にも使えるように調整され、それ用に防御力自体も落としている、いわば本来の仕様の半分すら出ない劣化品だ。
「ましてや、敵がどう見ても騎馬より力強い者たちであるとなれば……!」
耐えられる気はしない。だから、いったん後ろに抜けられてでも、自分たちの命を守るように命令した。
「……?」
だが。蹄の音は聞こえなかった。蹄が鎧の装甲を、鋼鉄の盾を踏みつぶす音は聞こえなかった。再び前に構えた盾に、衝突してくる肉の音すらも聞こえなかった。
どちらかがなされていたら、兵士たちの一部は腕が折れていたことは想像に難くない。なのに、その音が何一つとして聞こえなかった。
「……?」
不思議に思って上を見る。じっと、そっと。
俺の部隊が歓喜の声を、安堵の声を上げる。生き残った、これなら戦える、と。
俺も、その様子を見てその希望を視界に入れて。
「『座標固定魔術』を解除!全軍、槍構え‼」
盾の隙間から槍を突き出していれば、敵の騎馬はある程度押しとどめることが出来る。
むしろ、敵の数を一人でも減らす方が肝心で。
「ヴェーダ。どう思う?」
「うーん、正直かなり難しいと思いますよ。いくら何でもこの中への特攻は無謀が過ぎますって。」
「だよな。」
頷く。出来たら敵総数を減らしたいとは思う。でも、無理なら彼らに任せるべきだ。
「槍を突き出すだけに留めろ、槍を上に突き出す必要はない。その上で前進!」
応、という、地響きのような野太い返答。十分だ、と思う。
守り通せばよい。前進さえ意識していればいい。
敵はもう空には容易に跳び上がれず、こちらの盾に突っ込んでも自殺するだけだとわかっている。
ペガサス騎兵隊。アメリア殿の飛行部隊。
魔馬の部隊が宙を跳ねて『超重装部隊』を乗り越えようとすれば、彼ら、彼女らが容赦なく槍の柄の部分で打ち返し、あるいは突き刺し、あるいは魔術で焼き馬にして、打ち倒していた。
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