72.アバンレイン脱出戦2

 敵との距離がおおよそ100メートルを切った時点で、クリスは最初の手札を切った。

「『ペガサスの騎像』よ!」

前脚を高く高く掲げた馬に乗る、空に棒を突き出す男の像。それが光り輝き、騎馬隊全てに支援効果が降り注ぐ。

 直後、体感倍くらい速くなった馬のあばらを両足で挟み込んで力強く身体を固定しつつ、棒の握りをわずかに直した。

「我が名はクリス=ポタルゴス!『ペガサスの騎馬隊長像』に選ばれし男なり!死にたい奴から前に出ろ!!」

 接敵。敵もこちらを警戒していたのだろう。馬を阻むための柵は、当然張り巡らされていた。


 その柵を、クリスは棒を差し込み、強引に引き抜いて放り投げることで無効化した。

 誰にでもできるようなことではない。とんでもない速度で走る馬である。その馬の頭より先に棒を突き出し、馬が柵に激突するより先に馬の頭よりも高く柵を引き抜かなければならないのだ。尋常の技では当然ない。

 『像』の力を引き出し、それを使いこなせるようになって初めて出来る芸当だった。普通のクリスの肉体では到底できない。柵を引っこ抜くだけの腕力はかろうじてあっても、突撃する馬よりも早く頭上に持ち上げるだけの力など、人並みの力しかないクリスには到底無理な芸当だ。


 コーネリウスにも不可能である。彼の場合、精密に柵の隙間に槍を差し込む技量と、柵を真っすぐ正確に引き抜く技量がない。これはクリスの素の技術である。

 ペガシャール帝国内で同じことが出来る人間は、おそらくエルフィールとディールのみ。あとは、もし戦場に出るようなことがあればであるが、ギュシアールくらいだろう。

 だが、柵一つで十分ではない。クリスは引き抜いた柵をほうり投げた後、棒を真後ろに一回転させた。


 ギリギリではあるが、棒の先端が、引き抜かれたものの両隣の柵に当たる。それだけで、柵は真ん中から二つに割れた。

 クリスと同じことが出来る人外はそういない。……だが、真ん中から真二つに折れた柵を飛び越えるだけの馬術の腕を持つものは、それなりにいる。……それは、人間の所業でしかない。騎馬隊の兵士であればそれなりに出来るように調練はされている。


 会敵。ゼブラ公国軍の陣営、右も左も前も敵だらけの陣の中に、ペガシャール帝国軍は飛び込んだ。




 実のところ。ゼブラ公国軍は、ペガシャール帝国軍が今日攻撃を仕掛けてくること、砦から出ようとすることを読んでいた。

 なぜか、など考えるまでもない。アメリア率いるペガサス騎兵隊が昨日攻めてきたということは、そのままそういう意味である。


 四人の隊長を討ち取られた。この混乱、この影響を最大限利用しようと考えたとき、ペガシャール帝国軍が起こすべき最善は翌日中……ゼブラ公国軍の態勢が完全に立ち直る前に落としてしまうことである。

 ゆえに、グリッチは今日ペガシャール帝国軍が来ることを予期したうえで、二つのことを考える必要があった。


 即ち、どの方角に攻めてくるか。そして、どの時間に攻めてくるか。

 敵数はわかっている。包囲を切り抜ける時の切り抜け方など大体同じだ。問題は、いつ、どこに、だけである。


 まずグリッチは選択肢から二つを外した。西と東。真西に攻め込んでくるほどの博打に出てくる指揮官ではない。その判断ができる指揮官ならば、昨日ペガサス騎兵隊を使って攪乱するという手段を使うはずがない。……最初から温存し、西に斬りこむタイミングで切るべき札だ。それを先に切った時点で、敵軍が包囲網を突っ切って直接公都を落としに行くことはない、とだけは理解できていた。

 東への脱出は論外だ。それは逃亡と変わらない。であれば、残されたのは、北西、北、北東、南東、南、南西。細やかに見ればもとあるが、逃亡経路を大まかに見ればこの六方。


 グリッチは悩み悩んだ末に……北と南をまず切った。敵のペガサス騎兵隊は四人の隊長を斬り捨てた。それも、ゼブラ公国ではそれなりに大物を、だ。ゆえに、一番混乱が大きいのはこの四方であり、隙を突きたいのなら動くのはこの四方だ。

 ゆえに、主に東側の部隊を中心にして、北、南の部隊を含めてその四方に割いた。北と南、東は少々手薄になる結果になるが……仕方がない。


 敵には、『像』があり、『超重装』という新装備があり、それらを使いこなせる指揮官が数多くいる。

 野戦に持ち込まれた時点で、一気に形成が逆転され、どころか反撃の芽が一気に減る。それを、ゼブラ公国軍総大将、グリッチ=アデュールはほかの誰よりも強く認識していた。


 だから。やられた、と思った。時間を特定できなかったから、純粋な数を四方に固めることで対策した、それそのものが裏目に出てしまった。

 敵の一番困ることをやった結果、自分たちが一番困ることをされた。

「北に出た……か。イディル!切りたくなかったが仕方がない、魔馬を出せ!」

「グリッチ様⁉あれは決戦で使う予定だったのでは⁉」

「そのつもりだったが、仕方がないだろう!敵に包囲を抜けられる可能性は高くなった!なら、決戦前に一人でも多く敵を討つ!」

野戦で負けるとは言っていない。価値の目が一気に減るだけだ。なら、その減る勝利の目をなるべく軽減する必要があった。


「幸い、魔馬部隊はわかっていても対策はない!切るなら今が一番都合がいい!」

「……わかりましたよ。野郎ども、出陣だ!!」

イディルが出る。それだけで何とかなってほしいという願望と、多分厳しいだろうなという事実が目の前にある。


 コーネリウスが何の『像』を得ているのか。当代の『護国の槍』の力量はいかほどか。そもそも敵が持っている『像』はいくつあるのか。

 『ペガサスの連隊長像』がペディアだ。誰かは知らないが『砦将像』がある。『騎馬隊長像』の持ち主が飛行部隊を率いている。彼女が陸の騎馬隊も率いているのか……なんとなく、違う気がしている。そうなると『騎像』は二つ。コーネリウスと合わせれば、合計五つ。

 多すぎる。呆れとともにそう息を吐く。個人的な感情を言うなら、どうも『跳躍兵像』がいないということが読めているのが幸いだ。ここまで迅速に包囲を抜けようとした時点で、援軍を呼ぶ手段はないことが分かり切っている。

「『魔術将像』はない。」

やたら鋭い魔術が飛んできていたが、あれは中位の魔術陣だ。広範囲を巻き込むような魔術師がいるなら、とっくにこの包囲網は破られている。おそらく……『砦将』による“砦召喚”に備え付けられた兵器だろう。

「『糧食隊長像』もない。」

あれば、敵は包囲網から脱出しようと足掻く理由がない。それに、敵は兵糧の移送部隊を持っていた。『糧食隊長』がいれば、その部隊は必要ない。


 それ以上に、グリッチはよく知っている。『像』を用いてまで兵糧を運べるほどに、ペガシャール国土内に食糧はない。

「……見知ったペガシャール王国の内乱事情的に、元帥が今ここに出向けるとも思えない。」

なら、コーネリウスは『大将像』だろうか。『護国の槍』が?……それはそれで、おかしな話だが……。

「『像』はまず間違いなく、アダット=エドラ=アゲーラ=ペガサシアには行っていない。」

あれほど無能な人間を、神が選ぶと思わない。じゃあ、レッドか?……それはない。ありえない。奴なら、先に国内平定を狙うだろう。わざわざ50年前に離反した公爵家を先に下す理由がない。

「……。」

その二人ではない、誰か。エルフィールか?いや、それだけはない。女が王に選ばれる可能性だけはない。

「だが、やつが適当な王族を傀儡にした……?」

それならば、いや、それ以外にもいたのかもしれない。


 そして、その派閥は、おそらく弱いのだろう。アダット派、レッド派と戦争するだけの力はないのだろう。

「……いや、あるだろ。なければゼブラ公国に進軍などしてこれない。」

三派閥が合併した?こんなに早く?いいや、それならもっと兵士の数が多くなければおかしい。


 いや、今はそんなこと、重要ではない。これ以上に何がいるかだ。

「頼むから『工作兵像』はいないでくれ……。」

あれがいれば、俺たちの軍は今の時点で大きな罠にかかっている可能性すら考えなければならない。それは少々骨が折れる……というより、すでに敗北してしまっている予感がする。


「厳しいな。」

ひとりごちる。周囲に聞かれるわけにはいかない。誰も、敗北の予想なんて聞きたくないだろうし……指揮官がそう言ってしまえば、士気が崩壊してしまう。

「西軍は撤退の準備!南側にも伝令を回せ!北側には挟撃命令!!」

一番高い勝利の目が潰えた。なら、勝利の可能性は四割程度の、ギリギリの戦いの準備を始めよう。


 グリッチ=アデュールは、あっさりと撤退準備を開始した。




「……少ないな?」

棒を振る。一振りで三人くらいが宙を舞う。必死の形相で剣を立てて耐え、地面に足をつけている者たちもいるが……可哀そうに、その手はもう使い物になるまい。腕がだらんと垂れている。力量差がここまで明白だったのに抵抗しようとした方が悪い。どうして流されて吹き飛ばされなかったのか。

「どけ!邪魔だ!!」

右へ左へ棒を振る。馬の脚を止めることはない。障害物は打ち払うことで、存在しないものとして突き進む。しかし、思う。やはり、どう考えても敵の数が少ないな、と。

「ペディア、エリアス、お前たちの仕事は大変だぞ……頑張れよ!!」

その時、騎馬隊の右側が爆音が鳴った。ミルノーの兵器の一つだろう。魔術陣が刻まれた兵器でも、既にあるものであればいくつでも……


「クリス様!」

「なんだ?……なんだ?」

ここぞとばかりに出してきた、巨大な兵器。……兵器?は、超巨大な金属の球。

「おい、まさか。」

それが、動き出すのが見えた……俺たち向けて。

「おい、お前ら!!逃げろ!……こういうのは普通、閉所で使うもんだろうが!!」

だだっ広い荒野。後ろには超巨大な砦。


 50メートルをわずかに超す砦の中腹よりも高い、ありえるべからず巨大兵器。それの下敷きにならないよう……俺たちは、馬に再び鞭うった。




「コーネリウス様。お願いがあります。」

「ミルノーか。どうした?」

「『兵器将像』として、巨大兵器の使用許可を頂きたいのです。」

「……巨大兵器?」

それは、ちょっとばかり理想的な提案だった。ミルノー=ファクシがそれなりに強いことは知っていた。戦場働きが出来る事、手押し型の巨大兵器に鎧を詰め込んで運ぶことで、ペガシャール軍の武装の供給を果たしていることは知っていた。


 そして、魔術の腕が優れていることも。

 だから、陛下に他のみ、彼にそこそこの腕の魔術師兼兵装供給者として連れてきたのだが……そうか。既に、兵器のストックがあったのか。

 ちゃんと話を聞いておくべきだった、と思う。あの夜襲で彼の力のほどを痛感していたはずなのに、ペディアとエリアス、クリスへの対処ばかりを優先してしまった。

「クリスの手助けをするような兵器ってあるか?」

「……あれはどうでしょう。本来敵が城内に進入してきたときに使う、蹂躙の兵器。」

魔術陣を用いて、魔術陣が記載した距離を満たすまで直進するという性質を持つ球体兵器。

「そんなものがあったのか。」

「はい。賊徒時代に開発し、陛下の指示で保存していたものです。……使いますか?」

「出来ればクリスが出る前に言って欲しかったですね……距離的にはどれくらいですか?」

「300メートルを少し超えるくらいですね。その後は慣性で動くのですが……何もない平原です。100メートルも進めばいい方でしょう。」

「なら、出してください。おそらく、クリスの部隊に当たることはありません。エリアス、ペディア。予定を少し早めます。ミルノーが兵器を打ち次第、進んでください。」


時間的には、クリスが砦を出て、一分後。ミルノーが砦から出たころには、既にクリスたちは敵陣の中に躍り込んでいるように見えた。

「『ペガサスの兵器将像』よ。」

ミルノーが握るのは、背後に槍置き場がある人の形を模した像。その背には、ペガサスと思わしき絵が描かれている。小さいとは言えども、手のひらサイズはある、『像』。

「“兵器召喚”……『鉄球』。」

安直な名前だな、と思った。まあ、それ以上にどうしようもないほど、黒々とした鉄の球だったわけだが。


 それに、ミルノーが触れた。瞬間、俺も愛槍を高く掲げる。

「突撃!!」

鉄球が動き出した瞬間、その影に隠れるように、ペガシャール帝国軍は出陣した。

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