71.アバンレイン脱出戦1
アメリアは合計四人の指揮官を討ったという。たかが四人、されど四人。敵は15万近い大軍だ。その中の四人の兵士、だったら考える意味もないほど無駄な攻撃だが、その中の四人の指揮官、となれば話は別。
兵を指揮することが出来る人間は多くはいない。替えが効くと言っても限度がある。しかも、指揮官を交代直後の軍であれば、信用がない。言葉一つとっても、意味のくみ取り方が違って崩壊することすらある。
それを四つ、四人分だ。十分に役目を果たしてくれた。あとは、ペガシャール帝国全軍、それを統括するコーネリウスの役目だろう。
「クリス殿。あなたの役目はおわかりですね?」
「あぁ、道に穴を開ければいいんだろう?」
「はい。一度敵に突撃、突き通した後、反転して戻ってきてください。」
「混乱を増すため、だろ?わかってるさ。」
クリスはこれでいい。問題は、その前と後だ。
「エリアス。あなたの役目は四門の場所を北側に変え、クリスが切り開いた道をペディアとともに広げることです。」
「……わかりました。」
「どうして北なのです?」
エリアスが飲み込んだ問いをペディアが聞いた。彼はどうやら……戦略を学ぶつもりなのだろうか。だが、私たちは彼に戦術面で期待していても、戦略面で期待はしていないのだが……。
「コーネリウス様。戦術は、戦略の意図をくみ取って行われた方がよいのではありませんか?」
「……。」
驚いた。ペディアに心境の変化があったのは気づいていたが、この次元だったとは素直に驚いた。
「私に戦略を組む能力は望めません。ですが、戦略を理解し、戦術に反映させることは出来るはずです。」
これは、化けますね。一介の平民ごときから化ける男が生まれるとは、本当に才能というのは理不尽で、教育というものは重要なのだと理解します。
まあ、それなら話してもいいでしょう。ペディア=ディーノスは『連隊長像』に選ばれた男。ゆくゆくは、貴族家のどこかの嫁を取り、貴族の一族として列席される男です。資格は十分でしょう。
「東に抜けることだけはありません。至らなければならない都市は公都ゼブラ。ゼブラが西側にある以上、東側への進軍は目的地から遠ざかるだけです。ですから、自ずと進軍経路は北か南に限定されます。」
なるほど、というようにペディアが頷く。それを見て、クリスが面倒そうに息を吐いた。この二人が……いや、クリスという人物がここまで感情を統制できないとは、よほどのことがあるか、それとも何が気に入らないのか。
「北か、南かに特に意味はありません。どちらも平原、私たちが決戦に求める条件とは合致しています。」
「東じゃなければいいのか……。」
「東以外の、平原であればどこでもいい。ですが、決行は正午です。太陽は直上よりわずかに南寄りにありますから、直進時に太陽の光をわずかに背負って動くことが出来ます。」
ほんのわずか。ほんのわずかであるが、視界に入る光量が変わる。わずかでも目を細めながら戦うか、そのあたりを考慮せずに突き進むか。
ほんのわずかな差異。差異と呼べるかどうかも怪しい差異。だが、『像』の力を用いることで身体能力が向上するとはいえ、ひと月分の調練しか得ていないペガシャール帝国の兵質的不利を誤魔化せる手段はわずかでも多い方がいい。
「どうして西に攻めないのです?」
今度はエリアスの問い。逆に問いたいと思った。どうして西に攻められると思ったのか。
「西側にはおそらく、ゼブラ公国でも特別精強な部隊がそろっているはずです。それに、兵数も他より明らかに多い。容易に抜けられるとは思えません。抜けられず、拮抗を強いられた時点で私たちは敵からの包囲を許すことになり、結果として敗北するでしょう。」
コーネリウスの断言。それに、クリスも、アメリア嬢も頷いている。表情に疑問符を浮かべているのはペディア、エリアス、ミルノーだ。
逆に問いたいと思う。どうしてそこで疑問符が湧くのか。
コーネリウスは苦笑した。わからないか、という意味合いの苦笑だ。彼はもう、他の人たちがこの当然の事実を理解できないことに、一定の理解を示したらしい。若さによる柔軟性を、これほど強く見せつけられたことはない。
「西には公都ゼブラ。ゼブラ公国はゼブラを取られたら……そして、ゼブラ公王がこっちの捕虜もしくは戦死でゼブラ公国は負けです。そんなことは私も、相手もわかっています。公都に抜けられるわけにはいかない以上、公都への直通の道は当然閉ざされています。」
もちろん、万が一の賭けをすることは出来るだろう。が……おそらく、他の方面の敵と比べても、敵はおそらく死に物狂いだ。
「周辺には15万の軍勢……これはおそらくゼブラ公国の全兵力です。おそらく、ゼブラを守っている兵士は皆無に近い。それくらいしなければ、ゼブラ公国の領土で15万もの兵士を集めるのはかなり厳しいものですから。」
そう。ゼブラを守る兵すら使って、彼らはここでペガシャール帝国軍の命を絶ちに来ている。それくらい、『像』がある部隊と戦うために必死になっている。
そして、ゼブラ方面へ抜かせたら、ゼブラ公国という国は死ぬ。そんなもの分かりきっているから、ここからでもわかるくらいゼブラへの道には兵士が多い。
そして、それは兵の質も同様だろう。どう考えても他より強い部隊がいる。
「ありがとうございます。理解いたしました。」
ペディアが実にあっさりとそう答えたので、私は少々面食らう。
「何が、理解できたのだ?」
ついついそう問いかけてしまった。
「今回は、戦術と戦略の差はないと。北へ抜ける、なぜそうするのか、までが戦略の範疇。どう抜けるのか、の方が戦略と戦術の両方が込められていて、おそらく実際の戦になったときに必要な『戦略』は、北へ抜けるということの一点のみです。」
「……その通りですな。」
意外と理解力はある方なのだな、と驚いた。一皮むけたと思っていたが……一皮むけた程度でここまでの理解力になるのか。
「オロバス公。」
アメリアが私に声をかける。そちらへ視線を移して、彼女に続きを促した。
「ペガシャール王国における『四大傭兵部隊長』の一人、それがペディア殿です。ただの平民と侮っている気持は間違いではありません。しかし、無視できない肩書を持っていることを見逃してはならないと、私は考えます。」
「……そうですね。」
陛下の采配によって『連隊長像』に選ばれた人間だ。その分があると判断されたのだという事実から目を逸らすわけにもいかないか。
そう考えてみればエリアスもなのだろう。彼はおそらく、勝利のための戦争、というありかたは得手ではない。
コーネリウスの指示を聞き、ここから脱出するときの算段も理解している。それでも、彼がコーネリウスや貴族に反発するのは……そしてこの状況に歯噛みしているのは、おそらくだが、彼が農民だから故だけではない。
彼が、『攻め』にあまりにも弱い故ではないかと思う。
彼の思考は、彼の戦略眼は、おそらく……守備に特化している。敵から城を護る、という点において彼は優れているが、城から出て攻める能力には乏しいのだろうということが、読み取れる。
……陛下は人を見る目がある。だから、陛下が選んだ彼らを軽蔑するわけにもいかない。
それでも、私は思う。せめて、この程度のことは聞けばわかる程度の学があってほしかった、と。
「アメリア殿。」
「分かっています。攪乱ですね。」
「はい。ですが、あなたの部隊の攪乱は」
「ペディア殿とエリアス殿が敵陣に突入後。侵入口ではなく、その左右からの挟撃を阻むことを目的として。」
「正解です。それでお願いいたします。」
アメリア嬢はよく状況を理解している。指揮官とはかくあるべき、と思ってしまうのは私の傲慢だろうか……そうではないだろう。
だが、よくよく思い返してみると、アメリア嬢ほどの戦略眼を持っている貴族はもうそう何人もいない。この200年の神の沈黙によって、多くの名家が淘汰され、多くの軍家が滅んでしまった。……これから多くの貴族を粛清していく以上、彼らの登用を拒絶するわけにもいかないのもまた、事実である。
「はぁ。」
「オロバス公……。」
私の重いため息に、コーネリウスが苦笑する。エリアスがムッとしたような表情を浮かべるが……これが苦笑できる辺り、コーネリウスは私の呆れもおおよそ理解した上で、それでも状況を受け入れているようだ。
「若いとは、素晴らしいものですな。」
「本来は貴方の感性の方がまともですよ。」
そう言われると助かる。そう思いながら、そっと窓から外を見た。
なぜ、神は今日まで沈黙を保っていたのだろうか。もし天に召される日が来たら、必ず尋ねることにしよう……心から、そう思った。
翌日。クリスは整然と北側に並んだ自分の部隊を見て、大仕事前の深呼吸をした。アバンレイン脱出戦。これは一つの、大きな賭けだ。
コーネリウスは野戦で戦うために、ここからの脱出を選んだ。少なくとも帝国側の本来の主力がペディア率いる『超重装』部隊である以上、どうしてもこの決断は必要不可欠ではあった。
今日、ここから出るという決断は、コーネリウスの安定志向の反映だ。食糧がなくなるまでは、籠城していても問題はない。敵を徹底的にここにしがみつけて防衛戦を展開しながら、敵を削っていってもよかったと言えばよかった。それでもコーネリウスがなるべく早くここからの脱出を選んだのは、本国との関係性だ。
アダット派とレッド派。彼らが今すぐに帝国派を攻撃するとは思えない。少なくともアダット派は間違いなくレッド派を攻撃するだろうと踏んではいる。
だが、何かの間違いでアシャト派への攻撃に移った場合だ。難民たちがいる。他の貴族軍がいる。デファール様がいる。だから、数か月耐えるのは可能だろう。
それでも、ここには『像』の約半数がいるのだ。帝国軍の主力のほとんどが、こちらにいるのだ。
もし、帝国派が攻められていて。このゼブラ公国侵略軍が、アバンレインで包囲されたままだった場合。
アシャト様を救えなくなる可能性があるどころか、帝国軍の壊滅に立ち会えない可能性すらあるのだ。さすがに、それは、臣下として論外すぎる。
だから、コーネリウスは侵略を急いでいる。彼自身気が付いていないが、正直なところ、彼は焦っているのだ。
クリスはそのコーネリウスの心情をおおよそ理解していた。そうなっていることも、それがおかしいことではないことも。そして、それが傍から見る彼の未熟性に拍車をかけていることも、理解していた。
ペガシャール帝国はそもそも現状の立ち位置が比較的怪しいのだ。いつ何時何があってもおかしくないのである。
「早く片付けたい気持ちは同じだ。……行くぞお前ら!準備はいいか!」
「は!!」
短い呼応。それが何より、兵士たちの胸中を物語っている。
太陽が明るい。日が照っていて、体が熱い。
……いいや、この熱は自然による熱じゃない、と俺は言い聞かせた。
これは、高揚だ。これから戦に行く。これが一つの大きな節目。この戦さえ終われば、あと残すは決戦のみ。
ギリギリと、門の開く音が鳴る。四つの門が開いていく。その先頭に立って。愛用の棒を頭上で五度、大きく回して、脇に構えた。
「突撃!!」
ペガシャール帝国、ゼブラ公国侵略軍。アバンレイン包囲網脱出戦。
先陣を切るクリスは、他のどの騎馬たちよりも早く、駆け抜けようとしていた。
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