70.光り輝く天馬の姫

 アメリアが最後の攻撃場所に東を選んだのには、理由がある。

 ここまでの奇襲で、アメリアはひたすら東を避けて奇襲していた。

 そろそろ、指揮官の元に「ペガサス部隊に襲われた」という情報が届き、対策を考えられたころだろう。そして、その伝令が走っている最中だと予想できる。


 それが間違いでないのは、さっきたった一人とはいえ槍投げが出来る兵士が控えていたこと、指揮官がアメリアに気づき、直視していたことからよくわかった。

 だが、今の伝令は人力だ。魔術による連絡は膨張される恐れがあるから、そう簡単には使えない。西から砦をぐるっと回って東側の指揮官に対策を指示するには、人外じみた速度が必要だ。さすがに、それはない。


 敵に対策を練られる前に攻められる最後が、東側だけだと考えられる。だから、アメリアは最後にそこを選んだ。

 コーネリウスの予想は間違っていない。“雷馬将”グリッチ=アデュールは確かに西側にいた。

 アメリアの予想は間違っていない。確かに、東側にグリッチが下した対策は伝わっていない。


 だが、相手はゼブラ公国。あくまで公国であり、かつてペガシャール王国の五公爵だったことを差し引いても理解しておかなければならないような前提が一つ。

 一国を名乗る国が軍を率いる時、たかが三千のペガサス部隊の対策を考えるのが、総大将一人であるとは限らない、ということ。


 極端な話。ゼブラ公国大将グリッチ=アデュールの指示を聞かなければ判断が出来ない貴族だけなら、最初から国は国の体を為していないのだ。




 ゼブラ公国総大将はグリッチ=アデュールである。副団長兼第一副官はイディル=アメリニアであり、第二副官はサウジール=グレイドブルであり、切り込み役兼第三副官は……現在欠番である。

 彼らは間違いなくゼブラ公国の大将であり指揮官であるが、万が一グリッチが戦死した場合に総指揮官を引き継ぐのは副官二人ではない。グリッチが総指揮官をしていることには、貴族たちもいややを言わない。その実力に敵うものがいないこと、彼に指揮を預けるのが最も勝率が高いことを貴族たちは呑んでいる。


 だが、戦略面、戦術面含めても、グリッチの副官たちは一段どころか数段落ちる。同じことが出来る貴族なら、他にも数人いるのだ。

 その点、東側の指揮を任せられている指揮官、グリッチに万が一があった場合に全ての指揮権を引き継ぐことになっている男は、戦略面において、他の将校たちと比較しても頭一つ抜けていた。グリッチと同じレベルには至れないものの、圧倒的な差があるというほどではない。


 名をブレット=アル=ゼブラ。先代公王の甥にあたり、現公王のいとこにあたる男だ。

「ペガサス騎兵……か。おそらく、『像』持ちだ。」

そっと目を細める。特殊能力持ちなのだろうと思う。とはいえ、『像』が軍に与えるような能力の場合、圧倒的なバランスブレイカーにはならない。使用範囲、距離、あるいは時間……どれか一つに必ず制約がかかっている。


 実際、アメリアの持つ固有能力“透明化”に関しては、その彼我の距離の差が一キロ以上でしか通用しない、という制約を負っている。

「全軍、弓、構え。」

弓矢が通じない、という能力が、ペガサス騎兵たちに与えられることはない。空戦部隊最大の弱点は飛び道具に弱いという点。その弱点を補うような能力を、神は人に与えることは決してない。


 だから、ブレットの判断は非常に賢かったといえる。彼のもとにグリッチの指示は届いていない。だが、グリッチと同じ判断をしたことは言うまでもない。

 まず間違いなく彼は正しい判断をした。だが、彼は考慮しておくべきだった。


 弱点を神は消したりしない。誤魔化し、覆い隠すのは、常に人間の方なのだと、彼はしっかりと考えておくべきだった。




 急降下の最中、敵が弓矢を構えていることに気が付いた。

 極度の集中、これが最後と気合を入れていたから、辛うじて視認できたことだった。

 ゾッと、背筋に悪寒が走る。このままなら死ぬ。ペガサスは、弓矢の雨の中にはあまりにも無力である。それに関しては、他の誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろう。


「……大丈夫。」

まさか、弓矢の対策をしていないわけではない。敵将。あれは強そうだ。でも兵士たちは?あれは、弓の訓練を受けた兵士か。それも、腕のいいような弓の達人か。強弓の遣い手か。

 違う、と判断する。張りぼてか、せいぜい、威嚇射撃程度の実力だ。ここで多少の無茶をした方がいい、ペガシャールの軍は安全策しかとらない臆病者だと考えられるより、わずかな犠牲をいとわない恐ろしい部隊だと思われた方がいい。

 恐怖は士気に大きく影響する。自軍の士気は高いほうがいいし、敵の士気は低いほうがいい。

「行きましょう。」

グン、と加速する。800、750。まだ、敵は射ってこない。この距離で矢を放てるほどの熟練度はない。

「盾魔術、展開!!」

四段階魔術“円盾魔術”。ペガサス部隊は身軽に戦うために防具は最低限にしている。それでも、攻撃されることへの対策を怠っているわけではない。


 ペガサス部隊を作ってまだ一年も経っていない。この防御方法が付け焼刃であることはよくわかっている。

 隣を飛ぶ兵士など、魔力操作が雑すぎる。盾の四段階魔術だけなのに、ボロボロと魔力が零れ落ちてしまっている。

「三分持たせなさい!」

とんでもない速度で飛ぶペガサスたちの手綱を握りながら、盾魔術の展開を続けるのが難しいのはわかっていた。それでも要求したのは、ここが決めどころだと判断したから。


 すべてが終われば、ペガサスの騎乗術と魔術の使い方、両方をもっと磨かなければならない。可能なら、半年くらいゆっくり調練する時間が欲しい。

 そんなことを頭の片隅で思いながら、しかし振り払って敵に近づく。200メートル。敵が矢を放ち始めた。

 飛ばすだけならできる。命中率は度外視で、もしも当たれば嬉しい、そう思っての射撃なのはよくわかった。7割は途中で勢いを失って落ちていき、2割は見当はずれの方向に飛んでいく。ただ、ほんの一割。ちょうど力の入りがよかったのか、たまたま届かせるくらいの遣い手がいるのかはわからないが、ちょうど私たちペガサス騎兵隊のところまで届く矢がある。


 でも、大丈夫だった。私たちの張った盾に弾き飛ばされる矢ばかりだった。付け焼刃の盾魔術を貫通できるような矢は一本もなかった。

 急降下は続く。150、140、130。少しずつ私たちのところに届く矢が増えてきたけれど、大丈夫。まだ、弾けている。

 敵兵たちが恐怖に怯んだ。ほぼ直上から、矢を射っているにも関わらず勢いを落とさず押し寄せてくる人の塊がいるのだ。これが怖くないはずがない。

「っ!不味いわ。」

怯んだ兵士たちを見て、指揮官のほうが動いた。槍を一本構えると、直上めがけて『溜め』の姿勢を見せる。


 あれは、兵士たちの付け焼刃の魔術では対応できない。見ればわかる、あれはお兄様ほどの力はないだろうが、それでも魔術を貫通して、数人くらいは一気に貫き通すだけの力が込められている。

「“円盾魔術・三連”!!」

私との相対距離5メートル地点に、盾が三枚出現する。最前線に出る。薙刀を握る手に力を込めて、魔術陣を描いてある手袋に魔力を込めていく。


 敵将が、槍を投げた。私の魔術と激突した。

 途端、衝撃。

 私は、ほとんど反射的に叫んでいた。

「止まるな!進め!!」




 矢を守るための盾があるように見えなかった。なのに、敵はよりにもよって魔術を使って矢を防いできていた。

 魔力操作が卓越しているわけではない。いや、むしろ、素人に毛が生えた程度。“円盾魔術”は四段階の魔術である。簡単にできる魔術ではないが……おそらく、これだけを徹底して教え込んだのだろう。あるいは、攻撃用魔術も一つくらいはあるだろうか。


 それでも、槍を主武装とする兵士たちになりふり構わず弓矢を構えさせ、射させたのだ。付け焼刃同士とはいえ……やはり、盾を貫通するほどの力は矢にはない。

 矢の射る強さは個人の力量に拠るのだ。発動までの時間と維持時間、消費魔力が個人の力量によるだけで強度そのものは魔術陣の記述に依存する魔術と比べれば、些か分が悪い。

「全軍!槍を空高くに掲げよ!頭よりもはるかに高く!それで身を守れる!!」

真上から突っ込んでくるなら、そこに凶器を置いてやればいい。自分で勝手に突っ込んでくれる。そう判断して、ブレットは槍置きから一本、槍を構える。


 本気で、投げるつもりだった。もう敵は目と鼻の先。兵士たちは指示に素直に従ったが、その理由は敵がとても怖いから、だ。

 その恐怖を払拭しなければならない。敵への恐怖より、生存の安心を。無意味な抵抗より、反撃の手段の証明を。

 それが、今から投げる槍の意味だと判断する。


 この槍の威力を恐れたのだろう。部隊の前に出てくる天馬が一頭。敵将。……女だ。全軍の前に飛び出して盾を張る。

「女……か。」

それに生まれた義務を放棄したのか。いや、見るからにまだ10代の娘にそのレッテルを押し付けるのは少々早いだろう。

 ブレットは軽く息を吐く。そして、相手の張った盾の魔術、そしてその使い手をじっと見る。


 兵士たちより明らかに洗練された動きだった。兵士たちより明らかに強力な盾だった。

 ニヤリ、と笑む。大丈夫、あれなら落とせる。

「死、ねぇぇぇ!!」

投げて、別の槍へと手を伸ばしながら。投げた槍の行く末を、見届けようとした。




 円盾魔術は貫かれた。あっさりではない。紙を貫くように、というほどあっさりではない。だが、それでも貫かれたことには変わりない。

 でも、私はそれを読んでいた。もしこれの投げ手がお兄様なら、あるいはエルフィール様なら、私は抵抗すら考えず回れ右を選んでいた。あの二人が槍を投げたのなら、たった三枚の円盾魔術ごときで抵抗できるとは思えない。


 でも、あの二人より眼下の男は一段劣る。いあ、一段じゃない、数段劣る。実力としては、多分コーネリウス様やクリスと同程度か、わずか下。これなら、地上で私が抵抗することは叶わなくとも、空の上ならできる。

 貫かれた三枚の盾。十全に役割を果たしていた。この槍は、投げられた時点、いや、一枚目の盾を貫かれた時よりも、明らかに勢いが落ちている。


 薙刀を振り上げ、槍を弾き飛ばした。次の槍投げの用意はない。

「盾を展開したまま突っ込みなさい!勢いのせいで敵の槍は吹き飛ぶわ!」

貫かれなければいいのだ、それならこの勢いで落下すればちゃんと果たせる。勢いに押されて、槍は勝手に軌道を変える。重要なのは、盾の魔術を発動したままにすることだ。

「私は敵将にかかる!あなたたちは兵士たちを数人ほど倒したのち、アバンレインに帰還なさい!」

あの将は、厄介だ。早めに落としておくに限る。


 とはいえ、数分で倒せるだろうか。そればかりは、私には自信がなかった。




 投槍で仕留めきれなかったのは正直かなり痛かった。敵を侮った?違う、侮ってはいなかったはずだ。

 向こうがこっちのよその一段上だっただけ。今から押し返せばいい。

 敵将、あの女は厄介だ。今の俺の投槍を防いでしまったことでうちの兵士たちは完全に腰が引けてしまっているし、敵兵たちは自分たちの将の強さに心酔した。

 明らかに、勢いの差が出来ている。……敵の勢いを失速させるには、あの将を討ち取るのが一番だ。


 空から降ってくる勢いは、落ちない。このまま突っ込んでこられたら、薙刀に勢いを乗せられてしまったら、たとえ防げたとしても体制を崩すのは防げない。

 だから、身の丈ほどの盾を正面にかざした。瞬間、敵は正面から突っ込んでいた軌道を変えて上昇に切り替える。

 あの速度で突っ込んできたら、薙刀も馬も耐えきれなかっただろう。俺の盾がボロボロに崩れ、粉砕されるような事態になって、あるいは私の左腕がつぶれるようになったとしても、ペガサスと彼女の武器が同時に壊れるようなことになれば、彼女が捕虜になるのは免れない事態になる。


 瞬間でそこまで彼女が計算したのかはわからない。計算していなくても、死にたくないなら方向転換以外の選択肢はなかっただろう。

 顔面に、風。彼女が飛んで行った、それによって巻き起こった風が俺に届くまでの圧。どれだけの速度で飛んでいるのだ、と呆れる。他の敵兵たちと比較しても、早い。ペガサスの騎手として、あの将は卓越した技量を持っている。

「槍。」

隣に立っていた兵士が投げ槍を渡してくる。敵がペガサスと聞いた瞬間、回収した全ての投げ槍は、残りが11本。出来るならば、これで落とし切りたい。


 腰をわずかに落とし、曲げ、投げの姿勢をとる。あっちは俺を見て、再び突撃の姿勢をとった。盾はない。魔力が尽きたのか。

「逃げないのか?」

それとも、何か手があるのだろか。狙うはペガサスの頭。貫通すれば、あの女の胸も貫ける。

「死ね。」

投げる時の掛け声として、そして一応貴族の端くれとして、「死ね」を連呼するのはいかがかと思う。それ以外に何を言えという話でもあるが。とにかくあちらは俺が槍を投げたのを見て、軌道と狙いを確認して……

「な?」


回った。

 空で、ペガサスが、足をたたんで、胴を中心に一回転。頭を狙った槍は、思いっきり宙を切り裂きながら消えていく。

「嘘だろ、おい。」

あれは笑うしかない。ペガサスの扱いが巧いとかいう話ではない。あの速度を維持したままあんな機動で、どうして体が吹き飛ばない。

 だが、呆然とする意識とは裏腹に体は無意識に動いていた。盾を上向きに構える。次の瞬間、ゴウッという音とともに盾の上を何かがなぞっていく気配。


 盾を突き出した。だが、当然そこにはもう誰もいない。

「速すぎる。」

というかあの速度で飛んでいれば体にかかる負荷は大概なのではないか。なぜあんな飛び方をして、平然としていられる?

「槍。」

再び投げの姿勢をとる。今度はペガサスの胴を狙う。さっき頭を狙って避けられた以上、それが一番楽だろう。


 本当に?


 ふと、頭に浮かんだ疑問。それに対する答えを、俺は持ち合わせているわけがない。とりあえず、今は、敵の情報を落とす方が優先かもしれない。

 投げた。掌から滑るように槍がまっすぐ抜けていく。瞬間、ペガサスが足を軸に90度横に倒れた。

「ありかよ。」

そんなの。再び体が動き、盾を構える。だが、同時に頭の冷静な部分が叫んだ。


 弓矢の対策に盾の魔術を使い、投げ槍の軌道を読んでペガサスにわけのわからない空中機動をさせる敵が、毎度こうして盾を構えることに対して、対策を練っていないのか?

 何か、勘じみた何かが働いた。体が動く、盾を構えたまま、足腰だけが自然に下へ。結果、腕で盾を支えたまま、体がしゃがみ込む体をとり……


 腕に何かが突き刺さった。グサリ、という肉に刃物が突き刺さる音が何か嫌によく響いた。

「あ?」

腕に刺さった何か。……確かこれは、ペガシャールで正式採用されていた、投擲用の短剣。

「何でもありか!」

引き抜いて、空を見上げる。絶対に奴だけは殺してやる、そう思って見上げた、目と鼻の先。


 炎の塊が、目の前に迫ってきていた。




 全身全霊を出していた。でも、もうそろそろ危うかった。

 ほかのペガサス部隊たちはもう空に飛び始めていた。あの一騎討は、ほかの敵が入ってこないことが前提に成り立っていた。

 たとえ素人のヘロヘロの矢でも、彼を相手に戦っている最中に視界に入るだけで、私の処理する情報量が増える。彼一人に勝てばいいなら大丈夫でも、彼以外とも戦わなければならないのなら分が悪すぎる。


 苦し紛れに投げた短剣が刺さったのは気が付いていた。最後の一撃とばかりに放った火球魔術が直撃したのも視界に入っていた。

「……生きてる。」

将校らしく、煌びやかな鎧だった。将校らしく、防御力にも秀でている防具だったのだろう。


「……ゼブラ公国、副将、ブレット=アル=ゼブラ。」

「ペガシャール帝国軍『騎馬隊長像』、アメリア=アファール=ユニク=ペガサシアよ。」

「……覚えておく。」

私を殺さんとばかりの睨み。ここまで追い詰められたことへの恨み、傷つけられた誇り、いつか取り返そうとする執念を感じる瞳。


 『像』の力を出して本気で戦って、終始優勢ではあったものの、討伐には至れなかった。次に勝てるかは、わからない。それでも。

「私も、覚えておくわ。」

それが礼儀だろうと思って返して。

「撤退よ。」

集中も切れた。私の心は、周囲に対する警戒は残っているものの、もう戦争の意識ではない。


 私の部隊は、勝利の味をかみしめつつ空を飛ぶ。

 初陣は、成功だった。

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