68.赤甲将の呻き
この戦争は些か手に余る。それが、ペディアの感想だった。
いや、戦術の面だけで言うなら、まだペディアは余裕でついて行けている。だが、戦略となるとてんでダメだった。
ペディアは傭兵である。傭兵というのは、依頼と達成が基本である。人によっては、何を当たり前のことを、と思うかもしれない。だが、ペディアが今行っている侵略戦の『指揮官』と、これまで行ってきた侵略戦の『傭兵』ではやることが違った。
もちろん、両者ともに勝利が目的である。終局的に勝てばいい、そこ自体は変わらない。だが、指揮官が見なければいけない盤面は戦争全体、傭兵が見ればいいのは戦争の一部であった。
例えば、彼とエリアスが再会した戦い。それは、地方の一つの村を盗賊から守り通すというものだった。期限は賊が村を諦めるか、軍が助けにくるまで。
2年の間、その依頼を受けてペディアは村を守り切り、しかし貴族たちが援軍をよこさなかったおかげで依頼達成が不可能になったが……ことの本質はそこではない。
この依頼の場合、侵略戦の指揮官と明確に異なることがいくつかある。規模はそうだが、そこではない。一つは、結果に対するスタンスだ。侵略戦の指揮官は、『勝利』を前提として、勝利状態に関しては自分たちの頭で考えて決めなければならない。
だが、傭兵は違う。依頼達成を前提にして、状態まで指定されたうえで、そこに至るための経過を模索する。過程の全てを委ねられているものの、結果の全ては自分たちが決める必要性を持たない。
戦略と戦術の違い。それは、政治が絡むか絡まないかだ。あるいは、経過を決めればいいのか方向性を決めればいいのかの違いだ。そして、ペディアは方向性を決めるのには知識も経験も何もかもが足りないことを自覚した。
「だから、陛下は俺を『連像』にしたのだろうか?」
一歩間違えれば、数十秒ペディアの動きが早ければ、自分はエリアスとともにコーネリウスに詰め寄っていたかもしれない。そう感じたペディアが、ポツリとこぼす。
コーネリウスはもうここにはいない。敵の数を己の目で確認しようと、砦の壁側に向けて向かっていった。
「それだけではありませんよ、ペディア殿。」
コーネリウスにまで聞かせる必要はないとばかりに、高音の声を持つ老人がペディアに声をかける。
「あなたに殿付けで呼ばれるのは妙な気分ですが……。」
「本音の部分はさておき、建前上はあなたと私の立場はほぼ同等。むしろ私の方が下でしょう。ゆえに、私はこの方が話すべきですからこのまま話しますが……崩していただいて大丈夫ですよ。」
「……そうか、ならそうさせてもらおう。」
ため息を一つ。ペディアは、この老人の相手が、とても難しい。
己は成り上がり者だが、彼は生粋の貴族だ。染み込んだ礼節が、己を上の立場として振舞わせることを躊躇わせている。
「オロバス公。先ほどあなたはだけではない、とおっしゃられましたが……。」
「ええ。確かに、今のあなたに戦略眼はないでしょう。今から磨いたとして、本当に戦略眼が磨けるのかは、あなたの才能に関わってきますし、私にはわかりません。」
ですが、誰もかれも戦略眼だけで戦ができるわけではない、とオーガスタは続けた。
そういう彼は、戦が出来るようには見えない。少なくとも、戦士には程遠いのは見ればわかる。とはいえ、年の功でもあるのだろう。不思議と、話くらいは聞こうという気になってくる。
「国は王なくして立ち行かず、しかし政治は王一人では到底回せず、そもそも民なくして生まれません。軍も、同様。」
オーガスタ=オケニア=オロバス、御年45歳。すでに青年の時期は過ぎ、老年に差し掛かっている男は言う。
「将軍なくして指示は出ず、将軍だけで軍は回せない。そのために副官がいると言われればそれまでですが……将軍と副官数名で何十万という軍勢を回すことはまず不可能です。」
それについては言葉がない。自分も、たった4000やそこらの傭兵隊を回すためにアデイルやヴェーダ、ジェイスとポールに部分的に指揮を預けているのだから。
「総指揮官は確かに戦略と政略を鑑みて軍指針を決めるわけですが……実際、前線働きを一人で支えられるわけがない。目標も、戦略も、きちんと伝達されたうえで働ける前線指揮官が何人、何十人と必要になる。」
それは、と言葉に詰まった。俺は確かに戦略を考えるのは荷が重い。局所的な勝利をするための指揮ならいくらでもできるだろうが、全体指揮は、正直無理があることには気が付いている。
だが……それでも、一般の者たちよりも圧倒的に人を指揮するのに長けているのも事実だ。人に指揮をまかせながら戦うのは、俺の得意分野でもあるだろう。
「『連隊長像』で前線指揮という例も少ないといえば少ないのですが、しかしあなたほどの力量を持つ前線指揮官もそういないのは事実。」
戦略家は歴史を探せばいくらでもいる。だが、戦争をするのは戦術家だ。光の当たりにくい役柄ではある。だが、いなければ戦えない。
「あなたが『連隊長像』となったのは、おそらく陛下が皇帝を目指すと決めた結果です。本当に皇帝になるには、他国を侵略するしかない。他国を侵略するのであれば、優れた戦略家、優れた政治家だけではなく、優れた戦術家が絶対に必要です。」
そのために、あなたは『将』ではなく『連隊長』に任命されたのだ。そう言うオロバス公の言葉に、ペディアは少し安堵するとともに違和感を覚えた。
いくらなんでも、自分に聞こえがよすぎる。
「ありがたいが、ほかにも理由はあるのではないか?」
「気づけるとは重畳。」
打てば響くような返答、しかし彼の瞳は真に驚きに満ちている。そう考えると、俺が「まだ理由があるのだ」と気づいたこと自体は予想外だったのだろう。……だが、返事が早かったのを見るに、話す気であったのも事実だろう。
「先ほど政略と私は言いましたが……そう、政略ですな。時にペディア殿、陛下が任命できる『像』のうち、『将軍像』が何個あるかご存じですか?」
それは、知っていた。ペディアがディマルスで最初に詰め込まれた知識の一つだ。
「二つ、ですね。」
「えぇ。『将軍像』はたった二つ。『元帥』や『三超像』のように1つしかないわけではないですが……それでも、全ての『像』の中でも、全ての『像』を率いることが許されるのは『王』『王妃』『継嗣』『元帥』『将軍』のみ。ありとあらゆる『像』の中で、これらは飛び切り価値が重い。」
その意味は、ペディアでも分かる。嫌というほどよくわかる。
“赤甲傭兵団”でも、団長、副団長、切り込み隊長という役職の価値は重い。だが、この三職の中なら切り込み隊長の価値が一番低く、団長の価値が一番重い。
政略とオロバス公は言った。つまり、最初から政治的価値の重さを天秤にかけられている。
「ペディア=ディーノス。エリアス=スレブ。クリス=ポタルゴス。ミルノー=ファクシ。ネストワ姉妹は……いえ、彼らはエルフの族長一族ですから価値が一変しましたが、後はペテロ=ノマニコ。ここまで貴族と無関係なモノを採用し続けていると、旧来貴族がいい顔をしません。」
ちなみに、デファールも陰口を叩かれていたが……オロバス公の血縁だ。彼がちょっとした世間話をしたら、あっさりと陰口は止まった。
具体的には、デファールのことをどう思うか聞いてきた貴族相手に、妹を嫁に出してよかったと言っただけである。ついでに言うとたった一度だけである。
貴族のネットワークは下々の噂話のネットワークに匹敵するものがある。こと、上に媚びるための情報はほかの何よりも早く伝わるのだ。
「それでも正面切って陛下に異論を言えないのは、婚約者がエドラ=ケンタウロス公の娘であり、最も身近な臣下がアファール=ユニク候の息子と娘であり、降伏してきた四家の子供たちを『像』に任命しているからです。貴族でも重用する姿勢を見せているから、今は敵対者なく内乱平定に力を入れることが出来ています。」
もしここに、最上位に近い『像』にペディアを入れていたら、今、陛下はもっと面倒なことになっている。そう断言するオロバス公は、まず間違いなくペガシャール帝国の五公の一人であるとペディアは肌で感じ取る。
1500年。神定遊戯が始まり、六国が制定され、国境がほとんど完全に決まってから約1000年。これが人の積み上げてきたものだというのだから、笑うしかない。
あくまで一般的な傭兵でしかないペディアとしては、ドロドロの貴族の家の話など規模が違いすぎて理解しにくい話だ。というより……重い。
「まあ、頭の片隅にくらいは置いておいてください。『像』として生きていくということがどれくらい大変なのか。あなたはいずれ、この話により深く沈んでいくことになるのですから。」
ゾッとした。心底、ゾッとした。
これが、貴族社会なのだとは、考えたくもないと思う。重たすぎて、気持ち悪すぎて、そしてこの身が血と粉塵以外の何かで汚されていく気がして。
これが、国が廃れていった原動力なのだろうと思った。これが、国が栄えていく原動力なのだろうと思った。
毒は使いようによっては薬になると聞く。薬は処方を間違えれば毒になるとも聞く。
貴族とは、薬のようなものなのだと。自分が嫌ってきたものが、自分が相反してきたものが何なのかを知った気がした。
「これが、国……。」
陛下が向き合うもの。エルフィール様が、ディールが、数々の戦友たちがこれから向き合っていくもの。
本当に、自分はここにいていいのだろうかと。そう、思った。
フラフラする頭を誤魔化し、わずかな笑みを浮かべながら砦の階段をのぼる。この壁は、石なのだろうか。石にしては切れ目が見えない。エリアスが出す砦は本当に、不思議に満ちているなと感じてしまう。
「ペディア様。」
「ひどい顔をしているぜ、ペディア。」
そこにいたのは、珍しい顔だった。いや、顔だけなら両方ともよく見る顔であるのだが、この組み合わせは珍しい。
「ヴェーダとクリスか……どういう繋がりだ?」
「あぁ。いや、こいつ意外と強かったじゃねぇか。」
そりゃ、ヴェーダはうちの中では一番強いからな、と俺はこぼす。七段階格の剣術の遣い手、それがこの男の腕前だ。
自分を含めて、ヴェーダと戦える男は『赤甲傭兵団』にはいない。傭兵界には、ゴロゴロ転がっているが。
「そりゃそうなんだけどな、どこでそんな腕を磨いたのかと思ってよ。」
「どこで、とは?」
「普通、平民上りがそこまで強くなることはないんだ。七段階格の武術家なんて、最適な時期に、最適な方法で、これ以上ない長さで鍛錬しなけりゃたどり着けない境地のはずなのさ。」
なのに、傭兵のくせに、平民上りのはずなのに七段階格までの武術の腕にたどり着けたなんておかしいのだと、クリスは言った。
本当にそうだろうか?ペガシャールの傭兵界には、七段階格は少なくとも、五段階格の上位に至れるような傭兵はたくさんいる。七段階格以上にしたって、己が末端だが……少なくとも、30は超えているはずだ。
ヴェーダはまだ20代前半だから、早すぎると言われれば否定は出来ないが。
「おかしいといえば魔術もだ。魔術の扱いも簡単にできるものじゃない。ペディアの『超重装部隊』を見てみろ、身体強化魔術の一つだけを発動させるのに三ヵ月かけて、今なお実戦に使えるレベルじゃない。お前、異質すぎるぞ。」
ヴェーダは引きつった笑みを浮かべている。それは俺も同様だ。
俺も、剣術六段階、盾術七段階格の遣い手だ。異質なのは俺も大概だろう。
「どこで武術と魔術を学んだ?」
にじり寄るクリス。その間に、俺はその身を滑り込ませる。そして、ヴェーダを守るように手を広げた。
「クリス。傭兵っていうのはそれを聞くのはご法度だ。わかるだろ?」
「……。」
クリスとてわかっているのだろう。傭兵の世界では、互いの境遇への過度な干渉はタブーなのだ。無言でこちらをチラリとみる。
チラリじゃないな、ジロリだな……そんな些末なことを感じるが、とにかく俺はクリスの機嫌を損ねたらしい。だが、彼は化物だった。すぐに、機嫌を損ねたということを表情から消してのけた。
「話すつもりは、悪いが、ない。力づくで聞くか?」
だが、それとこれとは話が別だった。ヴェーダとて面白くない過去を背負った身だ。俺だって、話せと言われてホイホイとは話せない。話したくなど決してない。
そこは、俺もヴェーダに同情できる部分で、俺もヴェーダも気軽に触れてはならない一線で。それでもクリスはあまりに強すぎるヴェーダに強すぎる疑念の視線を向けている。
「聞いてもいいが。」
クリスもヴェーダも、いつもの飄々とした態度が消えている。今にも剣を抜いて、棒を背負ってぶつかっていきそうな……一触即発の雰囲気。
だが、クリスは賢い大人だった。この状況で、このまま俺の副官とぶつかることの損を理解できないほど愚かでも、理解した上で無視するほど子供でもなかった。
「……今は、いい。だが、この戦争が終われば問い詰めてやる。」
「はん、いいぜ。だが、どの戦争なんでしょうねぇ?」
喧嘩腰は止まらない。ついでに、ヴェーダはさらりと本質を突いた。……少なくとも、三派閥内乱が落ち着くまでは、そんなゆっくりと話を聞いている時間は取れないだろう。
「……チッ!」
クリスが足早にそこを去る。怒りを込めたその足跡は、ぬかるみもない大地に残されていることが、その憤りの強さを伝えてくるようで。
かなり離れた場所、ヴェーダやペディアが決して聞こえないような距離まで話してから、クリスは悪態を吐いた。
「どうして、三派閥の平定までは話を聞く余裕がないことが、わかる?」
情報制限はかなり厳しくやっている。忙しいことを察せるのは、よほど学を積んでいなければ無理だ。
せいぜい数年、傭兵として学んできただけの平民に、そこまで察して言葉に出来るほどの学があるわけもない。その違和感を、クリスは心の奥底にしまい込んで……。
荒れ狂った心を鎮めるために、鍛錬の一つでもしようと棒を取った。
考えるのも辛い。
砦の外をぼうっと見つめながら、俺は呻く。
傭兵であった頃ならマシだった。ここまで考えなくてよかった。俺の身内たちと、依頼の達成目標を聞いて、成果を出せばいいだけの日々だったはずだ。
それがもう、今となってはその目標を自分で定めなければならない。自分で定め、自分で指揮し、自分で達成しなければならない。
オロバス公は言った。それだけではない、『戦術』を組める人間がいなければならない、と。
わからない話ではない。戦略指揮官としての才能がどれだけあっても、周りがついてこれないようなら論外だということは。俺とて依頼で何度か、他の傭兵隊を率いた二面作戦くらいはやって来た。
指揮官同士が息を合わせられない戦場は割と地獄絵図だった。そこでも依頼を達成するためにエリアスと4000が力を合わせた記憶は、今も強く残っている。
上の目標に向けて動ける前線指揮官。俺が求められている役割はそれなのだろう、ということはなんとなく、オロバス公のおかげで理解できた。だが、それでも、わからない。
国は、どうしてここまで複雑で難解で、面倒なのか。
「はぁ。」
いつの間にやら日が暮れたらしい。煌々と照っている月明かりが、眩しく……しかしこの眩しさも、俺の心を照らすには足りない。
「今は、勝てばいい。」
言い聞かせ、剣を握り、自室に向けて歩き出す。
ペガシャール王国四大傭兵部隊長。そうだ。俺は傭兵部隊長でしかなかったのに。
「遠くに来たな。」
これからも、一介の傭兵隊長とは縁遠いところへ行くのだろう。そう感じて、気付いた。
「俺は、負ける心配は、していないのか。」
指揮官がコーネリウスであることに何ら心配をしていない。だから、俺はこうしてうだうだ悩んでいられるのだと気が付いた。
もちろん、一日で聞いた政略と戦略の話も、『像』を用いた戦争の話もあるのだろう。
それでも、俺は。この先を信じて戦えるのだと気付けば、もう、楽だった。
「勝てる。」
そう。この戦争は、勝てるのだ。
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