67.政略と、戦略

 コーネリウスの、根拠のない自信。だが、その自信に今は縋るしかない。

 私は砦を顕現させた後、その淵でぼうっと外を見ていた。

「そんなところでぼうっとしてると、狙われるぜ?」

後ろからかけられる声。それに、私は振り向かずに答える。

「今はそんな状況じゃなさそうだ。」

「そりゃそうだろ。いくら何でも侵略軍の、しかも最前線に『砦将像』がいるなんて、常識外れもいいとこだ。」

「……。」

クリスの断言に、黙って私は下を見ている。今まで門の周辺を重点的に包囲していた布陣から、20メートルほど下がって満遍なく包囲する布陣に切り替わっている。

「あちゃ、こりゃ総大将は貴族だな。」

「なぜ、そう思うのです?」

「そりゃ、『砦将像』が顕現した砦の門の位置は、任意で変えることが出来るからさ。」

「言っている意味が、分かりません。」

私はそう答えるしかない。普通、攻城戦は門の周辺を重点的に攻める。その常道に外れたことをやる敵の思惑が、わからない。


「お前にとって、砦を攻めるなら、門を覆う。そうだな?」

「はい。それが、砦を攻めるということです。」

「そうだ。それが、『何もない』砦を攻めるときの常道だ。」

あえてだろうと思う。クリスは『何もない』という部分を、強調した。

「『砦将像』がいる砦は違うと?」

「ああ、全然違う。天と地ほどの差がある。門の場所が時によって切り替わるだけでも相当な脅威だ、わかるか?」

わからない。わかるはずがない。自分は、『像』を持っていることと持っていないことの違いが、王に認められたか否かの違いとしか見られない。


「まずだ、門が動かないとしたら、だ。そこだけ見ていればいい。もちろん、魔術やらなんやらは警戒し続ける必要があるが、正面衝突は四つの出入り口さえ警戒していればいい。」

それはそうだ。門が開けば、敵が出てくる。それを理解し、警戒する態勢を整え、門が開くそぶりがあれば即座につぶす用意をする。それだけで、攻城戦は半分くらい勝てるのだ。あとは、後方の援軍と秘密の抜け道さえ警戒すればよい。

「だが、『砦将』がいるなら話は別だ。門の場所が変わるんじゃ、警戒するのは門じゃない。砦すべての壁を警戒しねぇとダメだ。」

四か所を重点的に警戒し続ければいいわけではない。いつ、どこに門が移動し、敵が飛び出してくるのか……その全てを警戒しなければならない。


 普通、籠城戦となれば、攻城側が主導権を握り、籠城側がそれにどれだけ上手く対応し、反撃を差し込めるか、という流れになる。だが、門が移動するというただ一点だけで、話の流れが一気に変わる。

 主導権が攻城側に傾いているのは事実。だが、握っているとまでは口が裂けても言えなくなる。10:0で攻城側が握っていた主導権が、7:3くらいの握りに変わる。それだけ、ただそれだけだが、それが攻城側の勝利難易度を大きく跳ね上げる。

「敵を包囲し、じわじわと痛めつける攻城側が強い。だが、奇襲の可能性を全て籠城側が握ることになるのさ。」

警戒が緩んだ一瞬の隙。夜、誰もが寝静まったタイミング。特に夜襲だ。門のまわりを警戒させながら、他は寝かせることが余裕だった攻城側。だが、それが出来ない。小さな砦の全方位とはいえ、その全てを完璧に警戒し続けるのは至難の業。

 兵士がすべて、常に命の危機を感じて、常に戦争の意義を感じて戦えるなら、最初から問題にはならないが……そんなわけもないのだ。人とはそういうモノである。


「問題は、『像』を用いた戦いの基本なんて、よっぽど高位の貴族でなければ知らないだろうという点さ。」

「……?」

わかりません、と言いかけて、やめた。クリスは全て説明するつもりでここにいるのだろう。そして、私が今の話を理解できていないことは、クリスの目には明らかだろう。

「戦争っていうのは、実のところある程度法則性がある。なぜ、どうして、どういう根拠で、どういう行動をしたのか。どういう作戦を立てたのか、どうして不利になったのか、どうして打開策を立てたのか。全て、戦争には理由があるものなのさ。」

例えば、お前がこうして“砦召喚”をやって、敵が布陣を変えたように、とクリスは笑う。

「その知識の蓄積、応用。それが出来るのは、そもそも基礎知識の蓄積がある場所だけ。それを学べた奴らだけだ。そして『像』の知識……神様の知識というものは、基本的によほどの人じゃなければ触れられない。」

名前、成り立ち、歴史。それくらいなら、多少縁があれば学べるが、周辺環境、国の内情、他国の内情、財政、10年先の将来性。そこまで見越した判断をきちんと学べる人間など、実のところそう多くはないのである。


「例えばさっき、コーネリウスは援軍を『呼べない』と言った。なぜだと思う?」

「政略ではないのですか?」

「そう、政略だ。間違えても出世争いだと思うなよ。今、ペガシャール帝国陣営には、俺たちを救いだすための援軍を出している余裕は微塵もないんだ。」

どういうことだろう、と私は首を傾げる。援軍を、出す余裕が、ない。本当に?

「今ペガシャール帝国は、陛下の『王像』の威によって成り立っている。コーネリウスがもしここで援軍を要請すれば、陛下には「将を見る目がない」といううわさが立つ。そうすれば、ただでさえ長年にわたって信用を失ってきた『王像』の信頼が落ち、ひいては陛下への忠誠が落ち、貴族が離反する可能性がある。」

貴族が離反する分にはいい。だが、離反した先で彼らが向かうのはアダット派かレッド派の陣営。しかも、兵士たちを連れてである。


 ただでさえ長年の内に国民が減り、現状兵士の数も少ない陛下の派閥。さらに、派閥の、ひいては国の弱体化を招くことになる。

「派閥はわかるが、国の?」

「お前、何千もの兵士を『殺すな』と言われて戦争が出来るか?兵士っていうのは戦争のための道具だが、同時に国を富ますための財産だ。日々の糧を得る。暮らしを楽にする。国民を殖やす。どれにしても、人を減らすわけにはいかないんだ。」

そのために、一人でも多く敵から味方に転向させるようにしている。そんなさ中である。わざわざ、陛下自身の求心力を下げる真似は、まかり間違っても出来ないのである。

「なら!素人のコーネリウス以外の人間が総大将でもよかったのではないですか!!」

力強い、怒りに半分呑まれたような問いかけ。問いかけの言葉でクリスに詰め寄るものの、五機が荒すぎてもはやそれが疑問であることを感じさせない。

「いいや。陛下はお前に、『腐敗貴族の一掃』を約束した。腐敗貴族を一掃するには、罪の証拠を見つけて処分するのが一番正当だが、手間がかかる。それはわかるな?」

私は、僅かに深呼吸した。コーネリウスと違って、彼は私の感情の行き場を理解している。純粋培養の貴族と、賊徒にまで落ちた貴族の違いだろうか。ある程度、理解した上で動いているような気配がある。


「誰が腐敗貴族なのか調べなければいけない、それが現状できないのはわかります。」

だが、話がすり替えられた理由がわからない。

「だから、腐敗貴族は戦場で、その行動で見つけ、処分しなければならない。だが……お前が総大将でも、ペディアが総大将だったとしても、貴族たちが付いてくることはない。」

「なぜです?陛下の命令なら従うのが貴族でしょう。それに、『像』は建前上、貴族たちより身分が上のはずです。」

「ああ、だから腐敗貴族たちは思っている。『なぜ、あいつらが。我々に『像』を与える方が正しい采配ではないか』。そう思っている相手が、命令を聞くわけがない。」

「なら、彼らが腐敗貴族です。斬ればいい。」

「そんなことをしてみろ、同じことを思っている貴族たちは陛下から離反する。軍を引き連れて。」

それをされたら、三派閥の統一までは問題なくても、他国との戦争で困る。攻め込まれた時。攻め込んだ時。あるいは、陛下が夢半ばで斃れる時。


 ペガシャール帝国には、十分に殖やせなかった国民だけが残ることになってしまうのだ。

「じゃあどうしろと?」

「だからコーネリウスなのさ。『護国の槍』の名声は伊達じゃない。どんな貴族家であおうとも、どれだけ奴が若輩で未熟者であろうとも……黙って従うだけの価値が、『護国の槍』ミデウス侯爵家には備わっている。」

そして、腐敗貴族は彼に従う過程でも必ずぼろを出す。先だっての先行壊滅然り、これから戦っていく中でも然り。


 腐敗貴族、そして無能貴族の処断。アシャト派閥は、その全てを戦場でぼろを出した貴族たちに押し付けている。

「陛下には兵士たちを無駄にする余裕はない。でも、陛下にはお前との約束もある。そして、皇帝になるためには無能を抱えている余裕はない。無能を処罰する旗印としても、貴族たちが表向き指示に従うためにも、コーネリウスは必要不可欠だ。」

「だが!」

コーネリウスが無能でないことはわかっています。彼は未熟なだけ、戦場に出たことがないだけで、戦慣れすれば間違いなく私より戦争が巧いでしょう。でも、それでも、未熟な彼に従うのは……。

「無理だよ、エリアス=スレブ。お前は戦術という観点だけなら、かない巧い。砦に拠った防衛戦に限るなら、コーネリウスを遥かに超える才能を示してのけるだろうと思う。だが、侵略戦、それも政略を大前提に考えた戦略の観点なら、お前は今の未熟なコーネリウスにすら届かない。」

これ異常なく真剣な瞳だった。クリスの目は、私を見つめていながらも私を見ていないようで。しかし、彼が真剣に言葉を紡いでいることだけは理解した。


 私は言葉を失う。コーネリウスの未熟さに、怒っていた。戦場に出たことがない男が、戦場を総指揮していることに怒っていた。

 奴が、私を軽んじているようで。失敗を、この包囲された環境を軽んじているようで。

「コーネリウスは未熟だが、それでも彼は勝てるだろう。勝つための方程式を持っている。敵が『像』との戦い方を知らない前提で動いていたから、彼は失敗した。だけど、まだ、敗けていない、敗けていないんだ、エリアス。」

「……。」

私にしてみれば、だ。この時点で勝率は低い。それ自体には、疑う余地がない。だが、コーネリウスは勝てるといい、クリスは敗けていないという。


「わからない。わからないよ、クリス。」

「お前は『像』を使った争いを、せいぜい童話レベルでしかしらないだろう?今のうちに学んでおけ。俺たちはこれから、自分たち以外の『像』を相手に戦わなければいけないんだ。」

口を噤むしかありません。私は傭兵ですが、農民で……『普通の』人と、馬と、武器と、魔術だけの戦場しか知らないのです。この“砦召喚”を含めた『像』の戦場を、私は詳しくは知りません。もしかしたら、私の常識は常識として通用しないのかもしれません。

「お前とコーネリウスの確執はおかしい話じゃないさ。そうなることは、俺やアメリアだけじゃなく、陛下やエルフィール様ですら予想していらした。」

「そうなのか?」

「じゃなきゃ、俺はここにいない。アメリアだけでも十分だ。」

何も言えない。事実過ぎて何も言えない。クリスの言が正しいのなら、陛下は一人でも多くの人を国内に置き、安全を確保しておきたかったはずだ。それにも関わらず、陛下はアメリア様とクリス、二人もの『騎馬隊長像』を侵略軍に出した。


 アメリア様はわかる。ペガサス、というより空中戦闘部隊は侵略戦に非常に有用だ。だが、クリスはそうではない。

 彼が役不足というわけではない。騎兵の機動力は重要だし、先だっての夜襲でも彼の指揮は的確だったと聞いている。彼自身が死にかけたとも聞いたが……それでも、彼が指揮官として優れているのは間違いないだろう。


 だが、指揮官としてならアメリア様だけでも十分だ。彼女が地上の騎馬隊と空の騎馬隊、両方を使い分けながら率いればよい話である。わざわざクリスを出す必要はなかった。

「農民や傭兵の気持ちは、賊徒として戦ってきた俺にはなんとなくわかる。そして、貴族の生まれである俺には、コーネリウスの考えていることもわかる。」

これは、貴族令嬢であるアメリア様には出来ないことだ。副官であるオロバス公爵にも、もちろんコーネリウスにも……おそらく、最も貴族らしいフィリネス候にも。

 同時に、傭兵でしかないペディアにも、もちろん私にも、ミルノーにも出来ない。ペガシャール帝国にいる中で、両者の溝を理解して仲介できるのは、ただクリスにのみ……いや、クリスと陛下にのみできる芸当だ。

「……私は間違っていたのか?」

「いいや?」

私の問いに、クリスは即答した。コーネリウスと私が喧嘩したことも、意見のすれ違いも、どちらが悪いわけではないと即断した。


「ただ、生き方が違っただけさ。……ただ、まあ。和解するのは、今じゃない方がいいな。」

もう、あれだけ大喧嘩をやらかしたのだ。兵士たちも、コーネリウスとエリアスに意見のすれ違いがあったことを知っている。

「お前の名前にはちょっと傷がつくが、コーネリウスの指示には従うが納得していない、という演出にしておいた方がいい。」

「私はそもそも納得していません。」

「お前はそれでいいぜ。だが、今喧嘩してるわけにもいかねぇから、今はコーネリウスの指示に従ってやる。そういう姿勢を見せておけ。」

で、全てが上手くいったら表面上は和解しろ、と。

「兵士たちの士気に関わるから、表面上は険悪な雰囲気は出すな。価値観の差異は仕方ない。反目するのも頷ける。だが、お前らは、陛下に仕える直属の配下だ。いくらなんでもやっちゃいけねえ一線があるのは……わかるだろ?」

そう言われると頷くしかなかった。指揮系統の崩壊は、他の何よりも敗戦を濃厚にする悪魔の一手だ。


 その一点だけは、疑う余地もなく、俺が悪かった。

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