62.『青速傭兵団』との初戦

 明らかに柵破壊工作の妨害を目的とした攻撃だった。どこから撃っているのか、この夜闇の中では見えない。だが、これは相当な遠間から放たれた魔法だろう。

「……見えるのか?」

身体能力……いや、この場合視力か?がえげつない化け物がいる。あるいは、魔術の使いが相当に巧みな兵か。

 これは想定外だ、と考えながらも、柵を砕く作業をやめさせた。被害が大きくなるだけだし、敵が起きてきても厄介だ。


 ペディアや『護国の槍』が指揮官であることは知っていた。奴らが指揮する敵相手に、クエリトムラの兵士たちが善戦するのは難しい、と即断した。

 俺自身が彼らと戦ったことはない。『護国の槍』クシュル候とは肩を並べたことがあるが、その息子とは顔を合わせることも初めてだ。

 また、俺と同格扱いされている“赤甲将”。彼とは会ったことこそあれど、戦ったことはない。


 だから、前評判を信じた。“赤甲将”ペディアは俺と同格であり、コーネリウス=バイク=ミデウスは『護国の槍』であるという、ただその事実だけを淡々と受け止めた。並の指揮官が相手なら勝てる未来もある。先だっての部隊のように、壊滅させることも出来るであろう。

 だが、前評判通りの指揮能力を持っているなら、3万を率いた部隊をクエリトムラに詰めた1万の兵士で迎撃するのは難しい。


 先行部隊に勝てたのは、俺が一流の指揮官で、敵が二流以下の指揮官だったからだ。だから、俺が今ペガシャール王国軍に勝てる理由は、どこにもない。

「とはいえ、無成果で引き返すわけにもいかなくてな。これも仕事だ。」

せめて一度あたってみて、敵の強さを図らなければいけない。だが、勝てない戦をするわけにはいかない。


 その葛藤が、すなわち「負けたとしても被害が最小になる手法による力量試し」だった。それが、この夜襲である。


 何度も言うが、敵の指揮官を俺は信じている。信じているがゆえに、夜襲への備えはしているだろうという確信を持っている。

 だから、クエリトムラの軍を率いて、勝つつもりで夜襲をかけるなら、5日くらい動かずに、互いに焦れ始めたころに行うほうがよかった。将たちが焦れ始めて打開の一手を模索し始め。兵士たちが戦に飽きて気を抜き始めるタイミング。そこで夜襲をかける方が、成功率は断然高い。


「だが、俺はその方法をとることが出来ない。勝てないとわかっている砦に籠るということは、自分で座して死を待つことと同義だからだ。」

砦から出て退路を作る。それすらも難しい。突破を許すほど、甘い将ではないだろう。


 だから、仕事をしたという「事実」と敵の情報を手に入れるという「目的」、そして負け戦をしないという団員に対する「責務」を果たすために、俺は今日夜襲をしかけ、そのまま撤退戦に移ると決めた。

「夜襲への備えは、やはりあったな。」

遠目では影の揺らめきは見えにくい。しかし、魔術師がこちらに攻撃を仕掛けてきたこと、そしてこれほど遠くても聞こえてくる金属音。それが、夜襲への備えを整えていたことを何より示している。

「クエリトムラ砦の諸君!敵は夜襲の準備をしていた。事前に話した通りだ!」

予想通り、『護国の槍』もペディアも夜襲の準備を万全に整えていた。もし夜襲されても迎撃できるよう、準備をしていた。

「だが、おそらく敵兵は少ない!練度は高いだろうが、最初に騎兵で突撃して攪乱すれば、陣形そのものは崩れるはずだ!」

意図的に兵士たちの心を折りに行った。


 先行部隊の練度や戦への態度で、敵軍の大半が戦慣れしていないことはわかっていた。戦場にはどこにでも転がっている兵士たちの死体に、兵士たち自身が慣れていないと。……『護国の槍』の部隊はそんなことあるまい。ペディアの部隊などおそらく傭兵部隊だ。人の死骸など見慣れている。

 だが、それ以外の兵士が素人なら話は別だ。だから、先行部隊との戦の時、その躯を戦場に放置した。腐りすぎた躯への恐怖は、兵士たちの心をむしばんで余りあるだろうと確信する。戦意を折るには十分。芯から折れてくれるのならば、もうこいつらは敵ではない。


 だが、真に優れた指揮官は、戦意が折れ始めた兵たちの心が完全に折れ切ってしまう前に、立て直すことが出来る。立て直せないほど絶望的な光景でも、少なくとも戦える状態は維持してのけるし、無理なら死兵に変えてでも戦わせるだろう。

 俺がその場の指揮官だとすれば、どうするだろう。まず、なんとしても兵士の士気を維持、向上することに努めるだろう。……その場面になるまでは、どうやって鼓舞するかはわからない。だが、怒り、憎しみ、あるいは自分がそれになるという恐怖……その辺を煽ることで、この戦場に括りつけるはずだ。

「もし逃げないようにできたとして、次に怖いのは、睡眠不足だろう。」

ポツリと、誰にも聞こえないくらいの声で呟く。兵士たちは俺の言葉を待っている。俺が「勝てる」というのを待っている。


 だから、本当に、勝てるのか。いや、負けないのかを考える。

 睡眠不足を恐れるとしたら、俺はどうするか。強制的に眠らせる。布団にくるまれば寝てしまうくらいまで、徹底的に体力を使わせる。

 結果、おそらくほぼ素人であろう2万人くらいの兵士は使い物にならない。夜襲への対策が出来なくなる。行軍で疲れ切った、調練された1万人。それが敵の総数。

 

 対するこちらは、この夜襲のために英気を養い、この夜襲のために準備を済ませた1万人。それが、こちらの総数。

「勝てる!俺たちは必ず勝てる!この俺、“雷馬将”グリッチ=アデュールが保証しよう!」

兵士たちの士気が上がる。勝つぞという意気込みがあふれかえる。そう、これだ。この士気の差、勝てるという確信。この気持ちの差が、勝敗を大きく分ける。

 兵士たちは勝利を信じて、己が武器を手に持つ。

「突撃!!」

馬蹄の音が響き渡る。約一キロの距離を、馬が加速しながら突き進んでいく。


 魔術による砲撃は止まる。わずかな数矢が飛んでくるものの、本職ではないのだろう。軌道はフラフラ、そもそも弾幕を張れるほどの数でもない。脅威ではない。

 残り250メートル。200、150、100……。

「な、んだ、あれは?」

目の前には、鋼鉄の、そう、金属光沢でかろうじて認識できるような壁が、そびえ立っていて。


「悪いな、グリッチ=アデュール。勝たせてもらう。」

何度か聞いた男の声。“赤甲将”ペディア=ディーノス。

「『ペガサスの連像』よ!」

神々しく、美しい輝き。それが壁全てを包んだ瞬間、俺は2つの誤算……あまりにも想定外すぎる誤算に気が付いた。


「『神定遊戯』……!」

「グリッチ様!このままでは、壁に阻まれ馬の脚が止まります!」

「迂回しろ!……いや、敵を囲い込むように周囲を回れ、指揮官はサウジール!」

陣を覆うような木の柵でさえ、取り除かなければ馬は通れない。ましてや、全身鋼鉄で作られた人間の全身を覆う鎧、そして人の身以上の丈の盾。

「どうする、どうすればいい?ペディア=ディーノスが『連像』だった。ここには『護国の槍』がいる、ってことは……。」

「“雷馬将”、覚悟!!」

敵陣から飛び出してくる影。


 先頭で剣を振りかざす男は知っている。傭兵界では相当な有名人。……ヴェーダ。

 “赤甲傭兵団”の中でも、希少な六段階格前後の腕を持つ実力者で編成された切り込み部隊。

「邪魔だ!!」

槍で振り払う。十人くらい吹き飛ばせると思ったが、そうでもなかった。足をしっかり地面につけ、耐え忍べる奴らが何人かいる。

「……ち。」

馬の腹を蹴る。合図に従って、愛馬が駆けだす。止まれば死ぬ。それを察した。


 『連像』は、連隊に属する全ての兵士に、身体能力及び魔力量を1.4倍にする効果を持つ。それは世界共通の事実。敵兵たちが七段階格の槍の腕を持つ俺に簡単に吹き飛ばされたりしなかったのは、『像』の効果で身体能力が上がっているから……!

「“身体強化魔術”!」

肩口に描かれたタトゥーが反応する。身体能力1.4倍なら、この魔術で誤魔化せる……!

「はぁ!!」

横列一隊編成のせいで壁の終わりが見つからない。そんな中、おそらく味方の鎧を蹴り飛ばして跳躍してきたのだろう男が、俺の上から降ってくる。

「“雷馬将”、覚悟!」

「舐めるな!」

降ってきた男の攻撃を、俺は全力で迎撃した。




 ペディアは喝采を上げた。

「よくやった、ヴェーダ!」

“赤甲傭兵団”最強の男、ヴェーダ=ブデイアン。あいつが振り下ろした、紫電を纏った一閃がグリッチの槍と衝突し、火花を散らしていた。

 互角である。完全に互角である。ヴェーダはその場で滞空するかのように“座標固定”の魔法を使って体の位置を固定し、剣だけは固定せずに振り下ろす姿勢を維持している。

 傍から見れば非常に滑稽な光景だが、この状態でグリッチ=アデュールが打てる手は少ない。槍でわずかにでも剣を逸らそうとすれば、ヴェーダは座標固定”の魔術を解いた上で“紫電魔術”の出力を上げるだろう。それだけで、グリッチ自身はさておいて、馬は使えなくなるはずだ。


 馬を移動させることも選べない。ヴェーダは“座標固定”の魔術こそ使っているが、剣に込められた力は全力だ。下手に動くことに力を割いて自身を守る槍を持つ手の力を緩めれば、それだけで手負いになる可能性がある。

 だから、膠着を産む。さすがに全身が中空にあるという姿勢で全力を出せるのは一分……いや、期待しすぎだ。30秒が限界だろう。それまでに、対応すればいい。

「包囲!」

「コーネリウス軍!斬り込め!」

コーネリウスがほとんど同じタイミングで叫ぶ。俺の部隊は斬り込み隊以外超重装だ。包囲には時間が足りないと考えたのだろう。


 ありがたい。


 グラリ、とヴェーダの体が揺れる。体力より先に魔力が尽きた。それを想定することは出来なかったが……既に部隊は動き出している。

「撤退しろ!アバンレインまで撤退だ!」

「隊長?クティリシェルトまでだったのでは?」

「いいや、アバンレインまでだ!」

グリッチは強権に近い命令を下す。どうやら敵はそれに違和感を覚えつつも、従うようだ。

「……貴様、顔は覚えたぞ。ゼブラで会おう。」

「は。アバンレインでその息の根を止めてやる。」

微かに聞こえた声は、グリッチがヴェーダに忌々しそうにかける声。だがしかし、ゼブラで会おう、ということはそこまでグリッチとヴェーダが顔を合わせることがないという確信に満ちている。


 アバンレインは食糧庫のはずだが……まさか、あそこで戦うのか?


 だが、自信満々な声音だった。まず間違いなくアバンレインで勝利を収めてしまうつもりなのだろうなと思う。捕虜にして、公都ゼブラまで帰ってから捕虜の確認をじっくりと行うのだろう。

「傭兵の割には、国の兵に認められているのだな?」

「そのようです。……なぜだ?」

ゼブラで、捕虜の進退を決定する際に立ち会えるほどの権限を有している。そういう意味だろうことは想像に難くない。だが……いくら“雷馬将”といえど、一介の傭兵の分際でそこまでの権力を持てるものだろうか?

 コーネリウスの問いに答えつつ、首を捻る。傭兵は、国軍に好かれることなどそうそう々ない。


 普通、今の展開なら国軍は「嫌だなぁ」とか言いながら渋々ついて行く場面のはずだ。そうならなかったということは、それだけ“雷馬将”という人物が認められているということになる。

 さっきの、ヴェーダとの会話。今の状況の異常性。それが何を示しているのか、俺にはあまりわからない。

「何か、引っかかるのか?」

「あ、あぁ、まぁ、えぇ。どうやら“雷馬将”は……いや、グリッチ=アデュールは、ゼブラ公国の兵士の指揮権をほぼ全面的に預かれているのではないか、という仮説、か?」

「ありえない話ではない。」

俺が口に出した仮説。それを、コーネリウスは三秒ほど悩んだ後に、俺の仮説を肯定した。


「そうなんですか?」

ミルノーが、敵殿しんがりに雷撃系の遠距離魔術を撃ち放ちながら聞いた。それに、コーネリウスはうむ、と返す。

「強権を持つ人間が、最も最ある人間に指揮権を預けるという話は、古今東西どこにでも湧いている。ゼブラ公国の王は我が国と袂を分かったとはいえ、もともとペガシャール王国の王族だ。『適材適所』の出来る王でもおかしくはない。」

「傭兵にそれをやります?」

「例が目の前にいるはずだが?それに、袂をわかってまだ50年。父国から離反した国に、今更傭兵をトップに据えるのを嫌うほどのプライドがあるとは思えん。」

「……それはそうだ。」

既に名誉が地に落ちた国。それなのに、今さら名前にこだわる国でもないという指摘は、疑う余地もなく真理である。


 あるいは100年経っていたら話は別だっただろう。だが、たったの50年である。少なくとも1500年以上の国としての歴史を持つペガシャール王国と戦うのに、プライドなど考えている暇もあるまい。

「『連像』がバレたことでどうなりますかね?」

ミルノーが、最後の一撃とばかりに魔術を使いながら聞いてきた。“雷撃遠隔魔術”。その威力を下げ、飛距離を伸ばした魔術式だと彼は言う。


 威力を落とすことに意味はあるのか?という純粋な疑問があったが、馬が次々と感電して倒れ、しかし生きているのを見るに、馬の生け捕りが目的なのだろう。……いや、人の捕虜もだろうか。

 とにかく俺はそのミルノーの疑問には答えなかった。夜襲でバレるとか以前に、砦攻めで使うつもりだったのだからそこに文句はない。

「超重装の利点を理解されたのが痛いな。だが、これに勝つだけの手段を、向こうが用意できるかどうかだ。」

「アバンレインまでの後退は正解だな。まさかあの状態、あの情報量でそこまで判断してのけるとは。」

私の疑問。そして、コーネリウスの断言。三者三様の感想を持つ中、エリアスが部隊を率いて柵の修繕に精を出している。


 さて。俺は敵を阻み、コーネリウスの部隊が勢いを落とした敵を出来る限り減らした。敵が比較的早くに方向転換した故に馬同士の衝突事故が起きなかったのが悔しいが、それでも500近い敵は討ち取れたし、エリアスのおかげでさらに100頭近い馬を生け捕れた。

 あとはクリスとアメリア嬢の帰還を待つのみである。




 『青速傭兵団』が突撃する場所から、円状中点より45度地点。『青速傭兵団』突撃の馬蹄が響くと同時に、その音に自らの馬蹄の音を隠すように出撃。

 夜闇に紛れて出撃、それなりの距離を進んだ時点で方向転換。それが、クリス=ポタルゴスの行ったことである。

 それが何を意味するか、といえば。偏に、『敵の退路に待ち伏せする』という一言で片づけることが出来るだろう。


 とはいえ、これは簡単なことではない。実のところ、コーネリウスとペディアが確実に敵を撤退まで持ち込める……まともな戦闘にすらさせないことが前提である。

「全速は出すな、音で気付かれる可能性がある。どうせ敵が撤退するまでに時間は十分ある、距離を稼げ!」

コーネリウスの命により、クリス=ポタルゴスの部隊はペディア=ディーノス所有『ペガサスの連隊長像』麾下の『ペガサスの騎馬隊長像』部隊である。身体能力1.4倍化の支援は入っている。……だが、それは兵士や武将自身への強化効果でしかない。馬への強化効果は、ない。


 ペガシャール王国に限らず、馬への強化効果を持つ『像』は『騎馬隊長像』及び『戦車将像』、ペガシャール王国のみ例外的に『元帥像』だけである。馬の体力は、緻密に計算しておかなくてはならない。

「しかし、お前。自分の部隊はよかったのか?」

「ペガサスは飛行部隊だけど……だからこそ夜闇で戦う相性が悪いのよ。仕方ないわ。」

全く、これがいつもコーネリウスとかに敬語で話す猫かぶりのお嬢様の本性だぜ?全く、いつも会議でどれだけむず痒さを我慢してると思ってやがる。


 そんな悪態を心の中で吐き出しつつ、俺の隣を走る女を見る。

 俺と同じ、『ペガサスの騎馬隊長像』。ペガサス騎兵の隊長、アメリア=アファール=ユニク=ペガサシア。

「なんでついてくるかね。」

「戦いたいのよ。ちょっと、ね。」

「ああ、ああ、そうですね。あんたの部隊空だから本気で調練したら死人が出るもんね。」

「何よ、そんな悪態なんかついて。でもそうよ。下手に部下殺すわけにもいかないじゃない?」

何も言えない気持ちになる。こいつは蛮族か。本当に貴族令嬢なのだろうか。……侯爵令嬢になるはずなんだよな?こいつが?本当に?


 俺は役目に集中することにした。考えると頭痛がしてくる。というか、心が折れてしまう気がしてならない。

「ねぇ、クリス。敵の撤退の方向おかしくない?クティリシェルトの方じゃなくってアルスマデュミかアバンレイン方面に向けて撤退してない?」

「……なんでだ?」

予定と違う。だが、とりあえず撤退方向はわかった、このままでは待ち伏せが出来ない。


 いや、もう待ち伏せは出来ないだろう。このまま敵が逃げた方向に馬を回せば、その尻を追いかけることになりかねない……待てよ。

「いいかお前ら!全力だ、一切の迷いなく全力で駆けろ、駆け抜けろ!そうすれば、撤退中の敵の横っ腹にどでかい風穴を開けてやれるぜ!!」

「ハッ!」

「じゃあ行くぞ!『ペガサスの騎像』よ!」

兵士たちの能力が、『連隊長像』1.4倍×『騎馬隊長像』1.3倍になる。馬の能力が、1.3倍になる。そして、馬たちに乗っている、兵士含めたすべての荷物がなくなったかのように軽くなる。


 体感速度が倍になった。実際は1.2倍くらいのだろうが、体感はそれくらい速くなった。突き進む、突き進む。そして、ようやく。敵軍一万の無防備な横っ腹を見つけた。

「食らいつけ!」

先頭を走って、棒を一閃。敵兵士たちが一気に上空に打ち上げられる。その光景がかすかに月明かりに照らされて、後続の馬の脚がわずかに落ちる。

「はぁ!!」

実のところ。敵が騎馬で全速で撤退中という状況に対して、横から二つに割る、というのは博打要素が多い。馬の突撃速度で、足を止めずに突っ込んでくるようなことがあれば、俺たちは容赦なく敵に揉まれるしかないからだ。


 敵が駆けてくる方向。馬が衝突されそうになれば棒で馬の進路を変える。どうしようもなければ腹から振り上げひっくり返し、後続もろとも足止めする。

「クリス!踏み込みすぎよ!」

ほとんど俺の影に隠れるように槍を振るうアメリアが止めに入った。ありがたい、もしもほんのわずかに遅ければ、俺は敵に揉まれて死んでいたかもしれない。

「撤退命令!撤退命令!!」

叫んだ。その、叫ぶためにわずかに喉を上向けた、その隙が命取りだった。


 足止めを振り切って、こちらに真っすぐ飛び込んでくる馬が一頭。騎手はおらず、しかし俺の方へ向けて全力で走り寄ってくる。あたかも、ここで俺が落ちれば終わることを、理解しているかのように。

「う、ぐ?」

衝突。俺の馬が地面に崩れ落ちそうになる。倒れるさまを、スローモーションで追いかけた。倒れれば、俺も地面を転がることは免れない。立ち上がるまでに、馬の蹄に踏みつぶされて、俺は死ぬだろう。

「世話の焼ける。」

ポツリと、そう聞こえて。倒れ落ちそうになる俺が、馬とともに崩れそうになった俺が、空中に放り投げられた。


 下手人は、アメリア。『像』の力を解放し、身体能力を上げたのだろう。それなら、軽々とは言わないが俺の体をほうり投げるくらいは出来る。

「寝ていなさい。」

槍の石突きが、馬の横面を叩いていた。俺の馬を横転させた馬が、そのまま横転する。

「撤退命令が聞こえなかった?急ぎなさい!」

落ち始めた俺を両手でお姫様抱っこし、そのまま自分の馬に乗せたアメリアが、言った。


 彼女の声に従って、俺の部隊は次々と陣へ撤退を始める。

 敵の先頭と後続は引き離された。撤退中の兵士、約1000近くを戦闘不能まで追い詰めた。


「……ありがとう、礼を言う。」

「命の恩よ。いつか必ず返しなさい。」

「……わかった。」

情けない気分だった。俺が戦闘で飛び込み、敵を出来る限り荒らさなけれな、まず間違いなく俺の部隊に出ていた被害は今の数倍だっただろう。まだ初戦にも関わらず、野戦の要ともいえる騎馬隊を減らすわけにもいかないから、俺が前に出た。その判断は間違いじゃなかったと思う。


 だが、その代わり、俺が死にかけた。……ペガシャール帝国において屈指の実力者であり、陛下に『像』を分けていただいたうちの一人が、こんな地方の戦場で、華々しい活躍もなく死ぬところだった。

「自信は、怖いな。」

「あなたの指揮も動きも間違いはなかったわよ。足りなかったのは、あなた自身への価値の認識よ。あなたを支えられる副官をさっさと育てなさい。」

「……ああ、そうするよ。」

死にかけた時、死なないように出来る副官。確かに、出来る限り早く必要だ。


 コーネリウスやペディアが、どうして副官を大事にしているか、何人も用意しているのかが、わかった気がした。




「でも、やっぱり。この方向はアバンレインね。」

「やつらの撤退先か?なぜだ?」

「私たちに勝つためじゃない?」

撤退までの道のり。馬への負担が大きいため、俺たちは馬を歩かせながら陣へと帰る。その途中で、アメリアが断言した。

「勝つ気でいるのか?」

「当たり前でしょ。少なくても、『青速傭兵団』はゼブラ公国を勝たせる気でいるわ。そうじゃなかったら撤退なんかせず、降伏しているはずだもの。」

カネは大事だ。契約履行も大事だ。だが、それ以上に、傭兵は己が命を大事にする。勝つつもりでなければ、最初から撤退など選ばず、死なないような手を打つだろう。


「どうやって?」

「『像』が指揮する部隊を相手に戦争で勝つ方法なんて、同じ『像』を使うか、『像』を闇討ちすると相場が決まっているわ。そうじゃないなら、方法はあと一つだけよ。」

数で押し潰す。身体能力の強化も、『像』自身が発動できる固有能力すらをも、大量の生贄を捧げることで無効化し、数で敵を蹂躙する。


「私たちの軍はたった三万、そのうち二万は寄せ集めの素人軍よ。“雷馬将”が本気で調練した軍を15万人指揮すれば、勝負になるわ。」

「……そのために、アバンレイン?」

「えぇ。今頃“雷馬将”の指示を受けた伝令が他の砦とか、要所要所に回って兵士の撤退を命じているわ。全軍を集結させるでしょうね。でも、私たちは一つ一つの砦を相手にするしかないわ。」

だって、もし万が一敵の命令が『通過した軍の背後を襲え』となったら厄介だもの。そうならないために、ペガシャール帝国軍は、ゼブラ公国公都ゼブラへ行くまでの、兵士が相当数詰められていると予想できる砦や城を全て回らなければならない。

 その間に、逃走した“雷馬将”は決戦の準備を整えるだろう。


「だが、アバンレインの理由は?」

「決戦の地はアバンレインじゃないでしょうね。多分、公都ゼブラよ。ただ、アバンレインは糧食を貯蔵する要所なのよ。」

少なくとも50年前の時点では。そういうと、クリスは納得したように頷いた。

「回るべき砦は?」

「いま攻めているクエリトムラが手始めね。15万人の兵士を詰められる、ゼブラ公国最初の砦よ。終われば、次はクティリシェルト。10万人。アルスマチュミが8万人ね。ここは……いえ、私たちが3万人しかいないことを考えたら、攻めておくべきかしら。」

アメリアはおそらく子爵家で学んだのであろう、ゼブラ公国の地図を思い返しながら呟いていく。砦の名前。そして入れられる人数。3万人の軍で、背後から奇襲されたときに対応できないのが困るから、確実に占領しておくべき場所の一覧を。


「エーマイリエンは無視していいわ。挟まれることはない。アバンレインは5万人しか入れられない砦だけど、ここは糧食を溜める要だから、占領する必要はあるわ。」

そして最後、ゼブラ公国公都、ゼブラ。俺たちは今から、それだけの数の砦を攻めなければいけない。


 敵がいない可能性が高いとわかっていても、不意を突かれる僅か数パーセントの可能性を恐れる。その数パーセントが戦争の勝敗を分けかねないことを、指揮官たちは知っているから。

 アメリアの声が耳にかかる。話し方や言うことは基本的に蛮族じみているが、声はしっかり女性のもので、背中に感じる温度は確かに人のものだ。

 女性らしい体は感じられない。鎧を着ているから当然だ。だが、背中に当たる感触は、彼女が女性用の鎧を着ていることを感じさせ、嫌が応にも、俺が女の馬に乗せられているという事実を突きつける。


 命を救ってくれたことには感謝する。だが、そろそろ降ろしてもらえないだろうか。わずかに残った男としてのプライドが、この状況に対する羞恥心を訴えてくる。

 味方の陣は目の前だ。このまま陣中に戻りたくはない。その思いが通じたのだろう。彼女はギリギリ陣から見えないくらいの距離で馬を止めた。

「……あなたがいなくなれば、陛下はとても困るわ。コーネリウス様もあなたを友人だと思っているみたいだし、他にもあなたの実力を信じている人たちはたくさんいる。」

陣地の前で私を馬から降ろし、彼女は言った。

「もちろん、私も。さっきも言った通り、あなたの突撃の時の判断は正しかったと思うわ。だから、私は貴方を責めることはしない。」

でも、と続けた。もう、馬を歩かせ始めている。

「自分が死なないようにも立ち回って。最初の突撃の時は、あなたが道を切り開く必要があったけど。ずっと最前線にいる必要はなかったでしょう?」

「あなたの命は、あなたが思っているよりも、重いのよ。」

有象無象の兵士たちなんかよりも、はるかに。そう彼女は言い残す。


「全く、その通りだ。」

後に残ったのは、『像』であることの価値を誤認し説教された、哀れな男一人だった。

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