54.調練の開始と先行部隊の壊滅

 敵の正体が明らかになったところで、やることは変わらない。

 コーネリウスは翌朝、全部隊を集めて壇上に立ち、全部隊に、全貴族に、全兵士に演説を行った。

 先行し、出来る限りの功績の獲得を願った貴族たちは全部で12。まあ、王国直轄貴族は4つほど、うち一つは伯爵家だった。その伯爵家が持つ貴族数が4ほどあった以上、12の内5つはその伯爵家と所属貴族たちだったのは言うまでもないだろう。だが、伯爵家は連れてきている軍が多い。フィリネス侯爵はどうやら軍事費を切り詰めて生活していたようで、軍の数は少なかったが、伯爵家は典型的な腐敗貴族だ。民から搾り取れるだけ搾り取って生活しているのか、なかなかふくよかな腹と比例するかのような兵士の数、武器の質。

 それだけではない。兵士の質もそれなりに高い。伯爵の後ろに控えている男は伯爵家の教官だろうか。筋肉質な肉体と渋めな顔が、いかにも軍人らしい凄みを放っている。


 アーネルド伯爵以下、計2万8千名。彼らが進軍を開始した。

「勝てる戦の勝機も見えずに、こんなところでのうのうと調練をしようなど、次代の『護国の槍』は随分と出来が悪いようですな。」

「いえ、先祖の名に恥じるばかりです。ただ私の勘が、流れる血が、このままでは危ないと言っているかのようでして。」

「あなたには大した血が流れていないようですな。そんなことだから『大将像』に落とされてしまわれるのですぞ。」

彼らの出陣前の、コーネリウス侯爵とアーネルド伯爵の会話を要約するとこんなところだろうか。よくそれだけの侮辱に耐えられるな、と私は思う。


 もしこれがフィリネス侯爵だったなら明らかにキレていただろう。後ろで聞いているだけなのにあそこまで額に青筋を浮かべられるとは、彼のプライドも相当のモノだ。

 私は彼が好きではない。貴族として、貴族社会に生きる人間として、何一つ間違ったことをしていない。それは納得した。納得できなければ、国を運営する側に回れないのだと、昨夜クリスに諭された。だから、気持ちの面ではさておいて、事実としてフィリネス侯爵がこれまで何も間違っていなかったことは、認めた。

 たとえ民が喘いでいようと、侯爵という体面を保つためには、贅沢をしているように見せなければならないという事実を、私は認めた。


 それでも気に食わないのは、この200年の間に荒れ果てた国土内で、盗賊に食い物にされた怒りゆえか。それとも、大事な妻を飢饉で失い、貴族たちが何もしていなかったことを知っている、その絶望ゆえか。

「私は、きちんと土地を癒そう。」

多分。農民上がりの私だからこそ出来ること。農民に寄り添い、農地を耕す。その大変さを体験してきた『像』だからこそ、出来ること。


 ペガシャール王国、いや、ペガシャール帝国はこれからが大きな転換期だ。必ず、これ以上私を増やさないような政策がとられるよう奮起しよう……貴族社会の生存方法とやらを見て、私は何としてもそう決めた。

「エリアス、頼む。」

コーネリウスが私を見る。私は、自分の体の裡に染み込んでいる主の力に意識を集中する。


 あの時私は、主を守るための砦を顕現させた。今度は、主を守るためではない。仲間の力を育てるための砦を顕現する。

 手元に輝き顕れたのは、鎌を肩に、鍬を腰に提げ、小さな壁に囲まれた、小さな人形。私を表す『ペガサスの砦将像』。

 息を吸った。ドクン、と心臓の音が跳ねた。これを使うのは、これで二度目。身の丈に余る力かもしれない。でも。

「『ここに王の軍の攻撃拠点たる砦を顕現す』!」

『像』が光り輝く。少し遅れて、私の体も光り輝く。まるで周辺一帯を光の煙が覆うように、不規則に不安定に光が広がり、そして。


 私を中心とした、半径1キロ、高さ100メートル前後の、巨大な砦が顕現した。




 2週間。それが、コーネリウスがひねり出した、行軍と調練の合間の時間だ。

 調練と言えば聞こえはいいかもしれない。だが、軍の調練にしては、それは異常な様相を見せていた。

「走れ!兵士の基本は体力だ!兵将問わず、走れぬ人間は軍には要らぬ!!」

コーネリウスの叫び声が、砦内に響き渡る。半径一キロの砦の内側を、壁沿いに兵士たちが走っている。

 走っている。剣を握る、槍を握るでもない。連携を強化するわけでもない。指示の共有をするわけでもない。それらを腰や背に提げるところまでは誰もがしている。その上で、兵士も将も貴族も関係なく、ただ全員が走らされているのだ。


 走っていないのは命令を出しているコーネリウス、クリスとアメリア、アメリアの部隊2000人、私、私の部隊3000人のみ。コーネリウスはまあ、いい。奴は怠けている奴を見つけ次第槍でぶつために、馬で走り回っている。体力が尽きて倒れこんだ者は、奴が馬で駆ける一周分は見逃す。大体砦一周6キロくらい、馬でそれなりに全速を出させて20分くらい(なお、障害物があるため、プラス1~2分ほどかかっている)。それくらい経ってもなお倒れていれば、槍でぶって無理やり起こして走らせる。


 一周分は放置するとはずいぶん優しいことだ、と思うものの……驚くほどの体力のなさに、私も少し呆れている。

 兵士とは長時間戦い続けなければならない職業だ。実際のところはある程度交代したりと休憩時間を設けられているものの、実際に休憩できるか、と言われると、戦争でそんな暇があるとは断言できない。

「戦場では体力がなくなったものから死ぬ!たとえどれほど実力があろうと、どれだけ連携が巧みだろうと、その強みを活かせなくなった途端、兵士は死ぬ以外の未来を失うのだ!走れ!死ぬ気で走れ、走っただけでは人は死なん!!」

いや、体力が尽きたら体調を崩すわ!と言いたくなるが……だが、真理だ。技術を誤魔化せるだけの身体能力は、『像』の権能さえあれば与えることが出来る。それに依存する在り方になると不味いが、ペガシャール『帝国』には、技術や練度を補って余りあるだけの権能がある。


 必要なのは、戦い続けることだ。そのための体力と、根性だ。そういう意味で、コーネリウスの行っている、ただひたすらに走らせる、というのは間違っていない。

 なお、砦内側、半径一キロだけでは3万人強を走らせるには少々無理がある。砦の外側では、約半数の兵士がクリスにぶたれながら走っている。

「どうですか?」

「初日とはいえ、厳しいな。昨日走れていたのが何だったのかと言うくらい遅い。」

その昨日まで進軍速度が遅いことに文句を言っていた以上、何かが音を上げることを許さなかっただけだと思う。だが、そんな話には今意味がない。とにかく、2週間の地獄で疲労に慣れることを目標にしているのだから。

 コーネリウスが馬を乗り換える。1周ごとに彼とクリスは馬を変えている。人と違い、馬はわかりやすく体力の限界がある。いや、人にもあるが、コーネリウスは兵士たちに『全力で走れ』とは言っていない。『走り続けろ』と言っているだけだ。対して、馬は20分間、駆け足を強いられている。馬の駆け足の限界は大体30分だ。一周ごとに馬を変えることで、コーネリウスとクリスは無茶な調練をすることが出来ている。


 頭上に影が差した。もう何度目だろうか。光が遮られると、それが続くと目がチカチカしてくる。それが調練のためだとわかっているものだから、変に文句も言えやしない。

 ペガサスとは本当に不思議な生き物だ。馬でありながら空を飛ぶ。ペガシャール王国の、聖動物。戦場に駆り出されるものの、基本的には崇められており、またペガシャール王国の騎兵団に入るものが皆配属されることに憧れる部隊。

 ペガサスは地上ではあまりにも無力だ。その翼が邪魔をして、地を駆けることにはあまりにも適さない。

 だが、空を駆ける分においては無尽蔵の体力を秘めている。実質のところは無尽蔵ではないし、大体10時間も飛べば眠りにつくことが多いが、騎馬と比べるとその移動速度、最大速度の維持時間、そして動ける時間が大幅に高い。


 ……だが。扱いが難しすぎる。ペガサス自体は人懐っこい生き物だが、それに乗って空で戦うというのは、人にとって簡単に出来ることではないのだから。

「息が合っていない!乗れるようになって喜ぶ気持ちはわかるけど、ペガサス騎兵隊としてはそこはまだ入り口よ!ほら、しっかり足を締める!それじゃ宙返りもできないよ!」

叫び声。アメリアの指示に必死に食らいつこうとしている団員と、彼ら彼女らにコツを教える兵士たちが数名。

 二ヵ月だったか、三ヵ月だったか。ペガサス騎兵として育て上げられたのは、たった2000人だったと聞いている。アメリアは『託されたのに……』とずいぶん悔やんでいたが、ペガサスの母数も多くはないことだし、ちょうどいい数なのではないかと私は思っている。それより、アメリアがいなくなった王都側で、誰がペガサス騎兵の素地を見出すのだろうという疑問の方が、私には立っている。


「アメリア殿もなかなかスパルタのようだ。……では、私も調練を続けましょう。」

 コーネリウスが次の周回に向かった直後、ガチャン、ガチャンという重苦しい音が聞こえてきた。

「……私たちも、行きましょう。」

鋤と、鍬と、鎌と。大量の農具を背負った私の部隊が集結する。私の仕事は、今から2週間で、この一帯を出来るだけ農地にしやすいように整地すること。

 貴族の私有兵たちに農場の技術は……まあ、兵士の大半は農民上がりだ。技術くらいはある。だが、私の部隊にすべてを丸投げされているのは、実に単純な理由。

 兵士たちの体力は、私の部隊にはちゃんとある。元々半分『赤盾傭兵団』に所属していたような身であるか、アシャト様についてきた義勇軍の面々。貴族たちの軍と比べれば、戦場に出たことが多い分、体力はある。というより、そうなるように私たちが鍛えてきた。

 だから、私たちは調練の代わりに、砦の外で今後のために耕作をするのだ。

「100年近く荒れた土地に鍬を入れるのってかなり面倒なんだけど……。」

まあ、やるしかないだろう。先ほど聞こえてきた鎧の音の方を見る。鈍重な鎧を着て、必死に足を動かすペディアの部隊が見える。


 他の誰よりもつらい訓練をしているのだ、私たちがここで手を抜いていい理由はない。

 兵士たちが渋々と言えどコーネリウスの調練を受けていられるのも、ペディアたちの地獄を身近で見ているがゆえだ。……全く、笑えない。


 私たちは、誰が住むかもわからない、そもそもすぐに人が移住するのかもわからない土地を耕すために、砦の門から外に出た。




「う、嘘、だろ、おい。『青速傭兵団』が用いるのは、騎兵だったはずだ!」

 アーネルド伯爵は、我に返ってすぐに、そう叫んだ。進軍を始めて、はや7日。進軍開始時の遅々としすぎた歩みでもなく、鎧を脱ぎ捨ててからの異常な速度での進軍でもない。兵士たちにとってはおそらく、最もちょうどいい塩梅で進軍していった。

 何人か出した斥候が戻ってきて、とある砦に『青速傭兵団』が滞在していることを告げてきた。

「迂回しよう、と言いたいところだが。敵は騎兵だろう?なら砦を包囲しよう。騎兵も持ち味の速度を活かせないなら、普通の城攻めと代わりあるまい。」

国境ははるか後方。もう、アーネルド伯爵たちも引き返すわけにはいかない。


「戦果を挙げるぞ!我らが『青速傭兵団』を撃破したときのペディアとやらの顔が見物だな!!」

「ほう。敵にはペディアがいるのか。それはいいことを聞いた。情報提供、感謝するぞ、伯爵。」

低い、愉悦に歪んだ声が聞こえるとともに、伯爵のその膨れた腹の裡を短剣が貫く。厚い皮下脂肪によって内臓には届かなかったものの、大量の出血がその服を汚す。その衝撃で、伯爵は一瞬フリーズし……それから、先のセリフを叫んだのだ。


 『青速傭兵団』は暗殺者紛いのことまでするのか、という意味を込めて。


「どうやら伯爵閣下におかれましては、随分と勘違いを為されているようにお見受けいたします。」

腰を抜かした伯爵に、立ち上がって見下ろす男が話しかける。

 その態度は実に慇懃無礼。口先こそ敬語で話しているが、その目線、その立ち位置、その仕草。何一つとして伯爵を敬う態度はない。

「ここは戦場。殺せるときに、殺せるものを、殺せる手段で殺すことは、私にとって当たり前に行われることでございます。」

皮下脂肪が厚いことが災いして、もう助からないことがわかっているのにじわじわとしか死ねない伯爵。そんな彼にとって、今、見降ろされて死を待つばかりという光景は、恐怖を感じることしかできない。


 まるで自分を見下ろす男が、死神のようだ……。そんな言葉が、脳裏にチラリとだけ浮かび上がって。

「では、失礼いたします。冥途の土産に、これから起こる蹂躙劇を、自らの無力さを、歯噛みしながら見続けてくださいませ。」

その言葉とともに感じた、地震と思い違えるほどの地鳴り。それが、馬蹄の音だということを、アーネルド伯爵は、踏みつぶされるその瞬間まで、気が付くことが出来なかった。

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