53.進軍方針
フィリネス侯爵軍が奇襲を受け、しかし両者ほとんど被害なく争いが終わった。その報は、その日中にペガシャール帝国軍に広がった。
「これにより貴族たちの意識が改革できれば、と思ったのですが……奇襲を受けても、何事もなく迎撃できるという認識が広まっているようです。」
オケニア=オロバス公爵の発言が、天幕の中を重苦しい雰囲気に変えた。貴族たちが危機意識を持ってくれるのならよかった。それが、今はどうだ。楽観視、楽観視である。
コーネリウスやペディア以下、全『像』や出来る貴族たちが考えうる最悪の事態になっているようであった。
「これは、まずいな。」
「まずいどころではありません。そうでなくともわが軍の練度は低いというのに、このままでは戦う前に敗走します。」
笑えない。ある程度はいい。貴族を処分し、財産没収によって国庫を増やし、新たに貴族の枠を用意することで報酬を確保する、その姿勢は重要だ。今のペガシャール帝国にあって、それが出来なくなれば、国庫的にも国が崩壊しかねない。
だが、完全に貴族たちが全滅するのも大問題だ。貴族が全滅するというよりも、軍が壊滅する方こそ問題だ。
軍は金食い虫であるが、ペガシャール帝国の民である。今後のペガシャール帝国の財産である。そしてその財は、今や金銀財宝に匹敵しかねぬほどに高い……希少なのだ。いなくなるのは避けたい。
「どうする、進軍を止めるか?」
このまま敵軍とぶつかるのは避けなければならない。だが、それに対してペディアとミルノーが同時に首を振る。
「そうすると糧食が持たない。」
糧食は三ヵ月分しか用意されていない。国内の状況を見れば当然の結末であるのは理解できている。三ヵ月分の糧食がきちんと渡されている事ですら、どちらかと言えば驚きだ。国の蓄えとして残すのではなく、きちんとペディアたちによこしている。
「陛下がどれだけこの進軍を重く見ているか、わかるというものだ。」
だからこそ、ここで手を止めるのは、難しい。そう呟くペディア。その気持ちも考えもよくわかっているのだろう。コーネリウスは沈黙で返した。
「コーネリウス殿、私に考えがあります。」
発言したのは、フィリネス侯だった。奇襲を受けた唯一の部隊長として、ここに席を設けたのである。
「聞こう、フィリネス侯爵。」
「この奇襲を楽観視している貴族と重く見ている貴族で、部隊を分けるべきだと進言します。」
「部隊を分ける?」
コーネリウスが首を傾げる。フィリネス侯爵の視線は、エリアスの方へとチラリとよった。
「この付近は、かつてアルズバーグ伯爵が治めていた領地です。アルズバーグ伯爵家は謎の事故によって一家全員が亡くなられ、この一帯は貴族のいない不毛な領域になっております。」
謎の事故。どういう政争があったのか、オケニア=オロバス公爵とイーディス=フィリネス侯爵以外は知らない。だが、それが人為的なものなのは聞かずとも明らかだ。
その場にいた多くが眉を潜める。なぜって、他でもない言い出しっぺのリュートも、完全に「謎の事故」で済ませようとしているのだ。ペディアやエリアスの嫌いな「隠蔽」ではある。
彼らも、アシャトの傍で見ているから隠蔽1つさせない政治がどれほど使い物にならないかも承知しているのだが……心情的には、やはり思うところはあるのだろう。
リュートが言うには、盗賊が横行することすらないらしい。というのも、このあたりにはもう貴族がいない。貴族がおらず、新任……後釜が派遣されてくることもなく、完全に放置され始めた領地だという。
そんな場所を作るとは国はどうなっていると言いたいところであるが、実を言えばペガシャール王国に限らず、この世界には今こんな土地が大量にある。当たり前だ、国の運営の大半を『像』が与える力に頼っていた世界である。それが絶えてしまえば、人の手が入れる場所はどんどん減っていく。
200年。200年である。国が荒れ果て、施政の手が及ばなくなっていても、不思議でも何でもない。
「いいですか、ここならば、まだわが国の領土内です。たとえ国境が国境の役目をはたしていないとしても、領土内。今ならばまだ、この地に留まって調練をする余力がありましょう。」
事実である。仮にゼブラ公国がこちらの動きに合わせて進軍してきたとして、侵略軍と鉢合わせするには進軍準備の期間も併せて2週間はかかる。それだけあれば、最低限の調練を施すことは出来るだろう。
ここが誰かの領土であれば、その人の許可を得、滞在費という名の供物を用意する必要があっただろうが、ここは今無法地帯だ。その必要はない。
「エリアス殿の『砦召喚』を使えば、少なくとも寝る場所には困らない。ここで調練を果たしてしまうのが吉であると考えます。」
それは、考えたのだ。考えた上で、物資が足りなくなるという理由で却下した。
「調練なくとも勝てると踏んでいる貴族は多くいます。同時に、このままではまずいと考えている貴族も大勢います。」
貴族部隊の半数は、勝ったも同然だと信じている。調練のためここに留まると言えば、不満が出るだろう。
「だから、わずかばかりの物資を持たせて進軍させればよろしい。痛い目を見れば貴族たちの意識も変わりますし、調練のために残る選択肢をした貴族たちも、戦争の難しさを再認識するでしょう。」
ようは邪魔ものは先行させて壊滅させてしまえという、ひどい進言である。だが、同時に一考の余地はある。……いや、ありすぎた。
貴族たちに戦争の見通しなどない。いや、負けるという見通しがない。勝てると踏んでいる。そりゃそうだ。貴族たちほど、『像』の恩恵を知らぬものはいない。その恩恵にあずかろうとしている者ばかりだ。
『像』があるなら、負けるはずがない。そう頑なに信じているし、そこに間違いはない。
そして、貴族たちの今回の進軍の目的は、功績を上げることは第一に、次点で略奪である。物資など敵から奪えばいいと考えている節がある。
最低限一週間ほど食いつなげる物資さえ渡しておけば、後は勝手に突っ走って、勝手に全滅してくれるだろう。『像』を賜るだけの戦功を残すと意気込んで、勝った先で略奪を繰り返しながら進めると信じているのだ。
「敵の力量を図るにもいい機会であり、使える貴族を見極める機会であり、邪魔者を排除するいい機会です。これなら、どこから不満が出ることもなく、兵士の調練が出来るでしょう。」
ついでに言うと、物資三ヵ月分の見通しというのは約6万人を三ヵ月養う前提の見通し、である。人数が減ればさらに伸びる。
兵士が減る、資源として貴重な命が消える。それ以外は何ひとつとしてつとして問題のない提案だった。
「ここで調練をする。それだけ伝えておけば、貴族たちが壊滅しても、兵士たちはここに逃げ込もうとできるでしょう。それでは不満ですか?」
懸念が伝わったのか、フィリネス候が言い募る。それを聞いて、コーネリウスたちもようやく覚悟を決めた。
「では、その案を採用しよう。明日一番でエリアス、お前は『砦召喚』を行え。ここで調練すると公表し、今の通り、進軍したい貴族たちだけ進軍させる。」
エリアスがコクリと頷いた。コーネリウスがフィリネス侯爵に向き直る。
謝罪しておくべき言葉があった。貴族にとって、侮りは許されるものじゃあない。まして、それが一方的な偏見によるものであれば、なおさら。
「そなたの領の政治を見ていれば、良くも悪くもない政治をするものだから、他の腐敗貴族と同じ目で見ていた。申し訳ない。」
「いいえ。我が侯爵家は侯爵家に見合った振る舞いをせねばならず、それによって絢爛豪華にならざるを得なかった。おそらく、それだけを見ていればあなたのように判断しても仕方がないことでしょう。」
なにせ、家の収入は支出に追いついていなかった。一年の間にほんのわずか借金をする程度ではあったが、借金が増えていたのもまた事実。家格に合わせるため無茶をし続けた日々を、リュートは苦い顔で思い出す。
だが、コーネリウスはその当たりの事情に疎かった。ミデウスは『護国の槍』。国を護り続け勝ち続けたその名声が、政争とは無縁にさせていた。ゆえに、そんな「世迷言」をほざけたのだ。
「しかし、その絢爛豪華がなければ侯爵家の財政が火の車になることはなかったのではないか?」
ヒクっと、リュートの頬が引き攣る。ミデウスは『元帥像』の栄誉から落とされた。これからは政争にも多少首を突っ込まねばならぬ立場になるというのに、ここまでのわからずやで大丈夫なのだろうか。
若者を教え導くのは年長者の定め。同格の侯爵家ならなおさらに。次期元帥を担う筈の青年である以上、途中で潰れてもらっても困るという判断のもと、リュートは言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「それは大間違いです。貴族には貴族として果たすべき分があります。侯爵家ともなれば、少なくとも表層はどこまでも貴族でなければ、美しく、かつ身分に見合った振る舞いでなければなりません。例えば、子爵家を王の義弟としてではなく、子爵家令息として扱うような。」
しれっと「王はディールに対してやってはいけない扱いをしていやがるんだぞ」と釘をさしながら、「貴族の分」を言葉にする。己は奴を義弟としては扱わぬ、という宣言に近い。
そしてそれが貴族として最低限行うべき義務であると、フィリネス侯爵は言う。たとえ傲慢であろうとも金遣いが荒かろうとも、それが侯爵家に課せられた責務である以上常時やり続けなければならない責務であると。
「なるほど。貴公はずいぶんとまじめであるのだな。」
クリスが感心したように呟く。確かに、これ以上なく貴族として正しい在り方だ。侯爵ともなれば、王族と公爵は立てねばならないが、それ以外に対しては常に見下したような態度で接する義務がある。たとえ、それが認めるべき相手であってもだ。
それがたとえ不利に働くとしても、だ。貴族としての在り方を理解している人間であったなら、彼の態度がなっていないなど言わない。言う人間がいるとしたら、そいつの知能は猿かそれ以下だと断言して問題ない。
「今は貴族としての在り方を知る人間の方が少ない。貴公、損をするぞ。」
「侯爵としてふるまって損をするか、侯爵の在り方を曲げて現状維持か。その二択でしょう?私はペガシャール帝国貴族フィリネス侯爵です。それを曲げることはありません。」
その返答は予想されていた。コーネリウスも、ペディアも、クリスも、アメリアも。その堂々とした在り方にはむしろ好感を持つ。好感を持てないのはペディアやエリアスの方だろう。平民は見下し、庇護の対象にして当たり前という態度。それは、庇護されず、己の手で道を切り開かざるを得なかった彼らにしては受け入れがたい態度である。
とはいえ、ここで喧嘩するほど愚かではない。いったん軍議はそこで終わりにしようとしかけて、最後にフィリネス侯爵が口を開いた。
「ペディア=ディーノス殿。」
「なんだ。」
呼ぶ声には不快が張りつき、答える声には苛立ちが張りつく。それでもリュートが「殿」をつけてペディアを呼んだ意味を、コーネリウス・クリス・アメリアは察した。ペディアは……欠片もわからぬようであったが。
ペディアの返事がぶっきらぼうになったのは仕方がないだろう。彼にとって、フィリネス侯は気に食わない人物なのだ。もう少し時間をおいていたならまだしも、「こいつ、嫌いだ」と思った直後のことである。丁寧な対応など望むべくもない。
「敵の将の顔を見ました。『青速傭兵団』副官のサウジール=グレイドブルでした。……敵にはおそらく、『青速傭兵団』がいると予想されます。」
「なんだと……?」
しかし。情報の重さを心情と天秤にかけるほどに、ペディアは幼くない。『青速傭兵団』の存在が如何に恐ろしいものか、彼は心の底から承知している。
傭兵は、金払いがいい方につく。だが、それでも予想外だった。完全に意識の外にあった名前だった。
『青速傭兵団』。ペディア=ディーノスの傭兵団が『赤甲傭兵団』という、防御に特に優れ、徒歩の人物で構成された傭兵団なのに対して。全員が騎兵で統一され、とんでもない速度で敵対者を蹂躙することに長けた一大傭兵団。
誰が言ったか『ペガシャール王国の四大傭兵部隊』の1つにして、指揮能力においてペディアと同格の男。
『雷馬将』グリッチ=アデュールの率いる傭兵部隊だった。
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