52.奇襲と貴族

「ふむ。ペディア=ディーノスの『超重装』部隊はその鎧を外した、これがその結果ですか。」

ペガシャール王国において600年以上の歴史を持つフィリネス侯爵は、急激に倍以上まで跳ね上がった進軍速度に食らいつきながらも思考の海に沈む。

 早い。とんでもなく、早い。フィリネス侯爵たる私……リュート=イーディス=フィリネスは、ペディアの所有する『超重装』部隊、その身に纏う鎧の異常性に、もう気が付いていた。


 脱ぐだけで、進軍速度が倍以上に跳ね上がる。それはつまり、着れば進軍速度が半減するほど、重い鎧であることを意味している。

 鎧は重ければ重いほど機動性を損失する。だが、進軍速度が半減以下になるほど機動性が落ちる鎧……重い鎧というのは何を意味しているのか。少し考えればわかることだ。

「『超重装』は、騎兵や戦車の突撃を、真正面から受けるべく設計されている。」

騎兵も戦車も、前提の話、勢いをつけて突撃する兵種になるわけだ。つまり、敵を轢き殺すことを前提にした部隊。対して、とんでもなく重い、鎧である『超重装』というのは、その『轢き殺す』をさせない、あるいはノーリスクで出来なくなるという意味を持つ。


 とんでもなく重い鎧が足場を固めてしまう。馬で蹴り飛ばせる重量ではない。むしろ、馬の脚が折れかねない。

「いえ、普通は、鎧は馬の突撃の衝撃を殺せないものなのですが……。」

魔術陣がある。衝撃を逃がすだけなら、出来なくはない。いや、鎧に仕込む魔術陣なら、衝撃吸収の陣だろう。あちらの方が手軽で、使用に関する連続性が高い。

「衝撃を吸収し、真正面から騎兵や戦車の突撃を受け止め、吹き飛ばそうにも踏みつぶそうにも容易ではない。そして、たとえ生きて受け止めようと、中の人が死のうとそこに残る、桁外れの重量の鉄の塊。突撃する側にとっては邪魔でしかありません。」

これを装備して戦おうという発想そのものがまずおかしい。よほど肉体に恵まれたもの、よほどの訓練に耐え抜いたものしか使えない鎧というのは、軍用鎧の範疇を外れている。


 少なくとも国王直属の軍はある程度の統一規格がなければならない。個人用の部隊が与えられているということは、それ即ち特別待遇であるということに等しい。

「いや、彼は『ペガサスの連隊長像』だ。たった数百しかいない部隊を連隊と称するのはいささか無理があるが……いや、だからこそか。」

これから、ペディア=ディーノスは重用される。なぜなら、『像』という特別な役職を持っているからだ。そして、『像』の部隊に入るということは、国にとって重要な部隊に入る、という意味で……栄誉が確約されている。

「さて、どうすり寄ったものか。」

心の中から沸き起こる、出自のわからぬ民間人が『像』を持っていることへの不満を、必死に何とか宥めながら考える。妥当なのは、娘を差し出すことだろうか。だが、娘を貴族でもない男の嫁に出すのは気が進まない。


「だが、速いな。」

『像』の部隊たちは信じられない速さで進んでいく。コーネリウス=バイク=ミデウスの軍はわかる。彼の部隊は即ち『護国の槍』が息子に与えた部隊だ。進軍速度が速いのはわかる。

 だが、アファール=ユニクの騎兵隊とエリアス=スレブの部隊はわからない。ペディア=ディーノスの部隊もだ。あの『超重装』を脱いだだけで、時速6キロ……いや、7キロに達しそうなほどの進軍速度になどなるものだろうか。しかも、軍需物資の全ては、彼ら『像』の部隊が抱えているのだ。


 走っているわけではない。ただ、歩く速度が速いだけ。それは間違いがない。競歩とも呼ぶべき速度になっているが、それだけ。

「時速3キロくらいしか進まなかった昨日とは大違いだ……。」

昨日はまだ進まないのかと頭を悩ませ、それだけしか進めないペディア=ディーノスの部隊、ひいてはそれを運用する陛下のことを、軽んじていた。それが今となってはどうだ。この程度はついてこれるだろうというかのように、もう三時間は延々この速度が続いている。


 銅鑼が、5度、間断なく鳴った。休息の合図だ。昨日よりも早い急速に安堵する。もう1,2時間遅ければ、部隊の兵士たちの不満は抑えられなかっただろう。昨日までは遅々とした進軍に対する不満だったのが、いつまでも休みにならないことへの不満へと早変わりだ。

 指示を出しているのが私たち貴族ではないことを、兵士たちは知らない。支持を出しているのがコーネリウス=バイク=ミデウスであることを、兵士たちは知らない。

 ホッとした。兵士たちは疲労困憊、もう微塵も動けそうにない。


「休憩!!」

そう叫ぶ。兵士たちは完全に膝から崩れ落ち、しばらく起き上がる力もなさそうだ。私も、急激な速度変化に少し疲れ気味なからだを休めるべく、馬を降りようとし……。




 簡単そうな指令だった。ゼブラ公国、わが本土に進軍してきたペガシャールの国の軍を完膚なきまで蹴散らせと、そんな容易な命令だった。

 敵はまだ、国内に侵入してきてはいない。まだ国境に近づいてきているだけでしかない。

 俺たちはあくまで偵察。敵の規模、実力、進軍速度を図ってこればいいだけの簡単なお仕事だった。


 初日、二日目は、その進軍の遅さに呆れかえっていた。なぜそんなに遅いのかと思えば簡単、あんな重そうな鎧を着て進軍など、出来そうにもない。だが、疲れ切ってなお警戒心だけは張り巡らせ、回復魔法で疲労を回復させつつ交互に見張りに立つ姿は、それだけで熟練の兵士たちを思わせた。

 三日目、その進軍速度に合わせて不満が出てでもいるのだろう。鎧の部隊と、その近隣に集う明らかに手練れの集団以外の、雑兵みたいな集団の統率が乱れ始めた。

 もともと大して脅威に感じられなかったが、ここまで統率が乱れれば、簡単に下せるだろう。我が国に侵入される前に壊滅させる。それが一番手っ取り早い。俺はにやりと笑う。


「お前ら、英気を養っておけ。ありゃ格好の餌食だ。明日は食らいつくすぞ!」

小声でささやくような命令。しかし、仲間たちも笑みを浮かべて、小声で「応!」と返す。たった30人の小さな部隊だが、それでも敵を散らすには十分と言える……俺たちの目から見えるペガシャール王国の軍は、そういうものだった。


 翌日は、進軍速度が上がった。いや、上がったなんてレベルじゃない。倍以上だ。昨日までは一時間に3キロ程度にしか走れなかったくせに、今日になって7キロくらいまで進んでいる。徒歩の軍としては破格すぎる速度だ。

「だが、その代わり鎧は脱いだみてえだな。」

あんな重たそうな鎧を着ていたから遅かったのだ。それは間違いないことだが、同時に鎧を着ている部隊が鎧を脱いだということは、臨戦態勢になるまでに時間がかかるということだ。

「ラッキーだな。」

もともと、その部隊は放置するつもりだった。たった30人で熟練と思われる舞台に突っ込む無謀はしない。しなくとも、それら以外の軍が壊滅すれば、士気が落ちる。士気が落ちれば戦意が下がる、戦意が下がった軍は、軍同士の衝突での踏ん張りがきかなくなる。

「戦う前から戦わせない。それが目的だ。敵を攪乱、出来る限りの兵士を減らしつつ撤退。出来るな?」

「は!」

全員が元気よく答える。ペガシャール王国軍の歩兵はフラフラだ。あの、鎧を着ていたものと思われる部隊とその周辺約1万人ほどは元気そうだが……それ以外の、おそらく寄せ集めの貴族軍5万近くは、完全に疲れ切って座り込んでいる。


「歩兵だけを狙え!騎兵は相手にするな、敵陣に突っ込んだ後、中央には入らず、脇腹のみを軽く撫でろ。突撃!!」

ペガシャール王国の力量、今ここで量らせてもらう!




 突撃された。私に理解できたのは、それだけだった。ここはまだペガシャール王国内……というほど私も耄碌していたわけではない。盗賊が横行するこの国で、奇襲の心配をしていなかったわけではない。

 だが、無茶な行軍で疲れ切ったところの、奇襲だった。気が緩んでいたのは、兵士たちだけではない。私もだった。


「フィリネス侯爵軍に告げる、敵襲!混乱するな、同士討ちをするな、迎撃ではなく護身に徹せ!」

今は迎撃を命令してはならない。気が緩んだ場面での敵襲だ、兵士たちはまず間違いなく混乱している。迎撃の指示を与えたら、その瞬間に同士討ちの始まりだ。

 護身なら、その心配はある程度減る。ゼロにはならないが、それでも味方を殺しさえしなければ、立て直しのしようもある。

 ……敵が、私たちと同じ程度の練度であったならば。

「指揮は正解だった。失敗は、兵士たちの訓練が甘いこと。……それ以上に、あんたが無防備すぎたこと。」

声が聞こえ始めた時点で、即座に体を伏せる。頭上を何かが突っ切っていく音がした。


「なんとまあ、お前、そこそこ出来るのか。」

「昔取った杵柄、というほども強くはないが。貴族としての最低限の戦闘術は学んでいます。」

脚で馬の腹を蹴る。前進の合図を受け取って、愛馬が走り出す。

 向こうの馬は既に速度がついていて、私の馬は今走り出したところ。槍で突こうとしても追いつけない。だが、敵の顔を見ておく必要はある。

 騎兵たちが将らしき人物のまわりに続々と集まる。全員騎兵で作られた部隊は、本当に少数人しかいなくて驚いた。この人数で六万の大軍によく奇襲をかけようと思えたものだ。だが、その正しい判断には脱帽する。

 もし私が同じ練度の兵士を率いていたのなら、私もそうする。彼らの不運は、最初に奇襲したのが私の隊だったこと。確かに私の領の軍は練度が低い。少し後悔してしまうほどに低い。だが、兵士の練度と指揮官の力量が同じとは限らない。他の指揮官に奇襲を仕掛けていたら、彼は成功できただろう。


 彼も分の悪さを感じ取ったのだろう。次の部隊に攪乱に行くには、後ろでしがみついている私が邪魔に違いない。

「……ち、撤退だ、ずらかるぞ!」

ここで足を止めて私を殺してから奇襲をかけるか、撤退するか。敵の頭にはその二択が過ったのだろう。そして、撤退を選んだ。

「……ふう、助かりました。」

兵士の練度を意地でも上げなければならない。しかも、行軍と並行して。難題に頭が痛くなったが、同時に、今でよかったと思う。

「奇襲がなければ、兵士たちに危機意識を持たせることは叶わなかったですし。」

それに、チラリと見えた敵将の顔。あれが事実なら……敵は、思った以上に厄介だ。

 私も、もっと戦争の意識を持たなければ。そう、改めて、思った。




 リュート=イーディス=フィリネス。思った以上に厄介な男だった。昔、傭兵として雇われたときに見た彼は、貴族という言葉を結集したような絢爛豪華な男に見えた。領地経営は上手くいっているとは言い難く、失敗しているとも言えない微妙な発展具合。その割に、家や服飾には明らかに豪華なものを仕立て、着ていた。

 だから、そこまで強くないと踏んでいた。どうせ腐った貴族たちと同じように、自分のことしか考えていないような輩だろう、と。

「指揮は平凡か、それよりわずかに上程度。優秀とは到底言えないような実力ではあったが……。」

しかし、無能とは言えなかった。無能を前提で突っ込んだせいで、こうして撤退を余儀なくされている。


 あの場であの侯爵を殺すのは容易い。だが、転進するためには馬の脚を止めなければならない。減速しながら回るとしても、180度回転するにはそれなりの時間とか、停止に近い減速が必要となる。

 ダメだ。そんなことをしていたら、敵中心にいた強そうな騎兵隊に攻撃される。勢いの乗った千近い騎兵たちに、減速した30の騎兵で敵うわけがない。生き延び、偵察の任を確実に果たすためには、奴を殺すことよりも逃げ出すことを選ばなければならなかった。


「失敗した、失敗した!これで賢い奴はすぐさま兵の調練を始める。圧勝予定だったのが遠ざかる!」

勝つことは出来るだろうと、俺は思う。だが、圧勝にはならない。瞬殺にはならない。もしも予想外の援軍でもあれば、負ける可能性すら浮かび上がってくる。

 この失敗は戦場で。そう思い、彼はひたすら帰路を走る。


 彼の名はサウジール=グレイドブル。『青速傭兵団』の副官の一人。

「しかし、フィリネス侯爵は中立派閥の貴族だったはずだ。どうして我が国に進軍してきた……?」

彼らはまだ、『王像』の降臨を、知らない。

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