51.遠くより王は思う
ペガシャール王国王都ディアエドラ。ペガシャール王国という王国にあって、その国を象徴するべき重要な地。
異臭漂うスラム街、少しマシな平民街を通り過ぎれば、華美な装飾と美しい街並みに彩られた貴族街が現れる。それはまるで、そこまで通り過ぎてきた街並みと比較すれば異世界のように美しく……目では映る地だ。
もしもディアがこれを見れば、「どこが王都だ」というだろう。美しいのは貴族街だけ、すなわち、平民街をきれいに保つ金がない、という素晴らしい暗示である。
その中でも、一等華美に彩られた巨城が1つ。防備など考えられていない、ただ美しさと荘厳さで人々を圧倒することが目的の城だ。
「ゼブラ公国へ出兵、過日の領土を取り戻そう。帝国の連中は……誰が向かった?」
「フィネリス侯爵以下、落ち目の貴族たちです。一発逆転を狙う腹かと。」
「で、あろうな。『ペガサスの王像』があり、王は余らの上に国を築くではなく新たに国を建てる方向で舵を切った。それは即ち、王国時代の体制をそこまで重視しないという意味でもある。落ち目の貴族はここで戦功をあげねば切られる。」
オケニア=オロバス公爵のように、いまだ財と力を保持しているわけではない。エドラ=ケンタウロス公爵のように、ディマルス近くの土地を代々受け継いでいるでもない。ただの落ち目の侯爵たちとしては、ここで有用性を示さなければ、家を取り潰される可能性すら大いにあり得るのだ。
その代表的なモデルケースが、1つ。“護国の槍”ミデウス侯爵家の、『元帥』落ちである。コーネリウス=バイク=ミデウスが『将軍像』になり、デフェール=ネプナスが『元帥像』になった。王国の風習に従うなら、逆であるべきである。
言い換えるならば、“護国の槍”すら風習に倣われないという事実は、ほかの貴族たちもその流れに乗るかもしれないということであり……貴族たちは、その恐怖にすでに勘付いている。
貴族というのは、とんでもなく生き汚い。いや、優秀な人間というのは、というほうがいいだろう。心が、思想が、立ち回りが醜い人間であれば醜い人間であるほどに。生き汚く、最後までみっともなくあがき、結果として少なくとも死ぬことはない。
生き汚い、醜いということは、それすなわち優秀であることの証左でもあり……貴族家は、何より、生き残ることに長けている。
その貴族たちの生存本能はこう告げただろう。「このままでは、貴族としての地位を保つことは叶わない」と。貴族であるから好き勝手出来たのは、好き勝手することが生死に関わらなかったからだ。逆に言うと……生死に関わる場面では、奴らは驚異的な理性を見せつける。
だからこそ、多くの貴族家は前に、前線に出る。そこで功績を挙げることが、貴族として生き残るための最短で、かつ確実な手段であると理解できるゆえに。
「その目論見を、アシャト自身もよくわかっておろうな。」
ペガシャール帝国は、帝国を名乗ったものの実質的な力は王国にすら劣り、そもそもここ百年以上にわたる悪政の結果、国土全体に総じて金がない。財政的に余裕がないだろう。
王国が金を持つよりも、盗賊義賊がため込んだ財のほうが多い、それが現ペガシャール王国の実情である。帝国を名乗ったとは言え領地は旧王国と変わらない。内情はたいして変化がない。いくつかの賊がアシャトに屈したとはいえ、国内の賊のほんの一部であろうし、何より……
「金で腹は膨れぬ。」
もう食料がないだろう。アシャトはその不満を、ゼブラ公国に攻め込ませることで解消しようと考えている。同時に食料も奪えればラッキー、というところだろうか。
それだけでは、ない。アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアは、出来る限りの貴族家の抹消を図っている。新たに取り込んだ『像』。貴族であるという話を、とんと聞かない。つまり、直轄の新興貴族を新たに作ることを意味している。
「一年、いや、二年か。」
奴が稼ぎだしたいと望んでいる時間。アダットとレッドの争いが激化していれば、おそらくそれくらいの時間は稼げるだろう。それだけの時間があれば、ペガシャール帝国……いや、ディマルス周辺だけなら、農地の回復も叶うだろう。
希望的観測ではある。何より、余がその目論見を叶えてはやらぬ。だが、逆に言えば。第三者……いや第四者からの介入がなければ叶うという匙加減である。
「厄介なやつが生き残った。そう思わぬか、クシュル?」
「厄介であろうとなかろうと、“護国の槍”の責務は変わらず。」
見下ろされた先。鉄面皮に鋼の髪という、鍛え抜かれた鋼鉄を思わせる姿を晒す男。クシュル=バイク=ミデウスがただただ静かに佇んでいて。
しかし、そんなクシュルの名を呼び、見下ろす男の目は、モノを見る目と変わらない。
いや、実際その通りなのだ。ペガシャール王国という国にとって、ミデウス侯爵家という伝家の宝刀は、魔剣聖剣以上の武器でありながら、究極の一太刀でしかない。だから、王にとって“護国の槍”とは、振るうべき槍でしかないのだ。
「息子を『ペガシャール帝国』に送ったと聞いたが?」
「然り、あれは未だ“護国の槍”に非ず。槍は我が身一つなれば。」
「そうか。まあ、よい。」
クシュルと話す男がため息をついた。この男は槍だ。槍の子は、まだ槍ではなく人である。そう言っているのだと、この男と、いや、この男の家との付き合いが最も長い男は息を吐いた。
こいつも槍ではなく人だ。子を斬首刑にしたくはなかったのだろう、という事実を、誰よりその男は理解している。この世に『王像』が現れ、しかしてそれらは王国ではなく帝国を名乗る。どう足掻いても、王国と帝国の衝突は避けられない。
「アシャトは帝国を名乗るにあたって、国庫の回復を図り、新興貴族を大量に興し、0から国を作るという体を取る。そのために初期費用だ。」
国内一部の内政を必死に行い、国を一つ二つ滅ぼし、あるいは接収して、最後にペガシャール王国を滅ぼしてしまう。その程度で完璧に整うほど、国というものは軽くなく、財政というものは甘くない。だが、アシャトはその問題を、実にあっさりと、単純な方法で解決するだろう。
即ち、現行貴族の内、殉職し後継の子がいない貴族家をそのまま接収。それに伴い、持ち家貴族の解散、財産の没収。国に一度全ての財を戻し、国庫の中身と今後の動きを大まかに決める。残った財を、新体制の貴族たちに、爵位に見合った割合で配分すればいい。金額でではなく割合で、という部分が肝だ。
帝国は王国を滅ぼし、新たな国となる。帝国という新体制のため、今進軍中の貴族たちが、どれだけ奮闘したいと願っているか。恩賞の為に戦おうと、出世のため、現状維持のために戦う決意をしているか。
その決意が、貴族たちを死地に追いやり、その命の灯を消していく。
戦争という大義名分があれば、自然に貴族たちを消していくことが出来る。それを知らないのは、貴族たちだけだろう。……いいや、知っていてなお、突っ込まざるを得ないのが、貴族たちか。
「“護国の槍”よ。我が息子は、どうだ?」
「どう、とは?」
「貴様が仕えるに相応しい器か、と問うておる。」
「器の有無は関係なく、我が槍はただ護国のためにこそ振るわれまする。」
またこの問答だ。こちらが折れるまで、きっと延々に繰り返される問答であろうと、そんなものはよくよく理解しているつもりだった。
「……そうか。では我が槍よ。その身を我が息子に、アダット=エドラ=アゲーラ=ペガサシアに預ける。今の握り手は息子である。ゆめ、そのことを忘れるな。」
「お断り申し上げます。“護国の槍”を振るう資格は国王の身にあり、貸与の命は受けますが、真の持ち主は今上のみでありまする。」
全く、頭の固い。その上、頑固に考えを改めることもない。
はっきりと言えばよかろうに。余以外に、仕える気はない、と。槍なら槍らしく、誰が握ろうと振るわれればよいだろうに、「資格」「貸与」というのだから。
「……なら、命令を変えよう。死ぬなよ、クシュル=バイク=ミデウス。」
「委細承知。たとえ地獄の業火に炙られようとも、槍は持ち手の元へと帰るでしょう。」
黙り込んだ。それを、奴は話の終わりだと捉えたらしい。踵を返して歩き出す槍に、ついつい、その言葉を発してしまった。
「なぜ、そこまで“護国の槍”に、拘る?」
出口の付近でピタリと止まって、500年の長きにわたって槍を担いし貴族は答える。
「“護国の槍”は王国の礎にして風習。“護国の槍”が“護国の槍”である限り、王国もまた王国でしょう。」
王国があるから槍があるのではなく、槍があるから王国があるのだとバイク=ミデウス侯爵は言った。
「槍が折れた日。少なくとも、国の最後の要の槍が砕け散ったその時こそ、ペガシャールの新たな幕開けとなるでしょう。」
老害は老害らしく、老害として抗う。そう言いたいのだと、気付いた。その言葉に、その真意に。懐かしい友の声に、呵々大笑とばかりに笑う。
「デファも、そういうと思うか?」
「あいつはずっと否定していたじゃないか、アグー。奴はこんな俺を見たら、ほほをひっぱたくさ。」
「そうさなぁ。あいつはギュシアールの弟だった。どこまでも現状に嘆き、どこまでも現状を打破しようと足掻く奴だった。俺たち、現状を維持しようとする男たちとは真反対の奴だった。」
だからこそ、道を違えた。どこまでも本気でぶつかることが出来なかった。
俺たちは、俺たちだったから。なんとかして、俺に現状を打破してほしいデファールたちと、何とかして、現状維持に努めたい俺たちは、それでもこのペガシャールの人間だった。
「好きに戦ってこい。帰ったら、勝っても負けても酒の肴にさせてくれ。」
「ああ、わかった。そこでふんぞり返って待っていろ。」
そう言い残すと、アグーリオ=エドラ=アゲーラ=ペガサシアの御前を、クシュル=バイク=ミデウスは今度こそ去って行った。
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