50.ゼブラ公国へ
5公5候10伯14子29男34騎。これが、ペガシャール王族直属貴族の総合数である。いや、であった、の方が正しいだろう。現在、ペガシャール王国内にそれほどの公属貴族はいない。名前や血統そのものは受け継がれていたり、変わったりしているものの……直轄貴族家としての名声威厳を保っている家など、そういない。
五公爵家。エドラ=ケンタウロス=ペガサシア公爵家。オケニア=オロバス公爵家。アルス=ペガサス公爵家。エドラ=ラビット=ペガサシア公爵家。そして、エドラ=ゼブラ=ペガサシア公爵家の、五公爵のことを指す。
60年前、エドラ=アゲーラ王朝に呆れ果てたゼブラ公爵家が離反するまで、五公爵は五公爵としての素晴らしい威光を維持していた。……最近はそうでもない。
エドラ=ケンタウロス及びオケニア=オロバスは威光を保ち続けているものの、アルス=ペガサス公爵家はアダット派を支援するあまり、王宮の浪費に釣られるように徐々に没落。
エドラ=ラビット公爵家はレッドの将来性に依存することでかろうじて威光を保っている一族になった。少し違うか。……この家は、実力はエドラ=ケンタウロスやオケニア=オロバスと大して変わらないのだが……レッドを推す力が出すぎて、それ以外が印象に残りにくくなったのだ。
政争はカネを消費する。政争の激化は、かのアルス=ペガサス公爵家ですら凋落させる力を持つ。
一番の勝ち組は、そんな政争からさっさと抜け出し、国として領地を維持するエドラ=ゼブラ公爵家だろう。そんな公爵家が建てたゼブラ公国に、今からペガシャール帝国軍は進軍する。
「フィリネス侯爵。アーネルド伯爵、ビリッティウス子爵。我が『像』たちとともに戦果を挙げること、心の底より期待している。」
「もちろん、承知いたしております、陛下。朗報をお待ちくださいませ。」
フィリネス侯爵が代表して答える。その後ろには、公爵家や伯爵家の直轄貴族がズラリと並び、俺の号令を待っている。
こう見れば、壮観だ。そこまで軍備が整っていないのが哀愁を匂わせるが、しかしその総員10万にものぼる大軍ともなれば威容もまた優れて見える。
「貴君らの目標は、ゼブラ公国の完全占領である!ただし、軍と賊のみを相手せよ!民間人に手を挙げること、民たちの財を取り上げることは叶わぬ。必ず、軍と賊のみを相手せよ。」
非常に軽い表情で、貴族たちは聞いている。
多くの貴族の財政状況は火の車だ。借金とまでは言わなくとも、もはや爵位に見合った最低限の見栄を張り続けるに足るカネがない。新たな財力を増やすより、他所からかっぱらってくる方が、当座のしのぎとしてはやりやすい。
そもそもゼブラ公国への出兵も、安定した財のある公国を取得し、ペガシャール帝国の軍事費用とするためである。それ以上に、帝国より豊かなゼブラ公国の食糧を確保することが目的である。
俺にその目的を果たさせれば、ある程度の略奪は認めてくれるだろう……という思惑が透けて見えるようだ。
「『ペガサスの将像』コーネリウス=バイク=ミデウス。我が陣営に加えられた新たな『像』よ。我が帝国の礎たる、素晴らしき『像』であれ。」
遠慮はいらない、容赦なく斬れ。そういう意味である。『像』の意味を理解しているのなら、そう失敗はしないであろう。
「承知いたしました、我らが王。我が槍に誓って、吉報をお持ちいたします。」
国に損となることは決してせぬ。その答えに対し、俺は素直に頷いた。
貴族たちより一歩前で、立派な武装に包まれた俺の『像』たちに視線を移す。歩くことすら億劫そうな巨大な鎧に身を包み、俺の下賜した剣を腰に提げた男。その鎧は赤く輝き、人間大の要塞のような、そんな雰囲気を漂わせている。
『ペガサスの連隊長像』、“赤甲将”ペディア=ディーノス。この部隊の前線指揮官であり、コーネリウスの忠誠を確認するためにいる男。彼の瞳は兜に隠れて見えないものの、視線に込められた力は非常に強い。
相方たる天馬を傍に携え、金と銀があしらわれた槍を背に負った少女。戦場に似つかわしくない、些か女性らしいシルエットは、言い換えれば天馬に負担をかけないため、最小限にとどめられた武装の結果。天馬隊を率いる彼女は、この軍において最大の切り札となるだろう。
『ペガサスの騎兵隊長像』、アメリア=アファール=ユニク=ペガサシア。彼女は、俺に、任せろというかのように頷いた。
そしてその隣には、栗毛の愛馬を傍らに立たせ、紫色の棒を背負った長身の青年。おだやかな笑みの内に潜む激情がどれほど戦場で猛威を振るうか、俺はその身で体感した。
『ペガサスの騎馬隊長像』クリス=ポタルゴス。紫色交じりの髪が風に揺れた。
そんな二人の中間、一歩下がったところで。ペガシャール王国時代から統一された一般的な鎧を纏う青年。こういう場面に不慣れなのか、周りが貴族ばかりで気後れしているのか、あまりに緊張した表情は俺も思わず笑いかけるほどに硬い。しかし、戦場では素晴らしい指揮力を持ち合わせていることを、俺は知っている。
『ペガサスの砦将像』、エリアス=スレブ。
最後に、彼ら三人に隠れるように、ともすれば商人と見間違えられそうなほどの軽装に身を包み、軽い剣を携えた男。ともすれば場違いと捉えられかねない大量の布で覆い隠されたその姿は、彼の戦闘方法が服に縫い付けられた大量の魔法陣だと知らなければ、変人にしか写らないだろう。だが、その実力は、『像』の力を解放したクリスに勝るほど優秀だ。
『ペガサスの兵器将像』ミルノー=ファクシ。
そして、目付け役に近い大将の一人。若い者ばかりで構成されたこの軍を見守り、また戦勝後の処理を一手に担うものとして同行する文官。目が大きく、そして少し広くついた特徴的な顔をした、白髪の老人。
「オロバス公爵。任せるぞ。」
オーガスタ=オケニア=オロバス公爵。彼直々の出陣である。彼は礼儀正しく頭を下げると、少し高い声で答えた。
「承知いたしました。偉大なるペガシャール帝国の皇帝、アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシア陛下。偉大なる『ペガサスの王像』ディア様。必ずや、吉報をお届けいたしまする。」
地声であるとわかっていても、ちょっと耳に響く声である。狙っていないとわかっているのに、嗤ってしまいそうになるのはどうしたものか。
総大将はコーネリウス。軍師はオケニア=オロバス公爵。すべてを言い渡し、俺が背を向けた瞬間、コーネリウスが叫んだ。
「全軍!進軍開始!!」
のちの歴史家は、このゼブラ公国への進軍についてこう語る。
「それが正しかったか、間違いだったかは、あの時代の歴史がすべてを物語っているだろう。だが、確実に1つ言えるならば。アシャト帝のその采配は、ペガシャール帝国が初めて帝国として他国を侵略したときであり、帝国としての産声を上げた瞬間だった」と。
三日後。コーネリウスは将校を天幕に招集した。
「予想はしていたが、進軍速度が遅い。」
コーネリウスたちが泊まることになる地で張った会議用の天幕で、はっきりと言う。予想されていた事態ではあった。それでも、予想以上に遅かった。
原因は明白である。ペディアが頭を抱えて項垂れる。
「すまん。」
「いや、仕方がないだろう。私もあの『超重装』は一度着た。あんなものを着て、遅いとはいえ半日動けるあなたたちの方が私は怖い。」
自分には無理だし、自軍の兵たちにやれとも言えん、と囁いたコーネリウスの目は真剣だ。本気で、無理だと思っている。
それが最上の誉め言葉であると知りつつ、ペディアは情けなさを隠すこともまたない。
「傭兵なうえ、もともとあれほどではなくても重たい鎧を着て戦うことで名を馳せたんです。動くだけなら問題ない、ですが……。」
「行軍となると明らかに厳しい、と。何もおかしくなどない。軽量化の魔法も、魔力が持つ限りしか使えない。私の『将軍像』の力やあなたの『連隊像』の力を行使するのも、なかなかに難しい。」
いつ、どこで、どんな賊が近くにいるのかわからない。所詮貴族たちは烏合の衆、ペディアたちはあてにしていない。
だからこそ、『像』の能力は出来る限り使わずにおく必要があった。ゆえに、ゼブラ公国への進軍は、予定よりもはるかに遅れが出ていた。
「とはいえ、手段はあるか?」
「作り出さなければなりません。貴族たちが行軍の遅さにいら立ちを見せている。落ち目の貴族たちだけなら構いませんが、兵士たちまでが言い出したら収拾がつかなくなります。」
予想されていたことだった。超重装の重さは、軽く60キロを超えるのだ。打撃武器で簡単に衝撃が伝わらず、容易に切れず、魔法陣を複数個所に刻印するという方式は、一般的な全身鎧にかかる40キロ前後の重さよりもさらに重いことを是とされる。
この超重装のコンセプトは、騎兵の正面突撃にすら耐えうること。それが果たされるだけの防御力の代わりに、機動性はないに等しくなるほど失われた。だが、それを知る兵士、貴族ともに少ない上に……知っていたら、不満が別の方向へと流れただろう。
即ち、アシャトはどうしてこんな欠陥品を正式に採用したのか、と。
その、絶望的にない機動性を、単純な身体能力で補って動き回っているのがペディアたち『赤甲傭兵団』である。
進軍速度低下に対する対策など、1つしかない。僅かな溜息をつき、彼はそれを口にする。
「……もしも、もしもだぞ。『超重装』を脱いで行軍するとなったら、お前はどう思う、ミデウス侯爵?」
「まず、着て歩くのと背負って歩くのに変わるだけで、行軍速度に変化はないでしょう。それに、不意の襲撃に困ります。貴族たちを当てにしていない以上、“赤甲将”の部隊が万全であってほしいです。」
騎馬隊では小回りが利かないうえ、一所にじっと留まる戦い方は出来ない。
コーネリウスの軍が最後の砦であることを考えれば、不意打ちに対応する軍は基本的にペディアの連隊、ということになる。だが、それそのものにペディアは異を唱えた。
「いや、不意に盗賊たちに攻撃されても、貴族たちに対処させるべきではないか、と俺は思う。行軍の時点から既に貴族たちを篩にはかけておくべきだ。」
腐敗貴族の一掃を確約したアシャトの為に。そして、帝国化を目指す以上、せめてそれくらいは達成できる指揮官がもっといてくれないと、将来困るので。
「……そうですね、私もそう思いますわ、ミデウス様。ゼブラ公国と戦うのは私たちが主になると思われます。しかし。私たちだけで勝てるとは到底思えませんわ。」
「アファール=ユニク子爵令嬢までそうおっしゃるのですか。」
未来を見据えて告げた言に、アメリアが乗っかる。アメリアはアメリアで「そんな安直な篩にするのはどうだろうか」とは思っていたが、それ以上に『像』にだけ負担がかかるかもしれない状況を変えるべきだと判断した。
二人に反論されたコーネリウスは、わずかな逡巡の後、納得する。好ましいとは思えない答えでもあったが……相手は“赤甲将”と名を馳せる凄腕の傭兵と、令嬢とはいえ子爵家の娘。ましてや、その兄は……陛下の義弟。
わざわざ戦争序盤から内輪もめをするような問題でもない。していい相手でも、ない。
サラッと流すことを決意したコーネリウスに、しかしアメリアは躊躇なく追い討ちをかける。
「……コーネリウス=バイク=ミデウス侯爵。おそらく時間がなく知らなかったのだと存じますが、我がアファール=ユニク家は現在侯爵へと陞爵しております。」
一瞬、その訂正に「今する?」とばかりに目を剥いたコーネリウスだったが、すぐさま失礼した、と頭を下げる。一言で終わるなら、無知をズルズル引きずるよりはマシだろうと判断した。
「侯爵令嬢までそうおっしゃられるなら、露払いは貴族たちに任せてもいいのでしょうか?」
話は決まったのかとばかりに割り込み、問いかけてくる男が一人。
「そうだな、『将軍像』閣下。ゼブラ公国との戦う時、統率の取れない味方が多くいればそれだけ敗戦の可能性も高まる。道中、きちんと統率が取れるか、各『像』なくとも戦えるか……確認しておく必要はあると愚考する。」
そして、その問いに同意する、これまた先ほどまでは無言を貫いていた老人が一人。
「オロバス公爵までそうおっしゃるか。ならば、そのように通達しよう。で、ミルノー。どうしてそのようなことを聞いたのだ?」
「『超重装』は、私が責任を持って持ち運びいたしましょう、ミデウス将軍。明日から、全力で駆けるべきであると進言いたします。」
この戦役で生き残った兵士たちは、後にこう語る。
「『超重装』を着て動けるということが、どれほどのモノか。あの進軍の日々で嫌と言うほど思い知った」と。
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