38.皇帝宣言

 俺は怯えていた。なぜなら、それは俺にとって、おそらく最後の、人生の転機だからだ。

 ここから先は、俺自身が決断を下すことは増えても、人生の転機とはならない。結局国の問題そのものである。


 今日のこの宣言を終えたその瞬間から、俺の決断は、俺の決断ではなくなる。すべて、国の決断となるのだ。だから……本当の、決意表明に近いこの宣言は、アシャト個人に許された最後の転機と言って過言ではない。

「緊張しているな、アシャト。」

黒の長髪が舞台袖で笑みを浮かべた。わかりきったことを聞くなよ、恥ずかしい。

「当たり前だ。俺はあくまで凡人だぞ。お前のような天才とは違う。」

「ああ、そうだな。お前は凡人だ。凡人だが、ディアに認められたんだ。お前は立派な王になれるさ。」

エルフィの言葉が心に痛い。本来、俺と彼女では立ち位置が逆でしかるべきだったのだから。俺が女でエルフィが男なら、こんな苦慮をせずに済んだのだろうか。


 息を吸う。そして、息を吐く。

 何度も何度も繰り返し、心を落ち着かせる。今は、弱気になっていい時ではない。

「兄貴は怖がりだなぁ。」

「この場で何も考えなくていいお前が羨ましいぞ、俺は。」

ディールの暢気な声に、一瞬俺の緊張感は緩和された。だが、ほんの一瞬のことである。


 こいつの役目は俺を護ることだ。ずっと緊張感を持ち続ける必要はどこにもない。緊張感などしなくとも、こいつは油断することはない。護衛としては、これ以上ない最高の男である。

「……お前が緊張していようと、時間は近づいているぞ?」

「言うな。わかっているから。」

エルフィの言葉に、深呼吸をしながらも答える。俺のお披露目はもうすぐだった。

「お前は前に座っているだけでいいんだ、アシャト。お前は最後の一言さえ言えばいい。」

「わかっているさ、エルフィ。……わかっているはずなんだ。」

それでも緊張するから、こんな話をしているのではないか。そんな愚痴を、寸でのところで呑みこむ。


 王は強くなければならない。だが、それは人から見たときの話。あの王様は頼りになると、周りから見られればそれでいい。

 自分が弱いことを自覚していて、弱音を吐きそうになっても、人前で漏らしてはならない。それが、王たる俺の責務である。

「アシャト。……弱音くらいなら吐いていいんだぞ?」

「何のことだ?」

俺はとりあえずとぼけて見せる。すると、エルフィは深々と息を吐いた。

「王は孤高である必要はあるがな、孤独である必要はないんだ、アシャト。」

エルフィは俺の肩にそっと手を置いて、言った。

「お前には、俺がいる。安心しろ、これでも王族としては最も優れている自信がある。」

エルフィが俺を心配していることが、その瞳から伝わってくる。だからこそ、余計に俺は彼女に頼ることを躊躇しているのだ。


 エルフィは俺のそんな葛藤を見抜いているかのように微笑むと、俺の耳元に顔を寄せて言った。

「安心しろ。お前が王になるのと同じに、俺も王妃になるわけだ。荷物は二人、平等さ。」

「皇帝と皇后だろう。……そうだな、ありがとう、エルフィ。」

こんな言い方をしているが、エルフィが俺を想ってそう言ってくれているのは間違いない。それに、妻にくらいは心中を打ち明けたらどうだ、と遠回しに言われている気分だった。

「兄貴。俺もいるぜ、忘れるなよ?」

「お前は俺が言ったことを全部人に言いそうだからなあ。」

「言わねえよ。国のことなど、俺に興味があるもんか。」

そう、俺の弟は、馬鹿だ。戦うことにしか興味はないだろうし、だからこそ寄せられる信頼というのは、当然ある。


 それに、こいつやペテロとは、俺がディアと出会う以前からの仲だ。素の俺を出していても、いいのかもしれなかった。

「さて、行くか。」

天幕の先で、ペテロが俺の紹介を終えた。微かな目配せで、俺が呼ばれたと気付く。

 スッと軽く息を吸った。背筋を伸ばす。俺はこれから、国の全てを背負いに行く。国の未来を、俺の夢の為に投げ打ちに行く。


 黄色の衣。同じ色の絹の内衣の上に、その中身がほとんど見えぬように仕立てられた、同じく絹を重ねた上衣。

 靴は白。天馬を示す純白を足に敷く。神の上に立つ、王の沓だ。

 その上に燦然と輝く、黒い冠とその上に乗る銅色の延。端から垂れる玉飾りは、国の色たる白と赤、そして国王にのみ許される、金の玉飾り。

 一ヵ月でかろうじて修繕が間に合った唯一の国王衣裳を纏って、俺は生涯戦争の道に向けて舵を切る。




 まっすぐに進んだ先、上座に燦然と輝く、玉座。俺はゆっくり、そこに腰を下ろす。

 玉座の重みを、座って、見下ろして、もろに感じた。そこにいたのは、アダットとレッドを見限って俺についた貴族たち。

 これだけの数がいることは、数字の上では知っていた。書類で見る人の数と、実際目にする人の数では、やはり重みが全然違う。

「ペガシャール王国国王、アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシア陛下である。」

ペテロの合図とともに、全員が一斉に首を垂れる。一瞬感じる全能感と、それを上回る無力感。


 この貴族たちが忠誠を誓う先は、『アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシア』でも、『ペガシャール王国』でもない。

 『ペガサスの王像』だ。彼らの忠誠心は、最初の最初からそこにある。

「面を上げよ。」

俺の言葉が響き渡っても、誰一人頭を上げない。ディアの言葉を、彼らは待っているのだから。

「そなたら、ディアは何も言わぬぞ。彼は余の正統性を主張するためだけの存在だ。」

「陛下。彼らにその文言は通じませぬ。」

ペテロにわかっておる、と返す。しかし、正直な話、この状況を容認するのはいただけなかった。なぜなら、この大陸の治安が悪化した原因は、おそらくこの『王像崇拝』にあるのだから。

「諸兄らは、この国の王が誰か、知らないようだな。」

俺の言葉に、貴族たちがうざそうな表情で俺を見上げる。俺という『国王』を見ているのは、おそらく俺の真正面でこちらを見ているオケニア=オロバス公爵とエドラ=ケンタウロス公爵くらいだろう。彼らとて『アシャト』ではなく『国王』『玉座』を見ているのだからどれほどまでに俺が軽いか。


 それ以外は、俺が飾りでディアが崇拝すべきものであるという態度を、全く崩そうとはしなかった。これ程まで露骨に、俺が非礼を咎めても。

 人の世を治めるのは、人の王である必要がある。それは、神の使徒が頂点であるという視点を崩すところから始めなければならない。きっと、今までの『王像の王』は……そこを、変えられなかったのだ。


 俺が人の王たるための方法はいくつか考えられる。一番わかりやすい方法は、ディアを尊敬できないと思わせてしまうまで貶めることだ。だが、さすがにそれはすぐにはできないし、ディアとの仲が険悪になる可能性もある。

 どころか、『神』の力を得ておきながら『神の使徒』を軽視する王として、この場に集う大半の貴族たちに離反される可能性も、否めない。


 次に、ディアに俺の言うことを聞くように命じてもらう方法。それは、最も単純で余計な手間をかけずに済む方法でありながら、一番俺が困る方法だ。

 結局彼らは俺に従っているのではなく、ディアに言われるままに俺に従うという末路を生んでしまう。それは、国民意識の改革を為さねばならない俺にとって、最もとるわけにはいかない手段だ。


 なら、とり得る手段は最初から一つ。ディアよりもはるかにしっかりと、俺が国王であり、お前たちは俺に従わなければならないのだと認識させることが必要だ。

 できなければ、俺はディアの傀儡の王で終わってしまう。もちろん、その実態が別であったとしても、だ。人は見たいものを見たいように見る。そこに実体如何は関係ない。


 それを認めてやるわけにはいかなかった。それを受け入れれば、再びディアたち神の使徒がこの世に降り立たなくなった時、再びこの世界は荒廃する。

 だからこそ、今打てる最大の手を打った。……たとえ悪かもしれずとも、荒療治が必要だと判断して。


「ディール、オベール、エルフィ。」

「「「ハッ!」」」

俺の背後に控えていた『衛像』二人と、俺を見守る位置で立っていたエルフィを呼び寄せる。これは、これからやることは必要な判断であると心の中で言い聞かせ、彼ら三人に命令した。

「国王を敬わぬ不敬者を断罪せよ。仕えるべき主を誤っている臣下は必要ない。」

「お、お待ちください陛下!!」

命令した途端、貴族が一名、踊るように飛び出してくる。慌ててその男は俺の前で跪いて言った。

「理由が納得できません!」

いきなり、俺の言葉も待たずして話し始める。ディールにチラリと視線をやって、発言後に、という合図を送ると、怒鳴った。



「誰が発言してよいと言った?」

言い切った。直後に、ディールの槍がその貴族の喉元を突き刺し、謁見の間が血に染まる。

「思い出せ、貴族ども。お前たちが誰に、何に仕えるのかを。お前たちの先祖が、どうしてペガシャール王国を興したのかを!!」

血の匂いが充満する中、オケニア=オロバス公爵とエドラ=ケンタウロス公爵がまず真っ先に首を垂れる。


 その後に続くように、ほかの貴族たちも頭を下げ始めた。

 王宮、謁見の間であろうとも遠慮なく人を殺すという狂気。従わない臣下はいらないという強固な姿勢。

 何より、そんな男の命令を忠実に聞く、『ペガサスの近衛兵像』が二人と、『最優の王族』たるエルフィール。

 その存在感が、彼らに俺への膝を付かせたのだ。たとえそれが本意ではなくとも。

 貴族の中で最高位ともいえる公爵二人が、真っ先に膝をつけたことも、大きな理由ではある。

 だが、それ以上に貴族たちは感じただろう。俺の覚悟を。竜国の王にすら比するほどの、絶対王者であろうとする意志を。

 それを覚悟するのは簡単なことではない。簡単ではないがゆえに、貴族たちはそれを覚悟したアシャトに付き従うことを決断する。

 『ペガサスの王像』に選ばれたからではない。エルフィが味方するからでもない。

 一人の王族として、狂気じみた、しかし一種の立派な王として。貴族たちが、アシャトを王として担ぐ価値を見た瞬間であった。




 彼らの意識の変容を見た。揺らいでいるだろう。これでよかったのか迷っているだろうと思う。俺の価値を値踏みしているだろうさ。

 だからこそ、言葉を重ねる価値が生まれる。

「お前たちに言っておくことがある。」

名も知らない貴族が、俺の命令一つで、目の前で命を絶たれた。その言葉の重さによろめきそうになり、辛うじて気を強く持ちながら、俺に従属することを良しとし始めた貴族たちを見下ろす。

「余は皇帝になる。この大陸を平定する。その意味は、わかるな?」

この遊戯の本質。天下を取るために、皇帝を探し出すために与えられたこの遊戯も、実は終結方法がある。


 ディアたち、『王像』が完全消滅する方法。人智の外れた奇跡のような、『像』たちを完全に消去する方法。

 かつて、初代から数代かけた国王たちは、それを目指して戦ってきた。

「世界を一つにし、『ペガシャール帝国』の下で、神と決別し、人は人の時代を作る。ディアに忠誠を誓うのではない。余に、国に、忠誠を誓え。」

威厳たっぷりに、胸を張ってそう宣言するアシャトに、貴族たちは尊敬の念を抱く。


 未だ二十に満たぬ青年が皇帝になると宣言する。ここにいない貴族なら、ほら話だと斬り捨てるだろう。あるいは、夢を語るのは勝手だからと嘲笑するか。

 しかし、ここにいる者たちは違う。俺の苛烈さを、覚悟を、その資質を。一人の命という実態を伴って、目の前で魅せられたばかりなのだ。

「従わぬものは去れ。余は、真なる臣下しか欲しておらぬ。余の資質を不安視するものは去れ。戦場でその判断が正しかったか、証明しに来るがいい!」

まあ、本当はいなくなられると困るのだが。人手は致命的に足りていない。特に分館が驚くほどいない。だが、はったりでもかまさなくてはならない。


 その叫びを聞いて、しばらくして。

 されば死ぬ可能性も考慮されたのだろう。誰一人として、その場から去ろうとする者はいなかった。




「では、今後の活動について述べておこう。」

玉座に戻り、ひじ掛けの先端を掴んで言う。

「まず、アダット派『ペガシャール王国』、レッド派『ペガシャール反乱軍』と区別するため、余らは『ペガシャール帝国』を名乗る。」

最初から自分たちを明らかに追い詰める一手を打った。彼らは完全に俺に服従した。今更逃げられないし逃げる気もないが、さらに『敗けられない』という発破をかけておくことは大事だ。

 もうこの国に、安寧はない。真っ先に皇帝を名乗ったアシャトに、他国は憤りを見せ、許すまじと叫び、常に軍が差し向けられるだろう。

 そして、工程を名乗る決意をした俺をいさめなかった彼らもまた、俺の意に賛同したものとして、敵意の対象になるのだ。

「次いで、この国のもう一つの顔、『ペガサスの妃像』であるが……ここにいるエルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシアに与えることになった。」

謁見の間が一斉にざわめく。この国最大の出世の席が閉ざされた。オケニア=オロバス公爵ですら、あまりの早さに目をむいて俺を見ている。

「『元帥像』デファール=ネプナス。『宰相像』ペテロ=ノマニコ。『近衛兵像』ディール=アファール=ユニク=ペガサシアとオベール=ミノス。『教導師像』ギュシアール=ネプナス。」

次々と与えた『像』の名を読み上げていく。こうして、どこの席が空いているか、そこをどう狙うか、彼らは模索しながら、自分たちの家を俺に売りつけに来るだろう。

「『工作兵像』メリナ=ネストワ。……『智将像』マリア=ネストワ。」

マリアが驚いたようにこちらを見る。まだ、彼女に『像』を与えることは確定していなかった。

 だが、彼女ほど優れた人材が簡単に手に入るとは思えない。もう、彼女はあるべき場所に放り込むつもりだった。

「では、今後の指示はペテロとデファールに聞け。」

今後の方針はすでに話し合っている。俺は、執務室にある書類の山と格闘するべく背を向けた。

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