11.腐敗貴族と腐敗していない貴族
腐っていやがる。ベルツたちを見てそう言いたくなった俺の気持ちが、誰にわかるだろう。志を同じくするはずのディールは……なんだろう、「兄貴が王なら何とかしてくれる」とでも言いそうだ。
あの屑を目の前で見たにも関わらず、今までで一番上機嫌である。
『神定遊戯』は、あんな性根の腐った貴族たちの排斥に大いに貢献していた。ディアたち『王像』が降臨したとき、すべての人間に対して出世の道が開ける。ただし、有能であれば……王の目に留まればという条件付きで、だ。
そして、『王像』に選ばれる王は原則として愚物はいない。そのうえ、『ヒュドラの王像』『ドラゴンの王像』『フェンリルの王像』に選ばれた王たちは、基本的に天下統一……「皇帝を目指して」を謳い、戦争を起こす。
戦時という建前を使い、国にとって害悪となる貴族の悪事を暴いて次々と処断する。あるいは戦場に送り込み、名誉の戦死という名の厄介払いを済ませてしまう。
しかし、200年にも渡って『神定遊戯』が行われなかったのだ。いかな理由をつけて腐敗貴族の頭を処断しようと、やがて統治に必要な人手が足りなくなり、また戦争に出す理由もなくなった。
さらには、『神定遊戯』不在の影響が露骨に出て王家の力が著しく減衰し、王家の命令に貴族たちが従わなくなり……挙句には王家が腐敗者になり果てた。
もう、この世には『王像』に選ばれる6国よりも多くの国が存在している。いまだに『王像六国』が国土や名声こそ誇ってはいるが、ペガサス、ヒュドラの王国は右肩下がり、グリフォンに至ってはその国土の大半がすでに別の国を騙られていた。
そんなペガシャールという国の、腐敗した貴族たちの寝泊まりする宿舎。第二、第三、第六軍の宿舎と比較してはるかに豪華なそこから、布で包まれた武器を持って外に出ていこうとする男がいた。
「ディール。」
「七段格か、八段格。スレスレのところだろうな、あの男……強いぜ、兄貴。」
物陰に隠れて兵たちの顔を一人一人確認していく中で目についた男。目の光は若干擦り減っているようにも見えるが、腐ってはいないようにも見える。
俺たちが隠れている影響もあって、そこまでよく見えるわけではない。体格はずんぐりとしているように思う。ちらりと見える掌には、多くの努力を積んだ武人の跡。
ディールが強いという、男。本当に強いのだろう。なんかずんぐり具合が熊に見えてきたな、という気もしてならないが。
いや、熊に見えるほど体格が良い、それだけ鍛えている、という認識でいいと思う。
貴族は己の身分に胡坐をかく者が結構多い。嗜み程度の武術は修めても、本気でそれに力を入れている貴族など、このペガシャール王国の中では三割に満ちるかどうかだ。その中で努力が報われるものは、さらにほんの一握り。強い、という評価がいかに恐ろしいことか。
遠目で見る限り、ディールより年の頃は一回り上、30~35歳程度。筋骨隆々の逞しい男で、近くで見たら傭兵あたりと間違えそうながたいをしている。……やはり、熊では?
魔術陣に魔力を流し込み、隠蔽の魔術の使用時間を延ばしながら、こっそりと二人で後を追った。
「……練兵場か。」
貴族軍2500人の中で、ほんの十数人だけ、ここで訓練をしていた。他は今何をしているのだろうか。まあ、もう日は傾き始めているのだ。休んでいてもおかしくはないと思う。
しかし、ここにいる十数人は上澄みだろうと思う。支給されたものではない綺麗な鎧を着ているのはきっと他と同じだろう。だが、その肉体は、努力の足跡は別だと思う。その鎧に見合うだけの実力を秘めていることが、遠目にも分かった。
「……来い。」
俺たちが追っていた男が、声を上げつつ武器から布を取り払う。布の下から出てきたのは戦斧だった。
しかも恐ろしいことに、あれはおそらく、ディールの普段使うような槍より、重い。重量としてはおそらく、100に至る。
彼はしかし、重さを微塵も感じさせない軽快な動きで、斧を構える。彼の到着に気づいた修練者たちが、各々の武器を抜いて相対する。
「これだけを同時に相手取るのか?」
「まあ、これだけ実力差もあれば、そうするだろうよ。」
修行をしている貴族たち一人一人も粒ぞろいに見える。急造の俺たちの部隊と比べて、それなりに戦える……五段階格に至れるかというほどの。
「いやあ、無理だぜ、兄貴。あいつらに五段階格は、10年ほどはえぇ。」
ディールの呟き。そうだろうか?俺には、それなりの身体能力に見えるんだが。
「見てればわかるぜ。」
顎でしゃくるディールに頷く。こいつは頭は悪いが、武に関しては一流だ。こいつが言うなら、見てわかるほどの何かがあるのだろう。天才にしかわからない、何かが。
「行きます!」
一人目が剣を高々と構えて突っ込んだ、間髪入れず、二人目、三人と次々に斧を持つ貴族に襲い掛かっていく。その中で、男は鈍重ながらも流麗な武の舞を見せる。
「……さすが、かな。」
いなし、回避し、斧の先で剣の、槍の軌道をそらす。ディールやエルフィールのおかげで、俺にとってはその光景はいつでも見ることができるものだ。
見慣れた光景でもあるが、侮るなかれ。彼ら二人はおそらく、国中最高峰の武人だ。彼らで見ることが出来る光景をあの男も見せられる、というだけで……あの男の武の次元は、きっと相当に高い。
しかし、彼に突きこんでいく兵士も兵士だ。俺たちの隊より、個人の実力ははるかに上……全員が、五段階近いの武術を修めている兵士だ。……俺では、勝てないだろう。
「なぜ、あいつらは五段階格にはまだなれないって?」
ズン、という音が響いた。地面に斧の穂先が突き刺され、少しだけ疲れた様子の男がその先端に手を添えて仁王立ちする。
「これまで!続いて、走れ!」
静かな、落ち着いた声だった。力強い声だった。さっきの洗練された技術。それに裏打ちされる、決して揺らがぬ自信が籠められたものだった。
「戦場では、体力のないものから、死ぬぞ。」
倒れ伏し立ち上がろうとしない兵士たちを、彼はそう叱咤激励する。のろのろと立ち上がる兵士たちを横目に動けぬもの、気絶するものも多数。
不甲斐ない兵士たちを、彼は放置はしなかった。そばに近づくと、腰に結わえた小さな木版を取り出して、そこに描かれた魔法陣に魔力を通す。
意識を失った人を覚醒させる定番は、冷水だ。魔術陣の先から飛び出す水が兵士たちの顔にかかる。冷たさに体が反応して意識を浮上させる。
それによって立ち上がらされた兵士たちは、鈍重な動きで体を持ち上げて、無理矢理感あふれる姿勢、呼吸で先行する兵士たちの背を追って走り始める。
素晴らしい。まともな貴族が、そこにいた。まともな上官が、兵士たちを調練していた。兵士たちも同様だ。疲れていても、意識を失うほどであっても、調練中は立ち上がる。
戦に出るということを知っている貴族だった。戦うことの意味を理解している、上官と部下たちだった。
これを素晴らしいと言わずして、何と言おうか。限界まで追い詰め、時に限界を超えるような調練をさせる軍隊を、素晴らしいと言わずして、何と言えるのだろうか。
「ディール、俺は感動したぞ。」
「流石に貴族に期待しなさすぎじゃねぇか、兄貴?」
まあ、言いたいことはわかる。確かにちょっとばかり大げさだったかもしれない。
だが、ベルツを見た後の開きがすごかったのだ。あいつの軍隊だぞ。こうやって誰かいい人がいないかと探しに出るときでさえ、期待は微塵もしていなかったんだ。
だから、この感動は過ぎてはいない……いや、ちょっと無理があるかもしれないが。だが、まっとうな貴族が、腐っていない将兵が、あの貴族軍の中にいたのだから。
改めて、思う。こんな少人数の貴族軍でさえ、こうなのだ。腐りきってしまった区の国でさえもそうだろう。きっと、悲惨なだけで捨てたものではない。
魔術陣の魔力を切って姿を現す。それと同時に、彼はこちらに気づいて低く斧を構えた。さきほど兵士たちを相手取ったのとは違う構え。……臨戦態勢のそれ。
だが、向けられる殺気など、今の俺には恐れるに足りない。そよ風のように流して、その男と対峙する。剣の柄に、手をかける必要すらもない。
「やめておけ。死ぬぞ?」
なぜなら、ディールが隣にいる。ディールは八段階の槍使いだ。目の前の男なら、少なくとも四人は相手できる。
「……そうみたいだ。で、何のようだ?」
「そんな軍にいてもいいのか?」
単刀直入に、俺は尋ねた。こいつは強い。そして、指揮官としての能力も高いと感じる。
すなわち、彼は出来る男である。有能な男である。
ゆえに、兵を簡単に死地に送り込みそうな将の下にいてもいいのか、という問いかけだった。
裏に隠された言葉の意味、そこまでくみ取れたかどうかはわからない。裏切れという言葉が伝わったのか、俺の元へ来ないかという提案をその心で聞いてくれたかは、わからない。
だが、一瞬男の眉が、困ったように下がったのは見えた。本当に、一瞬。よほど人の表情を読むのに長けている者でなければ、その動きの彩が判別できないほどの、微かな動き。
その後、たっぷり三秒ほど言葉を選んで、男は堅い声音で、言った。
「俺は。すでに、任務に、ついている。」
何と清々しい男だろうか。むさ苦しい、熊のような体躯をしたこの男は、しかし心が清らかだ。この男は、髄から武人だ。彼は自分自身がそうであることを、その一言で伝えてきたのだ。
面白い。そう思う。ペガシャール王国の腐敗貴族も、そう棄てたものではないらしい。
「名は?」
「オベール=ミノス。ミノス子爵家の、嫡子だ。」
なるほど。「任務についている」という意味がよく分かった。アルス=ペガサス公爵家の所有する貴族の一つが、ミノス子爵家だ。
どうせアファール=ユニクに対する牽制も込みで送られてきたような寄せ集めだろうと思っていたが、実態はアルス=ペガサス公爵内部の軍隊。
任務というしか、ないだろうな。
だが、ベルツが指揮官では、その才能を発揮する前に死んでしまいかねない。それは、惜しい。
アルス=ペガサスは俺の方につくかと思っていたが。いや、まだ『神定遊戯』が始まって一月も経っていない。情報があっちに伝わるのも、俺の方に伝わるのも、遅いだろう。
貴族同士の政争もまた、俺が王として立つための要素だ。ベルツの家柄を考えれば、あいつも救っておいた方が都合はいい、はずなのだが……。
まあ、それはいい、と思う。派閥争いを産む余地は必要だが、今の俺にはまだ早い。
それよりも、目の前のオベールである。
「武人だな。しかし、その誇りで命は買えんぞ?」
「生き残ればいい。」
あまりにも端的な言葉。飾りのないそれに、苛烈なまでの決意が秘められているのを、どれだけの者が悟れるか。
愚昧な指揮官の下でも、彼らだけであれば生き残れる自信があるのだ。この男はそれを瞳で物語っていたし、それを実際になせるだけの実力も持ち合わせている。
「俺はアファール=ユニク義勇軍第六隊隊長、アシャト=スレイプニルだ。何かあったら俺の所に来い。」
「どうして。」
「俺はお前が気に入った。」
配下に欲しい、とは言わなかった。どう繕ったところで、富も名声も、そして神の威すら行使せぬ己が言うとただの妄言である。
だから、微かばかり口角を上げて頷いた男を視界から外して、ディールとともに背を向けた。
オベール=ミノスと名乗った男は一瞬あきれて立ち止まる。何が出るかと思ったのに、何も出さずに、ただ所感だけを伝えて帰った男の背を目で追いかける。
「気に入った、ね。」
随分大上段な言葉だ。だが、悪い気はしない。むしろ何か、昂ぶりすら覚えている。
斧を横たえて、ゆっくりと練兵場を駆け始める。何かを噛みしめるようにゆっくりと音頭が取られる。次第に、太鼓でも鳴らすかのような音が響き始めた。
その頃。フィシオの砦から遠く離れた都市で、黒紅色の髪を持つ男が紙束を地面に叩きつけた。
「なぜだ……なぜ、『ペガサスの王像』は俺のもとに来なかった!」
その男……レッド=エドラ=ラビット=ペガサシアンは飛び散ったそれらを、繰り返し踏みつけた。
ペガシャール王国にあって、王太子とは別に……『神定遊戯』が起こるなら、『王像』に選ばれるのは彼だと誰もが認める男だった。エルフィールを除けば、すべての王族に才能面で勝る男だった。
彼は、天才である。天才とは、80パーセントの才と20パーセントの傲慢でできているというのが彼の持論で、実際彼はそのような人物であった。
もしも王像がこの時代に降るなら、エルフィールが女である以上、必ず自分が選ばれると思っていた。いや、確信していた。客観的で絶対的な事実のはずだった。しかし、選ばれたのは違う男。
アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアンという聞いたこともない男。
「神がそう来るならば、しかたがない。」
踏みつけ、嬲り、蹴り飛ばし……もはや修復不可能になり果てた紙きれから興味を外して、独りごちる。
憤怒の時間は終わりだ。これからはただ、実務の時間である。己が王になるための時間である。
今まで仕事をしてこなかった神など、自分の敵ではない。実際、国の政治は落ちぶれていて、敵とて貴族の後ろ盾はない。
反王太子派の面々に手紙を書く。
オケニア=オロバス公爵、エドラ=ケンタウロス公爵をはじめとして、王太子アダットに国を任せてはならないと主張する貴族は多くいる。
『神定遊戯』は降り、己の手に『王像』はない。盛大な光の柱の立った方向が、ホーネリスの方ではなかったことなど、誰もが聞き知っているだろう。ゆえに、このうちの半分は無駄になることを、彼は悟っている。
反王太子派は、あのアダットに王位を継がせるなという派閥だ。彼らの目的は、『神定遊戯』が降り、アダットが『王像』に選ばれなかった時点で果たされている。
旗頭がなく、その旗頭にレッドを据えるのも避けたがった者たちの集まりであったが、同時に特別有力な貴族たちの集まりでもあった。
派閥を明確にせず、状況次第でどこにでも舵を切れるように動いていた者たち。『王像』が降った今、そのほとんどは合流に向けて動くだろう。
だが、まだ、今なら。
アシャトが力を蓄える前の今ならば、勝機はある。神に筆を走らせる速度が上がる。王になるのは己だと気炎を吐く。
国を造るのは威ではない。信だ。アシャトなる無名の男よりは、己を選ぶものもいるだろう。よく知りもしない者に王位を任せられるほど、その座は安くないだろうと……1500年の歴史は甘くないだろうと、レッドは祈っている。
並べて、彼は自分の政敵に向けて手紙を書く。共通の敵がいるのだ、決して相手は拒絶しないだろうという楽観と、もし何かされても生き延びられるという根拠のない自信をもとに。
レッドと、アダットと、アシャト。三人の、『第65代国王エドラ=オロバス=フェニス=ペガサシア』の子孫たちの生存競争の幕開けは、傲慢と嫉妬にまみれてはじまったのだ。
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