9.資格者たちの師
王城下の道場。そこで、ギュシアールは瞑想を続けていた。
『王像』が、再び大地に降臨した。神は再び使徒をこの大地に遣わされた。
この国は、今、滅びの危機に瀕している、とギュシアールは思う。
アダット=エドラ=アゲーラ=ペガサシアは『ペガサスの王像』に選ばれず、最も王としてふさわしいエルフィールは女であるがゆえに王にはなれない。
あとは、アシャトかレッド。王に選ばれるとするならば、この二人のどちらか以外ではありえない。きっとアシャトだろう、と私は思う。アダットは血筋に胡坐をかいたが、レッドは才能に胡坐をかいた。もしも、アシャトが自分の授業を受けた日からも欠かさずに努力を欠かさずにいるのであれば、今はレッドよりも能力が高かろう。
アシャトに惜しむらくは、王になれれば、という願いこそあり、その資格を有しているがゆえに努力を怠っていないとしても、それが極端な現実認識の高さからきている、というものだ。
この戦乱の時代。この平和とは程遠い時代は、現実的なだけではやっていけない。
「アシャトが、エルフィールと出会うことがあれば……。」
エルフィールのように、神の子と言われても信じられるような才能はない。あれは、平凡か、それよりほんの少し才能が高く、王族らしい魔力があるだけの凡人だ。
だが、王としての才はエルフィールに匹敵するほどあるだろう。だから、彼が王になれば、平和な世ならうまく世も治まるだろう。
だが、乱世において現実性はあまり役に立たない。そう、アシャトが王に選ばれたとして、惜しむらくは夢がないことだ。
「師匠、ししょう~!」
スティップの声が聞こえる。まるで覇気のない声ではあるが、あれでもアダットよりも優秀な、私の弟子だ。
「どうしましたか、スティップ?」
「ゲリュン様が、!」
声を喉に詰まらせてしまったらしい。よっぽど焦って私に言わなければならないことがあるのでしょう。
「落ち着きなさい。そんなに焦ることはありません。時間はいくらでもあるのですから。」
「いえ!まったく、時間が、ないのです!」
スティップの慌て具合に、さすがの私もただ事ではないのだ、とわかりました。そうでなくても、彼が慌てることはめったにありません。伊達に長年、私の生徒をしているわけではないのですから。
「アダット様の命だ、ギュシアール様含めすべてのアシャト様と関わったものを殺せ、と!」
それは、確かにスティップも慌てるでしょう。私は来るべき時が来たか、という思いでした。
「スティップ、すみません。巻き込みます。」
私が指名手配されるのであれば、彼も指名手配されるでしょう。その前に、私はここを逃げることにしました。
私は、この乱世で、何もできませんでした。一人の力では、世界に立ち向かうには小さすぎたのです。
しかし、『王像』が降臨した今なら、私は自分の為したかった天下の泰平、国家の繁栄が成し遂げられる。無能の王とその息子のそばに居続ける必要はないのですから。
「もちろんです!お供します!」
奥の部屋に入り、青く塗られた槍を手に取ります。冷たさが、掌の上を走り抜けて。この槍を手に取るとき、この冷たさを感じるとき、私はこれから人の命を奪う、その重みを伝えてくると感じます。
みんながそんなものを感じているのならば、発狂者が何人出ているかわかりません。この感覚は、私が私だから感じられるものなのでしょう。
どさりという音とともに、右手の障子の先にいた何者かが倒れる鈍い音。
「スティップ、これを使いなさい。」
血にまみれた、私のかつての剣を彼に渡しました。スティップは小柄であるがゆえに、私が二刀で用いていたそれを、両手で扱うのがいいでしょう。
恭しく彼が受け取るのを見ながら、左手は針をつまんで、投げます。壁を貫通したそれは、またもう一人、刺客を死へと追いやりました。
「囲まれましたね。50はいます。いけますか?」
「手練れは何人ほど?」
「あなたと同格はいませんが、六段格が10。そこそこに出してきましたが、七段格はいません。」
「……先生を殺そうとしているのに、です?」
全武術九段を納めた私に勝てるものなど、いませんよ。八段格を四人相手して勝つことが必須の九段試験で、私は試験官だった八段格を三分で倒し切った男ですから。
いま世界で最も世界最強に近いのは、私でしょう……八段格の者が、『像』の力や魔術を駆使すれば、私と戦うことは叶うでしょう。が、そこまでして私と戦いたいものはもういないはずです。
『戦闘王』にして『英雄量産師』。それが、私、ギュシアール=ネプナスという名の傑物です。……己で傑物というのは恥ずかしいですが。己が傑物でなければ、誰が傑物かというはなしになりますし。
庭までゆうゆうと降りていきます。
屋敷の中で襲ったほうが狭い分戦いにくいのに、その中で襲ってこないとは。近づく前に殺されてしまった二人が尾を引いているのでしょう。さすがはアダットの配下です。甘さも下手さも底が知れない。
さすがにそこまで彼に責任を問うのも悪いでしょうか。いや、どうせ奴の子飼いです。別にいいでしょう。
庭の敷き詰められた石に足を踏みいれます。もう、なんでそんなに警戒が緩いんでしょうね。
私は、すでに戦いを始めているというのに。そっと爪先から降ろした足の指先を、軽く跳ね上げて石を飛ばします。緩い警戒で待ち構えていた複数の刺客たちの目をまず潰すと、目の前にいた刺客の心臓を一刺しで貫いて。
「この方が誰かを知っての狼藉か!王国の師、最強の槍、ギュシアール=ネプナス師であるぞ!」
スティップの声が、月の隠れた夜空に響き渡ります。この屋敷の周りには誰も住んでいないがゆえに近所迷惑になることもありません。
よかったよかった。あれほど大きければ、人がいればきっと目を覚ましてしまったでしょう。しかし、彼の声は随分と大きく、野太いですね。まるでけだもののような声質のくせに、これで私に敬語で話しているというのだから、なんというか、かわいらしいものです。
「まあ、軍では非常に有用なのでしょうが。」
声が響くというのは、それだけ兵に自分の存在をアピールできると言うことです。それは、自軍に指示をきちんと伝えるという点において非常に重要な能力です。いやはや、私からスリを働こうとしていた少年がここまで大きな花になりそうな種だったとは。私もいい拾いものをしました。
道中、軍事についても教えましょうか。そう決心しつつ、目の前の戦場を見ます。スティップの声など聞こえない。そう主張するかのように、刺客たちはジリジリと距離を詰めてきていますね。
「スティップ、援軍が心配です。」
いくらスティップでも、ずっと戦闘ではいつか倒れるはず。私はそう思って彼に声をかけると、承知したというように彼は首を縦に振ります。
私の後方、廊下の上でスティップが駆け、屋敷の中の刺客たちを相手どろうとする中、私は胸を貸すつもりで庭の刺客たちに無防備を曝す。
「早く来なさい。私はあなた達に負けるほど、老いてはいません。」
その言葉が耳に届くと同時に、三人がかりで斬りつけてきて。右手側の刺客の斬撃を石突で逸らし、槍の角度を調整して目の前から斬りかかろうとした刺客の道を阻み、左手側の刺客の槍を掴んで引っ張ります。
引っ張った槍の穂先で右手の刺客の喉を突き、槍を跳ね上げて正面の刺客の股間を槍で強打させ、同時に引っ張った槍から手を放して左手で刺客の喉を握りつぶす。
息絶えた左手の刺客の襟首をつかんで正面で悶絶する刺客に投げつけ、足で死んだ刺客の槍を蹴り上げて左手に持つと、入れ替わるように正面に駆けてくる刺客に投げつけて地面に縫い付ける。
剣。槍。体術。斧。私に扱えない武器はなく、私に扱えない戦い方はなく、それがゆえにどんな動き、どんな姿勢からでも私は人を殺すことができ。
私とスティップで、50の兵士を5分で全滅させた。さすがの私といえども、逃げに入った刺客を瞬殺するのは少し厳しい。それがゆえに、予想よりも2分も多くかかってしまった。
「馬は無事ですか?」
「ええ。全く無傷です。……まさか、仕留められるつもりだったのでしょうか?」
「いえ、違うでしょう。指示を出したのがゲリュンなら、倒せないことだけはわかっていた、というところでしょうね。」
馬を潰さなかった。彼の意図は明白です。王都で騒ぎが大きくなる前に、倒せないからとっとと出て行ってくれ。そう言ったところでしょう。
「『ペガサスの王像』の軍と合流します。どこかわかりますか?」
「いえ……しかし、反王太子派の領に行けば何か情報が得られるか、と。」
そんな簡単にはいかないでしょう。しかし、現状それが最も簡単なのも事実です。
「ここから近くて力のある反王太子派は……オロバス公爵家ですね。」
ここから馬で五日かかる距離だ。休みなく駆けて。スティップなら大丈夫だろう。私はそう判断して、愛馬にヒラリと跨る。双角の馬、バイコーン。そして一本角の馬、ユニコーン。
彼らに乗って、私は数年暮らした屋敷を出る。そっと後ろを振り返った。もう二度と、帰ってくることはないでしょう。懐から魔術陣を一つ取り出して魔力を流し込み、屋敷に火をかけます。
「行きましょう。」
スティップは軽く頷くと、私に剣を返却し、馬に跨った。
「オロバス公爵領には一人、凄腕の鍛冶師がいます。知合いですから、あなたの剣も打ってもらいましょう。」
「で、では。」
「あなたを一人前であると、認めます。」
そんな会話をしながら、私とスティップは師弟として最後の旅に出た。
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