8.彼女の夢、彼の目標

「皇帝、だと?」

それは、天下すべて、この大陸にある六王国、そのうちの半数を手にしたものが名乗れる称号。

 『ドラゴニア王国』『フェニクシア王国』『ヒュデミクシア王国』『フェルト王国』『ペガシャール王国』、そして『グルフェレト王国』。それぞれの国が、それぞれに皇帝を名のることを目指して戦っていたのは、もう数百年は前のこと。

「……いいな、それ。」

俺は、俯いて、呟いた。そう。昔は、大陸全土を統一せんと、王が総力を挙げて頑張っていたのだ。それは、この世の男すべてが憧れた、はるか昔の英雄譚。

「ほう、わかるか、いやわかっているじゃないかお前!」

エルフィールがウキウキと弾むような声音で叫ぶ。それを見て、唐突に俺は理解した。こいつが男であれば、俺よりも王としての資格を有している理由。現在の俺たちの国の王太子、アダット=エドラ=アゲーラ=ペガサシアなどよりも、はるかに王として資格があるのだと言える理由。


 この女は、エルフィールは、とてもとても眩しかった。子供のように純粋で、上に立つものとして驚くほどに夢想家で……何より、とても、眩しかった。

「エルフィール。」

無意識に、まったく思いもよらず、声は出ていた。俺は、この女と共にありたい。この女と共に、皇帝として君臨したい。

「俺と共にあって、俺を皇帝にしてくれ。」

「いいぞ。」

男勝りな笑みを見せる表情が、不敵なその唇が、自信と期待を顔に象りながら言葉を紡いでいく。

「お前が皇帝を目指すならば、俺はお前に夢を託せる。」

驚いて、彼女を見た。彼女が俺の主張を受け入れたこと、ではない。彼女が、自身のことを俺と呼んだことだ。


 全く。その呼称はとても彼女に合っているようにも思うが。同時に、慣れてしまった感が拭えない。なんというか、必要に駆られて、そう言うようになった……そう思わせる感覚である。

「自分のこと、俺って呼ぶのか。」

「あ、あぁ……ずっと『女のくせに武芸など』って言われてきたからな。せめて口調だけは、と思っていたんだが。」

いつの間にか完全に慣れてしまった。しかも、武の腕が多分国内二番目くらいまで上がっちゃったからなぁ、誰も文句をいえなくなったわ、わっはっは。

 そう溢す彼女の顔は、わずかに寂しさが滲んでいる。彼女の努力はきっと、このおかしくなった時代をなんとかしたいという願いゆえだろう。そして、彼女はそれが実るだけの才覚があった。


 いつか、彼女の努力が報われる日が来てほしいと思う。いや、……俺が王だ。である以上、彼女の努力がいいものだったと示すのは、きっと、俺だ。

「まあ、俺でも私でもいい。王族同士は対等に、だ。」

「今はまずい気もするがな。私は一応客員将校だ。王都から様子を見に来た王族。表面的にはそういう風に扱え。戦場には出してくれて構わない。」

彼女はそういうと、サッと俺たちの陣に挨拶に行こうとする。

「待て!」

俺は大事なことを思い出して慌てて彼女を呼び止めた。ピタッと、反射反応レベルの速度で彼女は足を止めて振り返る。

「俺はお前のことを何と呼べばいい?」

「エルフィだな。……女っぽすぎるというなら、エルでいい。」


「いや、お前がいいならエルフィと呼ぶさ。おおかた、下手に男扱いされすぎて疲れた、世言ったところか?」

こいつが俺にエルではなくエルフィと呼ばせようとした理由は、結構簡単だった。女として生まれた以上、根本的に乙女でありたかったのかもしれない。……こんな美女を、男として扱える奴らの気が、俺には知れないが。

 彼女は、「それでこそ王様だ」と言って再び笑ってから、美しい金髪をなびかせながら、陣の中に入っていった。




「どういうことだ!誰だ、このアシャトという男は!」

ペガシャール王国王都、ディアエドラにて。王像に選ばれなかった王太子、アダット=エドラ=アゲーラ=ペガサシアが叫んだ。その手には、ペガシャール王国が誇る暗部が集めてきた、今代の『ペガサスの王像』に選ばれた男の資料を握っていた。

「どうして余ではない!この男より余の方がよっぽど血筋に優れておるではないか!」

なんだ13子の子孫とは。そう叫びながら、手元の資料をさらに読む。


 だが、読み進めるうちに、その表情はわずかに変わってきた。喚く子供のものから、信じられないものを見た男の顔に。

 しかし、読み終えてすぐに、再び子供のような怒りを込めた表情に戻って叫ぶ。

「父上が一度殺そうとして失敗した?どういうことだ、そこまで優秀な王族が、どうしてほかの貴族に殺されておらん!」

血筋至上主義であるこの男は、比較的『ドラゴンの王』や『フェンリルの王』にふさわしい価値観を持っている。

「は、今、世は荒れ狂っておりますれば、それどころではない貴族の方が多いのではないか、と。」

彼の直臣が答えた。ほかの臣ではおそらく彼ほどものを言わない。首を絶たれる可能性が高いから、「そうですね、ふがいない限りです」とでも答えるだろう。


 だが、その臣だけは彼に物申すことができた。それは、幼いころから彼を躾け、権力を笠に着た物言いをした瞬間に遠慮なく殴り飛ばしてきたからだ。


 アダットは、心の底に彼への恐怖感を植え付けられている。

「ちぃ、ふがいない貴族どもだな!」

だが、そうやって恐怖で支配して、彼の心根を立て直そうとしても、不可能なものは不可能だった。彼は自身のものと勘違いした権力の上に胡坐をかいて、ただ王になることを待っているだけだった。

「それに、誰だ、このアシャトとかいう男の義弟!ディール=アファール=ユニク=ペガサシアだと!聞いたこともない、そんな名!」

ディールの方は随分この王太子を嫌っているが、王太子の方は今まで眼中にも入っていない存在だったらしい。

「待ってください王太子殿下。今、ディール=アファール=ユニク=ペガサシアと申しましたか?」

「ああ、言ったとも!お前も読め、この無礼極まりない資料を!」

躊躇いなく、直臣の反射速度も気にも留めず、木簡の束を思いっきり突き出す。


 目の前に突き出された資料を恭しく受け取って、その男はその資料をペラペラとめくる。十分ほどじっと読み込んで、その男が資料から目を上げたとき、彼の表情は蒼白だった。

「どうした、ゲリュン。そんな死んだ魚のような顔をして。」

死んだ魚をきちんと見たこともないくせに、よく言う。そんなことはゲリュンと呼ばれた男は顔にも出さず、言った。

「まずいですよ、アダット様。何か手を打たないと、百%失脚します。」

それは、彼の直臣であるゲリュンという男の失墜にも繋がる。ここは、彼も本腰を入れてアシャトという男の覇道を邪魔しなければならなかった。


「どういうことだ!」

「まず、このディールという彼の義弟。」

ヒステリックに騒ぎ者に当たろうとする主を咎めるように拳を振り上げつつ、威嚇するような低い声でゲリュンが伝える。

「武力であれば、純粋にエルフィール様に匹敵します。何かしら『像』の力を一つ与えられるだけで、エルフィール様を凌駕しえます。」

それは、実質上の王国最強の戦士だと暗に告げるようなもの。エルフィール、ディール。彼のような武力の持ち主は、五十万の武術家の中で一人いるかいないかだ。砂漠の中から砂金を探し出すかの如く、見つけがたい。たとえ、両手でひと掬いすれば一粒は存在するとしても、だ。見つけ出すことが、すでに難しい。


 それが、すでにアシャトの手の中にあるのは間違いないだろう。その時点でかなり危険であるが、さらに悪い条件。

「そのディールの実家、アファール=ユニク子爵家。下手な伯爵よりははるかに力ある貴族家です。」

財力。経営力。人材力。先日、彼らが王家に愛想をつかして自らで義勇軍を徴兵したのを知っている。このまま放置すれば、いずれ王家の敵になると目されていたが、王家も手出しはできなかった。


 アファール=ユニク子爵家が「ペガサシア」を有する、かつて『臣籍降嫁』された一族であることも理由のひとつではある。だが、ペガシャール王国は配下一介の子爵すら粛清できないほどに衰弱していた。

「彼らがアシャトを王として認め擁立すれば、それだけで一大勢力が完成します。」

すでに衰弱した王国の、内部分裂。他国に攻め込んでくれというようなものだった。

「……アダット様。義勇軍の目的の賊に、支援をしましょう。私に一つ、策があります。あなたが王として立つには、いえ、生き残るには、全力を尽くさなければなりません。」

それでも厳しいかもしれない。そんなことを思いながら、ゲリュンという男はアダットに警戒を促す。


 何とかしなければ、権力がどうこうという場合ではない、と。

「……やるんだな?」

アダットは、この男を忌々しいと思っている。粛清したくても、身に沁み込まされた恐怖が彼の体を竦ませる。


 だが、だからこそアダットは、ゲリュンの実力を深く信頼していた。この男の、唯一といってもいい幸運は、ゲリュンという優秀すぎる執事を持っていることだった。

「ええ。本気で潰しに行きます。アシャトという男、そうでなくても危険すぎる……レッド様より、危険です。」

レッド。レッド=エドラ=ラビット=ペガサシア。『ペガサスの王像』ディアの中において、二番目に王の資格を有している有能な少年である。血筋としては、アシャトと同格、先代『王像の王』の血を引く『王像』候補。さらには、能力……いや、才覚も決して低くはない。


 だが、ゲリュンはアダットよりはるかに優秀なその少年よりも、アシャトの方が危険だと断じた。彼の内心は一つである。決して、生かすまじ。災厄になる前に、殺す。

「エルフィール様はどこにいる?探して監禁しろ!決してあの男と合わすな!」

すでにアシャトと接触し、同盟を結んでしまったことを、ゲリュンはまだ知らない。

「エルフィール様を敵にしたと思え!あれは、それに匹敵しうる実力を持っているぞ!」

エルフィールは女であったから、その才能をひけらかそうが問題はなかった。彼女を王に持ちあげようとするものも、殺そうとするものもいなかった。


 だが、アシャトは、違う。誰に教えられたのか。自身の才能を覆い隠し、誰かに目を付けられる前に一介の騎士爵家の長子程度の才能に見せ切った。今の今まで表舞台に出てこなかった。

 男であれば、彼ほどの優秀さなら神輿としては十二分。なのに、この瞬間、まっとうな手段で王権を奪取できるまで身を伏せた。

「エルフィール様が男であれば……。」

勢力が分散し、勝ち目も沸いたものを。……いや、彼女が男であれば彼女が普通におうになったか。

 どちらにせよ、このままでは己の立場すら危うい。そう歯噛みしつつ、国内で取れる対策について必死で考える。


 そんなことをしていたがゆえに、アダットが下した最悪の決断を、言う前に止めることができなかった。

「アシャトに関わったものを全て捕らえろ!首を跳ねろ!誰一人として、奴の見方を見逃すな!」

「何を言ってしまわれたのです!」

言い切られてから、ゲリュンはふざけるなというように叫んだ。それは、いけない。最も悪い展開になる恐れがある。

 ゲリュンは怒りながらも、それ以上は言わなかった。一度王族が命令したものは、簡単に取り下げてしまうわけにはいかない。

 深々と、それはそれは深々と、ゲリュンはため息をついた。

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