7.最高の王族
指示の確認。槍の訓練。調練に多めの時間を取りながら、60キロの距離をひたすら歩く。
そう目標を立ててしまうと、誰も文句は言わずにきちんとついてくるようになった。今日で四日目。明日にはフィシオ砦につくだろう。
成果に満足する。彼らは俺の言葉を聞き、指示を聞いて、その通りに動くようになっていっている。
兵士たちが、命を預ける指揮官の指示を聞く軍を作り上げる。それは、簡単なようでいて難しい。
なぜなら、命を預けるに足る指揮官と認めさせることが、実は一番難しいからだ。言うことを聞かせるだけなら出来る。だが、肝心な部分、即ち有事の際に俺の言葉を聞くことが大切だと思わせるだけの信頼と信任を得ておかなければ、命がけの一閃で逃亡する兵士が何人も出てくる始末になりかねない。
そのためには、ディールのように武術が圧倒的な者でも、ゲイブのように知略や計略が回るものでも、ダメなのだ。必要なのは、指揮官としての有能性を、お前たちと生き抜くという姿勢を、その言動と行動で示すことだ。
「敵の命を取らないように戦うなどと無理を言う指揮官についていく兵士はいない。俺さえ生きていればいいという王についてくる民はいない。」
人徳、あるいはそれに匹敵するような将としての在り方。俺は、真っ先に兵士たちに調練を課し、生きるために、勝つためにできることを教えることで、兵士たちの信頼を勝ち取った……と思う。
「申し上げます、進路上に人影あり。一騎です。」
先行する十人の部隊の一人が報告に来る。その辺の報告の仕方も、二日目の朝に告げて、夜には徹底させた。
まだ拙いところはある。が、まあ、始めて三日で様になるほうが怖い。そう考えると、今の成果は十分だと言えるものだろう。
それにしても、人影、一騎か。騎と告げたということは、馬はあるな。それにしても……
「一騎とは。」
驚いた。まさか、フィシオ砦に着くまでに農民以外と接触するとは、まったく思っていなかった。馬に乗って歩いているということは、旅人ではない。馬は高い、持っているのは貴族か豪商くらいだろう。
盗賊がいくらでも跋扈している中で、一人で旅ができ、しかも高い馬に乗りまわせるほどの者。それはそれは、大層だ。
「そんなこと出来るのはディールくらいだと思ってたんだが。」
「兄貴、俺を変人か何かだと思ってねぇか?」
「変人だとは思っていないさ。お前は盗賊の百人や二百人がいたところで、切り抜けれるだろ?」
「そりゃ、盗賊レベルならな。」
少なくとも、そこにいる人影の持ち主は、それができる自信がある者、ということになる。そうじゃないなら、一人で旅なんて、俺でもやりたくはない。
念のため、報告に来た兵士にどんな奴だったのかを聞いてみた。
「武装している女です。我々も怪しいと思って声をかけたのですが、返り討ちにあってしまい」
サッと手を挙げて、彼の言を遮った。怪しい騎兵が一騎。武装した女。
10人を同時に相手したかはわからない。が、少なくとも「我々」というほどの人数を相手して、返り討ちに出来るほどの使い手。なるほど、一人で動くわけだ。
その者が何を考えているのかはわからないが、見に行ってみればわかるだろう。そもそも襲われたのだから、もう逃げているのが普通だろうが……なんとなく、その女は普通ではない気がした。
「ディール、ついてこい。」
「了解、兄貴。」
ヤ、と声をあげて馬を走らせる。ディールが前を、俺が後を。先頭に、報告しに来た男を。かけて駆けた先、フィシオの巨木に背を預けて、その女は立っていた。
顔を顰める。まるであの、義賊討伐の時に山に送られたときのように、危険なにおい。命が危ういような、圧倒的な殺意。
「……何がしたくてここにいる?」
顔は見えない。立ち姿が、そして肩甲骨あたりまで伸びた艶のある黒髪が、確かに女であることは伺わせる。だが、立ち姿からその目的を推測することが全くできない。
そして何より俺の意識を引っ張るのが、その油断まみれの立ち姿とは打って変わった、隙の無さ。
「なに、お前を試そうと思ってな。」
公表していない事実を知っているかのような、そんな声だった。
(俺が『ペガサスの王像』に選ばれたことを、知っている!)
スッと、自然に警戒レベルが上がる。同時に思い知る。俺では絶対に、この女と斬り結べない。いや、剣を合わせることは出来ても、無力化は絶対に不可能だ!
(あの槍、あの剣、両方かなりの業物だ。その上、明らかに技量でも彼女が上)
武術資格において、一段から十段まで存在するその資格の内、四段まではすぐに昇格できる。実戦に耐えうる技術を持っていること。それが、四段階の条件だ。
アシャトの部隊は彼が直接テコ入れをしたこともあり、全員が槍術に関してはその四段には達している。
それに対して、四段から五段には超えがたい壁が存在する。四段を四人、同時に相手取って倒すこと、あるいは30分以上戦えること。それが五段の条件だからだ。五段から六段、七段から八段は同じように同格を倒すことだけが条件になる。
一段階を超えるたびに難易度はどんどん高くなっていくのだが……彼女は明確に、俺の上を行くだろう。
俺は、剣技において五段階、魔術において六段階、馬術において五段階を習得した。しかし、目の前にいる女の、あの殺気は、あの立ち姿は、その俺よりはるかに高みにいることを……最低でも二段階分は上にいることを意味している。
一歩、彼女がこちらに向けて踏み出した。俺を、試す。王として、試されるということだろう。
俺は思った。こんな化け物に試されるとは、何を答えれば正解なのか、と。俺はただ殺気にあてられて怯えているだけだというのに。
「…………。」
このとき、俺にはきっといくつもの選択肢があったのだと思う。だが、思い浮かんだのはたったの二つ。
「ディール、任せた!」
義弟にすべてを任せて、一歩下がる。俺が恐怖に取りつかれて突っ込むという選択をしては、間違いなく俺が死ぬ。
まあ、俺が前に出たとしても。俺は突っ込まず、彼女の攻撃を捌くだけだったのだが。
とにかく。俺の半歩分後ろで控えていた男が、気づく暇すら与えずに風になった。
「オウ‼」
叫び声は後ろから聞こえたのに、その言葉を発した当人はとっくに俺の前で槍を振りかぶっている。
八十キロはある槍を軽々と構え、突っ込んでいく。
「正解だ、アシャト王。」
女がポツリと呟くのが、風に乗って聞こえた。正解。話し合おうとせず、自分が突っ込むこともせず、ディールに突っ込ませることが、正解。
ああ。彼女は、俺がとっさの判断で適材適所を実行できるかを見ていたのだ、と悟る。そして、ディールの重く、鋭い槍での突きは、その彼女によっていなされた。
「うそでしょ?」
追いついてきたアメリアが叫んだ。同感だな、という声をとっさに飲み込む。
槍術八段、馬術七段、体術七段。ディールという、一人の傑物のその実力を、軽々と言わないまでもそらして見せた女の実力は、どう考えても彼と同じ、槍術八段の腕前を示していた。
「むしろ嘘だろと言いたいのはこちらなんだが。なんだこいつは。」
ディールの槍が二、三と振るわれる。それをいなし、阻み、反撃を入れながら彼女は引き攣った笑みを浮かべた。
「ちょっと待てよ、こいつと決着をつける。」
「兄貴、止めるなよ、絶対こいつ倒してやる。」
二人の槍が舞う。風を切る音、鉄のぶつかり合う響きが宙に響き、まるでそこだけが世界から切り離されたような、槍の結界を作り上げる。
ぶつかり合う中で、彼女が頭から被った帽子を外した。視界が狭まるのを厭ったのだろう。ディールはディールで、槍の握りを変えた。……嘘だろ、全力を出すのか?
両者が再びぶつかり合う。時間にしてわずか3分。まるで永遠のような、一瞬のような。美しい、武を極めた者同士の舞踊が終結を迎えた。
「ディール?」
「ダメだ、こいつに勝とうと思ったら、殺す気でやらなきゃ無理だわ、兄貴。」
肩で息をし、全身から熱気を吹き出しつつ、義弟が言う。こりゃやべえ。なんというか、こいつとあって初めて、俺は「殺さないと勝てない」なんていうセリフを聞いた。
それ、彼女が化け物であるという証明なんだけどな、ディール。わかっているか?
「では、話し合いをしようか、アシャト王?」
そういう彼女の方も、肩で息をしている。帽子を取ったおかげで、顔を見れるようになった。
「……。」
絶句する。二の句が継げない。理性は顔所に返事を返せと叫んでいるのに、ほんのわずかたりとも言葉が出ない。
俺が人生で出会った中で、誰よりも美しい少女がそこにいた。
肩甲骨あたりまで伸び、艶のある黒髪。引き締まった体、武の邪魔にならない程度には膨れた胸。
何よりも、その美貌が群を抜いていた。遠目からでも、顔の輪郭がわかるなら美しいとわかる線の細い顔に、やや碧みがかった瞳。汗で顔に神が張り付いているのが、何となくあでやかさを感じさせる。
何より、雰囲気が。人を惹きつける。疲れきったような声にすら魅力を感じるのだから、魔性の女か何かだろうか。
「おい、アシャト王?」
「兄貴!」
背が強く叩かれる。ディールの衝撃のおかげで、意識が浮上した。
「す、すまん。話か。そうだな、ああ。……答えていいと思うか?」
曖昧な返事をした上でアメリアに小声で聞いてみる。「何がしたいのか」問うたのは確かに俺だが、それを差し引いてもこう……困る。
ディールと引き分けるほどの武の腕と、この美貌。何か、言い知れない不安が湧き上がってくるのだ。
しかし、その俺の感情など知ったことかというように、アメリアは無情にも告げた。
「ええっと……答えるべきだと思うわ……じゃなくて、思います。私、あの人知っていますもの。」
そうか。そうか……何か、決定的な何かが変わってしまいそうな気がして怖いのだが。しかし、アメリアが話すことを勧め、ディールはウキウキで俺を見ている。そうか、お前、そんなに自分と戦える相手がいて楽しいか。
俺が彼女に見惚れていた、という事実以上に呆れかえるほど純粋な義弟の顔をみて、何かあきらめが付いた。一歩一歩、俺はフィシオの大木に近づいていく。
アファール=ユニク家の令嬢が知っている女。相当高位に当たる女だ。そして、馬を旅する娘にポンと渡せるほど、金も身分も高い女だ。
「話をする前に!……申し訳ないが、俺は世情に疎い。……あなたは、誰なんだ?」
歩きながら、問いかける。お前は誰だ、と普段なら言うところだが。なぜか彼女にお前というのはダメな気がした。
彼女が口を開く。名前を聞くのを待望する俺の前で、先に、ディアが答えた。
「エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア。……女でなければ、僕が行くべきだった『王候補』さ。」
蹴っ飛ばしてやろうかこいつ。衝動的に動きかけたのを理性で抑える。そんなことをしてディアの機嫌を損ねるわけにもいくまい。
名前は基本本人から聞くものだろう。言いたい言葉をグッと抑え込んで、思案する。いや、なんで?そしてなんて言った?
「いや、なんでお前が知っているんだ?」
「これでも僕は神の御使いだからね……と言いたいけど、少し違う。地下で過ごしたあの夜に無理やり押し込められた知識さ。」
彼の言い分を聞いていると、どうやら俺を王として認めた段階で、「もしも王が死んだ場合の次の王についての情報」が解禁されるらしい。
その中でも、神が定めたとしか思えない得点と順位があって、彼女は王候補第三席なのだそうだ。
「王であるという最低条件は、男であることだ。だから、どれだけ頑張っても、女性が王候補として名前が挙がってくることはないはずなんだけど……。」
よっぽど優秀なんだろうね、王様になったら。ディアの言外に告げられた言葉は、俺に衝撃を与えた。
「つまり、なんだ。俺は、男だったというそれだけで王になれたのか?」
「まだなったわけでもないけどね、そうだよ。彼女が男だったら、その時点でアシャトよりも王に選ばれるための得点は高かったはずさ。」
それでも、二番目の王様候補になるだけだけどね、とさも当然のように語る彼から視線を外し、俺は彼女のほうを見た。
よくよく改めてみてみると、妥当な言葉な気もする。いや、能力面は知らないが。
目を惹く美貌あってのものだと思っていたが、違う。カリスマがあって、その上に美貌があるのか。こいつは、もともとある人を引き付ける雰囲気を、美貌で増幅しているのか。
道理で、思わず見とれるはずだ。
「『ペガサスの王像』に選ばれた今代ペガサスの王、アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアだ。……個人的な関係において、対等であってくれると助かる。」
「エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシアだ。お前が王になるまでは対等だ、同じ王族だからな。」
そう言うと彼女はピュー、と口笛を鳴らす。後ろの巨木の陰から立派なペガサスが出てきたので、合図だったのだろう。いい信頼関係を結んでいるな、と思った。
「しばらく同行させろ。一兵卒扱いでいい。」
ヒラリと鞍に跨った彼女は、俺と同じ目線で言った。どうやら本気で同じ王族をやるつもりらしい。
とはいえ。これほど目立つ女が一兵卒扱いなど、俺の見る目がどれほどないんだということになる。それは不可能だ。
それに、女でなければ王になれた、という意味をしっかり考えれば……言うまでもない。彼女は俺より、能力が高い。
それならこちらにも考えがあるさ。あくまで同じ王族の、俺の軍と同行する不幸の女。
「有能な人材を遊ばせておく余裕はないんだ。俺の同盟者になれよ、エルフィール。死ぬまで対等に扱ってやる。」
教えを乞う、というわけにはいかない。王が女に教えを乞うている、というのは……今はよくとも、旗揚げしてしまえばどうしても外聞が悪い。だったら最初から、同盟者として、隣に立つものとして、俺の傍で戦えと。反対者がいないうちに、そういう立ち位置を獲得しろと。
きっと彼女なら出来る。深く考えているわけではない。根拠はない。勘である。
だが、あなたなら出来るだろう?そう問うように、俺は要求した。
「『同盟像』なんてねぇぞ。」
「知っている。第一、お前の底を見ているでもないのに配下の『像』になどできるか。」
「私はお前の命令なんて聞かねえぞ。」
「命令はしない。……エルフィール。俺の王道を助けてくれ。」
両雄並び立たず、という言葉がある。頂点はただ一人、とするための格言だ。が、ことエルフィールとアシャトには、それは当てはまらない。
両雄が並び立てないのは、それが男であり、ともに優秀であり、ともに同じ時代に生まれ、同じ勢力に属しているからだ。そして、両方とも王になる資格を有しているからだ。
だが、エルフィールは違う。『王像』が呼び出された時代に合って『王像』に選ばれず、よって王になる資格を持たない。ペガシャール王国にあって、ペガシャール王国は崩壊の危機に瀕し、ともに優秀で、年のころも同じ。そして、男と女。
最初と最後、性別と資格。この二つが変わるだけで、両雄は並び立てる。
「俺は、お前の、女であっても王の資格を有しうるお前の、その力がほしい。」
俺は、彼女に頭を下げた。必要なのは、王であることではない。
もちろん、王になりたい想いはある。だが、王になるだけではダメなのだ。必要なのは、王として正しくあること。天下泰平を目指すこと。
「なるほど。レッドより上なわけだ。納得した。」
彼女が呟く。小声でも、辛うじて聞こえるような、そんな小さな声だった。
そして、俺の目を見ること、数分。
彼女は何を見定めようとしているのだろうか。じっと目を見つめられると、恥ずかしくてたまらない。
風が吹く音ですら聞こえてくる。雰囲気がそうさせるのだろう。ディールとアメリアも、黙り込んだまま動かない。
互いの息遣いさえ聞こえそうな距離まで近づいて、俺の目を再び見つめた彼女は、囁くように一言だけ、述べた。
「……おまえ、皇帝を目指す気は、あるか?」
俺の想いに対して彼女が放ったのは、思いがけない一言だった。
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