4.一歩前進

 ディアはむしゃむしゃと麦を口に入れていた。契約によってディアが何か力を負担する、ということは全くないようだ。

 ディールは俺に背を向けてごそごそと何かを探している。今なら遠慮なくずぶりといけそうだな、などと微妙に物騒なことを考えてしまった。

「で、兄貴。あてはあるのか?」

「ないな。どこぞの義勇軍にでも入って功績をあげるのが近道になりそうなくらい、何もない。」

俺はあっけからんとそう言い、ディールとディアは呆れたように俺を見る。

「まあ、ちょうどいいか。」

ため息をつきながらディールが引っ張ってきた紙を差し出してくる。何がちょうどいいだ、と思いながら差し出されたそれを素直に受け取って……驚愕した。

 義勇軍募集のビラである。そんなものを、この男が持っていることに驚愕した。

「親父がな、現王権を見限って結成を決意したらしい。俺にも加われと催促さいそくしてきたんだよ。」

「へえ、義勇軍か……。」

チャンスとしては十分だ。俺はそう思って中身を読んでいく。

 募集条件は多いが、簡単な中身だった。まず、12歳を超えていること。俺は18歳、ディールも19歳だ。その条件は満たしている。


 次に、魔術か武器の資格を、最低2段階以上は持っていること。

 この条件も、割と誰でも満たせる。武器の段階とは10段階まであり、種類は剣、槍、斧、拳、槌、弓、鎌、鞭のいずれでもよい。2段階といえば、武器を構えて振れる程度。ちょっと手に持つだけでも与えられそうな段階だ。

 最後に、自分の死に責任を持てること。どこかの領主軍ではなく義勇軍という形をとるのは、兵士たちの全員の責任をディールの父親が取れないという理由があるからだ。

 それ以外にもこまごまとしたいくつもの条件がかかっているが、大きなところではこの三つだろう。見事に俺には都合のいい募集だった。


「アファール=ユニク子爵領か。どの辺りだ?」

「まあ、そう遠くはねぇ。兄貴の家から三日もかけねぇよ。」

アシャトが食べ終えた米の食器を片付けて、どこからか引っ張ってきた荷物を抱え、鞍と手綱を持って言った。

「行こうぜ、兄貴。」

「……準備がいいな。」

「いつでも出れるようにはしていたからな。次兄貴が来るときにでも言ってから出ようとは思っていたんだ。」


小屋の外に出る。俺とディアもそれに続き、ディールが馬に鞍を乗せるのをそれとなく眺めていた。

「兄貴はどうやって移動するんだ?」

「歩くしかないだろう。馬には乗れるが、その肝心な馬がいない。」

寂しい話だし、馬に乗らない大将などと考えたくもないことだが、それが事実だった。

「……。ヴェインは俺しか乗せねぇしなぁ……仕方がねぇか。」

俺とディールは早々に諦めた。二人の持つ金があれば馬の一頭くらいは買えるだろうし、そうでなくても義勇軍に入ればうまくいけば将軍クラスとして馬をもらえるだろうと踏んだ。

「え、いるじゃあないか、ここに。立派で美しくて気品のある素晴らしい馬が。」

ディアが急に変なことを言い出す。そんなものがどこにもいないのはわかりきっているので、無視して歩き出そうとした。

「ちょ、待ちなよ!馬がいるんだろ、馬が!」

言われて、俺とディールは渋々と足を止めた。本当にそんなもの今はいないと言うべく振り返った。


 ディアは、普通のペガサスの大きさになっていた。いや、そんな権能を持っていたのは知っている。

「ああ、大きくなったのか。」

言うだけ言うと、また歩き出そうとする。ディールも、ディアが王像だと知ってからは彼のおこなうことに動じなくなってきていた。

「いや、ちょっと待ちなよ!アシャト!馬がいるんだろ、乗れよ!」

「え、もしかして立派で美しくて気品のある馬って、お前か?」

「もしかしなくても僕だとも。みたまえ、この純白の羽、死なない身体、立派な体躯!どこをどう見ても、王にふさわしい乗馬だとも!」

それは認めよう。素直にそう思う。彼は間違いなく、馬として望みようのないくらい立派だ。

「目立ちすぎる。」

それは、魔術を使えば誤魔化せるだろうと思いながらも、まずはその指摘。物理的な問題はそれ以外にはないのだが、それ以上に心情的な問題が一つ。

「王の象徴の上にのるとは、とんでもない。」

そういうアシャトのセリフに、深々とディアがため息をついた。

「僕はあくまで象徴だよ、アシャト。王は、君だ。僕より君のほうが偉いのさ。」

まだ、王の名前に着られているんだろうけれどさ、とまるで服のようなことを言いながら、ツカツカと俺の隣まで歩いてくる。


 ほら、乗りなというように彼は俺に背を向けた。俺はその背中をじっと見つめる。

「この背中に乗ったら、もう後戻りはできないな。」

「もうとっくに、後戻りは効かなくなっているよ。」

俺の呟きに、すぐさまディアが応じる。

「ディア。外では俺に話しかけるなよ。」

「念話を使えばいいのかな?」

「それでいい。」

サッとその背に乗った。鞍は必要ない。

 鞍が必要なのは、馬上が安定しないから。だから、争いになるわけでもないこんなただの平野で、人並みに賢いディアに鞍を乗せる必要はなかった。

「さて、行くぞ、ディール。」

「おう、兄貴!」

山を下りて、ディールの実家アファール=ユニク子爵領へと駆け始める。こうして、たった二人と二頭のペガシャール王像軍は、長い旅路を歩み始めた。




 と言ったはいいものの。アファール=ユニク子爵領は三日かければ着く場所なわけで。

 彼の領土は、今こそ名を挙げて定職に就こうとする男たちがたくさん集まっていた。

 その中をかき分けかき分け、俺たちは一路、子爵家の家を目指して進んでいく。

「親父はたぶん、兵士の名前を登録するためにどっかの職場にいるはずだよな。」

「いや、お前の親父はよく知らないが……まあ、そうだろうな。」

公的な施設がいくつも置かれた施設のほうに入る。本当はいくつもの段階を踏まないと入れないのだが、ディールの持つアファール=ユニク家の紋章のおかげで、門で止められることはなかった。

「まあ、お前が止められたら俺がエドラ=スレイプニルの紋章を出せば、家の前までは通れると思うが……。」

「ほかにも王像が召喚され、君が自宅から失踪した。もうあれから四日は経ったんだよ、アシャト。伝達の魔術で君は指名手配されているはずさ。」

ディアが愉快そうに言い、俺たちは不快そうに顔をしかめた。人相書きが出回ることはないだろうとはいえ、アシャトにとって都合が悪いのは事実だ。


 そんなことを話しながら、この街で一番大きな屋敷の前に来た。この街の名前を確認することは忘れていたが、ここがアファール=ユニク領であるなら一番大きな都市はユニクである。

 ユニク最大の屋敷の主は現アファール=ユニク子爵家当主にしてディールの父、ゲイブ=アファール=ユニク=ペガサシアだ。ここが、その屋敷なのだろうということは、建物の大きさはもちろん、屋敷街の警備員の多さから見て取れた。

「お止まりください。あなたのお名前をお聞きしてもよろしいですか?」

警備員が屋敷に入ろうとした俺たちを目にとめて問いかけてくる。

「ディール=アファール=ユニク=ペガサシアだ。この顔を見忘れたか!」

偉そうな態度でディールが胸を張って言う。この家の息子として、尊大な態度をとっているのだろうな、などと他人事のように思った。


 信じるか、それで!という叫びを必死に飲み込む。ディールがいつ家を飛び出したのかはわからないが、それから何度も兵士の異動くらいはあったはずだ。

 信じられないというような表情をする彼らに、ディールは自らの家紋を象った木彫りの印を見せる。俺たちを引き留めた兵はその印の取っ手を外し、中に書かれた文字を確認すると、ペコペコと頭を下げながら引き下がった。

 権力というやつは偉大だ、などと他人事のように思いながらも、ディールの後に続いて屋敷の中に入っていった。


「お久しぶりでございますな、ディール様。」

ディールが愛馬ヴェインを馬屋に預け、ディアが小さくなって透明化した直後、俺たちの背後から年老いた男が声をかけてきた。

 その声に俺は驚いた。

 なにせ、気配を感じることができなかったのだ。子爵の執事だけあって、相当できる人なのだろう。

「久しぶりだな、アテリオ!息災か!」

「ええ、息災でございますとも。ディール様も息災そうで何よりです。そちらの方の名前をお伺いしてもよろしいですか?」

ディアが「言うなよ」と囁いてきて、俺もその意見に同意した、今素性を話すのは、俺にはリスクが高すぎる。

「今は申し上げることは出来ないものです。子爵様には必ず申し上げることを確約いたしますが、今は我が名を告げることはご勘弁願いたい。」

無礼を承知で、アシャトはそう言わざるを得なかった。

「え、兄貴?」


ディールは俺を紹介するつもりでいたのだろう。俺の発言を聞いて驚いたように俺のほうを見つめてきた。

「兄貴……アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシア殿ですか。」

は?とディールのほうを向いた。彼は文字は書けないと言っていたのに、どうしてこの執事が俺のことを知っているのかと思ったのだ。

 もしかしたら、本当はディールは文字を書くことができて、手紙を実家に書いてでもいたのだろうか?

「ディール様は何もしておりませんよ。子爵家とは言え、ここはペガシャール王国貴族の末席でございますれば。」

ディール様に近づく者の情報を集めることなど造作もありません。そう後に続いた。

 ダラダラご汗が背を伝い、ジリジリと摺り足で後ろに下がる。


 まずい。捕まる。じっと執事を見つめ、逃走態勢を整えていると……襲撃者は、屋敷の上、屋根の上から降ってきた。

 気配を感じて腰から剣を振りぬいたとき、彼女は俺の剣に合わせるように槍を振り下ろしていた。

「「“聖光付与”!」」

上から飛び降りたにもかかわらず後方に飛ばされ、力では勝てないと判断した少女と、上から飛び降りてきたにもかかわらず振りぬいた剣に槍先を合わせてきた技量に、技術では勝てないと判断したアシャトが選んだのは、まったく同じもの。

 魔術の使用を、両者ともに選択した。付与魔術は難易度が高いが利用度も高い。理由は簡単、周囲に被害を出さない極小範囲の魔術でありながら、その効果はただ魔術で現象を形作るよりも使い勝手がいいからだ。

 剣の柄に下げられた“聖光付与”の魔法陣が光り、剣の周りにその効果を収束させる。相手の少女も、槍にピッタリと魔術が収束した。

 こうなると、今度は付与魔術の、付与できる威力の差が戦闘の勝敗に関わってくる。そしてその魔術の威力の差は、魔術の技量と魔力量で決まり……。

 アシャトはエドラ=スレイプニルの家系である。もう一つ遡れば、先代王像エドラ=オケニア=フェリス=ペガサアシアに行き着く。


 『王像』の子孫は総じて魔力総量が高い。当然だ、『像』に選ばれた時点で、個人の魔力量は大幅に上がるのだから。

 目の前の少女より魔力総量が多いアシャトは、その技量においても少女より高かった。その膨大な魔力を、術式の元で完璧と呼べるまでに制御しきっているのだから、結果は見るまでもない。

 近接戦闘技術でアシャトに勝っていたはずの少女は、たったの十合で吹き飛ばされた。

「流石ですな、アシャト殿。」

執事が言った。たった数合の戦闘で、何が流石だ。

「なんの茶番だ?」

「愛しの兄上に変な虫がついている、と思ったのでしょう。アメリア様?」

ノソリと起き上がった彼女がパンパンと服についた土を払いつつ、首を横に振った。

「違うわ。屋敷に怪しいやつがいたから討とうと思っただけよ。」

だけというには物騒だね、とディアが耳元でつぶやいた。笑えない、という声にならないうめきはアシャトの胸の中に消えた。


「ディール、ディール!帰ってきたのだろう?お客人を案内せよ‼」

先ほど入った屋敷の門から、野太い男の大声が聞こえてくる。ああ、これは。

 ゲイブ=アファール=ユニク=ペガサシアとの対面は、思ったより早く来たらしい。

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