3.最初の配下

 地下に朝はない。日が入ってくることがないからだ。

 とはいえ、習慣というのは強力だ。いつもと同じような時間には目が覚める。目覚めとともに身体を起こすと、ディアはとっくの昔に起きていたようで、彼は俺の肩を何度も何度も蹴っていた。

「楽しいか、それ?」

「他にやることがあったらやらないくらいには楽しいよ。」

つまらないなら大人しく寝てろよ、痛いじゃないか。微妙に鳴る鈍痛を誤魔化しながら、地上のほうへ上がっていく。


 寝起きで持ち上げるには少し重い木の扉を押しのけて体を外に出すと、そこは見晴らしのいい草原のど真ん中であった。穴の中から体を押し出し、地下への扉を再び閉じる。

 夕方ぶりの、吹き渡る風の心地よさに心が癒される気がした。地下はやっぱり、気分が滅入る。しかし、感慨にふけっている余裕があるわけではない。

 俺はすぐさま歩き出す。ディアは俺の頭に乗ってすっかりくつろいでしまっていた。むかつく話だ。……こいつに俺の心情理解を求めても、無理だろうが。


 小一時間ほど進んだ先に、小さな山がある。昔は義賊の拠点として使われていたそこに、俺は迷いなく侵入していった。

 義賊の拠点として使われていたのは、ほんの四年ほど前のことだ。当時の俺は仕事を受けて、一人でその義賊を討伐しに来ていた。

 きっとあれは、今の国王陛下の謀略だったのだろう。俺一人で打ち倒せるような数の義賊ではなかった。しかし、俺には王像候補としての力も、貴族としての力も弱く(力は今でもないが)、命令に従うしかなかった。


 そんな中で、当時ある男爵の怒りを買った男が、同じように命令を受けてこの義賊を討ちに来ていたのである。

「ディール!いるか?」

大声でその男を呼ぶ。二人いたおかげで、タイミングよく力を合わせられた。ともに生き延びた俺たちは、友人となった。そう、その男が、今ここに居を構えている。

「おお!兄貴!仕事か?」

俺と二人で組んで、一緒に仕事をしたことは多い。ディールの武を、俺が補助する関係が、四年近く続いていた。

「いや、俺はやらなければならないことができた!お前も来るか?」

「それは、仕事とは別物なのか?」

今まで個人的な交流か、ともに仕事をする程度のことしかしてこなかったからだろうか。ディールは俺が来れば酒か仕事だと思っている節があった。


「ああ。もっと大きいものだ。昔話したあれがあるだろう?」

王選がなくても、この世界の荒廃を止めたい。俺はそう彼に漏らしたことがあった。

「やるのか、兄貴!」

木の上から飛び降りてきたディールが言う。俺たちは互いの顔も見ないまま、こんな重要な話を大声でしていた。


 こんな何もない山に来るような奴らはいない。後ろ暗い奴らは来るが、それらはディールがすべて追い払っていた。

 だから、こそこそ話す必要はなく。俺たちは山全体に響き渡るような大声で会話ができていたのだ。まあ、山全体に響き渡らせられるほど、小さな山でしかないのだが。……山か?丘の方が正しくないか?

「へえ、彼が君の義弟かい?」

ディアが面白そうな声でそう言う。だが、俺は彼の体に少しの震えがあるのに気づいていた。


 彼は、俺たちが急に大声で話したから驚いて飛び上がったのだ。驚きすぎて、その体の震えを未だに抑えられていないのである。……本当に神の御使いなのだろうか。あまりの情けなさに、騙されていないか心配になってくるのだが。

 だが、俺は子供ではない。こいつへの心配以上にからかって遊びたい衝動に駆られても、必死に脇腹を掴んで我慢していた。笑いそうになっているその震えは、頭に乗っている彼に直接伝わっているだろうが。

「兄貴、このちっこい馬、なんだ?」

ディールは俺を……正確には俺の頭に乗ったディアを見下ろしながら聞く。俺も身長は160後半には達しているので、そう小さくないのだが……ディールはそれを遥かに凌駕する巨体だ。俺の頭を見下ろせる程度には。


 それはさておき、ディールはペガサスを見たことがないらしい。この国『ペガシャール王国』ではよく使われているのだが、軍にでも所属しない限り見ることはそうないだろう。軍用ならよくいるが、どこにでもいるというわけでもない。

「ちっこいとは何だ、ちっこいとは!僕は『ペガサスの王像』ディアだ!」

「王像ぅ?」


何言っているんだこいつ、みたいな表情でディールがディアを睨んだ。しかし、自分から名乗ってくれるとは楽でいい。

「王像、王像……はぁ、王像だと!」

やっと何のことか思い至ったらしい。一言ごとに表情が変わっていくディールは面白くはあった。

 が、表情が変わるといっても、驚きではなく憤怒の方に振り切れていくのは、見ていて気分の良いものではない。

 最後に素っ頓狂な声を上げたあと、『ペガサスの王像』がここにいることを信じられない、と見つめた。信じられない?いや、これは……ふざけるな、だろうか。

 そして、その目がゆっくりと俺のほうに降りてきた。


 ディアはディールの目が自分から離れたのをいいことに、俺の頭からばさりと飛び立つ。そのまま俺の頭の隣までスッと飛んでくると、そこで高さを維持し始めた。

 どうやら、俺の隣を飛んでいるのが権威を見せつけられるとでも思っていそうだ。……見下されているのに、いいのだろうか?

「兄貴、王様候補だったのかよ!」

「選ばれるとは思っていなかったぞ。何しろ、13子の系譜だからな。」

言うと、山の中へ歩く。あの形相を見続けたくはない。怖いからだ。しかし、話をしなければ先には決して進めない。

「詳しい話は小屋でしよう。飯はあるか?」

「王様に食ってもらうようなもの、ねぇよ。」

拗ねている。秘密があったことというより、王族そのものに含むものがありそうだ。


「ディール、俺は前からずっと候補だったんだ。でも、俺はお前の兄貴だと思っているぞ?」

振り返り、視線を合わせ、怖気づかないよう心を叱咤しながら言い切る。言い切り、数秒見つめた上で、俺の方から視線を切った。

 もう、足は止めない。言うべきことは全部言った、話は全て、小屋で、だ。

 ディールは、ああもう、と叫ぶ。まぁ、思うところがあるなら、すぐに納得もするまい。が……俺の後を追いかけてきた。

 己の気持ちより積み重ねた時間を優先してくれたように、思う。どうやら、話を聞く気にはなったらしい。




 出されたコメを口に入れる。久しぶりに胃に物が入るので、ゆっくりと噛みながら流し込んでいく。

「俺はペガシャール王国第66代国王エドラ=オロバス=フェリス=ペガサシア第十三子、スレイプニル=エドラ=ペガサシアの子孫だ。」

それを聞いて、ディールはため息をついた。

「第13子の子孫っていうことは、ほとんど王位継承権はなかったのか?」

「『ペガサスの王像』が俺を選ばない限りありえなかった。俺はもう政治とは程遠いところにいる後継者候補だ。」

断言する。この世界の荒廃が訪れた時、もう『エドラ=スレイプニル』の家系はほとんど全ての実権を失っていた。小さな小さな公族貴族としてせいぜい数人の兵士たちを率いて厄介ごとを取り払っていた程度だったのだ。


「じゃあ、兄貴は今の国王とか王太子に思うところはないのか?」

「敵だ。……お前と出会えたのは、王家が俺を殺すために俺を一人で派遣したからだ。」

ディールは口を閉じて、何かを考えているようだった。おそらくこいつの頭の中では、大したことは考えられていないだろう。ただ自分の想いとの折り合いをつけているだけなのだろうから。

「王太子に、俺は用がある。」

義弟が呟いたのは、王権に対するはっきりとした敵対意思。ペガシャール王国ではなく、現王太子アダット=エドラ=アゲーラ=ペガサシアに対する、謀反の意思。

「俺も、ある。あいつに国を任せるつもりはない。」

言い切ると、ディールは嬉しそうに笑った。俺がディールと同じ想いであることが嬉しいらしい。


「俺が、ペガシャール王国の王になる。ディール、手を貸せ。」

「いいぜ、兄貴。あれよりは兄貴の方が全然いい。」

二人して笑う。笑いの衝動が収まってから、俺は義弟に向けてまじめな話を始めた。

「『王像』に選定されたものには、特別な能力が与えられる。」

呟くと、俺はディアを頭の上まで引き寄せた。

「部下に超人のごとき力を与える能力。王の下の配下の力を向上させるために必要な力だ。」

古き千年前の悪魔殺しや鬼殺しは、多くがいずれかの『王像』の配下の『像』たちの手によって行われている。英雄のごとき力……いや、英雄の力そのものだ。


「もちろん、与える能力は人によってさまざま、同じ『像』でも目覚める能力が違う。」

像の種類も、多い。一国を建国、あるいは維持するために必要な像がいくつもあるのだ。

「ディール。お前には『ペガサスの近衛兵像』、略して『ペガサスの衛像えいぞう』にいてもらう。」

近衛兵。『ペガサスの王像』が定められる、複数の像のうちの一種。

「わかったぜ。何をする『像』なんだ、それは?」

「俺の護衛だ。『像』が率いる部隊はすべて俺の直属だが、そのうちで俺の命を守り続ける役目を持つ。」

「お前に兵を指揮しろとは言わない。お前は、俺の護衛か、俺の命令で戦場をかき回すのが仕事だ。」

人外の力を与えられるのだ。こいつを一人で戦場に放り込み暴れさせるだけでも、戦況に何か変化があるかもしれない。


 過去には、すべての像の中で武術において最強の力を得る『武像』と同等の実力を持った『衛像』の存在が報告されている。彼にはいつか、そういった存在になってもらいたいと思う。

「じゃ、契約を……という前に、改めて僕から『衛像』について説明するよ。」

俺の話が終わったと見て取ったのか、ディアが今度は口を開いた。

「ディア、頭の上で立つな。」

四本足のこいつが頭の上で立つと、頭に変な力がかかって気持ちが悪い。

「初代もそんなことを言っていた気がするなぁ……わかったよ。」

そういうと、俺の膝の上に降り立ってくる。

「『衛像』とは王の命を外敵から守る、肉壁の役割を持っている。『衛像』の能力は主の危機に応じて主の近くに移動できる“強制転移”。自分に最適な武器防具を顕現させる、“王の守人おうのもりびと”。」

ディアはそこで口を休める。


「“強制転移”は、『衛像』か『王』どちらかの意思、もしくは僕の判断によって行われる。アシャトが危機に陥ったら、すぐに僕が君を呼び出すから。」

「“王の守人”が顕現させる武器防具は人によって違う。君にとって最適な武器が、君にとって最も体に合う防具が、呼び出されるんだ。」

ディアはこれまで何人もの『衛像』を見てきたのだろう。ゆえに、彼がどういう『衛像』になるのかもうすうす察しているのかもしれない。

「もう一つ。『像』として選ばれたものには、力を開放することで身体能力と魔力が上がる。『衛像』の初期の開放倍率は開放していないときの1.8倍だ。」

「「初期の倍率?」」

俺もディールもそこに引っかかった。初期ということはそれ以外にもあるかのようだ。


「今は教えない。それを教えるためには、君たちは国を持たなければならない。君たちは国家を名乗るのに必要な国土、国民、国法がない。」

作れば教えてやる、という態度。それはそうだな、と思った。これは、国王が世界を平和に収めるための力だ。国がない俺たちに、必要以上の情報を教える必要はない。

「ほかに言うことはないのか、ちっこいの。」

「ないよ。……でも、君のために一つアドバイスをしてあげよう。」

ディアはケンカを売るような口を利くディールに文句を言わずに、平然と受け流してつづけた。むしろ俺の方が怖い。ディールは「ちっこいの」と言ったが、たとえ小さくとも彼は『王像』。神の御使いである。


「素の身体能力が高ければ高いほど、『像』として上昇する能力は上がる。鍛錬は怠らないほうがいいよ。僕が見る限り、身体能力だけなら過去の『ペガサスの衛像』誰よりも強い。」

技術力はわからないけれどね、と言うと、ふぅ、と小さな息を吐いた。

「じゃあ、契約を始めよう。君の名は?」

「はあ?兄貴、紹介しなかったのか?」

俺が返事を返す前に、不機嫌そうにディアが言った。

「言っていても言っていなくても、関係はないよ。これは契約だ。儀式だ。君は、アシャトの配下になるつもりはないのかい?」

その不機嫌さは、とんでもなく不穏だった。こころなしか気温も5度くらい下がった気がする。


 そうだ。ディアは小さいし、ペガサスの形をしているけれど。

 彼は、千年前から歴史に名を残す、神の御使いであったのだ。

 危険性をくみ取ったのだろうか。ディールは少しだけ口をつぐんだ後、答えた。

「ディール=アファール=ユニク=ペガサシア。」

「「アファール=ユニク」」

俺とディアの驚きの声が、被った。当たり前だろう。アファール=ユニク=ペガサシアといえば、第六代目のペガシャール国王だ。

「血縁上も遠い兄弟だったのか、ディール。」

「ああ、そうだよ。……うちは『ペガサシア』だしな……。憎憎しいことに。」

ディールは今の王を、ペガシャールを憎んでいる。だから、血が嫌なのだろう。心情は嫌というほど理解できるが。


 そんな瑣末なことはどうでもよかった。

「俺はうれしいぞ、兄弟!」

ディールの肩を思いっきりたたく。義弟として扱っていた男が、本当に義弟と呼んで問題ない男だったのだ。形だけではなく、本当に兄弟と呼べるのだと。

「……そうか。そうだな!」

ディールはそのことに、俺よりも遅れて気が付いたらしい。二人でともに跳ね回るように喜んでいると、ディアから「わざとやっているの?」と怒りのこもった声が飛んできた。


 慌てて二人ともにディアの前に座る。今度は彼が俺のほうを見て、「主が座ってどうするのさ」と怒ってきた。

 おこりっぽい奴だな、と言うと、誰のせいだと思っていると返ってきた。俺のせいではないと思う。




「ディール=アファール=ユニク=ペガサシア。汝、『ペガサスの王』アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアの下で忠誠を誓い、天下泰平てんかたいへいの援けを成すか?」

ディアが厳かにディールに問いかける。

「誓う。アシャト王のもと、彼の王の治める地に幸福と平和をもたらす、その一助となることを。」

諳んじるかのように彼は言う。脳筋だと思っていたが、もしかしなくても教育は徹底されていたのかもしれない。……いや、アファール=ユニクは子爵家だ。教育されていないはずがない。

「ディール=アファール=ユニク=ペガサシア。お前は命尽きるまで、アシャト王を守ると誓うか?」

「誓う。我が生命は王の鎧、我が身体は王の矛。我が死すときは王の前に。」

「『ペガサスの王』アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアが、汝を『ペガサスの衛像』に任ず。いつか訪れる他の『像』といさかいを起こさぬように。」

途端、ディアの翼から一枚、光り輝く羽が抜け、ディールの手に収まる。

 光が収まったその手には、翼を生やし、鎧兜で完全武装して、右手に矛を、左手に盾を構えた兵士の姿が現れていた。

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