2.王のルール

 自分の掌から光の柱が立った時は驚いた。きっと、間抜け面だっただろう。絡繰りなく手から光が生えているのだ。心底怖かった。

 これが何を表すのかは知っている。自分にその資格があるのも、知っている。むしろ来るなら自分だという自信すら、持っていた。


 しかし、今これが、このタイミングで、しかも数ある資格持ちの中から自分を選んで現れると、心の底から信じきれてはいなかった。誰かいる目の前でこんなものを晒さなくてよかった。自宅にいるときでよかった。

 右手の掌を覗き込む。伝承通りなら、きっと白い、翼の生えた、小さな馬がいるはずだ。

「やあ、今代の王。僕はディア。君を王にするための通行手形、『ペガサスの王像おうぞう』だ。」

若干イラッとするような、靄のかかった、しかしハリのある声だった。男の声か、女の声かは、聞いただけでは判別できない。

 神の御使いらしく人の世の理解に捉われない。そういう意味なのか。それとも、たまたまそんな声なのか。


 とはいえ、言葉から察する限り、この現象は現実らしい。夢かもしれないという僅かな恐れを乗り越えれば、頬の筋肉が力なく緩む。

 俺は、神から王に選ばれた。「よっしゃ」とか、「どうしていきなり」という思いは脇に置く。ともかくこれは一大事だ。どうしようかと頭を回す。

 緩む頬肉を引き締めることはしない。めいいっぱい歓びを顔で示しつつ、しかし冷静に考える。

 大事なのは、この200年近くにわたって降らなかった神からの加護……『神定遊戯しんていゆうぎ』がここに降り、俺が『王』に選ばれた、ということだ。

「しかし、この部屋はなんだか……あぁ……質素だねぇ。」

「いいぞ、別に貧乏って言っても。事実だからな。」

周囲を見回す馬が、なんとも情けない声で言った。そうだろう、ここはまかり間違っても王家の血に連なる男の家とは言えない。どう誤魔化しても、古ぼけたあばら家である。


 そう。王になる資格を有するとはいっても、もう没落した一門だ。

 傍流も傍流、二百年前の『ペガサスの王像』、第65代ペガサス王国国王エドラ=オケニア=フェリス=ペガサシアが十三男、スレイプニル=エドラ=ペガサシアの嫡流。


 もう騎士爵まで落ちてしまったそんな家の唯一の長子が、俺なのだ。

「おっかしいなあ。いくらなんでも前の遊戯の王の血筋がそこまで衰退するかい?」

家や家具のぼろさ具合が、王家としては考えられないのだろう。この家は地方の一般的な農夫と同じような家でしかない。王城や王都の貴族の家と比べたら圧倒的に次元が低いのだ。

「まあ、二百年経ったら王家の傍流の三つや四つ、衰退するからな。」

本当はそんな程度の数ではない。多分数倍……3~4倍にも上るだろう。が、ショックを受けているディアに気を使う。たまたま運が悪かったのだと言い切った。


「……なんだって?」

「え、何が?」

しかし、その気遣いは無用だったのかもしれない。信じられないものを聞いた、と言わんばかりの声をディアがあげる。俺には、ディアが何を驚いたのかがわからない。つい反射で聞き返してしまう。

「今は神遊暦しんゆうれき何年だい、今代の王?」

「995年だ、『ペガサスの王像』。前回から二百年経っている。」

「……まさか、そんなに遊戯が開かれることがなかったのか?神はこの遊戯に飽きていたのか?」

とんでもないことを、それこそこの世界の民衆の信仰を裏切りまくることを聞いた気がする。


 ちょっと強引にその事実から目を逸らす、王になるためには不都合な言葉から耳を塞ぐ技術が必要だろう。今はそれよりも聞くべきことがある。

「まさか、全く知らないのか?」

「ああ、僕ら『王像』やその配下は『神定遊戯』以外の時はずっと眠っているようなものだ。君たち地上の者たちのことなど、全くわからない。」

驚きながら、スッと立ち上がる。祖たるスレイプニルの代から唯一受け継がれてきた宝剣を握って外へと飛び出す。そろそろ時間だと判断したからだ。

「ちょ、どうして外に出るんだい、……名前は?」

「アシャト。アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアだ。よろしく頼む。」

「あ、うん、よろしく……って、『スレイプニル』かい。13子嫡流ちゃくりゅう……何人子供を産んだったっけ、エドラ。」

第65 代国王のことを、ディアはよく知っているらしい。そりゃそうだ、ディアにとっての先代『王像の王』は彼なのだから。


 しかし、そんなことはどうでもいいと、俺は屋敷の裏の森へと駆ける。艷王などと後世に呼ばれ、王像候補を十数人残した男は、国の荒廃を招いた理由の一つでもある。

 考えるのも、あまり気分が乗らない。同じ血を引いていると思うのも億劫だ。

「そう、そうだ!ねえ、どうして外に逃げるんだい?」

流石に俺の慌て具合から、逃げているという判断はできる様だ。とはいえ話す時間も惜しいが……騒がれるのはもっと面倒だ。

「俺が『ペガサスの王像』を持っていると知れば、現王太子殿下が俺を狙う。資格さえあればお前を盗むことはできるんだろう?」

「できるけど、選ばれた『今代の王』ほど益はないよ?」

「選ばれなかった時点であいつに王の資格がなくなるだろう!」

「そりゃそうだよ。僕は王様の象徴だもの。」

それが聞けたら十分だ。さっき立った光の柱のおかげで、王太子殿下は自分が王に選ばれなかったことを知っている。


 王の権威を望む、権力の亡者である彼ならば、俺を殺してディアを奪うという選択に何の躊躇ためらいもないだろう。

 庭の地面に置かれた木の蓋を外し、地中に体を滑り込ませる。ディアも続くように中に飛び込んできた。暗い穴の中には、何もない。食料と、衣類が少々。そして、どこまで続くかわからない長い穴があるだけだ。

「王様なのに、自分の国が敵?冗談じゃないよ!」

ディアがうめき声をあげながら、その背に生えた翼で空気を叩いて俺の横に並ぶ。

「王にふさわしくないといって決別するか?今なら間に合うんだろう?」

「それは、僕の矜持が許さない。状況だけで、王たるにふさわしくないと言う?それをやるのは『ヒュドラの王像』か『フェンリルの王像』だけだよ。」

聞き知っていた伝説を言ってみると、思っていた通りの反応が返ってきた。軽く謝罪をする。神の使徒を試したのだ、その怒りは当然だろう。同時に、『王像』たちの王選伝承を思い返す。



『ドラゴンの王像』は絶対唯一。王のもとに有能な家臣が集い、王の命令をただ待つのみ。

『フェニクスの王像』は七転八起。何度敗北しようが、王たる責務を忘れず果たすもの。

『フェンリルの王像』は信念踏襲。自らの力は、初代の王の遺志を継ぐ者のもの。

『ペガサスの王像』は適材適所。配下に役目を与え、正しき采配のもとで国を支える。

『グリフォンの王像』は勇往邁進。ありとあらゆる全てを抱え、それでも押し通す強さ。

『ヒュドラの王像』は弱肉強食。力こそすべてであるという在り方。



 自分は未だに配下すらいない。適材適所など、行いようがない。ゆえに、ディアは俺から離れない。

 誇りだと言ってはいるし、確かにそれはあるのだろうが、単純に判断材料が足りないのだろう。

「で、どうするんだい、アシャト?」

「味方を集める。」

簡単だった。誰でもそうするし、『ペガサスの王像』に選ばれた俺の責務はそれだ。味方を集めて、王として君臨する。俺はそれをしなければならない。

「味方、どうやって集めるのさ?」

「もともと、そうなることを期待して数人、唾はつけている。」

王像に選ばれる資格があるとは、子供の頃から知っていた。その証明のために、腰に結わえられた宝剣もあった。


 男なら、王になりたいと一度は望む。そして、俺には可能性は低くても、当たる可能性もまたあった。だからこそ、この日のために温め続けた友情が、いくつかある。

 頼れるなら、頼る。味方をなんとしても集めなければ、俺は何も出来ずに詰んでしまう。


 しばらく地中を歩いて、地上への扉を開けた。夕暮れだった空は、もうとっくに暗くなって、星が空にちりばめられている。

「空は変わらず、暢気なものだ。」

ついついそんなことを呟いてしまった。逃亡者生活になったのだ、少しくらいの感傷は許してほしい。

「どういうことだい?」

「今の世界には、救いがなくてな。」

俺はディアに世界事情について話し始める。


 盗賊の横行、反乱組織の乱立。新興国家の勃興。この国は、かつてない危機に瀕しているということを。ほんとうに、千五百年もの間神の加護を得ていた国なのか。ほんの二百年の間で、ペガシャールは国体としては本当に呆れるほど、追い詰められている。

 だからこそ、俺は勝利の目があると思っていた。才能に関しては何も言えない。しかし、何も出来なかった先代の借金を抱え込んで臨む神定戦争ではない。


「俺は、俺だけのやり方ができる。今までの損害が大きいわけではない。世界そのものが危機なのなら、ほかの『王像』たちとも対等だろう。」

もう一度穴の中に戻る。身体が重い。眠気が体を支配していた。当然だ、空に星があるということはもう深夜。地下を駆けた時間も、もう一時間は超えていた。

「ディア、そろそろ寝ることにするわ、俺。」

「だろうね。僕も付き合うよ。でも、明日の予定を聞いてもいい?」

まあ、それは話しておいてもいいだろう。話す必要があるかといえば、ない気もするが。聞かれたならまぁ。眠気に抗わず委ねながら、とにかく重たい口を開いた。

「一人、義兄弟がいてな……彼に、『衛像』を渡そうか、と……。」

「『衛像』?『武像ぶぞう』とか『将像しょうぞう』じゃないんだ?」

『武像』『将像』『衛像』。全て『王像』が任命する、王の部下へ超人のごとき力を与えるアイテムである。


「ああ。奴は近衛にする。俺の言うこと以外は、聞きそうにもないからな。」

誰の言うことも聞かない男を、鶴の一声でおとなしくさせる。俺が望むのは、それを俺がなすことで作り出される、安っぽい威厳だ。

 それがうまく機能すれば、兵士たちは数百程度なら簡単に集められる。

「『衛像』の身体能力強化は、最低でも1.8倍。あいつ自身の身体能力とその腕前なら、『武像』に迫る『衛像』になれる。」

「じゃあ、どうして『武像』にしないのさ?」

『武像』。武力において圧倒的で、その像一つ戦場に出るだけで勝敗がひっくり返るほどの存在。抑え込むには、同じ『像』であることを求められるほどの、強力な加護。

「簡単だ。自分で考えられる『武像』の方が『ペガシャール王国軍』のためになる。ただ言うことを聞くだけの最強じゃ、最強の意味がない。」

言い切って、今度はディアの質問が飛んでくる前に目をつぶる。


 それがきっと、俺の気持ちをディアに伝えたのだろう。彼はもう、『王』に声をかけはしなかった。

 話はまた明日。明日も変わらずディアがそこにいると信じて、俺は眠りについたのだ。

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