第3話
翌日の午後、コマチは映画館の座席に座っていた。ロイドと相談して決めた映画が、すでに始まっている。
小説家が、妻と息子を伴って、冬のホテルへやって来る。冬季休業中、ホテルの管理をするのが彼の仕事だ。しかし、ホテルに住み着いた『何か』の影響か、彼は次第に狂気に憑りつかれる。
中盤まで進んだところで、ロイドがこの映画を勧めた理由が分かった。
スクリーンの中、小説家が誰もいないバーカウンターで、怪しい笑みを浮かべる。
『やあ、ロイド』
すると、目の前に、それまでいなかったバーテンダーが現れる。
背筋に冷たい汗が流れた。
ロイドと何を観るべきか話し合ったとき、コマチが提示した条件の一つが『怖い』ことだった。なるほど、確かにこれは、単純なストーリー以上に彼女をぞくりとさせた。
映画を観ながら、彼女はぼんやりと考える。
――もし、この世界が虚構だったら。
自分はまだ冷凍睡眠中で、これはただの長い夢なのかもしれない。
もしくは、人類は今まで通り生活していて、ただ自分が「誰もいない」という妄想に憑りつかれているだけなのかもしれない。
ほかの人々がそれぞれの日常を送っている中で、誰もいないバーカウンターで話し続けている自分の姿を想像する。
取り留めなく考えを巡らしているうちに、映画はエンドロールを迎えていた。
コマチは席を立ち、係員室へ向かう。
プロジェクターを止め、タブレット端末を操作して映画の上映をキャンセルした。
ついでに画面をスクロールし、次に観る映画を物色する。
ふと思いつき、今観たばかりの映画の監督名を入力し、検索する。大昔の映画とはいえ、独特なカメラワークや映像美は悪くなかった。
表示されたタイトルと画像を眺めていたが、コマチはそのうちの一つに目を留めた。
「ロイド、今日の映画はこわかったわ」
「ご希望に添えて何よりです」
グラスの中で氷がカタリと音を立てる。
「ねえ、ロイド、今まで私は何回パスワードを間違えた?」
「一七六五回です。回数制限はありませんからご安心を」
「もう一度トライしてみてもいい?」
「もちろん」
コマチは、もったいぶった調子で、映画館で見つけた年号を口にする。
「二〇〇一」
カウンターで食器を洗浄していたロイドは、少し動きを止めたように見えた。
「映画を見つけられたのですね?」
「偶然ね」
「パスワードは解除されました。情報が開示されます」
ロイドはコマチに正対する。しかし、彼の発した情報は、コマチの望むものとは少し違っていた。
「情報はこうです。『映画館のタブレットをコード2710.8.15で検索せよ』」
「それを観れば、人類が消失した理由が分かるのね?」
「どうでしょう。さらに、二つ目のパスワードが設定されています。コマチ様が視聴されましたら、改めてお伝えすることになるかと」
コマチはめまいを覚える。これで謎が全て解けると思っていた。しかし、まだ終わりではなかったのだ。
「パスワードは、情報は全部でいくつあるの?」
「三つです。一つ目を、コマチ様は見事解除されました。残り二つ、がんばりましょう」
コマチは共同の大浴場で、湯船につかっていた。脱衣所の寒さを除けば、ここは足を伸ばしてくつろぐことができる。
頭をさっぱりさせたかった。明日にすることも考えたが、やはり今晩中に映像を確認しておきたい。
今までは、たった一人で大浴場に湯を張ることに罪悪感を覚え、めったに利用しなかった。しかし今日は別だ。
肩まで湯に沈め、深く息を吐く。
どこまでの情報が得られるか分からないが、少なくとも映像という形で、人類消失の理由が分かるのだ。
何か非常事態が起こり、全員が避難艇で逃げてしまったのか。時空の裂け目に迷い込んでしまい、自分以外の全員がパラレルワールドへ飛ばされてしまったのか。
荒唐無稽な想像を巡らせる。
そのまま、コマチは自分が冷凍睡眠に入った当時のことを思い出す。
彼女はこの船の初代乗組員だった。ちょうど、宇宙での生活が若者の間で一般化してきたころ、彼女は両親と共に乗り込んだ。二三五二年だった。
父は十数人いる操縦士の一人だった。彼は中でもベテランの部類で、多くの若手から慕われていたことを思い出す。
母は優しかった。コマチの父は仕事柄、家族といる時間が限られていたが、文句の一つも言わず家事をこなしていた。
母の病が発覚したのはコマチが二十歳のころだった。医療的な手立ては開発されていなかったが、即座に命にかかわるものではなく、長期間の安静によって治癒することが分かっていた。
しかし、問題なのは、それが伝染性のものであることだった。おそらく食品や百貨店の物品に細菌が付着し、しぶとく生き残っていたのだろう。
その病原菌は、0℃以下の環境で活動を停止する。密閉空間である船内で被害を最小にとどめ、なおかつ回復を望むためには、冷凍睡眠が最も現実的な解決方法であった。
コマチは二択を迫られた。母と共に眠りにつくか、父と共に母の目覚めを待つか。
結局、彼女は前者を選んだ。決して積極的な選択ではない。「コマチも感染しているのではないか」という周囲の疑いに耐えられなかったのだ。
コマチは熱い湯に、口元まで沈める。
冷たい冷たい眠りから目覚めたとき、他のコールドカプセルは空だった。もちろん母の姿もなく、コマチは一人きりだったのだ。
湯冷めしないよう、分厚いダウンジャケットを羽織ったまま、コマチは映画館の座席に座る。
午後に映画を観たときには気にならなかったが、今はがらんとしたシアタールームがいやに心細い。
粗い映像がスクリーンに映し出される。
居室を高い位置から撮影した映像のようだ。斜めの角度で、通路といくつかの居室の扉が見える。
監視カメラの映像のようだ。
手前の居室番号は「八〇〇」とある。トイレ、浴室、キッチンのないワンルーム、貧困層のための居室だ。
通路を歩く人々の姿がある。何の変哲もない世界だ。どうやら、音声はないらしい。
と、画面が揺れた。わずかに、何度か。道を行く人々も振動を感じたらしく、立ち止まって周囲を見回している。
画面の奥から、何かがとてつもない勢いで迫ってくる。
コマチは立ち上がってスクリーンを見つめた。
それは翼竜だった。骨ばった羽をばたつかせ、壁や扉にぶつかりながら迫る。何人かの人々はそれになぎ倒され、はじかれている。翼竜は鋭い歯の並んだ口を開閉させながら、カメラへと突っ込んだ。
画面が激しく点滅し、コマチは思わず目をかばう。
カメラは地面に落ちたものの、まだ作動しているようで、居室の扉を正面から映している。
画面の端から、翼竜が部屋へと飛び込んだ。八〇一と表示された扉が吹き飛ぶ。
しばらく部屋の中でばたつく翼と尾が見えていたが、やがて白髭を生やした男が、娘と思しき少女を抱えて出てきた。
少女は泣きじゃくっているが、けがはないようだ。扉から出ると、父親は娘をどこかへ突き飛ばす。次の瞬間、翼竜が父親の背をつかみ、そのまま飛び去った。画面の外で翼竜が暴れたのだろう、カメラはあらぬ方向へまた跳び、少女の姿を映した。
少女は赤いワンピースを着て、ポシェットを身に着けている。ポシェットには「メアリ」と刺繍してあった。
少女は近くにいた女性によって抱き上げられる。女性はカメラを蹴飛ばして、どこかへ走り去った。
カメラはいろいろな瓦礫にぶつかりながら、また居室の扉付近へ転がる。壊れた扉――メアリと父親が出てきた部屋だ。
部屋は質素なワンルームだ。セミダブルのベッドがあり、床には先ほどまでメアリが手に取っていたのであろうクレヨンとスケッチブックが転がっている。
スケッチブックには真っ赤なクレヨンで「83」と書いてある。デジタル時計のような角ばった数字だ。
そこで映像は終わる。
三度ほど映像を繰り返し見てから、ロイドのもとへ向かう。
「見てきたわ」
「竜の姿をご覧になりましたか」
「ええ。あれが人々を襲った結果、人類が消えたということ?」
「たしかに、根本的な原因は竜です。しかし、それだけではありません」
物を含んだ言い方だ。しかし、この先の情報はきっと、パスワードによって保護されているのだろう。
「それで? 二つ目のパスワードは何?」
「二つ目のパスワードは二文字です。ヒントは『メアリのスケッチブック』」
「『メアリのスケッチブック』?」
「そうです」
コマチは考えを巡らせる。映像の中で、スケッチブックに書いてあったのは「83」だけだったはずだ。わずかな期待を込めて言う。
「もしかして、八三?」
「残念ながら、違います」
「いじわる」
頭を掻きながら、コマチはため息をつく。続きは明日だ。もう何度か映像を見返してみよう。そして、八〇一号室を見てみよう。
明日のことを考えた途端、気が抜けて疲れが押し寄せる。
ロイドにおやすみを言い、自室に戻る。暖かい空気が彼女を包む。
ダウンジャケットを脱ぎ、そのままベッドに横になる。電気を消すのもおっくうだ。そのまま目を閉じる。
いつだったか焚いてみたアロマの香りが、やわらかい布団の表面に、かすかに残っていた。
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