夜の寒さが身にしみてきた頃、大きなため息をついて彼女は暗くじめじめした自らの住処でもある地下道へと帰る。

 それが日課であった彼女だが、今夜は立ち上がり、あの地下に帰ろうとした彼女を止めるものいた。

「こんばんは、いい夜ですね」

 真っ暗な場所に黒い服、月の逆光に顔はわからない。

 彼女はやれやれといった風にため息をつき、返事をすること無く黒い人物の横を通り過ぎた。

 この辺りでは初めてだが、彼女に声をかける人物は時折いる。

 しかし、その大半は冷やかしや蔑みの感情をもったものであり、助けてやろうだとか施してやろうだとか、優しい感情でというものではなかった。

 何より彼女は、たとえ助けてやろうという感情で動かれたとしても、それは自分よりも明らかに下に位置しているものに声をかけ、自己の優位を確認するためであると認識していた。

 他者から奇特な人だと思われたい自己満足のため。要は彼女のためではなく自分のために声をかけてくる連中ばかりであると彼女は理解していたし納得もしていた。

 ゆえに彼女は、自分に声をかけてくるものに返事をする必要は感じられなかった。

 いつもと同じように問いかけに無視し、隣を通り過ぎる時にちらりと相手の顔を見る。

 酷く整った顔立ちで、異様に青く輝く瞳に彼女は背筋がぞくりと寒くなった。

 そしてなぜだか、早くこの人物と距離を置かねばと早足になった彼女。

 しかし、そんな彼女の汚れきった腕を、振り返りながら掴んだ男は冷たい微笑みを向けながら更に言う。

「こんばんは。僕はそう言ったはずです。こんばんはと返す位学校で習わなくてもわかるでしょう? 」

 声色はやさしいが、その言葉と腕を掴む力は強く、彼女は男を睨みつけた。

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