老人と妖魔 4(VS妖魔アル)
アルの背中を刀の先端が掠めた。
それだけで、まるで皮膚を剝がされたような激痛が妖魔を襲った。
幾度もの修羅場をかいくぐり、そのたびに大小の傷を負ってきたアルだからこそ、この痛みに耐えることができたが、そうでなければあまりの痛さでのたうち回っていたことだろう。
「一瞬でも気を抜くな。ワシの刃は意識の外側から迫るからな」
「ちぃっ!」
声がした方向を見た時には、すでに玄公斎の気配がない。
それどころか、気配を探ろうにも一切感じない。
(迷えばその瞬間に死ぬ)
一体相手がどのような原理で攻撃してきているのか、それを考える暇さえ与えられない。
数多くの戦いを潜り抜けたアルですら、ここまで猶予のない戦いは初めてだった。
前か後か、右か左か、上か下か――――常に動き続け、剣筋を読まねばならない。
(これを作っておいて正解だった。じゃなければ、今頃俺は負けていた。卑怯だとは思うなよ、ジジイ)
アルは手に握った長剣にぐっと力を入れ、急に正面に現れた玄公斎からの攻撃を間一髪で受け止める。だが、反撃はしない。カウンターの剣を振る頃には、敵はもうその場にいないのだから。
(なるほど、伊達に今まで絶望的な修羅場をくぐってはいないようじゃ。ワシの剣術をもってしてここまで耐えたのは…………それこそ師匠くらいじゃ。しかし、あの佐前天山をもってしても、魔の物と化し、心に隙が生まれてからは……)
アルが召喚した面妖な日本刀をへし折った後、いよいよ本気を出し始めた玄公斎はまるで瞬間移動するかのような超絶機動力で幾度となくアルに斬りかかった。
そして、魔の物に対して特効のある「斬魔刀」をすでに10度は直撃させているはずだが、アルの闘志は一向に衰えることがない。そのことに、玄公斎はさらに感心した。
そもそも「斬魔刀」とは術の一種ではなく「魔の物を絶対に倒す」という強力な意思を武器に纏わせることで、魔術的な根源そのものにダメージを与える技術だ。
基本的に魔の物をはじめ、人間をはるかに超える超常的存在は基本「常勝の存在」ゆえに痛みという現象に脆弱なことが多い(竜特効などもこの類に入る)。それを逆手に取ることで、敵の動きを鈍らせて一気に仕留めるのが、現代退魔士の定石なのだが、今相手している妖魔アルムエイドは、超常の存在のくせに、劣勢経験が豊富という非常に稀有な存在であった。
体中傷だらけになるのは序の口、下手をすれば四肢の一部が捥げるようなダメージでも、彼は止まることはない。それこそが彼の意志であり、覚悟なのだから。
玄公斎の戦い方は機動力を最重視しているせいか、今一歩踏み込みが足りていないせいでかすり傷しか与えられていない。
いや、アルほどの戦闘巧者でなければ玄公斎の刀は敵を余裕で細切れにしていただろうし、そもそも掠るだけでも致命的になりうる斬魔刀を耐える方がおかしいのだ。
そしてなにより、与えたはずのダメージがかなりの速さで治癒していっている。
アル自身には自己再生能力がないにもかかわらず、だ。
(まだ速く、まだ集中する。剣術の極地、思考の水平、自他の境、すべてを超える)
今の玄公斎からは、アルの動きがまるでスローモーションのように見えている。
金属と金属がぶつかり合う音だけが、広い空間に何度も響いている。
声は聞こえない。双方とも、無駄口を聞いているだけの余裕がない証だ。
そんな二人を遠巻きに見る影が二つあった。
「ここまで来たからには、巻き添えを受けても文句言わないようにね」
「はい……でも、あれが……アル?」
環に連れられて道場の一角にやってきた白埜の目には、全力疾走しながら必死の形相で剣を振るうアルと、それをあざ笑うように飛び回る「複数の黒い影」しか映っていない。
道場の中で二人の決闘が行われると聞いて、その経過を見届けたいと粘り強く頼んだ結果、特別に中に入れてもらえた白埜。
下手をすればどちらかが死んでしまうかもしれない、そのような戦いが起きているというのに、なぜか彼女はそこまでの危機感は感じなかった。
部外者が見ているということに気づく間もなく、アルの防戦一方の状態は続いていた。
とっておきの武器のおかげで致命傷は免れていると言えど、ほとんど一切の思考すら許されない現状では、反撃はおろか、向こうの攻撃への対抗策も用意できない。
考えなくても分かるのは、このままではじり貧ということだ。
ところが、短い間に何百回と打ち合いを続けているうちに、不思議なことに「慣れ」のような感覚が出始めてきた。
(脳が……追いついてきたか。まだ集中力が……たりねえ。まだ、もっともっと……)
彼は知る由もないだろうが、それは知人の日向夕陽がこの道場で鍛えたものと同じだった。
驚くことに、アルは戦いの中で無意識に脳の情報処理能力を何倍にも向上させていたのだ。
これはある意味で、玄公斎が相手だからこその特異な変化といえる。
反射神経すらも上回ってくる極限の攻撃に対応すべく、アルはさらに深く自らの身体に問いかけた。
もっと集中しろ――――と、
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