至高にして無益
「…………?」
額に一本の角をはやした少女、白埜は、深夜にもかかわらず目が覚めた。
静かな夜だった。
数日前まではあれだけ騒がしかった世界はすっかり落ち着きを取り戻し、砂浜に打ち寄せる波の音もはっきりと聞こえてくるほど。
それなのに…………なぜか、妙な胸騒ぎがする。
白埜は昔から、こういったよくない勘だけは当たる自信があった。
特に、一番身近にいて、一番信頼しているあの妖魔に関しては。
とはいえ、宿泊施設にいるという都合上、男女で部屋が分かれており、軽々しく様子を見に行くことはためらわれた。
(少し、散歩でもしてこようかな)
外で少し海風にあたってくれば、少しは気がまぎれるかもしれない。
なんとなく自分に言い聞かせるように、白埜は服を着替えてふらりと旅館の外へと歩き出した。
×××
「先に言っておく、ジジイ、俺を殺す気でかかってこい」
「その言葉は無用。ワシが求める物は『勝利』のみ」
「なら、遠慮はいらねェよなっっ!!」
アルはその手にあまり飾り気のない長剣を生成すると、真正面から一目散に斬りかかった。
遠慮はいらないなどと言いつつ、初めから遠慮する気がなかったかのような斬撃、斬撃、目にもとまらぬ連撃――――
対する玄公斎は、愛刀の「天涙」で打ち合うことなく、すべて足さばきで回避した。
(……戻っているようじゃな、かつてのワシの全盛期の力が)
じつは玄公斎……いや、今は智白と呼ばれることが多くなった幼い神は、女神リアへ「1日だけ人間の頃に戻りたい」と願った。
人間とは違い、すでに神の座へと至った存在の願いをかなえるのは、ただでさえ願いの力が不足気味のリアにとっては相当な負担だったはずだ。それでも、彼女はきちんと約束を守り、かつての玄公斎の力を取り戻させた。
そして、玄公斎もまた一時的に戻った力の使い道を、こき使ってしまったアルへの対価として使用するというのだから、こちらもなかなかお人好しだった。
「殺す気でこいっつったよな、なんだそのへっぴり腰は」
「ふっ、挑発しても無駄じゃよ。最高の舞台を作るには、それ相応の仕込みがかかるものじゃ」
もちろんアルは分かったうえであえて言っている。
目の前にいる老人は、通常の人間とは逆の体質をしており、戦いが長引けば長引くほど能力が上昇していくのだから「戦いに勝つ」という一点では、戦いが始まった今この時が一番有利なはずだ。
普通、人間が全力を出せる時間はよくて最初の数分、それ以降は個人のスタミナにもよるが、徐々に能力は低下していく。
昔の武器が「一撃で相手を倒す」系のものが多いのも、だらだらと長い時間かけて戦っていられないという事情があるのかもしれない。
(手を抜いてるわけじゃねぇが、さすがにこれじゃ届かねぇか)
一方でアルの方も「決闘」のような形式の戦いは久しぶりだった。
彼にとっての戦いは、そのほとんどが「実戦」であり、ルール無用、情け無用の無法地帯なのが常であった。
この世界に来てから戦った相手も竜やら天使やらの人外ばかりで、お互いが相手の生存自体を否定するような熾烈な戦いを繰り広げたばかりだ。
その点でいえば、目の前にいるのは米津玄公斎という一介の人間であり、神の座に至ったとはいえ、それまでの相手と比べてだいぶ格が落ちるわけだが……それでもアルは、なぜかこの老人に対し「戦ってみたい」という好奇心が沸いた。
一体この老人の何が、アルをそこまで惹きつけるのか――――
(納得いくまで付き合ってもらうぜ、ジジイ!)
敬老精神の欠片もない斬撃が、再度玄公斎を襲う。
剣圧だけでも床の石畳がはがれ、常人には捕らえられない一閃は掠るだけで肉まで裂けてしまいそうだった。
初めは回避に専念していた玄公斎も、さすがによけきれないと判断したのか、右手に刀を、左手に鞘を構え、斬撃を防ぐ。
武器と武器がぶつかり合い、空間に甲高い金属音がこだましたかと思うと、すぐに連続で激しく打ち合う風景へと変わっていった。
「さぁて、この悪ガキはどのように仕留めてやろうかのう」
「このジジイ、なんつう目をしてやがる。くくく、俄然楽しみになってきたな、オイ」
初めのうちアルは、この老人はあの日向夕陽と同類の戦士だと思っていたし、今までの大きな戦いでもその傾向が顕著にみられた。
ただ、打ち合っていくうちに、かつて佐前天山との戦いで共闘した魔法使いに性質が似ていると感じていた。
あらかじめ一定量の強化をかけておくことはできない代わりに、強敵を倒そうという意思が脳内物質のように身体能力を引き上げ、その時だけ自らを「進化」させている…………ゆえに、楽しみでならなかった。
「俺も全力で楽しませてもらおうか! ありとあらゆる最悪なあれこれを、全部テメェにぶつけてやる!」
これから始まるのは、至高の宴にして、かつてない無益な戦。
勝たずとも至福の満足感が得られるが、勝利そのものに価値はない。
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