この光は自分の為に 後編

 米津夫妻とシャインフリート、そしてトランの4人の周りを、濃い紫色の正気のようなものが包むと、広場だった空間があっという間に毒々しい亜空間へと変わった。

 粘り纏わりつくような不快な空気と、頭が締め付けられるような圧迫感――――

 一般人なら数秒いただけでも発狂してしまう、完全なる「悪意の檻」の中だった。


「シャインフリート、トラン。絶対にその剣を手放してはいけない。手放したら最後、悪意に飲まれてしまうから」

「う、うん!」

「ヨネヅさんたちは、平気なの……?」

「今はこんな姿だけど…………伊達に長年精神修行積んでいたわけではないから」


 この空間に閉じ込められてもなお立ち向かう姿勢を崩さない4人の前に、正面の空間から巨大な竜の顔が二つ覗き込んでおり、その下には「何か」が無数に蠢いている。


『お前たちは……わが主もずいぶんご執心だった。ゆえに、我らのすべての力をもってしても、ここで亡者となってもらおう』

『キャハハ、残念だけどあなたたちもこの子たちのお仲間になるのよ♪ 理性も良心もすべてなくして、欲望だけ残る、肉袋同然にね!』


 彼らの下で蠢くものは…………おそらくは、もともと人間だったであろうものの「なれの果て」と言ったところか。

 顔はまるでスライムのごとくゲル状に崩れており、手足も不格好に腫れたり細ったり、その足取りも虚ろで、もはや生き物と呼べるかどうかすら怪しい。


「あの星辰竜ポラリスといい、ハイネと言い、どうもこの世界の竜たちはよくよく人間を洗脳おもちゃにすることが好きなようだ。しかし、この悪意の波……気を抜いたが最後、僕たちも危うい」

『ヨネヅさん、ここは僕たちに任せて!』

「……シャインフリート! 竜化したのか! 無理はしないでね」

『大丈夫……! 不思議なことに、やる気がすごく満ち満ちてくるんだ。悪竜にとらわれた人たちを助けたい…………そして、彼らを死ぬよりひどい目に合わせた、あの2竜ふたりを僕の手でやっつけてやるって!』


『我々を倒す? すでに人間ではなくなったモノたちを助ける? 人間たちの感情もいまいちよくわからないが、君の思考はそれに輪をかけて理解不能だ』

『ふふふ、どうやら狂瀾の奔流のせいでおかしくなってしまったようね。そのまま勝手に暴れて、勝手に自滅するといいわ』


 悪意が濃縮された空間の中で、デイジーが振りまく欲望の強化がシャインフリートにすくかならぬ影響を与えていることは確かだった。

 しかし、彼らは重大な思い違いをしていた。

 今まで「失敗」したことがないゆえに、想定外のことが起こることなど微塵も考えていなかった。


 まず、シャインフリートはかつて地下での戦いで、ハイネの精神攻撃に対して土壇場で打ち勝ったことがある。その経験から、彼は精神汚染への強固な態勢が身についた。

 のみならず…………戦いの経験が彼を急成長させたのだろうか。

 彼の身を蝕まんとする強烈な悪意の呪いは、逆に彼の「正義たらんとする意志」を逆により強固なものと変えてしまっていた。


『さあ、狂いなさい』


 デイジーが空中に「鍵」のようなものを召喚し、シャインフリートに突き刺そうと一直線に飛翔させる。

 しかし、シャインフリートの肩の上に載っていたエヴレナの姿を模しているトランが、神竜の剣を振るって鍵を破壊。そして、それを合図にシャインフリートが羽を広げて飛翔した。


『さあ、闇よ晴れろ! 悪意に満ちたこの檻は、僕の光ですべて照らし、跡形もなく破壊する! 臨界光域光明レクス・リヒト・レギオン!』

『その技は既に想定済みだ。抑え込んで見せる』

『悪竜王様の力、なめんじゃないわよっ!!』


 シャインフリートが幻影を消す力を持っていることを二竜はハイネからあらかじめ聞いているし、そのための対策も済ませてあった、はずだった。

 「欲望の鍵」が破壊されても「弾圧の錠」の錠前と、無数の「黒き茨希望枯らし」が一斉に襲い掛かり、その上さらにメトスの「嘆きの波動」を加えるという合体攻撃で、本気でシャインフリートをつぶしにかかる。


 しかし、それらの攻撃はシャインフリートが放った光に触れた瞬間、片っ端からボロボロと崩れ落ちていくではないか。


『うそっ!? なんで!? もっと出力を!!』

『これは…………我々の攻撃が、根本から無効化されてしまっている。そのようなことがあるというのか』

『そんなの聞いてないっ! インチキよ、これはっ!!』


 悪竜の力の源といえば知的生物の「悪意」であり、精神の根本にかかわるため防ぐのが非常に難しかった。逆を言えば、その悪意を浄化する手段があれば、悪竜たちの攻撃は無力化されてしまうのである。

 それを可能にしたのは、ひとえにシャインフリートが持つ「この光は、誰が為に」の悪竜特効と、エヴレナから分け与えられた神竜の祝福、そしてどんな苦難を持っても成し遂げるという鋼の意志があったからだろう。


 不快極まる亜空間がまばゆい光で満たされ、パリンと微かな音を立てて砕け散った。

 悪竜たちが合体技で作り出した悪意の牢獄は消え去り、非常に疲弊した様子の竜二体が現れた。

 現れたのは竜たちだけではない。不思議なことに、広場には今までいなかったはずの若い人間たちが眠るように倒れていた。

 彼らはすぐに意識を取り戻すと、次々にふらふらと立ち上がった。


「……なんだ、ここは?」

「俺は今まで一体何を……?」

「私は悪竜との戦いで負けたはずじゃ……」


『あ、あなたまさか本当に、廃人にした人間たちをよみがえらせたというの……ウソでしょ?』

『は……ははは、やればできるものだね! これで僕も、一人前に一歩近づけたかな』


 もう元に戻るはずがないと高をくくっていた、悪竜の傀儡となった人間たちが甦るのを見て、信じられないと驚きを隠せないデイジー。

 シャインフリートも、オーバードライブに匹敵するほどの力を一度に使ったせいか消耗が目立つものの、竜化してなおその表情は非常に晴れやかに見えた。


 一方、ずっと感情の抑揚のないまま戦っていたはずのメトスは、自分たちの力の根源が破られ、なおかつ人間たちが元に戻っていく現実を直視できず、呆然と立ち尽くしていた。


『わからない………わからないわからないわからない。このようなことはあり得ない。ありえないことがなぜ起きる。それに……この、胸の奥が深く沈み、喉が重たくなる……この体の不調はなんだ? わからない……わからないわからない』


「なら教えてあげよう。それが、君が今まで人間に与えてきた――――「恐怖」と「絶望」というものだ!!」


 智白の声とともに、茫然自失のメトスの首に冷たい光が走った。


「氷刃一閃 一之太刀ひとつのたち――――最期に知れてよかったでしょ?」


 返答を聞く間もなく、メトスの首がズルリとズレ落ちると、一拍遅れて綺麗な切断面からおぞましい色の液体が一気に噴出した。


「悪竜の血に触れると危険よ。みんな逃げて」

「「「「!!」」」」


 まだ前後不覚だった甦ったばかりの人々は、環の声で一瞬で我に返り、慌ててその場から避難した。



『よくも………よくも悪竜王様の顔に泥を塗ってくれたわね! お前たちだけは、なんとしてでも生かして返すわけにはいかない!!』


 同胞を討たれ怒り心頭のデイジーは、消耗した体に悪意を漲らせ、見る見るうちに力を取り戻していく。

 そして、せめてここにいる全員を巻き添えにしてでも殺してやろうと、口から鮎喰だけではない物理的な瘴気による破滅的なブレスを吐き出さんと力を溜め始める。


「させないよ!! ミラーディレイ「ひとつのたち」っっ!!」

『なっ!?』


 力を溜めるということはその分隙ができることに他ならない。

 そこに、トランが数秒だけ智白の一之太刀ひとつのたちの動きそのものを完全に模倣変身ミラーした一撃を叩き込む。

 さすがにトランと智白では力量差があるからか、一撃即死とまではいかなかったが、持っている神竜の剣の効果もあり、悪竜の強固な喉元を大きく切り裂いた。

 ちょうどブレスを溜めようとしていた瞬間に、ピンポイントに喉を切り裂かれたことで、溜めた力が暴発。喉と頭を中心に内臓に甚大なダメージを負ってしまう。


 そして―――――


『これで……とどめっ!!』


 驚くことに、シャインフリートは自分より一回り大きな体格のデイジー相手に真正面から組み付き、トランが切り裂いたのと反対側の首筋に、自らの牙を突き刺した。


 首筋を貫く一本だけ生えた鋭利な牙が光り輝く。

 妖魔アルからもらった短剣「極光」を自らの身体に取り込み、牙として再構成したのだ。


『アアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!』


 障害感じたことのない激痛で、デイジーは地下全体に響き渡るほど絶叫。

 その後もしばらく激痛でのたうち回ったが、やがてシャインフリートの力で力が浄化されたのか、その巨体を冷たい床に横たえた。


『あなた…………なぜ、人間なんかの、ために……』

『それはちょっと違う。僕が戦うのは…………自分のため、ただそれだけ』


 そう言いながらシャインフリートが光り輝く牙をデイジーから引き抜くと同時に、デイジーは息を引き取ったのだった。

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