正義竜見参

 玄公斎がもはや人ならざる身になったことに葛藤している頃、故郷の日本では様々な界隈で小さな動揺が広がっていた。

 まず、玄公斎がトップを務めているはずの退魔省では、今日も今日とて高級幹部が集まり、喧々諤々の会議を繰り広げていた。


「だから私は反対だと言ったのだ……元帥のフットワークの軽さは今に始まったことではないが、国家運営に影響を及ぼさないと約束したはずなのだが」

「とはいえ、危機に瀕している隣人がいる限り全力で助け、魔の物がいれば容赦はしない。私たち退魔士が見過ごすことはできないでしょう」

「もはやこれ以上の情報統制は不可能。あとは、どのあたりで落とし前をつけるかだ」


 軍人たちといえど、完全な一枚岩ではない。

 有能であるがゆえに、彼らは強い自意識を持っているせいで、こういった未知の問題が起きると様々な意見が飛び交い、まるで言葉で殴り合をしているかのようになってしまう。

 派閥も、大きく分けて異世界不干渉派と積極干渉派がおり、それぞれに穏健的な意見から強行的な意見がある上で、信念と道徳観から発言している意識が高い者もいれば、自分の利益が最優先の俗物までいるので非常にややこしいことになっている。


「早いうちに議会を黙らせられなかったのは失敗だったか」

「馬鹿なこと言わないの。我が国はあくまで民主主義であり、かつての挙国一致の時代はとうに過ぎたのよ。それに、起きたことをいちいち悔やんでいてもどうしようもないわ、一刻も早く手を打たないといけないのだけど、方針が決まらないことにはね」

「最近どこからか発生した、トリのマークのアイコンをしたSNS「トリッター」が、真偽不明の情報を拡散しているようです。政府でも偽情報に惑わされないよう注意喚起していますが、それもどこまで効果があるかは不明です」


 隠し通していたはずの異世界の存在は、もはや日本国民どころか、全世界の知るところとなっている。

 そのため公安機関や諜報機関は対応にてんてこ舞いになっており、さらに外務省は各国要人からの連日の質問攻めで悲鳴を上げている。

 おかげで官僚たちはただでさえハードワークなうえに、連日連夜残業続きであり、噂によれば過労で倒れて病院送りになった職員が二桁に達しようとしているらしい。


「幾瀬少将からの報告によれば……あちらの世界は危険が大きいが、利益もまた計り知れないものがあるとのこと。広大なリゾート地に、あらゆる作物が短期間で育ち収穫できる肥沃な土地、掘っても掘ってもわき続ける巨大鉱山に、原油の一大産出地帯などなど……産業化にとって喉から手が出るほどの宝の山のようです」

「あやつ……大怪我したと聞いたのに、ちゃっかりしておる。して、肝心の元帥はなんて言ってきている?」

「冷泉准将からの報告で、先刻派遣した増援部隊はあちらの世界が安定したのち、順次撤退を進めていくようにとのこと。異世界が今後行き来できるかどうかについては、あちらの世界を支配している女神様? なるものの気分次第らしい」

「向こうにも神がいるのだな。アマテラスさまが何というか見ものだが……ともあれ、元帥が拡大を望んでいない以上、積極介入はすべきではないとみる。しばらくは「先行調査中」の名目で時間を稼ぐほかあるまい」

「やれやれ、また「退魔士不要論」が盛り上がりそうじゃな。異世界の利益を暫く独占するのじゃから、それ相応の非難は覚悟せねばなるまい」

「まあまあ、彼らは結局騒ぐだけですよ。妬んで僻んで、昔なら恨みつらみが魔の物を生む可能性もありましたが、今はそのようなことはあり得ませんからね」


 できることなら、面倒ごとを抱えないためにも異世界のことは徹底的に封印して葬り去りたかったのだが…………異世界に行った部隊からいろいろと報告が上がると、捨てるにはあまりにも惜しい宝の山であるのと、様々な危機に苦しんでいる人々を放っておけないという義憤が入り乱れて、切り捨てるのが難しいと結論付けられている。

 出席者の一人が言うように、しばらくは「危険な場所なので調査が必要である」とという理由を盾に、どこまで介入すべきかを見定める時間を工面する必要があるだろう。


 ほとんど特権階級ともいえる力を持つ退魔士たちが、しばらくの間利権を独占することで面白くない顔をするものも多いだろうが、様々なルートを通じて懐柔するほかない。


 ただし…………彼ら退魔士たちが、本心はどうであれ、ナチュラルに自分たちが一般市民より上の存在であり、彼らが束になってもたかが知れていると考えていたことは事実だった。

 その油断が、のちに大きな悲劇をもたらすとも知らずに―――――



 ×××



『退魔士落ちた、日本死ね』


 とある狭いアパートに住む10代の男は、床に寝ころびながらスマホを起動し、最近流行りのSNS「Toritterトリッター」にそう書き込んだ。


 男の顔は呪詛に満ちていた。

 今まで死ぬほど努力をして、何度も何度も退魔士の試験を受けてきたというのに、結果は「不合格」。その上、退魔士の試験は受験の年齢制限と回数制限があり、男は今日まさにその最後のチャンスを失ってしまったのだった。


『これじゃ、俺……日本を守りたくなくなっちまうよ……』


 男が続けてつぶやくと、すぐさま連続した通知音とともにリプライコメントが殺到した。


『わかるわ』

『もう終わりだよこの国。平和とか言ってるけど、退魔士や政治家たちが利権を独占してんじゃん』

『最近また新しい利権見つけて嬉ションしてるらしい。どんだけ国民を馬鹿にすれば気が済むんだよ』

『これならまだ魔の物がいたころの方がマシだった』


 顔も知らないたちからの励ましの言葉に、男は目頭が熱くなるのを感じた。

 こうやってToritterで日ごろの悩みや、社会に対する義憤をつぶやくと、彼に共感した人々が慰めてくれたり、励ましてくれたりして、とても嬉しい気分になる。

 ただ、時々どこから彼のつぶやきを馬鹿にする言葉が返ってくることもあるが……おそらくは政府や退魔士たちが抱える工作員なのだろうと彼は思っている。

 あんな低レベルな連中を擁護するのは、彼らの身内と相場が決まっているのだから。


 仲間たちからの熱いエールのおかげで、退魔士になれなかった鬱憤が晴れてきたところで、珍しいことに一通のDMダイレクトメッセージが届いた。


「DM? 初めて見るな、誰からだろう?」


 彼はいぶかしがりながらも、メッセージの内容を開いた。



『はじめまして。

 あなたのToritter、拝見しました!

 つぶやきから、あなたの見識の高さと、この世界をよくしていこうとする強い気持ちが伝わりました…………あなたのような人物こそが、表舞台で活躍するにふさわしいと感じています』


(な、なんだこれは…………文章が少し胡散臭いけど、悪い気はしない、かな)


 冒頭部分を読んで、そのヨイショぶりに若干の違和感を覚えるが、現実であまり褒められた経験がない男にとって、見知らぬ人からの賞賛でも悪い気はしなかった。

 それに、彼自身も退魔士を目指し、それにふさわしい能力を持っていると自負しているのもまた事実だった。


 文章は続く


『私も常日頃から、この世界を立て直すには革命を起こし、現政権を打倒するしかないと確信しています。

 しかしながら、彼らは退魔士たちを利権と賄賂で飼いならし、国民へ圧制を敷く道具にしています。

 あなたが退魔士試験に受からなかったのも、かれらがあなたの心の強さを恐れ、わざと失格にしたことは明白です』


(そうか……そうだったのか! ようやく合点がいった! 奴らは俺を飼いならすことができないと判断して、失格にしたんだ! おのれ、なんて悪辣な……生かしておけん!)


 確かな実力を持ちながらも試験に落ち続けてきたことに男は疑問を持っていたのだが、この時ようやく事実を知り愕然とした。

 そして、すぐさま腹の奥底から怒りが満ち溢れてくるのを感じた。


『そこで、あなたを見込んでお話があります。

 決して他言無用です。


 政府を打倒するには退魔士を倒さなければなりません。

 しかし、彼らは能力を独占しており、一般人では手も足も出ません。


 ですがご安心ください。

 今噂の異世界から、新しい力を与えてくれる存在が現れ、勇気ある人々を新時代の勇者として迎え入れるとのことです。

 この新たな力があれば、古い力に縋る退魔士相手も目ではありません』


「新しい………力!?」


 男はごくりとつばを飲んだ。

 それがもし本当であれば、彼は一躍時の人となり、新たな世界の支配者の一人となることができるだろう。


 男は興奮に震える手で、DMに変身のメッセージを送った。


『とても興味深いです。

 しかし、その話は本当ですか?

 新しい力とは?』


『新しい力

 それはすなわち「竜」の力です』


『「竜」ですって!?

 では、あなたは…』


『そうですね、私のことは…………

 「正義竜ハイネ」と呼んでください』






「フッフッフ、ハッハッハッハッハ! 面白いように釣れおる。まるで入れ食いじゃな」


 真っ暗な空間の真ん中に、金髪の少年が座り心地の良いソファーに腰かけながら、周囲に浮かび上がるいくつもの画面を眺めて愉快そうに笑っていた。

 そして、彼の周りには何十匹もの青い鳥が羽ばたいている。


「人間とは実に滑稽な生き物じゃ。これほどまでに反映し、平和に使った世の中でも、理不尽な理由で不平不満を抱く者が大勢おる。リバーシの盤面はすでに多数の城に覆われておるが…………隅に追いやられた黒が多ければ多いほど、ひっくり返したときの利益も大きい………。さてさて、しばらくは「正義竜」として新たな「眷属」どもに餌をやって育てるとするかな」


 こうして、日本の中では密かに「正義竜ハイネ」に忠誠を誓う老若男女がじわりじわりと増えつつあった。



 意図せずして交わってしまった二つの世界には、早くも新たなひずみができつつあった…………

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