鉄血! 米津道場! その16
遥加の相手をアンチマギアに
そこは今までと違い夜のよう暗く、幽谷底の湖のような場所に浮いている楼閣のような建物だった。
(幸の気配がもうすぐ近くにある。だというのに、姿も形も見えねぇ)
相棒の気配がかなり濃いにもかかわらず、姿も匂いも感じられない。
そのうえこの空間は、今まで喉の空間よりも意識がおぼろげに感じ、まるで三日徹夜してベッドで眠る寸前のごとく、意識が泥のように溶けていくのを感じる。
おそらく、何層にもわたって空間をまたいで意識をつないでいるせいなのだろう。
夢の中で夢を見て、その中でもさらに夢を見ているような――――今まで精神修行をしてこなかったら、間違いなくこの場所に足を踏み入れた瞬間に気を失っていただろう。
「やっぱり…………来たか」
「これはお前の仕業か、もう一人の俺」
そして、目の前がぐにゃりとゆがむと、黒い影が現れて、夕陽そっくりの姿を形作った。
間違いない。瞑想中、そして夢の中でも何度も面を合わせた、自分自身の写し鏡だ。だが、その表情はいつもとはかなり違う。
「お前……なんだその顔。酷い
「酷い面だぁ? 忘れたのか? 俺は、お前だ」
「つまり俺は…………はぁ、あの人がこれを見たら怒るだろうな」
目の前にいる夕陽という高校男子は、一言で言えば全身が
平和な日本という国の人間に似合わない、まるで人を殺すための機械。
体つきはかなり痩せているが、それを感じさせない引き締まった肉体と、殺意を滾らせた鋭い視線。これではまるで、旧時代の侍そのもののようだ。
(あの軍人の爺さんにみっちり叩き直されたから、こうもなるだろうな。それにこれは、俺が望んだこと)
普段あまり鏡を見ない夕陽は、目の前にいる自分を見て初めて、自分がどのような変化を遂げてしまったかを悟った。
果たしてこれでいいのだろうか……という疑問は今更起きない。夕陽は、アルやリヒテナウアー、そして日向日和のような化け物になろうとしているのだから……
(本当にそれでいいのか?)
疑問は起きない、はずなのだが、なぜか心の奥底で、否定したい気持ちが沸きあがる。
なりたい本当の自分は、こんなものではないはずだと。
(……視界がゆがむ。余計なことは考えるな)
今は雑念を抱いている場合ではない。やることはただ一つ、もう一人の自分を倒し、幸を助け出す。
「「っっ!!」」
二人の夕陽は同時に刀を構え、同じ歩数で相手に斬りかかった。
そして、お互い初撃を防ぐことなく、相手の左肩に斬撃を見舞う。
「「ちぃっ!」」
鋭い痛みを無視し、間髪入れず連撃。お互いの刀がぶつかり合い、乾いた音が激しく響きあう。
そのあともしばらく、お互いがほとんど同じ動きを繰り返し、傷も全く同じところに作られてゆく。
これは、夕陽がそれだけ戦い方の最適化ができてしまうため、双方がわかっていても同じ動きしかできなくなってしまったのだ。
夕陽は勝たねばならない。しかし、このままでは迎える結末は「引き分け」ただ一点のみ。強くなった自分にとって、ある意味最大の敵は、強くなってしまった自分ということなのだろうか。
だが、しばらくしてお互いの動きが止まった時、鏡合わせだった状況にわずかな変化があった。
「…………もう一度問う。お前は、誰だ?」
「また……それか。何度でも言ってやる。俺は、日向夕陽だ」
「果たして、本当にそうかな?」
「そうだとも、俺は……日向夕陽だ」
何度も何度も投げかけられたわかりきった質問が投げかけられる。
しかし、夕陽はなぜか毎回、この質問が腑に落ちなかった。
(とある都市伝説では、鏡に向かって「お前は誰だ」と言い続けていると、自我が崩壊するという話を聞いたことがある。けど、この違和感はそんなものじゃない)
そう、違うのだ。
目の前にいる夕陽は、自分のようで自分ではない。
動きが一緒だからといって、同じ人物であるという確証にはならない。
「お前は誰だ?」
「俺はお前だ。だが、お前は俺じゃない」
「そうか、そうかそうか。ああ、そうだとも、お前は俺じゃない」
はじめてあらわれた自分に投げかけた質問が、同じように帰ってくる。
そうだとも、初めから答えはあったのだ。
(ああ、そうだとも。こいつは俺じゃない……いや、正確には俺がなりたい俺じゃない!! そうだろう…………幸?)
(……っ!!)
夕陽は明確に、目の前の自分を否定した。
その瞬間、今まで姿かたちもなかった幸の気配が、すぐ近くに感じられる。
(やっぱりそうか。目の前にいる俺は、お前が恐れている……なってはいけない俺自身、なんだな。ははは、やっぱり駄目だな俺は。お前に迷惑ばかりかけて、ずっと頼り切ってばかりで、そのくせ何も返してやることができない。最低な男だ俺は)
(……っ!!)
夕陽の言葉に、幸が必死で首を振っている気配がする。
世界中の誰よりも、夕陽のことを理解していると自負する座敷童は、夕陽が本当に大切にしなければならないものを失うことを恐れていた。
強くなるのはいいことだが、捨ててはならないものを失ってしまえば、それは本当の強さではなくなってしまう。幸はそれを夕陽に必死に教えようとしていた。
「大丈夫だ、幸。約束する。俺はどれだけ強くなっても、自分の弱さに向き合わないことはしない。俺にとって日和さんは確かに人生の目標だが、やっぱり俺はあの人そのものになれそうにないからな」
「っ!」
『あらあら夕陽君、よくぞ見破ったわ』
どこからか透き通るような女性の声が聞こえた。
それと同時に、世界を形どっていた空間がべりべりと剥がれ落ちていくのを感じる。
「お前…………いや、あなたはもしかして米津さんの奥さん!!」
「この姿でははじめましてかしら、うふふ? お婆さんは世を忍ぶ仮の姿。私は、世界と世界の狭間に浮かぶ常世の天女ってワケ! ……って、なんだかあまりうれしくなさそうな顔するわね」
「そりゃまあ、俺にとって美人はほとんど疫病神当然だし」
「最近の若い子は悟ってるわねぇ。まあいいわ」
楼閣のような空間が一変。周囲は再び神社の本殿内部のような世界になり、先ほどまで感じていた朦朧とした感覚はかなりマシになった。
そして、目の前に現れたのは、老婆姿から元の若い姿に戻った米津環がいる。
「お察しの通り、今あなたの目の前にいるもう一人のあなたは……別の世界線で、日向日和さんそのものになるために、強さを求め続けた夕陽君……の意志の分離体ってところかしら」
「…………この前米津さんが話してくれたなんとか異世界説ってやつか」
「『多重次元異世界説』ね。そう、まさにその通り。並行世界の無数の可能性の中から、少名毘古那様が持ってきてくれたのよ」
この短い説明で夕陽はいろいろと察した。
そして、玄公斎のバックにいる神が、思いの外とんでもない存在であることにも。
「と、いうわけで。これが本当に最後の最後。ありえたかもしれないもう一人の自分を、倒して見せなさい」
その言葉とともに環の姿が消え去り、またしても先ほど戦ったもう一人の自分が現れた。しかも、その肩にはご丁寧に、もう一人の幸が乗っている。
「幸……お前は向こうの世界でも、至らない俺を支えてくれてるんだな」
「…………」
自然と自分の肩に戻ってきている幸に、夕陽は悠然と問いかけた。
ほとんど重さを感じないはずなのに、幸が戻ってきただけで肩に心地よい重みを感じたように思えた。
その一方で、もう一人の夕陽はいつにもなく険しい顔をしている。
「やはりそうだ、お前は俺の弱さそのものだ。俺はおまえを倒さない限り、強くなることはできん。悪いが、ここで消えてもらう」
「弱さ……か。その弱さを許容できないお前が、強くなるなんて笑わせる。その腐った性根を俺が叩きのめしてやる」
こうして、何度も引き分けに終わった自分との戦いに決着をつけるべく、夕陽は刀を構えた。
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