鉄血! 米津道場! その5

「あれ……俺、何してたんだっけ?」


 気が付けば夕陽は、見慣れた風景――――学校から家に帰る道を歩いていた。

 時刻はすでに夕暮れ時。西の空が茜色に染まり、今日という日が残り少ないことをはっきり表している。

 彼が済んでいる家はすぐそこだ。


「ただいま」


 誰からの返事もない。

 妙な違和感を覚えながらも、まっすぐ進んだ先に台所があり、夕陽がよく見知った長い黒髪の女性が無言で料理をしていた。


「……? 日和さん?」


 直後、身体に強い衝撃が走る。

 包丁が左の肩を貫通し、血がだらだらと流れている。


「ひより――――」

「お前は、誰だ?」


 振り向いた女性は、顔全体が黒く染まっていた。


「お前は―――――ダレダ」

「っっっっ!!」


 貫通したままの包丁が、心臓ごと夕陽の身体を引き裂いて…………



 ×××



「…………夢か?」


 何やら嫌な夢を見た気がしたが、あまりの衝撃で内容をすぐに忘れてしまった。

 それと同時に、中庭の方から「ピィーッ!」と甲高いホイッスルが鳴った。

 どうやら起床時間の直前に目が覚めてしまったらしい。


「時間があるときに思い出そう。急いで着替えないと」


 そんな奇妙な目覚めを経験した50日間経過した日の朝。

 この日も修行の内容はほとんど変わらなかった。

 変わったことといえば、朝の訓練の素振りで使う鉄の刀がより一層重いものとなり、午前中のランニングはもはやちょっとした長距離マラソンの速度と化しつつあること。そのうえ、午後の座禅は今までは見過ごされてきた細かい雑念ですらも、玄公斎は察知して容赦なく竹刀で打ち付けてくる徹底ぶりを発揮してきている。


 遥加や夕陽はほとんど無心で淡々とこなしているが、普段から陽気な生活をしているアンチマギアは、いよいよもってつまらなさが限界に達し始めた。


「おい爺さん! そろそろもっと派手で面白い修行させろよ! こんなことちんたらやってても、ストレスたまる!!」

「…………まあ、おぬしにしては耐えた方か。気持ちはわからんでもない。人は目に見える成果がなければ、やる気が起きないものじゃ。気晴らしに瓦でも割ってみるか?」

「割る!!」


 アンチマギアのストレス解消のため、玄公斎は以前使った「どこでも瓦割りセット」をインベントリから取り出して、目の前に並べて見せた。


「あれ? 前より増えてね?」

「今のそなたならこれくらい余裕じゃろう」

「15枚あるじゃん……いくら何でもさすがにこれは」

「いいや、今度こそ割って見せる!!」


 仲間たちが見ている前で、アンチマギアは以前よりも5枚多い瓦を――――


「どっせぇぇぇぇい!!」


 轟音とともに最後の1枚まですべて割ってしまった!

 さすがにこれには、仲間たちも驚きだった。


「うっそ、全部割ったわ!」

「これが……私の力、だと!?」

「左様。そなたには元々それだけのことができる力が身についておったのじゃ。しかし、人は普段あらゆる制約がある故、その真価を発揮できる条件は限られておる。今こうして人知を超えた力を発揮できたのは、そなたの精神の集中が格段に深くなったからに他ならん」

「は……ははは……てことは、このまま修行を続ければ、私はもっと強くなれるのか! 私自身が恐ろしい……!!」


 実はまだまだ修行すべき点が山ほどあるのだが、それでもアンチマギアは自分の実力が知らないうちに大幅アップしていることに驚き、その身を震わせた。


「そ、それじゃああたしはっ!」

「そうじゃな、あかぎ…………の前に、夕陽君」

「は、はい!」

「いつもの戦いのように、相棒のお嬢さんを憑依させ、木刀であの畳巻を切断してみよ。どの力を使うかは一任するが、必要な技術はそなたの身体が一番よく知っているじゃろう」


 夕陽の前に、かつて木刀が歯が立たなかった畳巻が現れる。

 せめて情けないところは見せないようにしなければと、深く深呼吸して気持ちを落ち着かせると―――――


(今は〝憑依〟だけだ。幸、力を貸してくれ)

(……っ!)


 強敵と戦う前のように、自身の身体に幸の精神を合わせるが…………その直後に、斬ろうとしている目の前の畳巻から妙な違和感を感じた。


(…………? 真ん中に継ぎ目のような箇所がある?)


 まるで骨のつなぎ目のような、わずかな隙間のようなものを無意識に感じ取った夕陽は、考えるより先に腕が木刀を横に薙いだ。

 すると驚くことに、まるで蒟蒻か何かを引き裂くような感覚とともに、畳巻を両断してしまったのだった。


「なっ……!?」

「……っ!?」


 自分がやったことが信じられない夕陽だったが、それ以上に驚いたのは、今切り裂いたばかりの畳巻の断面に、鉄の芯のようなものが入っていることに気が付いた。

 鉄の芯は斬られたわけではなく、何の意味があるか不明だが、短い2本のものが縦に並んで詰まっていたらしい。

 夕陽はその見えない隙間を見事に木刀で切り裂いたということになる。


「お見事。あの隙間をよくぞ通した」

「ちょ、ちょっと待ってくれ米津さん! ってことは前回の試験の時も……!」

「いや、あのときは何も入っておらなんだ。今日はおぬしの上達に合わせ、特別な標的を用意したのじゃ。いわば「ハードモード」という奴じゃな。今までに何度かあったじゃろう、このような針に糸を通すようなギリギリの攻撃が。そなたの身体は、その感覚を思い出した、といったところじゃろう」

「…………」


 彼はいまだに信じられないという思いで、手に盛った木刀を見た。

 木刀にはヒビの一つも入っておらず、畳巻を無理やり切ったとは思えないくらいだった。


「お爺ちゃん、あたしもやりたい!」

「よかろう。あかぎは木刀でこれを斬るのじゃ」

「おいおいおい爺さん、いくらなんでもそれはあんまりだろ! ……いや、いけるのか?」


 つぎはあかぎの番だったが、玄公斎が取り出したのは、芯鉄入りの畳巻という生易しいものではなく、一本の鉄の棒であった。もはや木刀で切れるとかそういうレベルでは断じてない。


「あかぎならどのように斬ればいいかわかるじゃろ。修行の成果を見せてみよ」

「うん! やってみせるっ!!」


 あかぎは木刀を上段に構えると、なんと猛烈な炎を噴き上げて、木刀に纏わせた。

 一瞬で真っ赤に熱せられた木刀を、あかぎはまたしてもスイカ割の要領で、力任せに鉄柱の頭からたたき込み……………その勢いと高温で、硬そうな鉄柱をまるで裂けるチーズのように縦に真っ二つにしてしまったのだった。


「わお、なんという力押し。あやかちゃんもびっくりするかも」

「新しい力をだいぶモノにできておるな。まだ完全とは言えぬが、以前より大幅に無駄が減っている」

「えへへ、すごいでしょ!」


 あかぎはもともとかなりのパワーと、炎の力による高威力を誇っていたが、玄公斎からすればその力の使い方に無駄がありすぎて、真価を全く発揮できていなかった。

 だが、彼女は修行を通して自分の力をそれなりにコントロールするだけの技量が身についてきている。

 この力を極めれば、いずれ鉄の剣で竜の皮膚を切り裂くこともできる可能性もある。


「さて、最後は遥加じゃが」

「私は前の試験では的に当てるどころか、弓も引けなかったんだけど、大丈夫かな」

「そのような弱気でどうする。為せば成るのじゃ」

「為せば成る、か…………」


 いよいよ最後は遥加の出番。

 前回はいろいろと散々な彼女だったが、今回の試験は容赦なくパワーアップしている。


「では、一度に3本の矢をつがえ、一度であの的すべてを射抜いてみよ」

「へぇ~、なんだか曲芸師みたいね」

「他人事かよ! 大丈夫だ遥加! 気合と根性で射抜け!」


 廊下の縁側から中庭をはさんで100歩先にある3つの的に、一度で3本の弓を放つなど、弓道の日本代表ですらほぼ不可能な芸当だ。

 そのような曲芸じみたことを、果たして弓も引けなかった少女ができるのか?


(落ち着いて、精神統一…………)


 せめて気持ちを落ち着けようと深く息を吸い、深く吐く。

 初めのころは薄くて死にそうだった空気が、彼女の肺を一巡した――その直後!



 突如目の前に、漆黒の汚泥の大地が広がり、3が彼女を見据えているのが見えた。


(う、うわああぁぁぁぁぁぁぁ!!??)


 失くしていたと思われた「恐怖」がどこからか一気にこみ上げ、遥加は思わず目



「えええ!! すごいっ! 本当に3本同時に全部命中させた!!」

「おいおいおいおい!! なんだよ今の技!! やればできるじゃんか!! やっぱすげえんだな遥加は!」

「…………?」


 彼女が目を開けると、自分の手に番えていたはずの矢が消えていた。

 そして、消えたはずの矢はきれいに反対側の廊下にある3つの的すべてに命中していた。


(うそ。目を瞑ってたせいで、自分が何したのか見えてなかった)


 自分でも知らない謎のパワーが、弓を引いて矢を命中させたというのだから、不気味なことこの上ない。


「やはり、そなたは今まで普通の弓の使い方をしてこなんだな」

「そんなことはないと思うけど……」

「まあよい。体はきちんと弓を引く感覚を覚えているようで何より。これで、弓を引けなくなることはないはずじゃ」


 いまいち実感がわかなかった遥加だったが、もう一度弓に矢をつがえてみると、確かに今まで通り弓を引き絞って放つことができた。

 放った矢は的に当たらなかったが、普通に自分の腕が使い物にならなくて済んだことに、遥加はほっと胸をなでおろした。


「わかったじゃろう、そなたらの実力は着実に伸びておるのじゃ。しかし、今はまだ基礎を固めている段階……そなたらはしっかりと土台を固めた後、あらゆるものを修行で積み重ねていくことになる。どれだけ積み重ねられるかは、今この時にかかっておるのじゃと心得よ」

『はい!』


 4人の目に、初めのころにあった迷いはすっかり消えていた。

 自分たちは強くなれる――――その実感が、彼らに自信を齎したのだ。

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