幻想の終わり
「おうおう、熱いのう。気温ではなく、あの二人がな。ふっ、他人事とは思えんが」
「……竜もあんな風に本能的になるんですね」
「うむ、ワシも幼い姿になって思ったのじゃが、人とかかわっていくうちに竜も精神的に影響されたのやもしれんな。それより、被害状況の確認じゃ。智香、あかぎ、死者と重傷者を報告してくれ」
「う、うん! 残念だけど、24人……もう」
上空でグリムガルテとシャインフリートが戦いが終わったことを喜んでいちゃつきあっているのを背後に、玄公斎は智香とあかぎに早速被害の報告を求めた。
まず、黒抗兵団第1中隊の中核をなす「菖蒲」が戦う前に全200名いたのが、今回の激戦で24人もの人員を失った。その中には将来有望な戦力が何人もいただけに、被害は数値以上に大きいとみてよい。
また、体の一部を失ったり、生きているのがやっとの重傷者は30人おり、彼らはいったん術による治療を受けたものの、この後専用施設で集中治療を行う必要があるだろう。
つまり、現在の第1中隊は半壊状態だった。
「そうか……これらの被害はワシの責任じゃな。この体を取り戻すなど、いつでもできたというのに」
「元帥殿、それはあくまで結果論にすぎません。おそらく彼らは、タイミングを計っていたのでしょう」
「そうじゃな、むしろこの程度の損害で済んだのは奇跡じゃ。あかぎもよく頑張ったな。ワシの不在の間にも、よく部隊をまとめ上げてくれた」
「うん……あたしね、夢の中でおじいちゃんに助けられたんだ。おかげで、新しい力も身についたみたい」
そういってあかぎが、自分の手のひらを握ったり開いたりを繰り返し、己の体になじんだ新しい力の感覚を反芻していた。
今までは眠っていたままだった、あかぎの体内に宿る「原初の火種」という力。
当時は世代随一とうたわれた強力な火竜が求めてやまない、絶大な力を秘めた何かは、今のところはうまく制御できつつあったが…………
「それより元帥殿、増援の方の被害はどうだ? 向こうはずいぶんと激しい攻撃にさらされていたようだが」
「こちらもそれなりに被害が出た。予想よりは遥かに軽いが、死者が100人以上おる。重傷者はおそらく500人を超えるじゃろう」
「500人…………」
損害率1割は、軍隊としてはかなりの大打撃であるが、彼らの実力と戦った相手を考えれば、この程度の損害で済んだのはむしろ奇跡といえる。
何しろ増援として駆けつけてきたのは、初心者や無理やり仲間に加えた素人ばかりであり、もし無策で戦っていれば数秒と経たずにリヒテルの攻撃で一人残らず消し飛んでいたであろう。
4000人弱にまで戦力が減ってしまった増援部隊だったが、それ以上に異様だったのが、彼らの大半がまるで抜け殻のようにぼーっとしていたことだ。
まるで、すべての力を使い果たし思考すら混濁しているかのようで……誰もが虚空をぼーっと見つめていた。
「おじいちゃん……あの人たち、どうしちゃったの?」
「ああ、必要に迫られたとはいえ、母ちゃんが無理をさせすぎたようじゃな。彼らは出し切れる限界以上の力を使ったはずじゃ。休んだとしても、しばらくは全身筋肉痛じゃろうな」
彼らが無気力になっているのは、玄公斎が言うように環がオーバードライブ「傾城傾国」で全力以上の実力を無理やり出させたからだった。
実は死者や重症者の大半は敵の攻撃ではなく、無理をさせすぎたことによる過労死であり、それらの直接的な死因は(全員が死ぬよりはましとはいえ)環が作ったようなものである。
軍人にとって味方の損害を計算に入れて作戦を立てることなど、日常茶飯事ではあるが、やはりまったく気にしないというわけにはいかないだろう。
「っていうか「母ちゃん」って誰? おじいちゃんにまだお母さんがいるの?」
「そなたは何を言うておるのじゃ……ワシの母ちゃんといえば、ワシの奥さん……環のことに決まっておろう」
「……? 元帥の奥様、戦場に来ていらっしゃるのですか? 私も初耳なのですが」
「智香よ、おぬしまで冗談をぬかすで――――」
言葉を続けようとしたところで、玄公斎は突然とてつもない違和感に襲われた。
(あかぎも智香も、本気で母ちゃんのことを覚えておらぬのか?)
玄公斎は何かの冗談かと思ったが、この真面目一辺倒の二人が真顔で冗談を言うなどありえない。ならば、ほかに考えられるのは何かしらの理由で二人が環のことを忘れてしまったということか。
「おい、そこのお主」
「どうしましたか、ヨネヅ元帥閣下」
「わしの妻のことは知っておるか?」
「いえ……存じ上げませんね」
「そうか……」
試しに智香の副官であるサガスをはじめ、手近な人々にも確認してみるが、だれもかれも返答は同じ。環のことを知らないという。
(さてはオーバードライブ副作用か何かじゃな。ワシも母ちゃんのことを知覚してはおるが、どこにいるのかまるで分らぬ)
事前に知らされてはいなかったが、それでもなんとなくわかる。
環のオーバードライブの対価は「存在感を失う」ことなのだろうと。
それも、ただ影が薄くなるだけでなく、人々の記憶から消えてしまうほど。
(おじいさん――――大丈夫よ。私はここにいます)
(母ちゃん……ずいぶんと無理をさせてしまったな。今まで通り、ワシのそばにいてくれ)
(わかってるわ)
意識を集中させると、玄公斎の少し後ろに環の気配を感じた。
とりあえず、存在自体がすべて消えたわけではないことは一安心だが、やはりそれなりに力を消耗しているらしかった。
人間とやや力の根源が異なる天女が力を使い果たすとどうなるのか……少なくともろくなことにはならなそうなので、早めに休ませる必要がありそうだ。
「……? どうしたのおじいちゃん?」
「いや、何でもない。今は重症者の救護に専念すべきじゃな。手当の心得がある者は、救護措置を続けさせよ。移送はどうするかな」
「通信状況は改善したようですので、首都から鉄道の手配をしてもらいましょう」
環の存在感のことはいったんおいておいて、今は怪我人、特に重傷者の回復を優先しなければならない。
中にはすぐに安静にしなければならない者もいるのだが、何しろ数が多いので搬送するだけでも手一杯だ。
また、間が悪いことに、ここまで乗ってきた鉄道は機関車の故障で使えなくなってしまったので、首都から新しい列車を用意してもらう必要がある。
不可抗力とはいえ、貴重な列車を壊してしまったにもかかわらず新しい列車を要求するのはいささか気が引けるが、今は遠慮をしている場合ではない。
玄公斎が戦後手当の指示を出していると、先ほどまで空中でいちゃついていたグリムガルテとシャインフリートが戻ってきた。
「……こほん。恥ずかしいところを見せて悪かったわ、智白さん。あなたも元の姿に戻れたみたいね、よかったわ」
「いやこちらこそ、とんでもないことに巻き込んで申し訳ない」
「申し訳ないだなんて言わなくていいわ。エッツェルの狙いは元々私とシャインフリートだったのだから、巻き込んだのはむしろ私たちの方よ。それに、あなたたちが勇敢に戦ってくれてとても助かった。私たちだけだったら、今頃どうなっていたかわからないわ」
そう言ってふーっと深く息を吐き出すグリムガルテ。
今回はお互いの協力で何とか乗り切れたが、かなりギリギリな戦いであったことは間違いない。
エッツェル陣営が欲を張ってまとめて片づけてしまおうという思惑が、却って裏目に出た…………というのはあくまで結果論に過ぎず、一歩間違えればお互いがお互いを庇いあったことで消耗してしまったということも考えられる。
「それに、今回の戦いで相手の戦力を大幅に失わせたのはいいけれど、私も力をかなり使い果たしてしまったわ。だから……私から二つほどお願いがあるのだけど、いいかしら」
「グリムガルテ殿からお願いとは……。我々にできるかはわかりませぬが、お聞きしましょう」
「いえ、そこまで難しいことじゃないわ。まず、この「常夜幻想郷」に住んでいる人たちを、いったん別の場所に避難させてほしいの。できれば、あまり日光に当てないように」
「…………ということは、グリムガルテ殿はこの空間を畳むつもりか」
「あくまでも一時的にだけれどね」
今回の戦いで、グリムガルテは今後この世界がさらなる脅威にさらされると見込んでいる。
占星術があいまいな今、失った力を取り戻すだけでは足りない。さらなる力を蓄える必要があるだろう。
そこで、彼女の力だけで維持しているこの「常夜幻想郷」はかなりの負担になってしまうため、一時的に閉じておかなければならないだろう。
ただ、そうなると今までこの世界で暮らしていた少数の人間たちに、別の生活空間を与えてやらなければならない。
「ろうそくや電気の光が問題ないというのであれば、一時的に大瀑布周辺の空き屋敷を借りておこう。いずれは本格的な住処を考えねばならぬだろうが」
「ええ、それなら問題ないはずよ。それから次のお願いなのだけど、シャインフリートを智白さんのところで修行させてもらえないかしら」
「なんと!」
一つ目のお願いはそれなりに予想できたが、二つ目については完全に予想外だった。
一時的にとはいえ、グリムガルテが溺愛しているシャインフリートを手放すというのは、なかなか勇気がいることだろう。
「シャインフリート……そなたはそれでよいのか?」
「……うん、これは僕が望んだことだから。僕はもっといろいろなことを知って、強くなって、きちんとグリムガルテの隣に立てるような立派な竜になりたい!」
「そう……これは、シャインフリートの成長に必要なことだから。そう、シャインフリートの為に…………」
(この母親も子離れが難しそうじゃな……)
今回の戦いで自分の力不足を痛感したシャインフリートは、グリムガルテのために強くなることを決意した。
グリムガルテ自身はそのようなことせずとも、ずっと可愛がってあげたかったのだが…………すでにかなり寂しがっている彼女を見るに、一度お互いが離れるのはある意味必要なことかもしれないと思ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます