あかちゃん誕生!
「まさかこの世界に来てからずっと飲まず食わずじゃったとはのう。考えてみれば、金を持っていないから何も買えないのは当然じゃがな……」
「だめよ、おなかがすいたり喉が乾いたらちゃんと言わなきゃ」
「ごめんなさい…………我慢することには慣れてたから、つい」
米津夫妻から水をもらって人心地ついたフードの少女だったが、話を聞いたところ2日前にこの世界に来てからあてもなくさまよっている間、何も口にしていなかったようだ。
少女はこの世界に来る前のことをほとんど思い出せていないが、常に我慢を強いられる生活だったことは確かなようで、空腹も栄養失調寸前になるまで我慢してしまった。
「そうじゃな、インベントリには携帯食料もいくつかあるが、せっかくこの辺りには飲食店が軒を連ねておるのじゃから、そのあたりの店で腹ごしらえしようではないか」
「おなかがすいているでしょうから、好きなものを食べていいわよ。何が食べたい?」
「あたしが食べたいもの…………」
少女はあたりをきょろきょろして、何かよさそうな店を探し始めた。
すると、しばらくもしないうちに彼女が気になるものを見つけたようだ。
「おじいちゃん、おばあちゃん、あたしアレがいいっ!」
「……何かと思えばカレー屋ではないか。異世界にもカレーがあったとは驚きじゃな」
「この辺りは高級志向のお店が多いにもかかわらず、ずいぶんと庶民的なお店みたいね。…………あら、しかも大盛りのお店ですって」
少女が選んだお店は、リゾート特有の高級レストランではなく、なぜかリゾート地に堂々と鎮座している個人営業の庶民的なカレー屋だった。
しかも看板には「噂の大盛りカレーの店」と堂々と記載されている。
米津夫妻はそろって顔を見合わせたが、少女が食べたいというのであればその意思を尊重してあげることにした。
(よほど腹が減っておるのか、細っこい女の子だというのに、大盛りのカレーを食べたいとはな。まあよい、ワシも昔は軍内の大食い大会で準優勝したこともある。ワシは普通盛りを頼んで食いきれない分を食べてやるとしよう)
「らっしゃい! ご注文は?」
「ワシはカツカレーの普通盛りを頼む」
「わたしは野菜カレーの小盛りでお願いしますね。あなたは何を頼むの?」
「あたしはあれが食べたい!」
「ん?」「え?」
少女が指さした方を見ると、壁にかかった黒板に「超絶特大『王冠山脈カレー』!! 30分以内に食べきれたら賞金10万§!!」とデカデカと書かれていた。
これには米津元帥だけでなく、お店の人まで慌てて止めに入った。
「ま、まて……いくらなんでもそれは無謀じゃろて!?」
「お嬢ちゃん本気か!? やめておいた方がいい、このメニューは異世界フードファイター向けのモンで、喰いきれた人間は片手で数えられるほどしかいねえぞ!」
「大丈夫です!! あたし、食べます!」
「ねえ店長さん、残ったものはインベントリに入れてお持ち帰りして、今日のうちに召し上がりますから、一度作っていただけないかしら?」
「そこまで言うのであれば…………どうなってもうちの店は責任持ちませんぜ」
こうして注文を終えると、店主は古い形の電話でどこかに応援を頼むと、やがてほかの場所からコックが続々と集まってきて、フル稼働で料理を始めた。
そして…………
「ほい、まずは旦那さんと奥さんの分だよ!」
「こ……これはっ!」
「なんということでしょう……」
「わぁ、おじいちゃんとおばあちゃんのカレーも美味しそう!」
まず米津夫妻が注文したカツカレーと野菜カレーが来たのだが、すでにその量が半端ではなかった。
小盛を頼んだはずの環の野菜カレーでさえ、普通の店の大盛りくらいの分量があり、普通盛りのカツカレーに至っては殆どお盆に直接乗っけたくらいある、尋常ではない量だった。
さすがの玄公斎もこの量を前に冷や汗が止まらない。
(ワシとしたことが……目測を誤った! じゃが、普通盛りでこれとなると、この子が頼んだ超絶特大とは…………?)
「……? おじいちゃん、おばあちゃん、食べないの?」
「いやいや、そなたの頼んだメニューが来るまで待っておるだけじゃ。せっかく食べるのだから、みんなで一緒に食べたいと思うてな」
するとその直後に、男二人がかりで運ばざるを得ないほど巨大な皿……と言うよりも、ほとんど大きな植木鉢の様な大皿に、具材がこれでもかと言うほどてんこ盛りになった凄まじいカレーが運ばれてきた。
高さだけでも座った女の子を上回る大きさがあり、一つ食べただけでも胃がもたれそうな拳大の空揚げにコロッケやメンチが丸ごと数十個、更には特大目玉焼きや何を思ったかナポリタンが大盛りで乗っかっているなど、見た目だけでもカオス極まりない。
「よいか……無理はするでないぞ」
「そうよ、食べられなかったら素直に言ってちょうだいね?」
「うん! 大丈夫だよ! すっごくおいしそう! いただきまぁす!」
「「いただきます……」」
米津夫妻の心配をよそに、少女は用意された取り皿を使うことなく、カレーの超巨大山脈に真っ向から食いついていった。
小さな体の一体どこにそんなに入る場所があるのだろうか? モリモリ食べる少女の勢いは一向に衰えることなく、店の人たちの度肝を抜いた。
「うそだろ……半分も食べればほとんどの奴は白旗を上げる『王冠山脈カレー』を、平然とした顔で食ってやがる!」
「クレイジー…………」
「おーい大変だ! 『王冠山脈カレー』を完食しそうな、化け物の様な女の子が現れたぞー!!」
店にいたほかの客の中には、余りの異様な光景に興奮し、すぐに仲間や通行人たちに稀代の大食いの存在を知らせた。
すると、噂を聞いた人々が次々と店に駆けつけ、5分もしないうちに店内はやじ馬で満員となってしまった。
そんな中でも、少女は気にすることなく美味しそうに食べ続け……制限時間の半分にも満たない12分で見事完食を果たしたのだった。
「おいしかった! ごちそうさまでした!」
「すげええぇぇぇぇぇ!!??」
「嬢ちゃん本当にやりやがった!」
「あの量のカレーはいったいどこに消えたんだ……」
ギャラリーが一斉に沸き上がり、少女の健闘をたたえたが、肝心の彼女は周囲がなぜ騒いでいるのかがよくわかっていないようだった。
で、その一方米津夫妻はと言うと……
「おじいさん……私の分もたべますか?」
「バカいうなよかあちゃん……ワシも限界じゃ」
元々小食の環は小盛りでも多すぎたようで半分残しており、玄公斎は何とか食べきることができたが、このような量は久しく食べていないため非常に苦しそうだった。
「おばあちゃんもう食べないの? だったらあたしがもらっていい?」
『え!?』
あれだけ食べたにもかかわらず、少女は環が食べ残した分をもらうと、そちらもぺろりと平らげたのだった。
「完敗だぜお嬢さん……これは約束の賞金だ」
「ありがとうございます! えへへ、見て見て~! あたしも初めて「ミッションクリア」したよー!」
「そ、そうか……よかったのう。じゃが、おじいちゃんは少し苦しい。しばらく休ませてくれ…………」
今まで殆ど負けなしの元帥だった玄公斎も、久々に謎の敗北感を覚えたようだった。
「あー、それより親御さん……? それとも祖父母さんか? この子の完食記念の写真とプレートネームを作ろうと思うんだが、名前を聞かせてもらっていいか」
「名前…………おお、そうじゃった」
特盛チャレンジ達成者は、店に写真と名前が飾られることになっているのだが、少女はまだ名前を思い出せていないことを今更ながら思い出した。
だが、玄公斎の中でふとある名前が閃いた。
「この子の名前はあかぎ……米津あかぎ、じゃ」
「おじいちゃん……それ、あたしの名前?」
「気に入らなんだか?」
「ううん、あたしもそれがいい! あたしの名前は今日からあかぎー!」
(すまんな店主よ、この子には少々深い事情があるのじゃ)
(わかった……午前中にあのドメス野郎たちが騒ぎ起こしたのは聞いている。この子はその関係なんだろう)
こうして、フードの少女は玄公斎から「あかぎ」と名付けられた。
仮初とはいえ、ようやく自分の名前を得たことが嬉しかったのか、あかぎはしばらく無邪気に自分の名前をやじ馬たちに得意げに名乗っていた。
「おじいさん……さては大盛りの料理を食べてる姿を見て思いつきましたわね?」
「すまんなかーちゃん。あれを見た後は、あの名前しか思い浮かばぬ」
なお、少女の名前の元が元の世界のとあるゲームのキャラクターからだということは、口が裂けても言えない事実であった。
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