米津元帥仕事中

大悪臭の後始末 (VS悪臭魔神)

 青い海、白い砂浜、緑の椰子の木、そして黄金に輝く太陽…………

 エリア1「アクエリアス」が誇る美しき南国リゾート、クリアウォーター海岸は、ほかのエリアと比べても危険度が圧倒的に低いこともあり、一般観光客が大勢いた。

 海岸では水着の男女が無邪気にはしゃぎ、街角では流れの吟遊詩人が陽気な歌を奏で、飲食店ではグルメな金持ちが高級海鮮料理に舌鼓を打っている。


 そんな平和な光景の中、米津玄公斎と環、そしてフードを被った女の子の3人は依頼された仕事をこなすため、目的地に向かってレンガ道を歩いていた。


「そういえば聞いていなかったけれど、あなたのお名前はなんていうのかしら?」

「それが…………わからないんです。あたしの名前が何だったのか、どこから来たのか、どうしてこんなところにいるのか…………」

「ほほう……それはまた難儀じゃな。知らず知らずのうちにこの世界にいたということか。その様子では、ハンター免許をもらう前に特に何も考えることなくあの船に乗ってしまったというわけじゃな」


 名もなき少女は黙ったままこくんと頷いた。

 ごく普通の少女かと思っていたが、まさかの記憶喪失であった。


「これは余計に放ってはおけませんねぇおじいさん」

「そうじゃのう……せめて仮の名前だけでもないと不便じゃろう。とはいえ、適当に名前を付けるのもアレじゃし…………」

「…………あの、おじいちゃん、おばあちゃん」

「あら、どうしたの?」

「なんだか、嫌な臭いがするんだけど…………」


 米津夫妻はまだ何も感じないが、少女はどこからか漂ってくる悪臭に気が付いたらしく、顔を顰めた。


「どうやら、仕事場が近いらしいようじゃな」

「おじいさん、多分あれじゃないかしら。富豪向けの立派なホテルですわ」

「悪臭か……なるほど確かに、ワシもようやく気が付いたが、ここまで漂ってくるとは相当な酷いにおいじゃのう」

「観光客もこの辺りから急にいなくなってしまいましたね」


 目的のホテルは、比較的広大な敷地と大きな建物、そしていくつかの付属施設がある、ファンタジーに出てくる宮殿のような見た目だった。

 立地も申し分なく、ホテルに付随するビーチや船が発着できる桟橋などもある。


 だが、今では謎の激烈な悪臭により、ホテルそのものだけでなく周囲の建物にすら人が全く寄り付かず、半ば廃墟と化してしまっている。


「やれやれ、どうしてこんなになるまで放っておいたのじゃろな」

「きっと途中から手に負えなくなってしまったのでしょう。止める人がいなければ、さらなる悪臭を集め、より悪化する。まさに悪循環ですねぇ」

「あうあうあうあう……くふぁくて、いひがでひぃないぃ」


 ホテルの敷地に入ると悪臭はさらに激しくなり、このような状況に慣れていない少女は呼吸困難に陥っていた。

 米津夫妻は何ともないかのように振舞っているが、二人も我慢しているだけで、平気というわけではない。

 そこで、環が気圧を変化させる術を使うと、彼らの周りに新鮮な空気の膜と、悪臭を遠ざける気流が発生し、三人が悪臭を感じることはなくなった。


「あ……あれ? くさくない?」

「私が術で悪い空気を遮断したわ。これでしばらくは嫌な臭いはしなくなるはずよ」

「そ、そんな便利なものがあるなら、もっと早く使えばよかったのにー!」

「ははは、それもそうじゃな。臭いのひどさを確認しようかと思うたのじゃが、奈路ほどこれは想像以上にひどいようじゃ。腐敗臭だけでなく、危険な刺激臭もある。おそらく、硫化水素やメタンガスが発生しておる。なるほど、これは対策をせねばハンターもお手上げじゃな」


 集会所で依頼主の頼みを断っていたハンターたちがいたが、彼らの判断はある意味で正解だったのだろうと玄公斎は思った。

 ホテルの建物内は悪臭だけでなく、汚れやごみなどが発する物質が化学反応を起こして様々な毒ガスを作り出しており、その濃度は視界が黄色い靄でおおわれるほどだった。

 おそらく、本格的にこの仕事を片付けるためには、毒ガスを防ぐための防毒マスクや、防護スーツを用意せねばならない。

 当然、そんな装備をそろえていたら報酬をもらってなお大赤字は間違いない。

 ハンターはあくまで仕事であり、ボランティアではないのだ。


 しかし、都合のいいことに、環おばあさんは空気や気圧を術で操ることができる。

 これによって三人は臭いや毒ガスの影響を受けることなく、仕事に集中することができるのだ。


「おじいさん、空気の流れからあそこのお部屋が目的のようですよ」

「おお……周りの空気が引き寄せられておる。なんじゃ、話に聞いておった『トルトル魔神』とは、ワシら人間も汚れとみておるのか」

「な……なんか、汚れが凄すぎて……見てられないよ。しかも、足元もべたべたするぅ……」


 やってきたのは、それなりに豪華な部屋の一室だった。

 彼らの周りを流れる空気はこの部屋に吸い寄せられており、果たして部屋の中央のテーブルには小ぶりなランプがあり、その上に毒々しい紫色の雲に乗ったアラビア風の男…………のような見た目の精霊が鎮座していた。

 聖霊はまるで重量級の力士のように肥え太ってしまっており、それでもなお周りの空気を吸い込もうと必死になっていた。


『ファ……ファッファッファッファッファ! 気になる臭いはワガハイにぜーんぶお任せ! トルトル魔人の登場だ!』


「これか、支配人の言っていた噂の不良品は」

「不良品ではありますけど、使い方が悪かったというのが本音でしょうね」

「ひえーーー、なにこれ気持ち悪い!? これを倒せばいいの?」

「おぬし、意外と怖いもの知らずなのじゃな。その向こう見ずさは悪くはないのじゃが、一度落ち着くのじゃな。このアイテムは上の方はあくまでも実態がないゆえに、物理的な攻撃は無意味。それゆえ、叩くとしたら本体のランプの方じゃが……今ここでランプを破壊すれば、ため込まれた悪臭が一気に放たれ、この辺り一帯は汚染されてしまうじゃろうな」

「そんなぁ……じゃあ、どうすればいいの?」

「まあ見ておれ、ここはかあちゃんの出番じゃ」

「ふふふ、まさか一番初めのお仕事が私の独壇場になるなんて思ってもみなかったわ。さ、魔神ちゃん、もっとたくさん空気が吸えるようにしてあげるわね~」


『ファファファ、気になる臭いはワガハイにぜーんぶお任せズボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ』


 なんと、環は「臭いトルトル魔人」を術で強化してしまう。

 ランプの魔神は本来これ以上の悪臭をためておくことはできないのだが、環は術によって空気の圧縮率をさらに上昇させ、同時に空気の流れを操って悪臭の吸引能力を強化した。

 魔人は雲だけでなく膨張しきった体もどす黒く染まり始め、完全に許容量を大幅に上回って無理をさせていることが一目でわかる。


「あわわ……大丈夫なのこれ!? 爆発しちゃわない!?」

「普通なら爆発してしまうじゃろうな。じゃが、かあちゃんの手にかかれば何も問題ない」


 ホテルを中心にたまっていたよどんだ空気は、環が無理やり強化させたトルトル魔人の力でどんどん吸い寄せられ、1時間後には各部屋のカーテンやベッド、床にまで染みついたすべての悪臭がすべて消え去った。

 つい先ほどまであれだけの悪臭に包まれていたホテルは、今や海の香りすらしない完全な無臭空間へと変わったのだった。


「はい、お仕事ご苦労様。ランプの中に入ってもいいわよ」

『グボボボボ』


 悪臭を無理やり圧縮させられたトルトル魔神は、これまた無理やり本体のランプの中へ閉じ込められた。

 そして、残ったランプは環が手袋をして手に取ると、次の瞬間にはどこかに消えてしまった。


「終わりましたわおじいさん。このアイテムは『インベントリ』に保管しますわ」

「うむ、よくやってくれたなかあちゃん」

「あのー、ランプが消えちゃったんですけど、手品か何か?」

「ふふふ、手品なんかじゃないわ。おばあちゃんはね『インベントリ』っていう魔法の収納を持っているのよ。おばあちゃんが手に持てるモノなら、専用の空間に保管しておけるようになる便利なものなの」

「船に乗る前に町で買っておいて正解じゃったな。一人分10万§するだけあって、便利なものじゃわい。わしらが武器や荷物を持っていないのは、全部インベントリに保管してあるからなんじゃ」

「いい子にしてたら、ここでのお仕事が全部終わった後にあなたの分もおばあちゃんが買ってあげるわ」

「いいの!? ありがとうおばあちゃん、おじいちゃん!」


 こうして、悪臭の原因となった「臭いトルトル魔人」というアイテムは、環のインベントリに格納された。

 この限界を超えて圧縮された悪臭の塊は、いざとなった時に強力な悪臭毒ガス弾として利用することができそうだ。


 いずれにせよ、依頼主からお願いされていた仕事はこれで完了だ。

 あとは報告の為に集会所に戻るわだけだが、悪臭がなくなった後のホテルの中をゆっくりと見回った環はやや複雑な表情を見せていた。


「しかしもったいないですねぇ」

「おばあちゃん、もったいないって……何が?」

「せっかく立地もよくって建物の内装も立派なのに、経営者さんはそれを維持するための手を抜いていたみたいね。見てごらんなさい、廊下は殺風景で部屋の手入れにもところどころ手抜きの跡があるわ。お金持ちってね、意外とそういう細かい手抜きに厳しいのよ。支配人さんがこんなアイテムに頼って、結局失敗しちゃったのは、ホテルを手抜きで経営していたからじゃないかとおばあちゃんは思うのよ」

「へぇー、そうなのかー」

「あと二日で営業再開できなければ、ホテル経営の認可が取り消されるとは言うが、ううむ…………」


 その後も米津夫妻は、すぐに依頼主のところには戻らずに、建物とその周辺をじっくり歩き回った。

 悪臭のせいで敷地内の植物はほぼ全滅し、手入れができなかったせいでほとんどの設備は故障寸前で放棄されている。


「これ……営業再開してもお客さん来るのかな?」

「まず来ないじゃろうな。というよりも、そもそも再開できる状態ではない。そして、この話を正直にすれば、あの依頼主はおそらく報酬を出し渋ってくるに違いない」

「えー、そんなの許されるんですか?」

「さあのう、そこは向こうの良心に期待するほかあるまい。まあしかし、ほかに打つ手がないわけでもない」

「そっか……それじゃあ、お仕事が終わったら…………ほうしゅうが、……」


 と、ここで少女の体が突然ふらつき始め、危うくその場に転びそうになった。


「あら、どうしたの? やだ、ちょっと顔色が悪いわ。空気の遮断が不十分だったかしら」

「あたしは、まだ……だいじょぶ」

「む、これはまさか…………脱水症状じゃ。なぜ今まで我慢しておったのじゃ…………すぐに水を飲ませねば」


 急いでインベントリから飲料水を飲ませ、少女はなんとか力尽きる寸前で助かった。

 どうやら、いろいろと先が思いやられる存在のようだった。



【今回の対戦相手】悪臭魔神 (臭いトルトル魔人)

https://kakuyomu.jp/works/16817139557628047889/episodes/16817139557652761836

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