エピローグ

1

 七方位家での生活は二ヶ月目を迎え、クリスマスや大晦日が近づくに連れて来客の数も増えていった。

 入江さんいわく、当日は肉親と過ごす人が多いから今がピークだというのがけっこう残念でもあったが、やはり家が賑わうのは悪くない気分だった。

「あーあ。本当、この家って人に言われて掃除しようって気になるような人がいないんだよね。嫌になっちゃう」

 乙さんがぼやいているが、これに関してはまったくの同感だった。やはり才能ある人間はパーソナリティが歪んでしまうものなのか——と、客人の去った部屋をふたりで片付けながら考える。魔弾またまちゃんと勘解さんが泊っていた部屋だ。いやはや、悪い子供と悪い大人が手を組むと本当に手が付けられないものである。次からはせめて魔弾ちゃんだけでも僕の部屋に泊めることにしよう。いや、本当に首輪が必要なのはどちらかというと勘解さんの方なのだが——。

「御宗寺さん辺りが手伝ってくれたらいいのにね……。お掃除だけに」

「うわっ、それマジで耳にタコができるほど言われてるやつなんだけど」

「許せよ。僕が言ったのは初めてだろ」

「本当にお掃除してくれるならまだいいんだけど、本当になにもしないからねあの人達……」

 そう、生真面目そうな外見に騙されてはいけない。あの双子、図々しさでいったら1人ずつでも常人の二乗の二乗である。手のかからない人間がいない七方位家の中でも、他人から効率よくリソースを奪うことにかけて彼女たちの右に出るものはそれこそ不在だろう。

「……ねえ、毎回思ってるんだけどさ。いったいなにが起こったら部屋に石膏の破片が放置されるんだと思う?」

「あ、そんなのあったの?じゃあ今回はお絵かきだったのかな。ほら、デッサン用のそういう石膏像があるんだよ。じゃあ木片とか毛束みたいなのは筆の残骸かな……」

 魔弾ちゃんの破壊的創作活動は、どうやら継続中のようだった。

 まあ、このくらいならまだ正気な方である。ビート板やら水着の切れ端やらが落ちていたときは本当に頭が爆発しそうな思いだった。

「——と、まあひとまずこんなもんじゃない?」

 まだ掃除は必要だが、部屋はおおよそ元の形がわかる形になってきていた。

「ふあぁ~もう疲れたよー疲れた。ちょっと飲み物とってくる」

「一階は御宗寺さんがいるよ」

「うえぇっ、あぶなっ!」

 と乙さんは階段から飛びのいた。

「そんなあからさまに避けるなよ……」

「いや、別に嫌いな訳じゃないけどさあ……いや、やっぱ嫌いかも。疲れてるときには絶対会いたくないって」

 それも同感だった。

 まあ、僕はこき使われるのがけっこう嫌いじゃないから、今から乙さんの分も含めてお茶くらい入れてくるのも——ついでに御宗寺姉妹にお茶を入れ、お菓子を出し、延々とつまらない話に付き合うのも——悪くはなかったが、さすがに今はちょっと気乗りしない。

 体力ならまだあったが、それを今、御宗寺姉妹に費やしてしまう訳にはいかないのだ。

「じゃあ入江さんに足止めしてもらうように頼むんだね……あの人なぜか御宗寺姉妹と普通に会話できるから」

 というか、七方位家初期メンの会話の成立しづらさは異常だった。

 もし入江さんがこの家を継がなかったら、いったいどうしていたのだろう。

 一応みんな成人していて、一人立ちしているはずだが——あんな人達でも一応社会に存在してはいるというのは、なんだか勇気づけられる話だった。

「えー、入江さん呼んで御宗寺さんもついてきたら最悪じゃん。衛自がお茶入れてきてよ」

「悪いけど、僕には悪里あくりちゃんとの先約があるんでね。掃除が終わったらピアノを教えないといけないんだよ」

「懐かれてるねえ……。いいなあ。めちゃくちゃ可愛いじゃん、悪里ちゃん。口きいてくれたことないけど」

「女の子が苦手らしいよ」

「えっなにそれ、そんなことまで聞き出してるの!?うわ~もう羨ましいなあ仲良くなっちゃってさあ~」

「ダル絡みしないでよ……。まあ、そんな訳だから。僕はもう行くよ」

「はいはい、みんなお仕事があって偉いですね~。私もお茶入れるついでに御宗寺さんにこき使われてきましょうかね……」

 僕は笑った。

 そう、仕事があるのはいいことだ。

 僕は自分の部屋に戻る。

 悪原あくはら悪里ちゃんはベッド上に座っていた。

「やあ、お待たせ。悪いね、ずいぶんと散らかってたもんでさ……」

「ん。大丈夫だよ。待ってない」

 そういいつつも、悪里ちゃんは待ちかねたようにベッドから降り、足早にピアノの脇に向かった。

 僕は彼女の横顔を見遣る。

 ベリーショートの黒髪にまるで透き通るような白い肌は、一見すると男の子のようにも見えた。

 言葉数は少ないが、それも幼さやたどたどしさではなく凛とした印象を受ける——とにかく、齢12にしてすでに中性的な魅力というものに満ち満ちた少女であった。

 正直、油断すると存在感だけで圧倒されてしまいそうだ。

 あえて音漏れには配慮していないので、僕の弾くピアノは家のそこそこの範囲でそこそこに聞くことができる。悪里ちゃんはその演奏を聞きつけて僕の部屋を訪ねてきた人間の一人だった——そして、ただ単に僕の演奏に感動してくれた唯一の人間だった(他にやってきたのは面白半分に妨害しにきた連中ばかりである——それも悪里ちゃんが入り浸るようになってからは、すっかりご無沙汰だったが。そういう意味では、損得勘定込みでもこのレッスンはしっかり続けていきたいところだった)。

 強くてニューゲーム状態の僕には、一般的なピアノの上達速度の相場など知る由もなかったが、しかしそんな僕でも理解できるほど、悪里ちゃんはその平均値をぶっちぎったセンスの持ち主だった。

 まあ順調に進めば遠からず抜かされることになるだろうが、せいぜいそうなるまでの期間ができる限り長くなるように、僕も精進するとしよう。

 そんな僕らのレッスンは、まず僕が一曲を通して弾くのを悪里ちゃんが聞くというところから始めるのが恒例だった。

 もともと、彼女にねだられて色々と弾いていた頃の名残である。

 言ってしまえばウォーミングアップのような手続きだったが、しかし僕にとって、そんなものは存在しない。


 僕の演奏のすべては、この家の幽霊に捧げるためにある。


 音楽は『時間の芸術』というらしい。

 時間という時間を知り尽くし、繰り返し再生し続けるしかない彼女はきっと、これっきりの無為なものの価値を、誰よりも知っているのだろう。

 さて。

 僕はいつものように、ぶっつけ本番で鍵盤を叩き始める。

 練習なんて、したことがなかった。

 僕の演奏は常に、彼女に聞いてもらうための本番だ。

 すべての偶然が必然になり、

 すべての奇跡が運命になり、

 すべての事故が事件になる。

 そんな家の幽霊は、偶然を、奇跡を、事故を待ち続けている。

 そんな——未来予知者の家で。

 僕たちは、邪魔されることを待っている。

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𝒇𝒇𝒇 - Forgotten For Fate - あいあ @AIA_001

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