第42話 『光の階段』と『ささくれた塔』 -3
基本的にやることは変わらなかった。ただ、『光の階段』の組み立て方を変えるのだ。そうすることで、何かが変わるはずだ。彼は早速これまで集めた『段』を組み上げては壊してまた組み上げる、という作業に執心した。
と、しだいに見えてくるものがあった。
1と1で、2になる。
2と1で、2になる。
ここまできて、おや、と不安がよぎる。
2と1で、2になる。
2と1で、2になる……
きりが無いことが分かり、いったん全てを分解する。今度は違った方法を試みる。
1と1で、2になる。
1と1で、2になる。
次に、
2と2で、4になる。
ここまできて、彼の心臓が高鳴ってくる。
4と2で、8になる。
もう一度繰り返しても、同じように8になった。
そして、彼は同様に8と8を組み合わせてみる。
と、64、という今まで見たことのない段数が現れた。
そこで、こういうことではないのではないか、と一抹の不安がよぎる。たしかにこれまでよりも効率よく上へと昇っていけることには違いない。しかし所詮はただ足し算が掛け算になっただけである。それこそ、物理空間的な加減乗除という法則に縛られているのではないだろうか。
彼は組み上げ方の再考を始めた。と、突然変異的にどの計算方法に当てはめても説明できない数字がはじき出されてくる現象が、ぽつぽつと現れ始めた。
今のところそれは、逆に段が減ってしまったり、単純な足し算よりもむしろ悪い結果をもたらしたけれど、彼は気にしなかった。続けていればいずれ、突発的に高い段数をたたき出すかもしれない。ともすれば、限りなく無限大に近い値になるかもしれない。
物理空間的世界では、十年ほどが経過していた。その間彼の抜け殻である『ルーマニア伯爵』は、ひたすら段を持つ物を集めていた。しかし、思うようには集まらないようであった。やはり、人間という種の中で『段』を探すのが最も効率が良いようだ、と結論付けた彼は自ら行動を起こすことにした。
『龍の涙を受け止める花弁』を使って、ただひたすら『光の階段』を集めて組み上げる。また集めては組み上げる。無心でその作業に集中できている間は、彼はこれ以上ないほどの幸福感を味わっていた。
しかし、問題が発生した。
どうやら『龍の涙を受け止める花弁』について、ママ・キャサリンと物理空間的世界で呼称されている存在が、何がしか感づいたようなのだ。完全に理解しているとは考えにくかったけれど、このまま放置しておくわけにはいかない。彼は、そう考えて、ママ・キャサリンを消滅することに決め、意識を最下層へと移した。
ママ・キャサリンは、彼の『抜け殻』――ルーマニア伯爵のことは、当然知っていたけれど、本体の肉体は初お目見えだった。彼が、物理的空間世界での肩書き、名前を名乗ると、
「『ドン』だけが分からなかったんだけれど……あなたが……そういうことなのね」
と、よく意味の分からない言葉を口にして、余裕の笑みすら浮かべていた。ただ、彼から見れば、それが虚勢であることなど一目瞭然であった。予想に違わず、隙を見て逃げ出そうとしてきたのだ。しかし彼にとっては分かっていたことだったので、難なくそれを食い止めてナイフで腹を切り裂いた。
事後処理をどうするか、それはこれから考えることとして、まずは『龍の涙を受け止める花弁』を回収しなければならない。あれがなければ始まらない。
彼は『仲間』に電話連絡を行い、いつものように回収を依頼する。もっとも、『仲間』は何も知らない。何も知らずに、ただ彼の言葉に従い現世での名声を得てそれで満足している。彼にとっては理解しがたい生物であった。
二日後、念のため確認の電話をする彼の耳に、その『仲間』は信じられない言葉を吐いてきた。
「昨日と一昨日は忙しくて行けなかった」
忙しくて行けなかった――
意味が分からなかった。
まだ何か言おうとしている『仲間』を無視して電話を切り、彼は電車に飛び乗り、なかもず駅へと向かう。
御堂筋線の終着、なかもず駅の8号出入り口へと続く階段を途中まで登り、踊り場に目を這わす。
エレベーター入口のそばにいつものように『龍の涙を受け止める花弁』が立てかけてある。ほっと胸をなで下ろした彼が、そちらへと歩いていこうとした、その刹那、突然何者かが現れ、それに手を伸ばしてきた。
「あ、それ、私のものなんです」
こういうときはいつも、この言葉で解決するのだ。
そう高をくくって顔を上げ、目の前の青年の姿を見た瞬間、彼の全身に衝撃が走る。
「椋山先生」
青年――竹田和也は、彼に向かって笑みを浮かべている。ぎこちない笑みだ。頬を伝う汗が、緊張を物語っている。『龍の涙を受け止める花弁』の前に立ちふさがり、動こうとしない。
「どうして、その傘がここにあるんですか? なぜ、先生はそれを知っているんです?」
蔵元知恵の肉体には、森本桃子の意識を入れた。知り合いだったこともあったのか、錯乱することもなく、微妙なところで精神の安定を保っているのだろう。
「どうして、というのはこちらのセリフだよ。和也君。どちらでもいいけど、とにかくそこをどきなさい」
「この折り畳み傘、頂くわけには行きませんか? ずいぶんと古いようですけど……ちょっと彼女がこの傘を気に入ってしまってね」
「椋山先生、この傘って、あの日わたしが先生に借りたものですよね。あの、親睦会の日に」
蔵元知恵の姿をした森本桃子は、言った。
「ああ、そうだ。わたしが森本さんに貸したんだったね。……それがどうかしたかね?」
早くこのくだらない会話を切り上げて、『光の階段』を組み上げるのだ。そのためにはまずは目の前の折り畳み傘――『龍の涙を受け止める花弁』を回収しなければならない。
「今の発言で分かりました。今回のこと……というよりも、全ては先生が仕組んだことだったんですね」
「全て、とは?」
竹田和也――彼も、何かに気づいたようだ。仕方がない。消滅させるしかないようだ。あの人間のように――
「ママ・キャサリンは……ママさんも、あなたが殺したんですか?」
今度は蔵元知恵の姿の森本桃子の発言。
「……そうか」
どういう理由かは分からない。どの程度まで『こちらの世界』に踏み込んできているのかも分からない。いずれにしても皆、何がしかには気付いている。
「この傘は、もともと姉さんのものだ」
言うと、竹田和也は、あの時の少女――竹田やよいに同意を求める仕草をしている。竹田やよいが、曖昧に頷く。
「そうだ」
彼は口を挟んだ。どうせ全員消滅させるのだから、もはや発言に気を使う必要はない。
彼はテープを再生するように自らの記憶をだらだらと吐き出しながら、物理空間世界から少し上へと上昇して全体を俯瞰してみる。
竹田和也、森本桃子の意識体が漂っている。いずれも0段目の存在だ。もっとも、当初一段目の存在であった森本桃子の『段』はすでに濾し取ったあとなのだけれど。
そして、あの少女の抜け殻――竹田やよいもその後ろにいる。
十七年前のあの日、竹田やよいから傘――『龍の涙を受け止める花弁』を奪い取った。それが、ちょうどこの場所だった。その瞬間、彼は肉体を離れて『龍の涙を受け止める花弁』となる。
それ以来ここ――なかもず駅8番出入口の階段の踊り場――は、特別な場所になっていた。力を発動したあとの傘は、どういう経路をたどるにせよ、必ずこの場所に帰ってくるのだ。
もともと彼が入っていた人間としての肉体は、中身が『傘』に吸い取られる形になり、抜け殻として街を彷徨うこととなった。そしていつしか『ルーマニア伯爵』と呼ばれるようになる。ただ、そんなことは彼にとってはどうでもいいことであった。とにかく上へ、と、そのことしか考えていなかったのだ。
しばらくして、ふと物理的空間へと下りて行った彼は、自分が椋山という人間となり、なかもず駅構内で立たずんでいることに気付いた。手元には『龍の涙を受け止める花弁』があった。『傘』を何かの拍子に手にした椋山が、それを使用したことで、中身が入れ替わることになったのだろう。ただ、数オクターブ上を彷徨っている彼には、物理的空間での『入れ物』が移ったことなど、些細なことだった。
その後、しばらくは大人しく様子を見ていた。すると、しだいに物理的空間での彼の位置づけが分かってくる。
どうやら、椋山という人物は、大学でうだつの上がらない助手をしていたようだ。梅田大学社会学部都市創造学科でたった一人、都市伝説を研究課題としていたらしく、当然ながら異端の扱いを受けていたようである。
社会的な体面などはどうでもいいことであったけれど、生命の維持に支障があっては困る。さらに、物理的空間で段を集めるにあたって、社会的に影響力が無いというのも若干都合が悪い。また自らを『龍の涙を受け止める花弁』に移して、次に手に取ってくれる人を待つ、という手段も考えたけれど、それも不確定要素が多い方法だ。次にどんな人間に入るかが分からない。さらに、何かの拍子に『龍の涙を受け止める花弁』ごと消滅させられるかもしれない。そうなったときに彼がどうなるかは予測不能だった。考えた末、彼は『龍の涙を受け止める花弁』を使っての失踪事件を、一つの都市伝説に仕立て上げることにしたのであった。
物理的空間では、彼の前には竹田和也、元蔵元知恵の肉体を持つ森本桃子、竹田やよいの肉体が存在するはずであったけれど、彼の意識上には、『ささくれた塔』だけが認識されていた。
その細部では刻々と形を変えながらも、こうして大きな視点で見ると常に一定の方向性を保って見えた。
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