第40話 『光の階段』と『ささくれた塔』 -1
あの日『声』への道に脱落してから、再度枠を組み立てる作業に執心していた。その作業に、この地下室は都合がよかったのだ。そして人が『ルーマニア伯爵』と呼ぶ、元々は倫太郎のものであった肉体の残骸を労働力として使役することにした。
肉体を乗り換えたとはいえ、薄皮一枚『伯爵』とのつながりが残っていた。意識の中のほんの片隅にではあるが、確かに『伯爵』の存在が感じられた。
枠とはいったいいかなるものなのか。漠然としたものしかイメージできていなかった彼に転機が訪れる。偶然あのときの少女を見かけたのだ。年月を経て別人のように成長してはいたけれど、確かに面影が残っている。何より、彼の本能がそう告げていた。
彼女はあの少女の抜け殻であって自分を蹴落とした存在とはまったく別のものだ、ということは頭で分かってはいた。それでも、自分でも何に由来するものなのか判然としない闇色のもやが胸のうちを覆いつくし、それは物理的空間での肉体の調子にまで影響するようになっていた。
存在しているはずの少女の存在は、実は存在していなかったのではないか、と二オクターブ上で浸食を受けていたとき、彼は漠然と感じていた。しかし、肝心のものが、彼には見えていなかったのだ。『枠』だけに執心して、それに足をかけようとはしていなかったのだ。
彼は現在、物理空間的世界から二オクターブ上層階層にいた。かつてはただひたすら、上へ上へと意識が向いていたけれど、今は下を見下ろす余裕もあった。すると、それ――『光の階段』とでも呼称できるものが確認できたのである。数えてみると、各階層にそれぞれ、ちょうど十二段ある。
うねうねと形を自由に変えながら、それでも段の高さ自体は変わらずとどまっているその『階段』とはつまり、各階層のなかでのさらに細かい序列のようであった。
最も下層の物理空間的階層では、ペットボトルや電子レンジ、クレジットカードやら人間や牛乳パック、蟻や雑草、猫、壊れたラジオ、等々、ほぼ全てのものが0段目に存在していた。そしてときおり、一段目に存在するものもあった。彼はそこに着目した。『光の階段』を自らの手で作ることにした彼は、とにかく、少しでも『段』を持っている存在を集め、それを上方向へ積み上げることにした。
まず手始めはピンク色のポーチだった。彼を蹴落として『声』のもとへと昇って行ったあの少女が持っていたものである。それは物理空間的世界の二段目に位置していた。その上へ、さらに段をもつ存在――彼が集めたものはそのポーチ以外は全てたったの一段目の存在でしかなかったけれど――を積み上げていく。
その作業に必要なのが『龍の涙を受け止める花弁』であった。それはいわば『ろ過装置』のようなもので、存在自体をそれで濾してそこに残った『階段』だけを集めるのだ。それはノートであっても鉄パイプであっても人間であっても、何でもかまわない。要するに0段目の存在でなければ何らかの足しにはなる。
彼が『枠』と呼んでいたものは『光の階段』を昇るための言わば手すりのようなものであった。あった方が上りやすいけれど、それだけではどうしようもない。おそらく、彼が手すりだけを頼りに必死で上を目指しているその傍らで、少女は悠々と階段を昇っていたのだろう。
この階層のなかで、彼自身が一段目にいるのか、それとも十段目にまですでに昇っているのかは分からなかった。『光の階段』は、自分のいる階層よりも下の階層のものしか認識することが出来ないようであった。
どうすればこの階層での『光の階段』が認識できるようになるのかはまだ分からない。とにかく、まずは『光の階段』を組み上げることだけを考えることとした。
作業は順調に進んでいた。今までは『枠』のみを集めていたルーマニア伯爵に対して、今度は『段』を集めるように仕向けたのだ。一段目に居る存在を探して梅田の街を彷徨い歩き、発見したらそれを持って地下室へと向かう。あとはときおり『龍の涙を受け止める花弁』を持ち込んでそのものに接触させて『ろ過』を行う。
人間以外のものについては、それで良かった。しかし『段』をもつ割合が最も高いのが、圧倒的に人間であった。人間が持つ『段』を濾し取るためには、他のものと同様『龍の涙を受け止める花弁』を接触させる必要があったのだけれど、これがなかなか難しかったのだ。彼はルーマニア伯爵に任せることを諦め、自ら動くこととした。
問題は、『段』を濾し取ったあとどうやって『龍の涙を受け止める花弁』を回収するか、という点だった。紛失してしまうことだけは避けなければならない。最初に使用したときには、その『龍の涙を受け止める花弁』を持つ人間の後をつけ、なかもず駅まで赴いた。
そこはちょうど、あの少女が昇っていった、まさにその場所であった。一段目に位置するその男は、まるで彼女の亡霊に導かれるように寸分の狂いもなくその場所にたどり着くと『龍の涙を受け止める花弁』を手放したのであった。
予想外ではあったけれど、彼にとっては都合の良い現象であった。その場所自体に、何らかの意味合いがあるのだろう。
『龍の涙を受け止める花弁』にはその男の意識が残り、そして男の肉体には、その前に梅田の地下室で濾し取ってきたカーテンレールの残骸が入って行った。
ひょこひょこと足を進めるそのカーテンレールは、ときおり壁にぶつかりながら、それでも歩みを止めない。その肉体に染み付いた感覚を頼りに家族の待つ家に帰ろうとしていた。その数日後、カーテンレールは自ら手首を切ってその肉体を消滅させたようであった。
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