第32話 ある小児科医の証言 -4

 席に案内されたあとすぐにコーヒーとチョコレートパフェを注文した。店員が去ったのを見計らっておれが訊く。

「蔵元知恵に会った、と言ってたよな? ちょっと詳しく聞かせてくれ」

 六月二十七日木曜日の夜、蔵元知恵と『ルーマニア』で会ったあと、駅の改札までは一緒に行った。それが、おれが彼女を見た最後だ。一方、ロン・メイメイが彼女を見たのは、六月三十日の朝で間違いないようだ。つまり、研究室に集められて陸奥と乙に事情を聴かれていた日の朝には、知恵は大阪ミナミをほっつき歩いていたということだ。

「どんな様子だった」

「じっさいに会話したわけじゃないから、分からない。でも、こっちを見てはっと何かに気づいたように走って行っちゃったから……まぁ変といえば変だタョ」

 知り合いには会いたくない心境だったのか、それとも何か事情があって姿をくらませているのか。いずれにしても、ここでこれ以上議論しても何も解決しないことだけは確かのようだ。

「じゃあ今度は、こっちの番ョ。何のために『ルーマニア』に行ったのか説明して。わたしいなかったら危なかったネ、君は」

 そう言うと、右手の人差し指をこちらに向け親指を上に立てて拳銃を撃つような仕草をする。

「あれは、ちょっと現場に気になることがあってね。写真を撮ってきたんだ」

 携帯電話を取り出し、データフォルダを開ける。合計十枚ほど、ゴミの写真が映っているのを、順番にロン・メイメイに示してみせる。ふぅん、と気のない返事を返しながら、最後まで見終えたあと、

「で、それがナニ?」

「もっともな質問だな」

 さすがの彼女も片眉を吊り上げて小首をかしげる。

「それが分かれば苦労はないんだけれど、残念ながら、さっぱり」

「はぁ? なにか探し物があったのじゃないの?」

「探し物、というか、探し物があったかどうかを探しに行ったというところかな」

 とん、と目の前にコーヒーが、ロン・メイメイのほうにはチョコレートパフェが置かれた。ウェイトレスらしき少女は、ご注文は以上でよろしかったでしょうか、とお決まりのセリフのあと、こちらの返答も聞かずに去っていく。

 ロン・メイメイがさっそくパフェにかぶりついた。口の周りにチョコレートをつけたまま、こちらに目を向け、

「もう一回見せてョ」

 と今度はスプーンで生クリームをすくって口へと運びながら、右手を差し出してくる。おれは携帯電話を手渡した。

 ロン・メイメイは、食べるほうの手は緩めずに器用に携帯電話をいじっていた。

「古いのいっぱいだネ」

「古い? まぁそうだな。でも古い新しいっていうより、ただボロいだけなんじゃないの? なんせゴミだからね」

 コーヒーに口をつけながらなんとなく返答するおれに、ロン・メイメイが首をふる。

「ボロいじゃなくて古いのいっぱいョ」

 一瞬、日本語がちゃんと通じなかったのか、と思って丁寧に言い換えようとしたとき、

「ほら」と携帯電話のディスプレイをおれに示してくる。何の変哲もないボロ布に見える。

「これ確か二十年まえのモデル。間違いないョ」

「二十年前のモデルって、このボロ布が?」

「そうみえてれっきとした海外ブランドのワンピースョ」

 ルーマニア伯爵がいったいいつからゴミを集め始めたのかは分からない。ただ、二十年前のワンピースがあっても何らおかしくはない。

「あ、これは十五年まえモデルの……あらあら、ほんでこっちは確か十八年まえの……」

「なんでそんなに詳しいんだよ……もしかして年齢サバよんでる?」

「サバよむ?」

「ああ……年齢をごまかしてるってこと。本当は四十歳とかね」

 意図を分かってくれたらしく、べっと舌を出してきた。チョコレートとクリームで白黒のまだらな舌だ。

「とにかく、わたしもぜんぜん知らないころの物が多いってこと」

「全然知らない頃って、いっても十五年ぐらい前のもんだろ?」

 ロン・メイメイは必死で首をふりながら、ディスプレイをおれに見せながら、

「だから『十五年ぐらい』じゃなくて、十五年以上前のものばっかり……ホラ、これも……これも!」

「十五年以上前……」

 何かがおれの中で引っかかる。十六年前、十五年前、十八年前――

「ちょっと貸して!」

 まだ言い足りない様子のロン・メイメイから、携帯電話をひったくる。メイメイが何か苦情めいたことを言っているようだったけれど、聞こえていなかった。彼女の言う年代が正しいとすれば『ゴミの部屋』のゴミは妙にある年代に集中している。

 そしてその年代は――

「あった!」

 おれが探し当てたのは、一枚のアップの写真。その片隅に小さく、ピンク色のポーチが写っている。切れてしまった持ち手をよく見ると、白いタグが付いている。

「これ……姉さんのだ」

 震えるおれの手から、携帯電話をひったくるように奪ったロン・メイメイは食い入るように画面を睨みつけ、

「ホントに? こんなに小さくてわかるの? けっこうありがちなポーチにみえるケド」

「その、持ち手の白いタグは、昔母さんがつけたものなんだ。万が一無くしても大丈夫なようにって」

「ふぅ……ん」

 まだ満足していない様子のロン・メイメイから、携帯電話を取り戻す。電話帳を開き、姉さんの番号を探し出して発信する。

 しばらく無音の時間が続いて、電源が切られているというアナウンスがあった。

「やっぱりダメか……」

「お姉さん?」

「そう。まだ関西にいるはずなんだけどね」

 会っていったいどうしようというのか、自分でもわからない。ただこの写真は見せなければならないような気がした。あとは出たとこ勝負だ。

「じゃあ、次の候補だ」

 おれはメモリーから、門医院の電話番号を探し出した。色々とあってけっきょくうやむやのまま会えずじまいになっていた。

 少し早過ぎるか、と逡巡したのも一瞬だけで、手はすでに発信ボタンを押していた。三回ほどコール音が鳴ったあと、誰かが出た。年配の男性の声だった。なんとか自己紹介と用件をまくし立てると、それでは待っています、と一言だけ返答があり、電話が切れた。

「誰?」

 訊ねながらも今にも出発しそうなおれの雰囲気を感じ取ったのか、勢いよくパフェを口に運び始めた。

「今の本人だったんだな……姉さんが子供時代にかかっていた小児科医の先生だよ。その当時にずっと肌身離さずに持っていたポーチのはずだからね。覚えているかと思って」

 ああ、と小さく頷いたメイメイは、逆円錐状のグラスを持ち上げて、そのまま中身を口内へ流し込み始めた。ラストスパートのようである。

 どん、とパフェのグラスが置かれると同時におれは立ち上がり、レジへと向かった。後ろからロン・メイメイもトタトタと付いてくる。

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