第26話 柳沢倫太郎 ~青年時代 -3

「まずは、中間達を集めてほしいの」


 倫太郎が仲間になるという返事をした、その日の夜、ユェンファは言った。

 仲間、とは共に逃亡して現在散り散りになっている元奴隷の同胞達のことだ。少なく見積もっても二〇~三〇人程度はいたはずである。

「僕と同じようにうまく逃げられた仲間が何人いるかは見当もつかない」

「もし逃げられた人がいるとするなら、みんなこの町に居るはずよ」

「どうして?」

「他に行くところがないからよ」

 屋敷から歩いて行ける現実的な距離にある町はここしかない、と少女は断言した。だから、もしこの町とは別の方角へ行ってしまった人がいるならば逃げおおせたとしても、のたれ死ぬだけのはずだ。必然的に生き延びた人間は全てこの町にいる、という理論だった。

 次の日から、町中の捜索が始まった。すると、彼女の言うとおり、予想以上の人数を見つけることができた。十人ほど見つかったところで捜索を打ち切るように、ユェンファから指示が出た。これだけいれば充分だ、という判断のようだった。


「決行は明日の夜中……それまでは各自よく体を休めておくように」

 どうやら彼女がこの組織のリーダーのようだった。地面に座り込む元奴隷達を睥睨するようにゆっくりと視線を動かす。

「決行って、具体的には何をするつもりだ?」

「俺たちにまたあの屋敷に戻れというのか?」

 はじめはおそるおそる、手を上げてから発言していた仲間たちも、しだいにヒートアップしてきたようだった。誰かの意見に他の数人が、そうだそうだとはやし立て、呼応するように誰かが意見する。そして誰かがさらに声高に不満を叫ぶ。

「じゃあいいわ。好きにして」

 耳を聾するほどの喧騒の中、少女の透き通った声がいやにはっきりと耳に届いてきた。枯れた、疲れたような、軽蔑するような声音だ。

 一瞬にして、場が凍りつく。今まで怒声を張り上げていたのが嘘のように、誰も声を発する者はいない。

「どこへなりとも行くがいいわ。……行けるものならね」

 ここからは逃げられない、ということは誰しも分かっていたのだ。戦うしかなかったとしても、その理不尽さを誰かにぶつけたかったのだ。けっきょく、出て行った者は一人もいなかった。



 夜陰に乗じて屋敷に潜入し、まずは手近な人間を拘束する。そこから大富豪本人の寝室の場所を聞き出し、突入して縛り上げる。さらに不正の証拠を探し出す。さらに金品を押収したらすぐに逃げ出す。

 聞かされた計画はあまりにも大雑把で、うまくいくとは思えなかったけれど、誰も文句を言わずに従った。計画に同意して従ったというより、それを説明するユェンファの勢いに圧倒されていたのであった。

 屋敷内部の構造を知っている、ということで仲間に引き入れられたはずだった。しかし、ふたを開けてみれば、倫太郎たちの屋敷の知識が役に立つことなど皆無であった。ただ人手が欲しかった――それも、裏切り行為をする心配の無い労働力を求めていたのだと気づいたけれど、いずれにしても彼にとっては同じことだった。

 独特の腐臭に混ざって、草をすり潰したあとのような臭いが充満している。この数年間、毎日嗅いでいたものだ。

 大豪邸の本丸までどうやって忍び込むか、ということが、まず一番の問題であった。広大な敷地は高いコンクリート製の壁に囲まれ、さらにその上に鉄条網が張り巡らされている。

 脱走のときには皆の毛布をつなぎ合わせて縄梯子を作り、鉄条網にも毛布を被せて切り抜けた。そこかしこに配置されているドーベルマンを大人しくするため、主人の目を盗んで手なずけておいた。元々サーカス団員だったという仲間がいて、その程度のことはお手の物だったのである。しかし今はその男がいない。


 おとり作戦を行う、とユェンファは宣言した。まず数人だけが中に入ろうとしてドーベルマンの気を引き、そのまま逃げ出す。そして、もぬけの殻になった庭に一気に本隊が突入するのだ。

「おとり、ってまさかそのために俺たちを集めたのか?」

「違う、お前達は本隊だ」

 さっと前に出てきたのは、地下道で一番最初に出会った初老の男と、もう一人見たことのない小柄な男だった。

「おとりは俺たちがやる」

 言うと、二人はさっと背を向けて去っていく。

 後姿が消えるまで見送ると、すぐにユェンファが行動を開始した。おとりが向かった場所とは反対側、ちょうど屋敷の正面となる方へと足を向ける。

「まさか正面から侵入されるとは思っていないでしょ……ささ、スピードが命よ。それほど時間はないわ」


 全く気づかれずに潜入できるとは彼女も考えていなかったらしい。

 遠くから、激しく犬がほえる声が聞こえてくる。倫太郎達は壁に耳を当てて、内部の様子をなんとか把握しようとした。当初、その場にとどまって遠吠えを上げていたドーベルマン数頭の鳴き声が、一頭、また一頭と遠ざかっていく。

 静寂が訪れた、と彼が思うのと、ユェンファが指示を出すのが、ほぼ同時だった。

 縄梯子が一本投げ入れられ、まずユェンファ以下、第一陣の五人が突入する。鉄条網には毛布が広げられた。すぐに三本ほど、立て続けに縄梯子が垂れ下がってくるのが分かった。

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