第22話 男装の死体 -2
姉さんが、一週間ほどは大阪にとどまる予定だと聞いて、おれはほっと胸をなでおろした。明日、金曜日の夜の予定を空けておいて、と一方的に約束を取り付けて、電話を切った。
「いいヨね~、おねいさんって」
「いいだろ」
おれの受け流すような返しに、いつもならもっとしつこく絡んでくるロン・メイメイも、今日は元気が感じられない。
研究室に着き、二人で談話室に向かうと、すでに浩平と教授はお茶を飲んでいた。教授のほうは半分ほど飲んだ形跡があったけれど、浩平は手をつけていないようだった。
「椋山先生」
「おお、来たか」
四人で席に着いて、いざ話をしようと思っても、何も出てこない。手持ち無沙汰になったおれは給湯室でお茶を二人分淹れて談話室に持って来た。自分の目の前と、ロン・メイメイの前に置く。ありがとう、とロン・メイメイが小声で言った。
ときおり、ツツツ、と誰かがお茶をすする音が聞こえた。おれは窓の外に目を向けたまま、じっと考える仕草をしていた。
「いやな天気だね」
昨日から降り続く雨は午前中――ちょうどなかもず駅に呼び出されたときは止んでいたのだけれど、ちょうど研究室に到着したころにまた降り始め、止む気配がない。それどころか、週間天気予報では今後一週間は全て雨だった。
「梅雨入りはもうしたんですかね」
「なにを言っているんだね。もうとっくにしているよ……たしか、6月7日じゃなかったかな?」
「あ、そうなんですか。詳しいですね」
どうでもいい会話だと分かっていても、どうしようもなかった。
行方が分からなくなった、ということと、じっさいに遺体で発見されたこととは、天と地ほどの差がある。今何を話すのが適切なのか、ことの真相を明らかにするために議論を戦わす? いったい誰と、何のために? たとえ何かが分かったとしても、死んだ人間が帰ってくるわけではない。それでも――
「不謹慎かもしれないですけど、今回の事件と『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説の関連について、先生はどう思われますか?」
浩平が顔を上げておれのほうを見ている。疲れた表情ではあったけれど、真剣なまなざしだ。
「ふむ」としばらく自分の中で咀嚼するように顎をさすっていた椋山教授は、
「君のお姉さんに久しぶりに会ってね……その話をしたよ」
「本当ですか? で、どうでした?」
「さぁね。まぁなんとも」
言うと、椋山教授はお茶をすする。続いて浩平もお茶に手を伸ばす。その手が少し震えている。
「先生自身はどう思っているんですか? 『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説研究の権威としては」
「権威、とは言っても、もう昔のことだよ。あれ以来とくに目立った活躍はしていないんだからね」
知らない人が聞けばありきたりな謙遜にも聞こえたかもしれない。事実を知っている人間にとっては、それはいささか自虐的な発言に聞こえた。じっさい、椋山教授は陰では『一発屋教授』と皮肉られている。そのことは本人も分かっている。もちろん、研究室ではタブーだ。
「『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説とは、群集心理が作り出した創作である可能性が最も高い、という結論を出した手前、研究者としては今回の件は全く別の事件、と言わざるを得ないがね」
「でも、最後の論文では、別の結論を導いていましたよね」
「採用されなかった論文かね?」
「採用されていたじゃないですか」
都市伝説のブームが去ったあと、一報だけ、教授が書いた論文がある。それまでの論文が採用されていた雑誌に投稿したけれど、通らなかったという話である。ただ、どういう経路で回ったのかは分からなかったけれど、三流の地方ゴシップ誌に突然掲載され、研究者達の批判の対象となった。その記事には、過去の十数報の論文で展開してきた理論を全く無視して『やはりこの都市伝説は事実なのだ』と結ばれていたからである。
「あれは、言葉のあやだよ……もっとも、読者には理解されなかったけれどね」
「言葉のあや?」
「わたしが言いたかったのは、都市伝説が真実かどうかは、事実として『なかもず駅には次の駅があるかどうか』ではなくて『それを人々が信じるかどうか』である、という含みを持たせたつもりだったのだがね」
いやあれはわたしが悪かったのだ、と教授の声は独白めいてくる。さらにぶつぶつと、自分に言い聞かせるように、読むものに理解されなければ意味がない、と語尾を濁した。
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