第21話 男装の死体 -1
少し迷ったけれど、その現場にはロン・メイメイを連れて行くことにした。蔵元知恵、芦高浩平も出来れば一緒に、と陸奥からは言われた。それでもおれは知恵と浩平とは連絡がつかなかったことにして、ロン・メイメイとも口裏を合わせた。
「それにしても、なんで『今』なんだろうかね? こんな人目に付く場所にホトケさんがあるってこたぁ、発見が遅れた、ということじゃあない。行方をくらませてから、もう一度ここまで戻ってきたってことだ」
目の前には、死体が一つ――行方が分からなくなっていた森本桃子だった。
もっとも、到着したときにはすでにブルーシートを被せられていたため、顔を確認したわけではない。
少し疲れた顔の陸奥の後ろでは、茶髪の乙が落ち着きなく視線を彷徨わせている。人が死んだ現場というのは初めてなのかもしれない。
担架の周りには、医者らしき数人の男が小声で話している。そのうちの一人が、携帯電話を取り出して、現場を離れる。別の一人が時計を気にしていた。
「どんな状況だったんですか?」
「ん? それを聞いてどうするんだ?」
前回『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説の話をしたときの不快そうな顔そのままに、陸奥が聞き返してくる。
「単純に、気になりますね……短かったとはいえ、知り合いが死んだんですからね」
それもそうか、と意外にもあっさり引き下がった陸奥が、森本桃子の死体発見時の様子を話してくれた。当然、一般人に出せる情報だけ選んでいるものと思われたけれど、それでも十分だった。
行方不明になったと思われるのは、六月十五日(金)の二十三時~二十四時。最後に生存が確認されているのは梅田駅の改札付近。確認者は芦高浩平。死亡者との関係は、大学の研究室関係での繋がり。
そして、六月二十八日(木)、今日の早朝、通勤のためになかもず駅へと向かっていた会社員により発見されることになる。救急車が駆けつけたときにはすでに絶命していた。ただ、死後それほど時間が経っていないとのことで、死亡推定時刻は六月二十八日の午前一時~午前四時ごろだということだ。
「発見場所は本当にここなんですか?」
「そうだ。医師が生命反応を確認しただけで我々も触れていない」
そこは、なかもず駅の改札へ行くための階段をちょうど降りきったところだった。階段で足を滑らせたとしたら、同じような状況になることも考えられる。
「実際、後頭部に強く打ちつけたようなあとと、右足首、左腕は可動域を超えて逆方向に折れ曲がっていた。まぁ盛大に転んだんだな」
陸奥は視線をブルーシートの方から外さずに話していた。どうやら階段から足を滑らせて落ちた、という結論に持っていこうとしているようである。
「ただ……」
と、さらに何かを話そうとした陸奥はすぐに口をつぐむ。表情も冴えない。そんな陸奥の様子に気付いていないのか、乙が口を挟む。
「いやいや、陸奥さん。そしたら、あの件はどうするんですかね」
「あの件?」とおれが訊く。
「男装してたんっすよ。この子」
「馬鹿! ……ちっ、言っちまいやがったか……」
陸奥が舌打ちをする。極秘にしたい情報だったのだろう。それでも乙に気にする様子はない。
「服装だけならまだしも、下着まで男物ってのはありえねぇでしょ……と、つかぬことをお聞きしますが」
乙はこちらを振り返る。
「森本桃子さんに、男装の趣味があったとか、そういったことはありませんよね?」
おれは一瞬答えに詰まる。
「そこまで彼女との付き合いが長いわけではないので、なんとも言えませんよ……実際、そういうことって相当仲の良い友達にも打ち明けにくいものなんじゃないですか? ひょっとしたら誰にも言っていないという可能性もありますし」
「わっちならたまに男の服を着ますケドね」
かしこまっているからか、『ケド』の部分だけトーンを上げた妙なイントネーションで口を出してくるロン・メイメイ。
乙がメイメイの体を上から下まで舐めるように眺めながら、興味深そうに先を促した。
「お客さんに頼まれたらなんでもしますに」
「えっと、それはどこの店――」
「乙!」
今にも店名をメモしようとしていた乙に、陸奥の雷が落ちる。
ひー、怖い怖い、とわざとらしく頭をかばいながら、乙は数歩後ろに下がっていく。
「ガールズバー『ペレストロイカ』。よろしくねん!」
ぴん、となれた仕草で名刺を飛ばすロン・メイメイ。その小さな紙切れは、しっかりと乙の右手へと吸い込まれるように飛んでいく。手に取った乙は、そそくさと内ポケットに滑り込ませる。陸奥は一瞥しただけで、それ以上何も言わなかった。
不自然な沈黙が落ちた。
午前九時過ぎ、ラッシュの時間は過ぎているとはいえ、ぽつぽつとスーツ姿の男達が、皆一様にちらちらと横目でこちらを気にしながら通り過ぎていく。
ただなんとなく行きかう人々を眺めていると、一組の男女が目に付いた。紺色のジャージを着た男の足元は、裸足にスリッパだ。対照的に女のほうは、胸元を大きく開いた派手なショッキングピンクのシャツと、白いタイトなパンツ、足元は赤いピンヒール。ただ、化粧っ気の全くない顔とぼさぼさの髪が、全てを台無しにしている。その二人が並んで歩いているのもなんとも奇妙だ。
「すいません、こちらです」
と、陸奥の声。はじめは誰に言っているのか分からなかった。
「桃子!」と叫びながらショッキングピンクの女がこちらに走ってくる。今にもブルーシートを剥がそうとしていたところを、乙と陸奥、そして数人の医師により取り押さえられた。その後ろからゆっくりとジャージの男がやってきて、女の肩を抱く。何ごとかを呟いたようだ。女は我に返ったように立ち上がると、
「もうしわけありません……つい……」
「いえ、いいんですよ。そりゃあ、仕方がない。娘さんがこんなことになってしまっているんですからね」
男女は、森本桃子の両親なのだろう。生気の感じられない父親の表情と雰囲気は、森本桃子の持つそれと似ているように感じられた。
「念のため、確認していただけますかね」
陸奥の呼びかけに応じて、女のほうが、今度はおそるおそるブルーシートのほうへと歩いていく。
おれもそちらへと意識を持っていこうとすると、
「君は……」
と唐突に声をかけられ、振り返る。
ジャージの男が、こちらを凝視していた。
「あ、初めまして。竹田和也といいます。桃子さんとは大学の研究室の関係で……えーと、このたびはどうも――」
しどろもどろになりながら頭を下げていると、
「あ、すまない。いいんだ」
と、なぜか頭を下げてきた。
「お父さんのほうも、確認願えますかね」
遠慮がちな陸奥の声。そしてすぐに、母親の嗚咽が聞こえてきた。通り過ぎる人々も、そろそろと足音を殺して階段を昇り降りしているように感じられた。そんな静寂の中で、桃子の父親が歩いている。
一連の作業を儀式のように淡々と済ませた陸奥と医師たちは、遺体が運び出されたあと、何ごともなかったかのようにその場を離れた。また何かあったら話を聞きにいくかもしれない、とおれとロン・メイメイに社交辞令のような挨拶を残していった。
「一応、教授たちにも連絡しないとな」
「そうね」
ロン・メイメイが、研究室に、そしておれが蔵元知恵のところへと電話して事情説明を行った。知恵はそうですか、と一言神妙な声で応じて、すぐに古賀研究室に連絡します、とだけ言うと電話を切った。
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