第17話 相変わらずの『ルーマニア伯爵』 -1

 年代、時代というのは不思議なものだ。そのときには誰にも意識されていなくても、あとになってみたら重要だったと気付くこともある。

 ロック界ではウッドストックでの野外ライブがあまりにも有名な1969年。その同じ年に、レッド・ツェッペリンが登場し、キング・クリムゾンが『クリムゾン・キングの宮殿』でデビューする。少しでもロックのことを知っている人であれば1969というその数字だけでピンと来るほど、有名な年だ。


『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説についてそれと対比するのはおこがましいところだけれど、あえて言えば、1995年がロック界での1969にあたる。

 今からちょうど十五年前だ。なかもず駅の都市伝説が、その年、なぜか急に一躍有名になる。

 なかもず駅前では飲食店が乱立し、日本全国から観光客が訪れるようになる。最盛期には季節を問わず一ヶ月に数万人規模で訪れていたようである。

 その発端となったのが、ある衝撃的な論文であった。掲載雑誌自体は狭い業界の人間のみが閲覧するような一般には全く知られていないものだったけれど、それがマスコミに取り上げられるようになって一気にスポットライトを浴びることになる。その論文の筆者が、当時助手であった椋山教授である。


 談話室のソファーで久しぶりに過去の研究ファイルに目を通していると、嫌でも1995という数字が目に付いてきた。

「おい、竹田」

 午前中にみっちりと説教をしてくれた中村が、談話室入口で腕を組んでいる。おれは思わず居ずまいを正す。

「お客さんだぞ……まぁお前に、というわけじゃないけど、あの日――金曜日の飲み会後の二次会に参加していた人全員だそうだ」

「警察の方、ですか?」

「そうだ」

「やっぱり、森本桃子さんの件で?」

「他に何か思い当たるフシでもあるのか?」

「そういうわけじゃないですけど……でも、僕たちを調べても――」

「それは警察が決めることだ」

 と中村はにべもなく言い切る。

「いずれにしても、なるべく早いとこ終わらせるようにしてくれ」

 研究室でのごたごたは真っ平だ、という意思表示だろう。聞いた話では最近立て続けに論文を発表した中村は、某国立大学からも声がかかっているとかいないとか。彼にとって大事な時期なのだろう。

「全員、とは言っても、おれと、メイメイと、浩平だけですよね」

「そうだ……メイメイは今日も来てない。そして芦高は、朝は来ていたんだが、どこに行ったのか分からん。ということで、お前しかおらんのだよ」


 そのまま談話室に来てもらうこととして、おれはお茶の準備をする。

 入ってきたのは男二人。一人は老境にさしかかろうかという年恰好の眼光鋭い男だ。小柄だが、肩幅は広い。そろそろ初夏にさしかかろうかというこの季節に、しっかりとスーツとネクタイを身につけ、室内でもそれを脱ごうとはしていない。

 陸奥と名乗ったこの警官は、もう一方を親指でさしながら、こいつは乙だ、と紹介した。

 その乙は、年はおれよりも少し上か同年代。少し茶色に染めた髪が帽子からのぞいており、陸奥とは対照的な印象を受ける。

 挨拶に始まり自己紹介まで、発言をしているのはもっぱら年嵩の陸奥で、若い乙は自分の名前を紹介されてもくいっと首を前に突き出すだけで目を合わせてこようともしない。長身でほっそりとした体をちんまりと丸めてソファーに座り込んでいる。

「ほら、帽子」

 言われて初めて気付いたのか、乙が帽子を取る。左耳に金のピアスが光るのが見えた。

「お手数かけてすんませんな」

「いえ、私も気になっているので、是非状況をお聞かせ願いたいと思うのですが」

 おれは出来る限り好青年に見えるよう、笑みを絶やさない努力をする。こんな日の夜は、決まってしこたま飲みたくなるのだけれど。

「いやいや、まだ何にもわかっとりゃあせんのですよ。これが……ほんと、こいつがもっとちゃんとしとったら状況は違っとったと思うんですがね」

「はは、ヒドイっすね、それ」

 乙の声を初めて聞いた。ほにゃほにゃと締まりのない発音で、警察官としてはいくぶん頼りなさを感じる。

「いっつもそうなんですよ。初動捜査が大事だと耳にタコが出来るほどいつも言っておるんですがね……ちょっと今回はそれが不十分だといわざるを得ない。警察を代表して謝罪させてください」

 丁寧に頭を下げる陸奥。

 思わずおれも一緒になって頭を下げてしまう。ちらと覗うと、乙は我関せずを決め込んでいる様子で、あろうことかお茶に手を伸ばした。

 そんな乙についに堪忍袋の緒が切れた様子の陸奥は、こらっ、と少ししゃがれた声で乙を睨みつけると、

「いったい誰のせいだと思っとるんだ! そんなことだから、オツとムツとでオムツコンビだとかなんとか言われるんだ!」

「ハハ、それウケる。漫才師かっての」

 全く悪びれる様子はなく、ケタケタと笑う乙。

 その様子を見た陸奥が、今度は握りこんだ拳を振り上げかけたけれど、おれの視線を感じたのか、そのままため息をつく。

「まったく……完全にゆとり教育の弊害でさぁね。こんなわけの分からんやつまで警官になる世の中だ……と、すまんね。話を続けさせてもらうよ。まず金曜日のことから順番に聞いてもいいかね?」

「二次会が終わってからのことですか?」

「いや、もっとその前だ。出来れば昼間のことから聞きたいね」

「昼間?」

「そうだ。今回行方をくらませた森本桃子さんだが、何か言ってなかったかね? 例えば、家のことで不満があるとか……あとは恋愛関係でもなんでも」

 桃子の精神状態を知りたいのだろう。それで少しでも何か出てくれば、それを苦にした失踪、もしくは自殺、と無理やりにでも結論付けることが出来る。『梅田発なかもず行き』電車の都市伝説の犠牲者と同じだ。

「いえ、特に気になることは何も」

「……そうか」

 そういうと下を向いて手帳に何ごとか記録をする陸奥は、さして残念そうには見えない。

「でも、森本さんとは一ヶ月程度の付き合いだったので、それほど本音で話をしていたとは思えませんけど……どっちかと言えば中百舌鳥女子大の方をあたったほうがいいんじゃないですかね?」

「当然、向こうには先に行っておる。だが、もっとも森本桃子と交友の深かったと聞いている蔵元知恵がつかまらなかった。マンションまで行ったのだがね……どこにいるか、知らんかね?」

 一応話の流れで聞いておこう、といった程度の聞き方だった。それは当然だったけれど、その予想に反しておれは彼女の行方を完全に把握している。それを言おうか言うまいか、一瞬だけ逡巡したけれど、けっきょく伝えることとした。

「東京?」

 知恵の行き先を聞いた陸奥は今日始めて驚いた表情を見せた。

「なんでまたそんなところに……友人が大変なときに旅行かね。いくら前から企画してたとしても――」

「いえ、旅行ではなくて、ですね」

 おれは今回の件と『梅田発なかもず行き』都市伝説の関連について簡単に説明して、その調査で東京の姉さんに会いに行ったという説明をする。姉さん自身がその被害者なのではないかという疑惑については伏せておくこととした。

「ふぅわ、カッケー! 都市伝説、カッケー!」

 乙が食いついてくる。

 その様子を一瞥だけすると、陸奥は言った。

「いいかね。そうやって空想を膨らませるのは勝手だがね。我々の捜査のじゃまだけはしないようにしてくれないかね。……昔の、あの時もそうだが、けっきょくは何の科学的根拠も持たないただのファンタジーだと結論されたはずだがね」

 陸奥、という名前に、最初感じた引っかかりは、ただ珍しい名前ということだと思っていたけれど、そうではないことに気付いた。

 十五年前のあの熱狂を収めようと一人奔走していた男、それが確か陸奥という中年の刑事だったはずだ。目の前の男がそうだと考えると年齢的にも合致する。


「ま、それはそういうことだ」

 陸奥は声を荒げてしまったことを恥じるように一つ咳払いをして、続ける。

「蔵元知恵がいつ帰って来るかはわかるかね?」

「多分、近日中だと思いますけど」

「近日中……というと、明日か明後日には大阪に戻ってくると考えていいのかね?」

「ええ……まぁ、多分」

 煮え切らない返事に納得した様子ではなかったけれど、これ以上聞いても何も出てこないと判断したのだろう。次の質問へと移る。

「森本桃子がその二次会の会場を出たのは、間違いなく夜の十一時過ぎでいいんだね?」

「ええ、少なくとも、十一時半は過ぎていないと思います」

「そうか、なら、終電にはまだまだ余裕があるということだな」

「だから言ってんじゃん。芦高浩平もそう言ってたって――」

「お前は黙ってろ!」

 浩平の事情聴取をしたのは、乙のほうだったのだろう。そして、乙はそのまま放置していたけれど、今日になっても桃子の行方が依然として分からないことで陸奥に報告した、といったところか。

「芦高浩平君は今日はいないのかね?」

「大学内のどっかに居るには居ると思うんですけれど、電話してみましょうか?」

「いや、それはいい。またの機会に話を聞かせてもらうことにする。一度はもう事情を聴いたことになっているからな」

「ことになっている、って……陸奥さん、ヒッデー」

 蔵元知恵が帰ってきたら連絡をくれるように、と名刺だけテーブルに置いて、陸奥と乙は出て行く。

 軽く会釈だけで見送ったおれは、片づけを始める。

 早々に空になった乙のティーカップに対して、陸奥のほうはまったく手をつけなかった。こんなところでも対照的だ、とおれは意味のない感想をいだきながら、給湯室へ入る。と、思いがけずその奥に人影を見つけてどきりとする。

「浩平、いたのかよ。だったら……」

「行ったか?」

「ん?」

「警察はもう行ったのか?」

「ああ……ってお前ひょっとして隠れていたのか?」

 これは相当の重症だ。自分が何者かに狙われている、誰かが自分を陥れようとしている、逃げなければならない。しかし逃げれば逃げるほど周囲の目が気になってくる。どこに居ても落ちつかない。どうしようもなくなって、また逃亡する。負のスパイラルだ。

「よし」とおれは浩平の肩を叩く。

「カラオケでも行くか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る