第14話 ガラス越しの姉さん -2
新宿駅の南口に着いたとき、改札前にはすでに姉さんが待ち構えていて、「よっ」と口の形で長旅のねぎらいの言葉を送ってくる。
改札を通り抜けると、知恵がまずは軽く会釈し、
「蔵元知恵と申します。本日はご無理を言いまして申し訳ありませんが、是非ともお姉さまにお聞きしたいことがありまして、伺わせていただいた次第でありまして……」
と、彼女の口から出たとは思えないほど馬鹿丁寧な調子で前口上を続ける。さすがに困惑した表情の姉さんはしきりに「まぁまぁ」やら「いえいえ」やら曖昧な返事を繰り返している。
今日の姉さんのさっぱりしたナチュラルメイクと耳の下辺りで切りそろえられた黒髪は、どこか日本人形を髣髴とさせた。少し現代風にアレンジされた日本人形だ。
「さあさあ、こんなところでは何だから、軽くご飯でも食べながら話しましょう。まだお昼食べてないんでしょ?」
「あ……ハイ、よろこんで!」
「居酒屋か、お前は……でも、姉さん良かったの? 仕事だったんだよね? おれは夜のほうがいいって言ったんだけど」
ちらと、知恵に視線を送り、このどうしようもない娘がね、というジェスチャーをする。
「いいのよ。どうせウチのような弱小出版社の定時なんてあってないようなものだし」
「今日も日曜日なのに仕事だなんて、大変ですね」
「そうね。そういう考え方もあるかしらね」
「そうですよぉ。お姉さん。だって日曜日と言えばカラオケ、食通、カニ道楽、家族のだんらん冬景色」
「そういえば、食卓を囲むってこともすっかりご無沙汰になってるなー」
「そう考えると、学生っていい身分よね。逆に毎日が休みでわっしょいわっしょいですもん」
「ははは、面白いことを言う子ね」
ねぇ和也、と水を向けてくるけれど、なにが面白いのか分かりかねたおれは曖昧にごまかした。そして目的の話題を聞きだせるのかどうか、ふつふつと疑問と不安が湧き上がってくる。
昼食は近くのファーストフード店でとることとなった。適当にセットメニューを注文して、三人が座れる席を探す。午後一時半。微妙に昼食の時間とはズレていることもあってか、店内にはちらほら空き席があった。軽快な最近のヒット曲と、若者のはしゃぐ甲高い声がごちゃ混ぜとなって、おれにとっては少々不快な空間となっていたけれど、逆にあまり静かなところでかしこまって話せと言われるともっと困るかもしれないと思い直した。
「で、今日はどうしたの?」
席についてドリンクで少し喉を潤したあと、意外にも姉さんの方から、話を切り出してきた。
「そうそう、それなのです」
と知恵が人差し指を立てて、
「『梅田発なかもず行き』の都市伝説のことでちょっとお聞きしたいことがありまして」
「と、言うと?」
「えっと、ですね。まず、お姉さんはどうしてこのテーマを卒論に選ばれたのですか?」
新米インタビュアーと、スキャンダルを恐れて何も言えなくなっている女優のようなやりとりだ、とふと思いながら、おれは静観することにした。
「う~ん。なんせもう五年以上も前のことだからねぇ。あんまり覚えてないのよね」
「じゃあ、周囲の人であの都市伝説の『魔物』の犠牲になった人を知っていた、とか? あるいは――」
と、一呼吸おいて、
「ご自身が経験されたとか」
ひやりとする、心臓に悪いほどの直球勝負だ。でも悪くない。
おれは姉さんの様子をうかがう。
一笑に付すかと予想していたのだけれど、そうね、と口に含むように呟いて窓の外へと視線を向ける姉さん。視線の先にあるのは、少しくたびれた感じのビルが立ち並ぶオフィス街だ。
「あそこに見える小さな建物が、私の会社の事務所よ」
「え? あ、はぁ……」
狐につままれたような表情で姉さんが指差す先に視線を向ける知恵。
「それでね」となおも話を続けようとする姉さんに対して、姉さん、と一言呼びかけることでその流れを断ち切ってから、
「つい昨日だけど、友人が行方をくらませたんだ。『梅田発なかもず行き』の電車に乗って、ね」
姉さんの視線が、ゆっくりとおれのほうへと向いてきた。
「今おれがその都市伝説の研究をしていることは知っていると思うけど、何せ友人が実際に行方不明になったとあっては、そう悠長なことも言ってられない状況なんだ。だから、力を貸して欲しい。姉さんの知っていることは全て教えて欲しい」
「何言ってるの。あなたがその研究をやると決めたときに資料はごっそりと渡してあるでしょ?」
さらりとした笑みを浮かべながら、あっけらかんとした口調で姉さんは言う。
「それに、もうずいぶん昔のことだから、あんまり覚えてないわ。そんなことで来たの? だったら椋山先生に聞いたほうが早いんじゃないの?」
「本当に違うんですか?」
知恵が食いついてくる。
姉さんは可笑しそうに口の中だけで笑う。
「まぁ、この子にそそのかされたのね。かわいそうに。いつもこの子ったら、私が電車に乗り過ごしたときのことを誤解しているのよ。あれは、単純にパニックになってしまって帰るのに時間がかかったってだけよ」
「2日間も?」
「そうよ。ただ、バツが悪かっただけよ。なんかね。そう……怒られるかと思って、帰りにくかったの」
そういうと、桃色の舌をちろりと出して愛想笑いのような、困ったような笑みを浮かべる。
「そうなの?」
今度は、知恵がおれに尋ねてくる。
「まぁ、うちの母はけっこう厳しかったからね」
亡くなってから四年経つ今考えても、怒っている姿しか思い出せない。
そのあとはひたすら昔の話が続いた。おれにとっては恥部とも言える部分に、妙に知恵が食いついてくるので、姉さんも面白がって誇張し始める。するとまた知恵が話を広げる、といった具合で、けっきょく休み時間が終わってしまった。
また夜に、と言っていったん別れようとした矢先、
「じゃあ、今日はナベにしましょう。久しぶりに家族の団欒、カニ道楽……ちょっと季節はずれかな?」
と、知恵が切り出すと、それはいいわねぇと姉さんが同意を示しカバンの中から取り出した鍵と、二つ折りにされた一万円札をおれに手渡してきた。
「じゃ、先に帰って準備しておいて。なべは台所の上の開き戸。食材は冷蔵庫にあると思うけど、足りない分はこれで買っておいて」
姉さんの職場近くまで一緒に歩いて付いていき、別れたあと、息つく間もなく姉さんのマンションへと向かった。午後三時を過ぎたばかりだ。そこまで急ぐことはない、とおれが言うと、
「何言ってるの。お姉さんが帰ってくるまでが勝負でしょ? 情報収集よ」
「情報収集って……家捜しでもするつもり?」
おれは冗談のつもりでいったのだけれど、もちろんよ、と即座に返答する知恵。
「それしなかったら何のために来たのか分からないじゃない。どのみち、私もお姉さんにちょっと聞いたぐらいで解決するとは思っていないし」
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