第13話 ガラス越しの姉さん -1

『梅田発なかもず行き電車』の『魔物』の被害者で、最もよく知られているのは、その当時高校三年だった田中太一郎だ。

 その後、次々に行方不明者の噂が立っては消えていったけれど、何人かは名前と素性まで分かっている人物がいる。

 一人は、盛岡政司。当時二十二歳で、和也と同じ大学に通っていた。就職浪人が決定した矢先のことだったらしい。そして、もう一人が知恵らと同女子大に通っていた当時二十一歳の新井梓だ。

 新大阪発の『のぞみ』に乗り込み東京へ向かう車内で、おれは研究ファイルを片手に、半ば自分の確認のために、知恵に話し聞かせていた。


「新井梓の方は知ってるんじゃない?」

「う~ん。昔失踪した学生がいたってことで、その名前を聞いたことはあるけど、詳しくは知らない。その人も『梅田発なかもず行き』で?」

「そう、そして、その三人は、いずれも1995年~1996年に集中しているんだ」

「え~と、ちょうど15~16年前ってことね……でも、ただ単純にその当時流行っていた都市伝説に便乗して噂になった、とも言えるのかなぁ……うーん、それだけじゃあなんとも言えないな」

「だね。それに、その三人はけっきょく皆失踪したまま行方は分からずじまい。盛岡政司は就職浪人を苦にした失踪、新井梓は失恋を苦にした失踪、と当時の警察は結論づけた……まぁ妥当なところだね」

「ふ~ん……、あ、富士山発見!」

 ぴょこんと座席に膝を立ててはしゃぐ知恵。何のひねりもない感想もさることながら、この情報化社会で富士山にテンションを上げる娘がいたことに驚く。ある意味レアな人材だ。

「聞いてる?」

 冷静に口を挟むけれど、しばらくそのままの姿勢で車窓に望む富士山に見入ったまま微動だにしない。その威容が背後に消えていくと、何ごともなかったかのように居ずまいを正し、

「でも、アレですね。みんな共通しているのは何がしか打ちのめされることがあったあとの事件、ってことですよね」

「だから余計に見過ごされがちなんだ……でも、噂程度の話では特に何も思い当たるふしがないような人たちも犠牲になっているという話だけどね」

「例えば、本当の一番最初の被害者と言われている三十年前失踪した会社員だとか?」

「お、よく知っているね。失踪のちょうど一ヶ月前に待望の第一子を授かり、さらに仕事上でも大きな企画を任されて張り切っていたという話だしね。ただまぁ、都市伝説なんて、誰が一番最初かなんてことに大した意味は見出せないけど」


 と、携帯電話が震え、着信を知らせてくる。


 おれは体を伸ばしてポケットから何とか取り出すと、ディスプレイを確認する。研究室からだった。あまり好ましくないことだろうと、暗澹たる思いが胸に広がる。

 出てみると、予想通り、準教授の中村大志からだった。相手の神経を逆なでしないようにまずは一言謝罪のことばを入れてから、電車内であることを口実に電話を切ろうと試みたけれど、中村には通用しなかったようだ。しきりに電話口にがなり立てるその姿が容易に想像できた。なぜ今日来ていないのか、に始まり論文はまだ出来上がらないのか、そんなことでは今の競争社会では生きていけないというキメ台詞までひとしきりまくし立てたあと、そう言えばロン・メイメイもまたいないなどとおれには関係のない愚痴までなぜか聞かされるはめになった。

『とにかく、森本さんの一件は古賀教授から聞いているが、それとこれとは全く別だ。明日はまず私のところに来なさい』

 と、こちらに口を挟ませることなく、一方的に通話を断ち切った。

「なんて?」

 上目遣いにこちらを覗き込む知恵に、小さく笑いかけた。笑ったつもりだったけれど、うまくいったかどうか自信は無い。

「ちょっと、明日には帰らないといけないかもなぁ……」

「そっか……」

 どうして、と噛み付いてくることを予想しておそるおそる言ったのだけれど、意外にも知恵は大人しく引き下がり、うんうんと頷きながら言った。

「大丈夫、私が聞き出してみせます。どのみち、和也さんが攻めたところで、今まで通り、のれんに腕押し、ぬかに釘、ネコに小判に、豚に真珠」

 なんだそりゃ、と心で思いながら、

「犬も歩けば棒にあたる、ってことだね」

 と適当に乗っかってみた。ふんふんと鼻を鳴らしながら頷く知恵はもう自分の世界に入りこんでああでもないこうでもないと作戦を練っているようだった。

 確かに、それも一案。

 冷静になって考えてみて、そう思う。

 今まで姉さんには何度となくあの晩――電車に置き去りにされた晩のことを訊ねてはいるのだ。それでも今までは「さぁ、そんなこともあったかしら」と煙に巻くだけで、一向にとりあってくれなかった。

 それならなぜわざわざ椋山研究室なんかに所属して、そして、あの都市伝説をテーマに選んだ? 偶然? それにしては出来すぎてはいないか? おれの必死の抵抗にも、別にたまたまそうなっただけよ、とまたしても相手にされない。

 ふっと一昨日の言葉を思い出す。森本桃子に問いを向け、そしてこちらに同じ問いが返ってきたあの命題だ。


『なんの目的で今の学部に所属しているのですか?』


 なんのために?

 しばらく忘れていたことに、自分でも驚く。

 なんのために?

 そんなことは言わずもがな、姉さんのことを知るためだ。それ以外におれを構成する要素は無いに等しい。そのことは、姉さんが就職で東京に出て行ってしまってからも何も変わらない。むしろ日に日にその思いは強くなっていた。強くなっていたはずだった。それなのに――

 深い思考の泥沼へと沈み込みそうになっているところに、救いの手が肩を叩く。

「ねぇ」

 顔を上げると、知恵がころころとした瞳を輝かせて、

「どっちがいいと思う? こっちの築地の寿司も捨てがたいけど、やっぱりイタリアンよね~」

「はぁ?」

 あまりの落差についていけずに言葉を失っていると、イライラしたようなふりをみせた知恵が、観光案内の雑誌のあるページをおれの目の前――文字が読めないほど眼前に近づけてきて、大きく広げて示してくる。

「だから、今日の晩御飯。どうせ予約してないんでしょ? 今からでも遅くはないわ。ささ、ケータイを出して」

「いやいや、言っとくけど、おれ学生。金はないよ……ただでさえ新幹線代、宿代で出費なのに……」

「なに言ってるの。和也さんのお姉さんって社会人ですよね?」

「へ? まぁ、そりゃあ、そうだけど」

「じゃ、決まり! やっぱりそっちのフレンチ!」

 お前は社会人を誤解している、とおれは世の中の摂理をとうとうと語ろうかと一瞬だけ思ったけれど、やめた。そもそもおれ自身がお金の面では姉さんを当てにしていたのだ。言葉にするかしないかだけの違い。いや、もっといえば、暗に訴えかけるおれのほうがよっぼど卑怯だ。それを世の中の摂理だというのであれば、世の中のほうが間違っているのだ。

 そんなおれの煩悶をよそに、知恵は鼻歌交じりに雑誌をめくっていた。

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