第11話 牙をむく『魔物』 -2

 十数年前、なかもず駅が『梅田発なかもず行き』伝説でマスコミにクローズアップされると、その観光客を当て込んで次々に飲食店が乱立した。

 ただし当然、ブームは一過性のものであり、三年も経たずしてきれいさっぱり元の落ち着きを取り戻す。と、過剰となった飲食店は次々と淘汰されていった。そして、最後に残ったのは、たったの一店舗であった。それが、『ジョニーズ』である。

 立地条件が特に良いということもない。むしろ、なぜこんなところに、と首をかしげたくなるほど辺鄙な場所にそのカフェはあり、それとは逆説的に、『梅田発なかもず行き』伝説に便乗した飲食店としては唯一生き残っているのである。

 知る人ぞ知る、というと聞こえはいいけれど、実際、知っている人しか見つけられない、と表現したほうが適切である。


 なかもず駅にたどり着いたおれは、人の流れとは逆の方向へと足を向ける。ファミレスや電気製品の大型量販店、CDレンタルショップが並ぶ通りからは何本か外れた細い道をさらに進むと、小学校の運動場程度の小さな池が見えてくる。いつ見ても深緑色に苔むしているその水面には、潰れたペットボトルや色あせた菓子の袋、首から先がないゴム製の人形など、雑多なごみが隅のほうに集まって浮かんでいる。

 その湖畔に、一軒の屋敷がある。塀には甲子園球場のように所狭しと蔦が絡みつき放題になっている。よく見るとその一角に扉があるのが分かる。それと分かっている人が見なければそこも塀の一部にしか見えないだろう。

 おれはその引き戸を開けて腰をかがめながら中に入った。

 カウンターに座る女性客が一人、そして一番奥の席に陣取っている男女が視界に入る。芦高浩平と蔵元知恵だ。

「おお、こっちこっち」

 おれに気づいた浩平が立ち上がり手招きしている。意外にも普段と変わらない調子にほっとしながらも、別の考えも頭をもたげる。

 知恵が何か言っているのを右から左へと聞き流しながら、注意深く浩平の様子を観察する。

「いや、大変なことになったな」

 と言いながらも、一瞬左の口角が引きつったのを、おれは見逃さない。やはり、心中は表情ほどには穏やかではないのだ。

「ちょっと!」

 という声と机をだんだんと叩く音に、初めて蔵元知恵のほうに目を向けた。

『ジョニーズ』の主人の個人的な好みで、この店のテーブルは全て三角形である。つまり、おれと浩平、知恵が三すくみ状態でにらみ合う形になっている。

「聞いてますか? これって、ついにアンダーワールドへと迷いこんだと考えていいんですよね?」

「は? アンダーワールド?」

「だから、『梅田発なかもず行き』ですよ!」

 確かに、状況だけを見ると『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説だととらえることも出来る。

「まだ、分からないよ」

「なんでよ!」

 知恵は腕を組んでひじをテーブルについた姿勢で、こちらに顔を寄せてくる。瞬きすらする様子もなく、おれに睨みを利かせている。

「たしかに『梅田発なかもず行き電車』の――『魔物』が、また牙をむいたと考えれば、森本桃子が消息を絶ったことも説明がつく」

「でしょ?」

「だけど、彼女がいなくなった、ということがイコール『梅田発なかもず行き電車』の伝説なのか、というと、そこはまだ根拠が弱い」

 うーん、とうなった知恵が、

「でも、『梅田発なかもず行き電車』に乗って行方不明になったんだよ?」

 と、納得のいかない様子を示す。

 おれが説明を加えようとしたとき、あ、と小さく声を上げて、浩平がさえぎる。

「今思い出したけど、昨日桃子が乗ったのは『梅田発』じゃなくて『中津発』のなかもず行きだったよ」

 えー、そんなと頭をかかえる知恵。そのころころと変化する表情に、自分でもなぜだか分からないけれど、とにかく笑みがこぼれそうになったのを我慢して、おれは言った。

「それは関係ないよ。そもそも、『梅田発なかもず行き電車』なんて、存在しないんだから」

「え? なに? どうして?」

「どうしてもこうしても、そのままの意味だよ」

 知恵と浩平が口を半開きにしたまま顔を見合わせる。擬音であらわすとすれば『ほへっ』というのがしっくりくる。もしくは『ほぇ』か、少しひねれば『ポ~ンッ』という感じかもしれない。

「逆にそれゆえに『梅田発なかもず行き電車』の伝説と言われているんだけどね」

 おれが言い終わってから三秒ほどの沈黙を経て、

「……その心は?」

 と知恵が返してくる。

「その心、と言われても……ええと、つまりだね。この伝説で行方をくらませた人はみな梅田で乗ってなかもずに向かった人たちばかりなんだ。ここまではいいよね?」

「最初の被害者と言われている大学受験前の男子高校生も、そうなのよね? えーと、それから大阪の高校で噂になっていた失踪した主婦だとか、会社員だとか……みんな梅田から電車に乗ってなかもずに向かった。でも、けっきょくその電車も『梅田発』じゃあなかった、と」

「そう、おそらくは中津発」

「うーん、分かんなくなってきましたな、これは」

 腕を組んで首をくらくらと揺らす知恵と、まねをして唇を結ぶ浩平。

「ありえないはずの『梅田発なかもず行き』電車に、その人たちが乗っていたとしたら、どう?」

「え? だってないんでしょ?」

「そう」

「でも乗ったの?」

「そうだとしたら?」

 あ、と声を上げたのは知恵ではなく浩平。

「その電車に乗った者だけが、別の駅に連れて行かれるってこと?」

「あ、なるほど」と今度は知恵もこくこくと首を縦に振りながら、

「つまり、梅田で電車に乗った時点ですでに別の世界に取り込まれてしまっていたということですね」

「そういう説もある、という程度だけどね」

「あ、じゃあじゃあ、こういうのはどう? 中津って梅田の一駅前ですよね? それが、その『魔物』がいる電車だけが何かの弾みで一駅だけズレてしまって、梅田駅発になってしまった。そして、それがもとで一つずつ駅がズレていって、終着駅が、なかもずの次の駅になってしまったという」

 そんな馬鹿な、と初めは思ったけれど、少し脳の中で咀嚼してみる。すると、案外新鮮な説かもしれない、と考えが変わってくる。どのみち、この『梅田発なかもず行き』伝説自体がそもそも馬鹿馬鹿しい話なのである。

「そういえば、もう警察には捜索願いを出したの?……というか、そもそも家には誰もいないことを確認したの?」

 最初に確認しようと思っていたことを、忘れる前に聞いておいた。

 と、知恵は頷いて言う。

「だって、桃子は実家通いだもん。なかもず駅から徒歩十五分。だから、昨日は帰ってないっていう彼女のお母さんから電話で、それで私も知ったんですもん」

「教授には?」

「古賀教授? 今ノゾミが伝えに行ってくれてるはず」

 ノゾミ? とすぐには誰のことか分からなかったけれど、文脈上判断すると昨日会ったメンバーのはず。とすると、行方不明の森本桃子、目の前にいる蔵元知恵、そしてもう一人、衣笠希、か、とようやく顔が浮かんでくる。ついでに、教授の名前も古賀だったか、と一応インプットしておく。人の名前と顔をなかなか覚えられないのはおれの特性だと諦めているけれど、それは少しずつでも改善したほうがいいのかもしれない。

 

 それはそうと――


「じゃあ、本格的に行方不明なんだ」

 言ってみてから、あまりにも間の抜けた感想だ、と自分の言葉に心の中で野次を飛ばす。

「そう、大変なことなのです、これは」

「心当たりはないの?」

「だから、なかもずの次の駅かなー、って」

 あまりにも発想が飛躍しすぎだろう、とおれが思わず口に出しかけると、

「おれじゃないぞ!」

 と浩平が半ば叫ぶように言う。

 一瞬、店内に沈黙が下りる。

 別のテーブルについている客の視線が一瞬こちらに集まったのが分かった。

 ちょうどバックに流れていたT‐REXのマンボ・サンが終わり、次の曲までの無音の時間帯と重なっていたことも、店内の妙な緊張感に影響していたのかもしれない。

「分かってるよ。お前にそんな度胸がないことぐらい」

 おれは少し斜に構えながら、浩平に言う。フォローのつもりだったのだけれど、浩平の表情は引きつったままだ。

「なんかね、警察の人にちょっと色々聞かれたらしくてね。事情聴取ってやつ? それからナーバスになっている浩平君なのです」

 知恵が、それでも慎重に言葉を選んで発言をしているらしく、言ったあとちらと浩平に視線を向けて様子をうかがっている。

 昨晩のことをおれ自身が完全に覚えているかと訊かれると甚だ心もとない。人の名前を覚えられないことに加え、つい最近の出来事もなぜか綺麗さっぱり頭の中から抜け落ちていることが多い。かといって昔のことをよく覚えているのかといわれるとそういう訳でもない。

 森本桃子が実際に電車に乗るところを見たわけではない、と浩平は繰り返す。送っていったのは改札の前までだったようだ。

 しばらくはぐだぐだとまとまりのない話を続けていたけれど、ロン・メイメイからなかもず駅に着いたという連絡が入ったところで店を出ることとした。

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