第3話 梅田発なかもず行き -3
自動ドアから店内に戻ろうと足を踏み出すと、先にドアが開き人が出てくる。森本桃子だった。
うつむきかげんでケータイをいじっているためか、こちらには気付いていない様子である。
そのままおれも気付かぬフリで通り過ぎようとしたとき、森本桃子が顔を上げてこちらに視線を向けてきた。
「電話?」とおれは声をかける。
「あ、いえ」
その場に立ち止まりかけたけれど、ちょうど自動ドアの目の前だったこともありなし崩し的に二人で外に出た。
金曜日の夜、押し寄せる繁華街の喧騒にさらされながら、なぜか沈黙したままたたずむ二人。ちらちらとこちらに視線を向けて通り過ぎる人々には、そんな二人はどう思われているのだろうか、と少し酔いが冷めてきたおれは若干の居心地の悪さを感じる。
手持ち無沙汰になったのか、森本桃子がケータイを取りだしディスプレイを開き、すぐに閉じてポーチの中にしまいこむ。
「なんかすいませんね。付き合わせてしまって」
桃子が、口を開く。
「いや、実はあんまり戻りたくなかったんだよ」
「そうなんですか? まぁ、私もちょっと暑いなーと思って」
白いシャツの胸元を右手でつかみ、ぱたぱたと動かして風を起こす仕草をする桃子。
おれも同意を示し、そのまま二人でぼんやりと立ち尽くしていると、
「ああいう場も、ちょっと苦手かも」
ぽろり、と桃子の口から言葉がこぼれ落ちた。
「おれもだな。できれば飲み会は三人以下でやりたいもんだね」
「同じく、ですね」
顔を見合わせると、二人とも笑いがこぼれる。
さっぱりとまとめたショートの髪とやや小作りな顔立ちに、一瞬だけ姉さんの顔が重なって見え心臓がはねる。動揺を見せないように慌ててケータイを取り出してごまかした。
「お姉さん、いるんですよね」
と、おれの心の中を見透かしたかのような桃子の言葉。
おれは内心ひやりとしたけれど、それに気付かれないようにしばらく考える仕草をしてから答えた。
「そう。……椋山研究室の出身で、しかもおれと同じく『梅田発なかもず行き』電車の都市伝説を卒論のテーマにしていたんだ。まぁ、たまたまなんだけどね……そういえば、森本さんはなんでおれのテーマを選んだの?」
なぜきょうだいで同じテーマを、という質問を予想したおれは、その話題には触れられないように先に適当な答えを提示し、さらに質問で返すこととした。
桃子はそうですね、と口ごもりながらも
「身近に、関係していそうな人がいたから、かな」
と、突然の衝撃発言。
「えっ……と、それって、知り合いに行方不明になった人がいるっていうこと?」
つとめて冷静に返答したけれど、胸が少し高鳴る。
桃子は軽く首を振りながら、
「そんなにたいしたことじゃないんです。ちょっと小耳にはさんだ程度で、本当か嘘かもわからないですし、そもそも知り合いでもないですし」
ただの噂話ならほとんどの人が聞いたことがあるはずなので、それよりは信憑性のある話を聞いたということなのかもしれない。
へー、と聞き流しながら、それでもおれの脳裏に何か引っかかるものがあった。それが何なのか具体的なことはわからない。桃子の言い方に少し違和感を覚えた、ということなのかもしれない。
「まぁ参考になるかもしれないし、ちょっと詳しく調べてみてよ」
「そうですね」
と、桃子が空を見上げたのにつられて、おれも視線を上に向ける。
頬に一滴、そして額にもぽたりと水滴が落ちてくる。
「降ってきたな。そろそろ入ろうか」
今日は夕方から雨になる、と天気予報でいっていたことを思い出す。
自動ドアを開けて中に入ろうとした矢先、背後から甲高い声が響いてくる。聞き覚えのある声だ。
振り返ると、頭に手をかざしながらとてとてと駆けてくるチャイナドレスの女が視界に入る。赤いチャイナドレスだ。左右に一つずつあるお下げ髪が、走るリズムに合わせてぴょんぴょんと跳ねている。
傘を開き始めた周囲の人々も、立ち止まりその場違いな女に目を向けている。
それでも、あいや~、という叫びを発しながらこちらへと向かってくるその女には気にする様子は微塵も感じられない。
「あれって、ひょっとして……竹田さんのもう一人の同期の、ロン・メイメイさん?」
隣で立ち尽くす桃子がおれに訊く。
おれは頷きながらも、ため息がもれる。
ようやくおれの姿に気付いたロン・メイメイは、大げさに手を振りながら駆け寄ってくる。
周囲の視線を気にするおれを尻目に、
「遅れてしまたョ。ごめんなさい」
と、いやに丁寧な発音で言うと舌を出すロン・メイメイ。
「はじめまして。森本桃子といいます。――っと、日本語で大丈夫なんですよね?」
「メイウェンティ! 問題ないよん! メイメイいいます。よろしくねん」
満面の笑みで握手を求めるロン・メイメイに対し、若干引き気味な桃子であったけれど、おそるおそるといった感じで右手を差しだす。
「それより早く顔見せに行ってこいよ。中村さん怒っていたぞ」
おれが言うと、
「あいや~、やっぱりねぇ」といつものように気にする様子のないメイメイ。
「まぁその格好で酒でもついでやればすぐに機嫌も直るだろうけどナ」
おれがチャイナドレスの胸元を指差して冷やかすように言う。
と、メイメイはベーっと舌を出して、すぐに身を翻して店内へと消えていく。
ふぅとため息をつくおれに、
「なんかすごいですね。文化の違いですかね?」
と苦笑いの桃子。
「まぁあれは個人的な問題だろう」
「『問題』ですか? 別に良いと思いますけれど」
「ああ見えて二十五才なんだよ」
「経歴も見ました。もともと理系出身なんですよね?」
よく知っているねといいかけて、やめた。そういえば、桃子に対してこのセリフを言うのは今日何度目だろう、とふと思ったのだ。
おれの研究テーマ、姉のこと、そしてロン・メイメイの経歴まで知っているというのは、単純に真面目だというだけではどうもしっくりこない。
「理系といってもあやしいものだけどな。確か生物学関係の学部だったと思うけど……そうそう、そこで生物のストレス反応についての研究をしていた、人間の心理のほうに興味が出てきた、と本人は自己紹介のときには言っていたね。まぁでも、ほとんど大学にも来ていないし、実際何しにきたんだかよくわからないんだけどね」
「来ていないんですか?」
「ああ、それで毎日中村さんがカリカリしてて、そのとばっちりを受けるこっちの身にもなってほしいもんだよ」
はぁ、と曖昧な返答を返してくる桃子に、おれが訊ねる。
「そういえば、森本さんはなんで心理のほうに?」
「そうですね」と一寸、真顔でどこか一点を見つめ、
「自分のことがわからなかったから、ですかね」
といったあと何か場違いさをごまかそうとするようなぎこちない笑みを浮かべながら、逆におれに同じことを聞き返してきた。
「おれは今となっては理由すらよくわからないな。ただ、その当時は何か『目的』があったんだと思うよ。そのために今の学部に入ったはずなんだけど、今となってはただの自分の専門分野だからやっている、これしかないからやっている、という感じかな」
「そうですか……まぁよくあることですよね。何かある目的のためにやり始めたものの、いつの間にかそれ自体が最終目標になってしまっていることって」
いつのまにかそういうことも考えなくなっていたけれど、確かにそのことに気付いて自問していた時期もあった。もうずっと昔のことのように思えるけれど。
「日本人は『手段』を『目的』にしてしまうのが得意な民族だからね」
自然に頭に浮かんだセリフだったのだけれど、なぜか自嘲気味になってしまう。
と、ケータイのバイブを感じたおれは、ポケットから取りだして着信を見る。
芦高浩平、と表示されている。
「そろそろ戻ったほうがいいかな」
「そうですね」と返す桃子に、
「呼び出しもかかってきてるし」とディスプレイを見せた。
飲み会の「現場」に戻ると、すでに会計のために浩平が集金に奔走していた。
おれの姿を目にするやいなや、早く来い、というジェスチャーをしてくる。
「すまんすまん」
おれはすっと中に紛れ込んで椋山教授、中村準教授、そして森本桃子、と順番にお金を集めていく。
店員に払い終え、全員を引き連れて店の外へと出ると、
「雨だ」
と、誰からともなく声に出す。
いつの間にか隣に来ていた森本桃子が、空を見上げて困ったような笑みを浮かべている。
と、たまたま隣に居た椋山教授が、自然な仕草で折り畳み傘を差し出し、
「使いなさい」
なかなか手を出せずにいる桃子に、自分のかばんの中から別の折り畳み傘を取り出した老教授は、にこりと笑みを浮かべる。
ぺこりと頭を下げて、桃子はその傘を受けとる。
「うぇ、わたしも傘持ってきてないな~」
少し遅れて出てきた知恵はあっけらかんとそういうと、続けて、
「よし、仕方ない。次行こう! ね、竹田さん。今日は帰しませんで~」
「もとからそのつもりだよ」
と、知恵は即座に桃子の方を振り向いてじっと見つめる。何かを哀願する子犬のような目だ。もしも尻尾があったならさぞかし大げさに振りまわされていることだろう。
そのくりくりとした黒目、申しわけ程度にくっついているぺちゃんこの鼻、今にもちろりと舌が出てきそうなその小さな口。想像するとどんどん知恵が犬に見えてくる。飼い主とはぐれてしまった不憫なポメラニアンだ。
「なにをにやにやしてるんだよ」
この声に振り返ると、浩平と衣笠希がすでに帰りの電車の方向へと一歩足を踏み出して、一つの傘に二人で行儀よく並んで入っている。
「笑ってなんかないけど……って、浩平帰るのか?」
「お、ま、ちょっと送っていくわ」
まぁ後から行くから先に飲んでおいてくれ、と小声で言ったような、言ってないような曖昧な返事だけを残して、二人で去っていく。
そのあと、古賀教授と椋山教授が連れ立って繁華街へと消え、その他もそれぞれ散会していった。
「えーと、じゃあとりあえず4人、か」
残ったのは蔵元知恵と森本桃子、そしておれとロン・メイメイだった。
「じゃあ、どこ行きましょうか?」
「あら、そんなのあそこに決まっているネ」
知恵に対して、メイメイがなぜかつんとして応える。
「カフェバー『ルーマニア』」
「『ルーマニア』ですか……聞いたことないですけど」
「まぁそうだろうね。またの名を『梅田発なかもず行き電車の伝説を知りたい人が集まる場末のバー』とも呼ばれているね」
「またえらい語呂が悪いわねぇ……」
知恵が顔をしかめる。気のせいか一瞬だけ、その鼻の頭にしわがよったように見えたけれど、そんなはずはない。人間の体の構造上それは不可能なはずだ。
と、その次の瞬間に再びポメラニアン、というフレーズが脳裏に浮かび、吹き出しそうになったのをなんとかこらえた。
「まぁ何にせよ、行けば分かるよ」
おれは自分の傘を開きながら、カフェバー『ルーマニア』へと足を向ける。
右隣に、ちょこんと知恵が入ってきた。
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