第1話 梅田発なかもず行き -1

 大阪市営地下鉄の終着駅の一つ『なかもず駅』には実は次の駅があるという噂がある。誰しも一度は耳にしたことがある都市伝説ではあるけれど、その実、真偽のほどはなぜか全くの謎に包まれている。


「すると、駅員さんも詳細は知らない、ということですか?」

 メモ帳とペンを握り締めた、中百舌鳥女子大四回生――蔵元知恵が、駅員に詰め寄る。対応に出てきた男はまだ若く見えた。二十代半ば、もしかするとおれと同じぐらいなのかもしれない。やや困惑した表情でしどろもどろになっている。

「昔そのようなことが噂されていたこともあったみたいですけれど、それはただの噂で……」

 知らない、という男の発言に嘘はないのだろう。食い下がる蔵元知恵に対して、それでも丁寧な応対をしているところは感心する。おれには到底できないことだ。

 背後から状況を分析していると、知恵は不意に振り返りこちらをにらみつけてくる。

「ちょっと、何とか言って下さいよ!」

「何とかって――」

 と、言い終わる前に、知恵がペンの先をおれの方に向けて、

「竹田さんの、自分の研究でしょ? そんな我知らず、みたいな態度は言語道断!」

 そもそも駅員に聞いてみようというアイデアは知恵のものであっておれは最初から気乗りしなかった。そういう背景事情をもう一度言い聞かせようかとも思ったけれど、止めておくことにした。言い返してくるセリフにだいたいの予想がついたからだ。

「まぁまぁ、ちょっと一度戻って考えてみましょうよ」

 と、隣から口を挟んできたのは、知恵と同じ中百舌鳥女子大四回生の森本桃子だ。ショートボブの髪に、すっと通った鼻筋がさっぱりとした印象を与える。

 その桃子の言葉にしゅん、と小さくなった蔵元知恵は、下唇を突き出して、すねたような仕草をしている。何かのキャラクター模様のカバンと、派手なラメのついたショートパンツが、まだ十代の雰囲気が抜け切れていない印象だ。あるいは、ちょっとボーイッシュな服を着れば声変わり前の男子中学生でも通りそうである。


「君達、『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説の話が聞きたいんだって?」

 駅員室の奥からの声。

 振り返ると、いつの間にか初老の男性が顔を見せていた。じゃあそれではあとは、ともごもごと口を動かしながら、今まで応対してくれていた若い駅員はおれの隣を通り過ぎて駅員室から出て行った。


「駅長さんですか?」

 一瞬にして嬉しそうに相好をくずして質問する知恵に、男はにこりと柔和な笑みを見せ、頷きで返した。

 


 梅田大学社会学部都市創造学科では、『市民の市民による市民のための住みよい街作り』をうたい文句に掲げて、各研究室が活動している。

 そんな中で、おれの所属する椋山研究室は主に『都市伝説』をテーマとして扱う講座である。住みよい街作りといったいどう関係しているのか、研究生活二年目を迎えた今でさえまったくもって不明のままだ。

 椋山研究室では、大学院修士課程の一年が中百舌鳥女子大の古賀研究室に新しく入ってきた4回生の卒業論文の面倒を見るということになっていた。椋山教授が古賀教授と親しいということが発端で十年近く続いているらしいのだけれど、その古賀研究室というのが心理学関係を専門としており、ますます住みよい街作りからは遠ざかっていくような気がしないでもない。もはやどうでもいいのだけれど。

 

 三十分ほど駅長と話をしたけれど、雑談の域を出るものではなく、収穫は無かった。それほど期待していなかったのだけれど、駅員室を出てから知恵はむすっと唇を結んだまま口を開く気配はない。

 なかもず駅の駅員室はホームの端に設置されており、出てから真っ直ぐにホームを歩くと、終着駅のさらにその末端にたどり着く。ホームの両側に一本ずつ走っている線路の奥は、どう見ても行き止まりだ。次の駅などあるはずはない。

 おれと知恵と桃子はしばらくそのコンクリートに囲まれた薄暗い壁を眺めてから、ベンチに腰を下ろした。

 今日は椋山研究室と古賀研究室、合同で初めて行う親睦会を梅田周辺で開催することになっていた。今からすぐに出発してしまうと少し早すぎる。

 どうやって時間をつぶすか、と思案しながら、隣に目を向けると、知恵はまだ憮然とした表情で腕を組んだまま黙りこくっている。


「でも、君たちも物好きだねぇ、こんな得体の知れないものを選ぶなんて。浩平の『横断歩道と歩道橋の数が人の足腰に与える影響についての一般理論』のほうが面白いとおもうけど」

 探りを入れるためにおれが口火をきる。ちなみに、同期の芦高浩平の方にも一人、古賀研究室の女の子がついている。

 と、そんなのダメです、とぴしゃりと言い切った知恵は、

「夢がないですもん……と、そうそう」

 夢といえばねぇ、と知恵は続ける。

「昨日わたし夢を見たんです。電車に乗って着いたところが見知らぬ土地で、わたしを迎えるために首のない人たちが手招きしているんです。こっちへこーいこっちへこーい、って」

 あまりにも唐突だった。そして、こっちへこーい、というセリフが妙に生々しくリアルで、思わず目を逸らしもう一つ向こう側の席に座っている森本桃子を覗う。それに気付いた桃子が苦笑しながら、

「夢といえば」

 と話を繋いでくれた。


「今回の『梅田発なかもず行き電車』の都市伝説にも、夢が関係している可能性もあるんですよね?」

「よく知っているね?」

 おれが桃子に視線を向けると、一瞬口元がこわばったように見えたけれどすぐに笑みを浮かべて、

「ええ、竹田さんの資料に載っていましたから」

「あ、なるほど」

 色々な文献やHPからの抜粋等を適当につなぎ合わせて作った資料だったので、細部までは記述内容を覚えていない。

 ぴー、と笛の合図と共に、電車の扉が閉まる。乗っているのは数人だった。おれは何となくその電車の後部を眺める。と、ちら、と時計を気にする桃子の姿が視界に入った。

「そろそろ、行きましょうか?」

 知恵も組んでいた腕をほどいて、時計に目を落とし、言った。

「だね。次の電車で行こう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る