氷の棺と乙女達
フィンクさんの傷はとっても深かったんです。
もう助からない。結界を解いたら立ち所に命を落としてしまう。それほどの深傷だった。
このままではフィンクさんが死んでしまう!
そんな事、耐えられない!
だから、私はフィンクさんを閉じ込めた結界を持って、
氷漬けなら、永久的に添い遂げられるのだから。
誰に邪魔される事もなく一緒にいられるのだから。
フィンクさんほど綺麗な光の気を持っている人はそんなに居ない。
雪女は綺麗なモノが好きだ。
それに、フィンクさんはとっても気持ちのいい性格。誰にだって優しい。
優しさは弱さだ。
優しいから、きっと妖刀と戦っていた小嵐三姉妹やアゾットさんを見て、怒って、立ち向かったんだってわかる。
そうだ。彼女達がそんな情け無い姿を晒していなければ、臆病なフィンクさんが傷つくことはなかったんだ。
ぜんぶぜんぶ、コイツらが悪い。
絶対渡してなるものか。
力が入らぬ。
あの魔剣に斬られた傷から魔力が漏れ出してしまう。
生命を吸う類の魔剣だったか、忌々しい。
くそ!
こんな傷を負っていなければ、大気中のマナを妾の魔法で圧縮して回復薬を生成出来るというのに。なんと妾は無力なのじゃ!
ああ、また失いとうはない。ついぞ不老長寿の水ソーマの開発には至らず、パラケルススの大馬鹿者も死んでしまった。
妾が愛しても、妾が永遠でも人は皆死んでしまう。
ああ、フィンク。お前様。せめて傷を修復するだけの魔力さえ残っておれば・・・。
悔しくて、悔しくて、右手の拳を地面に叩きつけた。
ミスリル粉を練り込んだ人肌程も柔らかい粘土で出来た腕は強い。地面に叩きつけたくらいで折れはせぬし、実際、地面に拳の形を穿つ。
悔しくて、悔しくて、
ああ、こんなに流れ出てしまっては、体内生成も追いつくまい。
魔力切れを起こす前に、妾の
お冬め、この賢者の石たる妾を冷たく睨みつけおって。
お主こそ、フィンクを氷漬けにしてどうしようというのだ。
あれは魔力の塊。絶対零度の棺。
あの中では一瞬で体温も奪われたであろう。失血死させるよりは、一思いに奪うか。
まさか魔族であったとはな。いや、このアザイ聖王国では妖怪と言ったか。
こ奴らは、やはり妾の敵だ。
気分で人に危害を加えておいて、それが良いことだと無自覚に考えている。
害悪以外の何者でもない。
フィンクの・・・フィンクのその身に宿した風の
今の妾では、何も出来ぬか。
賢者の石などと持て囃されても、所詮、妾はちょっと綺麗な石っころでしかない。
どんなに魔力を精製できても、無から有を作り出す錬金術に優れていようとも、石っころでしかない妾に戻ってしまえば、人の手を借りねば何も出来ない無機物になり下がる。
ああ、お前様・・・お前様・・・妾は、お前様と添い遂げたかっただけなのじゃ。
高い
お前様がハーフエルフだというのは、先祖返りでハーフエルフになった人間だとは始めから気付いておった。
ハーフエルフの寿命は長い。
普通の人間に比べて、五倍は長く生きよう。
それほどの長い時間を共に生きられれば、錬金術の研究が出来れば、不老長寿の水ソーマの開発も夢ではなかろう。
出来たソーマをフィンクに飲ませれば、千年を超えて妾と添い遂げられよう。
だのに、魔力の大半を失のうては魔族の小娘一人止める術は無い。
悔しいのう、悔しい。
この人形体をもっと戦闘に特化した造りにしておけばと、悔やんでも悔やみきれぬ。
妾はお前様を失いとうはないのじゃ、フィンク・・・。
「フィンク殿は・・・どうなのですか? この氷の結界は、フィンク殿の傷の進行を遅らせる類の物ですよね」
「フィンク殿は・・・どうなのですか? この氷の結界は、フィンク殿の傷の進行を遅らせる類の物ですよね」
悲しみに暮れるお冬とアゾットの前に、黒袴姿の女性剣士、双葉が不安そうに問いかけた。
お冬は怨みがましく、アゾットは絶望に打ちひしがれながら苛立たしげに双葉の方を見る。
やや気圧されながらも、双葉は震えに耐えて凛とした声で言った。
「あなた方もフィンク殿を愛していらっしゃるのでしょう! なんとか言ってください!」
「忌々しい」
およそ生気の感じられない冷たい声でお冬が左袖で口元を隠しながら双葉を睨みつけた。
「名だたる小嵐三姉妹様のお手は煩わせません。フィンクさんは私が郷に連れ帰りますから、お気になさらないでください」
「正気か、雪女! 傷ついたフィンク殿を雪女の郷に連れ帰るなどと、断じて看過は出来ぬ!」
「お前がいうか! お前が弱いくせに妖刀などと戦って敗北したからフィンクさんが無茶をして傷ついた! どうしてお前らなんかのためにフィンクさんが傷つかなくてはならなかったの!?」
「そ、それは・・・!」
一方的にすぎるお冬に思わず腰の刀に手が伸びそうになる双葉。
そんな双葉に怨みをぶつけるお冬。
アゾットはほぞを噛んで言った。
「せめてこの
ジト目で蔑むような目を向けるお冬。
「大して力もないくせに、大層な物言いですね。付喪神のアゾットさん」
「酷い言われようじゃな・・・」
「魔力とはなんだ。それがあれば、何が出来る?」
氷の棺に眠るフィンクを取り囲んで悲しみ暮れる娘達の背後に唐突に声がかけられる。
並の男よりも大きな体躯の女性、魔百合が酒瓢箪を右肩に担いで見下ろしてきていた。
「魔百合姉様!」
「これは、どういう事だお冬。なぜフィンクが氷漬けにされておる」
「こ、これは、酷い怪我で、こうしないと死んでしまうから、」
「生きてフィンクを愛せぬというなら私はお前に譲る気はないぞ」
魔百合の瞳が真紅に染まる。
一瞬で震え上がるお冬。
「そのような・・・決してそのような!」
怯えるお冬から目を逸らし、魔百合はアゾットを見て言った。
「魔力とやらがあれば、どうにか出来るのか?」
「う、うむ。妾は錬金術の知識の結晶たる賢者の石じゃからな。この身が万全で、十膳に魔力を回復出来れば、
「魔力とは、なんだ」
「このアザイ聖王国風に言えば、妖力、と言ったところかの」
「そうか。理解した」
魔百合はアゾットの隣に片膝を突くと酒瓢箪をぞんざいに差し出す。
「な、なんじゃ」
「妖刀を叩き折るつもりで持ってきた鬼喰らいという酒だ」
「おに・・・なんじゃ? そもそも、お主、一体何者じゃ?」
「酒呑童子。巷では赤鬼などと呼ばれておる」
酒呑童子。
大酒呑みの乱暴者で見境なく破壊をもたらす諸悪の根源と呼ばれる鬼の一族。
仇敵を目の前にして目を見張る双葉。
魔百合の実力を知ればこそ、炎の属性持ちの魔百合が天敵だと知っていて怯えるお冬。
アゾットだけが、そんな魔百合に臆することなく見上げて言った。
「伝説の悪童までもがのう。その酒はロイヤルワインやお神酒のような効力があるとでも?」
「あんな物より余程強い酒だ」
「アルコールが強ければ魔力が回復するわけではないのだぞ」
「試してみれば良い」
「むう・・・?」
ぐいと酒瓢箪を押し付けられて、アゾットは半信半疑で左手で斬られた着物の胸元を隠しながら右手で酒瓢箪を受け取りぐびと煽るように飲んでみる。
「うにゃあ、にゃんじゃこりゃー?」
酒、というにも強すぎる。
一気に酔いが回って世界が回り出すアゾット。
「って! いやいや、妾の身体、人形じゃぞ!? はにゃあ、にゃんでこんにゃに、よっぱらうんにゃー??」
「当然だろう。我ら酒呑童子が妖力を解放するのに呑む酒だ。妖力に作用するのだから付喪神でも酔っ払う」
「おにゅし、しゃてわ、こにょしゅきねぃ・・・ほよよよよ」
ぐらぐらと身体を揺らすアゾットの肩から腹まで斬りつけられた刀傷がみるみる塞がって、体内のイコルに魔力が戻るのを感じた。
「ほにょへへへ? まりょくがみにゃぎりゅう〜? はんにゃらあ、ちゅくりぇしょうじゃあ! ちゅくりゅ〜。おまえしゃま〜、いまたしゅけてやげりゅかりゃにょ〜? ほにゃへへへ」
ヨタヨタと氷の棺に這い寄るアゾット。
お冬がその奇行を止めようと前に立ち塞がろうとする。
「ちょ、何をするおつもりですかアゾットさん!?」
「にゃは、じゃましゅりゅじぇにゃーい、おりょかもりょめが」
ケタケタと笑いながらお冬を退けて、アゾットは氷の棺にペタリと抱きついた。
「おー、なんりゃこりぇ、じゅんどのべらぼうにたきゃいイコルのけっしょうじゃあにゃいきゃ。エヘエヘ、こりぇちゅかえびゃ、しゃいきょうにょえりくしゃーちゅくりぇしょうにゃも、エヘエヘエヘヘ」
「ちょっとアゾットさん!? 何するおつもりですかフィンクさんから離れなさい! というか、呂律が回ってなくて何言ってるかさっぱりわからない!!」
「やじゃもーん。しょれー、まりょくれんきんー、えーりーくーしゃーーーーー」
棺に抱きついて色々とダメそうな艶やかな手付きで撫で回しながら魔力を込めて棺の魔力を書き換え新たな形に精製し直していくアゾット。
トロリとしたスライム状に変化して、それらがフィンクの傷口にドロドロと流れ込んで、あっという間に傷が塞がってしまった。
呆気に取られて驚くお冬と双葉。
「フィンクさんの傷が!」
「塞がっていく?」
静かに寝息を立て始めるフィンク。
にへらと笑ってその胸に抱きついて、アゾットもふにゃふにゃと寝言を呟きながら酔い潰れて眠ってしまった。
ため息を吐いてフィンクとアゾットを両肩に担ぎ上げる魔百合。
「やれやれ。これでどうにか、だな」
フィンクとアゾットを担いだまま遠くから見守っていた幸村達の方を振り返って、魔百合は深めにお辞儀をして、幸村達からも会釈を受けた魔百合は踵を返して鶯の止まり木亭目指して歩き出した。
「ま、待ってください魔百合姉様!」
慌てて追いかけていくお冬。
双葉はすっと立ち上がると左手で胸を撫で下ろした。
「よかった。フィンク殿・・・。本当に、良かった・・・」
姉妹の一美と三江に肩を抱きしめられて、つと右の頬に一筋の涙を零して微笑んでいた。
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