Episode 斑鳩『Stand by me...forever』

斑鳩①


『もし、一人で変わるのが怖いなら……私がそばにいてあげよっか』


 自分のその言葉を思い出すだけで、いつも胸が熱くなる。

 あの一言を彼に伝えたことを、杉波すぎなみ斑鳩いかるがは後悔はしてない。

 それほど重要だと思われなかったし、当時の自分としても、ふっと湧いて出たようなものだったからだ。


 けれど、よく夢に見るのだ。


 中等部時代、草薙くさなぎタケルが桜花おうかにチームデスマッチで敗北し、妹のキセキに拒絶されて、傷心していた時の夢。

 雨にうたれていた彼のそばに寄り添った斑鳩は、精一杯、彼を慰めた。

 人の心がわからない、どうしたらいいのかわからないと、彼は言う。

 ならば、世界を変える前に自分が変わればいいと、斑鳩は言った。


 そして……この台詞だ。


 当時の自分を夢の中でリバイバルするということは、今の自分で反芻するようなものだった。

 胸が熱い。鼓動が早くなる。

 もう何百回、何千回と見てきた夢なのに、見るたびに熱が高く、鼓動は強くなっていく。

その鼓動が苦しくてどうしようもなくなった頃に、いつも涙をためたまま目を覚ますのだ。

そうして、どうして自分が泣いているのかもよくわからずに、呆けたように朝日を――


「……ん」


 目元に触れるものがあった。涙を拭う指先を感じた。

 次いで、頭を撫でられる。

 温かいその手は、やがて頬に触れ、最後に指先が唇を撫でた。

 斑鳩が瞼を開く。

 場所は自分の部屋ではなく、夕焼けに染まる教室だった。

 教室の椅子に座って、机に突っ伏したまま眠っていたのだ。

 錬金術の授業に使う教材を届にきてほしいとマリに頼まれ、それでつい懐かしくなって対魔導学園の中を歩いているうちに、この教室にたどり着いたのである。

 中等部時代に斑鳩が過ごした二年生の教室で、今座っている席は、当時の自分の席だ。


「――何こんなとこで一人で泣いてんだよ、思春期ぶり返したのか?」


 視線を上げると、そこにはぶっきらぼうな顔をした彼がいた。

 草薙タケルだ。

 一瞬、中等部時代のつっけんどんな彼に見えたのは、寝ぼけていたからだろう。

 夢の残滓が消えてくれなくて、斑鳩は目をこすった。


「あんたこそ何よ。こんなところで人の寝顔に悪戯しないでほしいわね」

「泣いてたから起こしてやっただけだろうが……」

「あら、それにしては、ずいぶんといやらしく私に触れていたみたいだけど?」


 伸びをしてから、椅子の背もたれに肘をついて挑発するような笑みを浮かべる。

 だがタケルは斑鳩の挑発には乗らずに、苦笑して後ろの席に腰を下ろした。


「ま、役得だろ。お前の涙を拭ってやるのは俺の役目なわけだし」


 タケルがそう言って、意地悪な笑みを浮かべる。

 斑鳩はふんと鼻を鳴らして、ポケットから棒付きミントキャンディーを取り出して口に咥えた。


「面白くないわね……なんだか最近、草薙がずいぶんと大人になってしまったわ。いじりがいがないのよね」

「お前な、そりゃエグゼで副隊長してんのに昔のまんまはヤバいだろ」

「私は昔の草薙が好きだったわよ」

「またそれかよ。んじゃ俺は、どんどんお前の好みから離れていっちまってるわけか」


 斑鳩がジト目でタケルを見る。

 タケルは斑鳩が視線を向ける前から彼女を見つめていたが、ふと教室を見回した。


「懐かしいなぁ、ここ。前の学園自体は壊れちまったから再現されたものなんだろうが……あの頃と何も変わってねぇのな」


 郷愁に浸るタケルの横顔を見ながら、斑鳩もまた足を組んで過去の思い出を掘り返す。


「あんたの算数ドリルへの挑み方、面白かったわよね」

「……覚えてんの、そこなのかよ」

「足し算が小太刀で、掛け算が野太刀なんでしょう? 因数分解あたりでどうなっちゃうのかしらね」

「鎖鎌じゃねぇか? 馬鹿だったなー……そこは今もあんま変わんねぇけどさ。ここでよく、お前に勉強教えてもらってたっけな」


 二人で笑いながら、当時を思い返す。

 思えば、タケルとこうした話をするのは珍しかった。彼らの青春時代は高等部に入ってから、つまり三五試験小隊が結成されてからの方が印象に残っている。

 笑った数も、喜んだ数も、泣いた数だって、小隊メンバーとの思い出の方が多い。

 けれど斑鳩にとって、中等部の思い出は別の印象として大切に残っている。

 小隊メンバーとの思い出を日だまりに例えるならば、中等部の思い出は夕暮れだ。

 輝くような光は無いとしても、ふと抱きしめたくなるような、そんな思い出である。

 仲間達とは共有できない、自分とタケルだけの密な記録。

 時折夢の中で、まるで隠してきたお菓子でもつまむように、その思い出の箱を開けてきた。

 それが切ないと感じるようになっていったのは、いつからなのだろう。

 会話が途切れ、教室が静まりかえる。

 斑鳩は自然に前髪を掻き上げた。


「ノスタルジーって嫌ね……時の流れを残酷に感じるわ」


 小さくため息を吐きながら髪を払った時、不意にタケルが斑鳩の耳元の髪に触れた。

 斑鳩がタケルを見つめ返す。

 タケルは懐かしむように斑鳩の髪に触れたまま、目を細めた。


「髪、また伸ばしてるのか?」

「……最近、妙に忙しかったのよ。切る暇がなくて」

「髪が伸びると、なんか昔に戻ったみてぇだ。こうして見るとマジで全然変わってねぇな」

「あら、ありがとう。老け顔って得よね、歳をとってから若く見られがちだし」

「お前、まだ二〇代入ったばっかだろーが。それと、大人びてた、ぐらいにしとけよ」


 斑鳩が長かった髪を切ったのは、学園を卒業してすぐだった。

 別に失恋の痛手との決別とか、そういうのではない。

 強いて理由をあげるとすれば、カナリアの母親になるために気合いを入れただけだ。

 子を産んだ経験も無いのに正式に母親になるということは、斑鳩にとっては結構覚悟のいることだったのである。

 それだけだ。

 本当に。タケルは関係ない。


(関係ない……はずよ)


 斑鳩はほんの少しの心の動揺を隠そうと、タケルをからかうことにした。

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