(340)命

 さて、「生」という字を見て、皆さんは何と読んだだろうか。


「なま」「せい」「き」「しょう」など、色々あると思うが、この文字は「生きる」「生まれる」「往生」「生い立ち」などと読み方が沢山ある事でも有名だ。


 で、読み方が沢山あるこの「生」という文字、どうやら「命」に関連するワードに深い繋がりがあるようにも思える訳で。


生命せいめい」という言葉があるが、正に黄金コンビとも言える漢字の組み合わせの様な気がする訳で。


 僕も五十路に入った頃から、「命」について色々考える事が多くなった気がする。


 傘の下に「いち」という字があって、その下に「たたく」という漢字がある訳だが、僕が若いころに上司からこんな事を言われた事がある。


「命って字に叩くって字が入っているのは、お前の心臓がドクドクと脈打ってる事を指すんだよ」


 その時は「へぇ~」と言いつつ、20代の若かりし僕は、そんな上司の言葉にあまり興味が無かったのだが、歳をとるにつれて命の灯が残り少なくなっていく事を実感する今の僕は、やはり「後世に何かを残したい。自分の命が意味のあるものであって欲しい」などと考える訳で。


 生きる上で「命」を軸に価値観を構成してゆくと、色々な事が核心に近づく様な気がする。


 というのも、「死を覚悟した人の言葉」というのは「その人の人生が詰まった究極の言葉」だと思うからだ。


 過去の偉人が残した言葉というのは教科書にも載ってたりして有名だったりもするが、僕も何か「意味のある言葉」を残す事は出来るのだろうか。


 第二次世界大戦で日本軍の特攻隊に志願した若者の言葉を色々調べていると、そうした「意味のある言葉」が沢山見られた。


 まさに「究極の言葉」が沢山見られた訳だ。


 自分の人生を見返した時に、それらの言葉に恥じない生き方が出来ていたかと考えると、全くそんな生き方では無かった事を思い知る事になった訳で。


 うーん、反省しなきゃな。


「明日人生が終わると思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」


 そんな「究極の言葉」のひとつに、今日は励まされる事にもなった訳で。


 これは翌日特攻して散った、当時21歳の青年の言葉だ。


 僕が21歳の頃は「へぇ~」としか思わなかった様な事を、当時の21歳の青年が後輩にそう残す事ができた事に驚きはあるが、この差は、まさに「生き方の密度」の差なんだろうな。


 そう考えると、僕の人生のなんと密度の薄い事か。


 もういい歳だし、そろそろ密度の高い人生を送れる様に考えなくちゃな。


 そんな事を思う、今日の僕なのであります。


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