(325)立秋
8月7日、今日は「
暦の上では「秋が始まる」という事な訳だから、つまりは「夏の終わり」を告げる言葉でもある訳で。
僕の苦手な「夏」が終わりを告げようとしているのは、個人的に喜ばしい事だ。
が、夏が終わるという事は、今年も秋と冬しか残っていないという事でもあり、先日もここで書いたかも知れないが、カレンダーの残りが少なくなってきているのを見ても分かる通り、2024年が終わりに向かっているという事だ。
つまり、世界中の誰もが「ひとつ歳を取った」訳で、それは「人生の残りが少なくなっていく」という事な訳で、五十路を迎えている僕にとっては、それは少し恐ろしくもある訳で・・・
周囲を見れば、まだセミは鳴いているし、猛暑は続いているし、子供達は夏休みを満喫しているし、来週は盆休みで仕事も休み前の追い込みに入っているし、まだまだ夏らしさ全開ではあるのだが、心境的に「立秋」という言葉には、「夏が去って秋がくる嬉しさと共に、一年が終わりに近づく恐怖」が入り混じってしまう気がするな。
自民党が裏金問題でテレビを賑わせたのが2023年10月の事だから、あれから10か月が経過した事になる。
能登地方で大地震があったのが2024年の元旦な訳がから、あれから8か月が経過した事になる。
で、社会を見れば、何か大きな変化があった訳でも無く、生活が楽になった訳でも無く、自分自身が大きく成長できた訳でも無く、何か大きなイベントがあった訳でも無く・・・
つまりは、何も変わらないままに1年という時間を浪費しようとしている自分自身がここには居る訳で。
・・・何の為に生きているんだっけか?
そんな言葉がふと脳裏をよぎる事もあるのだが、それを考える時間を、経済的事情が塗りつぶしていくのも事実な訳で。
僕の寿命なんて、せいぜい残り30年程度だろう。
最後の10年くらいは身体が思うように動かないだろうし、活動的でいられるのは残り20年くらいではなかろうか。
新卒の初任給が今は20万くらいなのだとすると、そのうちの1万円を浪費し、残り19万円でどう幸せに過ごすかを考えるのと似ているな。
きっと僕は、人生の「立秋」を迎えているという事なのだろうな。
そんな事を考える時期にきた気がする、今日の僕なのであります。
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