(267)両親と社会
今日は3年ぶり位に実家の両親に会った。
あまり長い時間では無いが、彼女の顔見せも兼ねて、ランチを一緒にした訳だが…
まず、僕の両親はまだまだ元気そうだった。
そして、相変わらず僕の事は「駄目な息子」という認識の様で、一生懸命僕の彼女に僕の欠点を伝えていたな。
困ったもんだ。
まあまあ高級なしゃぶしゃぶの店でご馳走になったのだが、料理の事をぶつくさボヤいていたり、世の中をぶつくさボヤいていたり…
感謝や尊敬を共感出来れば良い関係を築けるだろうに、ずっとボヤきを聞かされる彼女の事も考えて欲しいもんだ。
…ほんと、困ったもんだ。
そんな両親だが、やはり息子の事は心配なのだろう。
僕の彼女に「息子を宜しく」と言っていたあたりは常識的なところもあるんだなと感じる訳で。
子供の頃から両親の押し付けがましい「正論」に耐え、学生時代には色々理由をつけて一人暮らしを始め、社会人になってからも実家の両親の呪縛に縛られ、そこから逃げる様に東京に移住して20年。
実家の家業を継いだ兄には悪いが、次男の僕は、好きにやらせてもらいます。
僕には2人の妹がいるが、長女は両親の押し付けがましい正論から逃げる様に渡米し、幸せな人生を送っている様だ。
次女は今だに実家暮らしだが、両親の束縛から精いっぱい逃げているのか、近所の大型ショッピングモールに1日中入り浸っているそうだ。
人間ってのは、自尊心が担保出来なきゃ幸せには生きて行けない。
それが認められない世界なんてのは僕にとっては地獄だ。
僕のは家庭レベルの話だが、今の社会を見渡してみると、政府がおかしな「正論」を押し付けてきて、人々の自尊心を踏みにじっている気もする訳で。
僕は個人事業主だ。
業界では無名な訳では無いと思う。
多くの顧客に信頼を得られたからこそ、今も事業が継続出来ているという自負もある。
なのに、五十路にもなって、まだ「1人の人格」として認められない息子の悲哀というのは、何だか滑稽にさえ見えてくる訳で。
今の社会を凝縮したような両親に久々に会ってはみたが…
また暫くは、距離を取った関係を続ける事になりそうだ。
しかし、こんな歪な家族模様だからこそ「見えてくるもの」もある。
それは哲学的だったり、真理だったりもする訳で。
そうした経験があるおかげで、色々な物語が作れたりもする訳で。
過去の文豪達も、色々な波乱の人生を生きてきた訳で。
なので、僕はこれも幸せの形なのだと思って、これからも頑張ろうと思うのです。
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