(225)29年
目覚めたのは朝5時45分頃、いや、5時46分になったところだった。
2024年1月17日(水)。
何だか胃もたれするなと思いながらベッドから起きだし、シャワーを浴びて歯を磨く。
温かいシャワーのお湯で徐々に頭がクリアになってゆく。
目の前の鏡は湯気で曇って自分の表情は分からないが、今日が阪神大震災から29年目だという事を思い出した。
そうか、もう29年か。
最近は能登地震のニュースばかり見ていたから、頭の中が地震の事でいっぱいだったのかも知れないが、起きた時刻が5時46分というのも、何となく因果なものを感じた。
何故かというと、29年前の阪神大震災が起きたのも、朝の5時46分だったからだ。
昨夜書いた「変態」エピソードがそろそろ更新される頃だなと思いながら、シャワーで目が覚めた僕は再びPCの前でこのエピソードを書いている。
1995年の僕は、兵庫県の伊丹市というところに住んでいた。
兵庫県ではあるが大阪府に隣接する市で、阪神大震災の被害はそれほど大きくないと思われている地域だ。
が、早朝にお風呂に入っていた若かりし僕は、素っ裸で風呂に入っている時に「阪神大震災」の揺れを経験した訳だ。
ズドンと突き上げる様な衝撃で湯舟の湯が大きく波打ち、グラグラと大きく揺れて浴室のタイルが剥がれるのが見えた。
木造2階建てのボロアパートだったので、ギシギシ! バキバキ! と嫌な音を立てる建物の悲鳴を聞きながら、「これは建物が潰れる!」と思った。
「死ぬかも知れない」と心の中でそう思った僕が瞬時に思ったのは「この姿で死にたくない!」というものだった。
おかしなものだが、「着の身着のままで逃げる」というのとは違い、当時の僕はある意味「死」を受け入れようとしていた訳で。
で、まだ建物がベリベリと嫌な音を立てながらガラスが割れる音なども聞こえているにも関わらず、僕は勝手知ったる我が家の浴室から抜け出し、身体を拭くのもパンツを履くのも忘れて、手探りでズボンを履いてシャツを抱え、お茶の間に移動したあたりで揺れが収まった。
部屋の中は真っ暗だったが、空気がとても埃っぽい。
鼻から吸う空気が粉っぽくザラついた感じがした。
コタツの横に無造作に置かれている筈の防寒着を手探りで見つけ、それを羽織って玄関から屋外に出ようとしたが、木製枠のガラス引き戸で出来た玄関引戸はガラスが割れていて開けられそうに無い。
ダンプカーにでも突っ込まれたのか?
そう思いながら、寝室の窓から屋外を覗くと、2階にあった筈の僕の部屋から見えたのは、すぐそこに地面がある景色だった。
運よく窓が開けられた。
玄関に戻って靴を履き、土足のまま寝室を歩いて窓から外に出た。
外に出て気付いたのは、ボロアパートの1階部分が潰れて、2階部分がそのままストンと落ちる様に潰れているアパートの姿だった。
遠くの空が白みかける早朝、薄明かりの中を歩いて建物から離れ、阪急伊丹駅の方へと向かった。
駅に向かう途中で通る梅の木商店街の建物は大きく倒壊している様には見えなかったが、いくぶん傾いて見える建物もあり、アーケードの下には、それこそ着の身着のまま建物から避難したと思われる人が沢山いた。
なるほど、地震か。
で、商店街を抜けて阪急伊丹駅のロータリーまで来た時に見たのが、徐々に明るくなる空の下に見えた、倒壊している阪急伊丹駅の姿だった。
それが、僕が事態の重大さを知った瞬間だった。
・・・あれから、ちょうど29年。
僕は、今も生きている。
そういえば、あの時に起こった奇跡的な出来事が一つあったな。
それは、パンツを履かずにズボンを履いたにも関わらず、陰毛やぞうさんをチャックで挟みこまなかった事だ。
緊急時、何が自分の命を左右するかは分からない。
些細な事でも感謝しながら生きていける様に、これからも意識していかなくちゃならないのかも知れないな。
そんな事を思う、阪神大震災から29年を迎えた、今日の僕なのであります。
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